ちょっとした感想   

15/7/29

   夏だからというわけでもないが、除菌製品のコマーシャルをよく目にするがあまり好きではない。人間の体、皮膚表面にも腸内にも数えるのも面倒なほどの常在菌が存在している。人体が地球だとすれば地球に生きている生命と同じように人体にも微生物の生態系ができているわけだ。悪玉菌が多くなれば人体に不都合な病気も起こるが、バランスがとれていれば問題はない。善玉も悪玉もなく除菌をしてしまうと空いた所に何が入って来るか分からない。
   ある程度色々な菌にさらされて耐性を付け、菌のバランスを良くすることが本当は大切なのではないだろうか。

15/7/27

   何度おきても地域が違えば反省が生きないのが子供のいじめ自殺への対応に見える。
   今回は岩手県の中学2年来の男の子が亡くなって、学校側が調査報告書を出した所でまたニュースになっている。
   子供達はある程度いじめを認識していたようだが、大人達は果たしてどこまで気が付いていたのだか…。今や中学生になっても生徒1人1人が担任と日誌の交換をしているようだが、いくら1クラスの生徒数が昔に比べて減ったとはいえ、すべてに目を通すのは担任の先生にとっても大仕事だろう。かえって深刻さがスポイルされたような気がする。
   一方、家庭はどのくらい子供のいじめ(被害者も加害者も)を把握していたのだろうか。子供を取り巻くさまざまに組織の連携をとお題目のように言うが、その前にまず子供が毎日居るはずの家庭との情報の共有ではないだろうか。中学生位になると、親の顔を見た途端に1日の事を話す子供ばかりではない。親の方も忙しくて気が付かない事もある。
   しかし、学校だけではなく、家族親族・地域・習い事・さまざまな場で色々な人と向き合えば自分が気楽に居られる場所を探す事ができるという事を子供達には伝えたい。

15/7/22

   今月は色々あって、こちらにはほとんど何も書いていない。取り込み中につき『おばあちゃんと一緒』『我が家&和賀家』にほとんど日記感覚で入っている。
   ブログでタイトル仕分けをして書いた方が楽だよなぁと思いつつ、作り直すのも面倒だしと、このまままた次の段階では違う方向に目が向くのだと思う。

15/7/15

   安全保障関連法案が衆院平和安全法制特別委員会で与党単独による強行採決で可決された。明日には衆議院本会議で可決の予定だそうだ。
   しかし、この法律は生まれてすぐにだからどうなるというものではない。中国は大っぴらに批判し攻撃するだろうし、韓国も多分批判するだろう(周辺事態のそもそもは韓国と北朝鮮の間で事が起こった時に日本から派遣される米軍を助太刀しましょうという事だと理解しているが…)。アメリカは当座は手駒が増えるから特に何も言わないだろう。
   ちょっと歴史を巻き戻して見ると1925年に普通選挙法と治安維持法が成立している。まだ大正末であり加藤高明内閣の仕事だ。それから年月が過ぎ、1931年には満州事変が起き、翌年には犬養毅総理が5.15事件で暗殺された後、斎藤實総理の時に国際連盟を脱退して日本は戦争への道を転がり落ちて行く。また同じ1933年には共産党弾圧と小林多喜二拷問死が起こっている。
   総理大臣も内閣も変わるもので、法律は誕生時の理論通りには使われない事もある。今国会議員をしているほとんどの人が戦場に行く事も国内で戦争に巻き込まれる事もないだろう。しかし、次の世代はどうか?憲法9条の歯止めを外し戦場に立つ断り口上を無くして、本当に国家国民のためになるのだろうか。
   ついでに調べたので付録として、1940年に行われるはずだった東京オリンピックは1938年に中止を決定している。

15/7/13

   安保法案改正・国会定数是正など国民全体にとって大きな問題が議論されているのに国会の外での政治家さん達は与野党とも静かだ。
   本当に国民に分かってもらい支持を得たかったら、国会の外で国民に直接語りかける街頭活動が不可欠だと思うのだが、少なくとも通りを歩いていて直接私の耳に生の声は入ってこない。
   マスコミは楽しんでいるかもしれないが、議員は本当にやる気があるのかどうか…。
   日本の議員は与野党が役割逆転する事も別の勢力が突然出てくる事も想定していないように見えるが、本来は与党は野党になった時、野党は与党になった時、この案件がどう作用するかをきちんと想定した上で判断してほしい。民主主義というものはそれぞれの意見を封殺することなく、選挙民がどの意見を取るかを1票を入れて決定をするのが基本で、沖縄の普天間移設反対はすでに沖縄の地元選挙民にとって結論の出ている問題で、それを覆したかったら理論的言論で説得をしなければならないのに与党にはそれが出来ていない。その程度の与野党を擁する国会できちんと結論の出る議論が出来るのかはなはだ心もとない。

15/7/8

   コンスタントに年に数回様子を見ているのだが、しばらくぶりの眼科。
   どうせ待たされるからと1冊本をかかえて行くのだが、ついのめり込み過ぎたか、検眼は絶不調。「どこが切れていますか?」の丸が全部丸もしくは不定形に見える。カルテの積み重ねがあるから、検眼をしている方は見えるはずの所を出しているのだろうが…。
   先生の所までたどり着いて、そろそろ眼鏡を作りかえたいが以前の処方と同じで良いかと言ったら、右目の白内障がかなり進んでいるから、もうしばらくこの眼鏡じゃダメかと言ってきた。両目の手術を勧めるにはまだ左目は良く見えているらしい。でも後2年位で手術かなとの事だったが、それまでは眼鏡が持ちそうもないのでと言ったら、先生が悩みはじめてしまった。
   今日は絶不調としてももう1度度数を測りに来いとの事で、結局早々に予約を取った。
   いずれは白内障の手術をと言われるだろうとは思っていたが、いよいよそんな年代に突入したという事だ。

15/7/1

   特に忙しいわけでもないのだが、物を書く気力がなくなっている。何となく思う事はあるのだが、文章としてまとまらない。どころか5-7-5の俳句もまとめきれない。
   気力不足か気合が足りないのか…、幸い仕事にしているわけでもなし、しばらく充電、いや、いまだ放電中かもしれないが…。
   忙しくしている内に今年も後半に入った。

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