15/8/28
東京オリンピックのエンブレムが物議をかもしている。それに付随して作者の仕事全般に疑問符が持たれているらしいが…。
同じような仕事をしている従弟が居るので、そもそもこういう仕事は他人の作品の否定から始まるのではないかと聞いてみた。本来自分の個性を売り込む仕事だし、自分のアイデアと同じようなものがあったとしても自分ならここはこうするとなるものではないだろうかと思ったので。
彼に言わせると「今の世代は仕事のすべてをパソコンでこなし自分の手で線を引かないのでそうなるのかな」というような事だった。自分の手で線を引けば必ずその人の癖が出るものだし、それが個性として好き嫌いはあるとしても、その人らしい作品になるのだという事だそうだ。
もっとも、今は素人でもパソコンである程度の事ができるので、仕事自体が減っているというような話もしていた。
15/8/26
昨日、岡山の叔父の50日祭で岡山まで行った。ちょうど台風15号が九州に接近していた時で、広島以西の電車はほとんど動いていないらしい。細かい事は分からないが、岡山までは大丈夫そうなので、夕方出る予定を早めて午後早い新幹線に乗る事にした。
1時に家を出発。TANUKIがバイクで荷物を焼津駅まで運んでくれたので助かった。幸いこちらは雨は降っていない。
行きは岡山行きのひかり、ちょっと迷ったが座席指定を取った。これで多少遅れても大丈夫、座っていられる。実際にはかなり空いていたし、雨もほとんど降らなかったが、新幹線内の情報テロップでは九州四国などの運休や遅れの情報が流れていた。西に行くほど「降りる時は風に気をつけて」とアナウンスも流れた。岡山には5分遅れ。最後の岡山駅で列車が溜まっていたようで、信号待ちになった。ここから倉敷までは在来線で4駅ほど。すっかりきれいになって、しかも向かい合わせの席なので、何となく落着かないがちょうど帰宅時間帯で高校生位の子ども達が多かった。
本日の泊りは従弟お勧めの駅側のビジネスホテル。パラパラ雨は落ちていたが傘の必要はなし。チェックインをして荷物を置いて夕飯に出た。あまり遠くに行くと天気が気になるので、側にあるデパートの食堂街でうどん。倉敷のうどんは麺も汁も美味しい。しかし、大丈夫かいというほどデパートそのものにお客が少なかった。
近くにスターバックスもドトールもあることを確認して部屋に戻る。これで明日のコーヒーは何とかなると思ったのだが…。
荷物の整理をして風呂に入ってベットのころがったらあっさりと眠ったらしい。このベット、保温機能とストレッチ機能が付いていて、空気の膨らみで足を揉んだり背中や腰を伸ばしてくれるのだが、これが血行が良くなって気持ちが良かったせいだろう。その代わり3時前に1度目が覚めた。「すごい雨が降ったよ」と後から叔母に聞いたのだがその気配は感じなかった。
しばらくゴロゴロした結果、次に目が覚めたのは7時前。テレビでニュースを見ながらシャワーを浴びたり着替えたりしている間にコーヒーの時間はどこかに消し飛んでしまった。
9時半の待ち合わせ時間のちょっと前にチェックアウト。下に降りて前の道路をウロウロしている間に見つけてもらえた。しかし、この従弟もわざわざ倉敷駅経由で連島という道は慣れていないらしく、カーナビと悩みながらの運転。ドロンと変わってしまったこのあたりの道はどこを走っているのかも分からなかったが、「このトンネルは出〜る」などというこの兄妹お得意の話題はやはり出た。迷ったらしいのだが(分からないが)10時には無事到着。しばらくして日比の長男夫婦が到着。「これから仕事で」と長男はお参りだけして、「火葬場での写真をその内送ります」と携帯の中に入っているのをチラリと見せてくれてまた出かけて行った。その後からここの次男の嫁さんが次女を連れて登場。こちらはたまたまだったらしい。
「本人坊が来ないね」と岡山の次男を待っていると本家の次女のお姉さんの介添えで叔母さんも一緒に登場。
早速50日祭のお祭り。仏教の49日と同じでこの後で納骨の運びとなる。
お祭りの後で今日は登校日で小学生が帰って来るからと日比の嫁さんはそのまま帰宅、連島の嫁さんも長女を迎えに行ったが、こちらは2人を連れてまた戻ってきた。
その後、お昼を食べて岡山の一行は帰っていった。
納骨はまた折を見てと言っていたのだが、お墓も市内にあり、私は新しくできてから見ていなかったので連れて行ってもらう事にして、それならばと納骨もしてしまう事になった。近いのだがかなりの急坂で「よう運転しない」という日比の従弟、地元の叔父と従弟の車に分乗してお墓へ。高台だけに気持ちは良いがかなりの急坂。色々と考えて一般のお墓より広いカロートを持っているので、まだ広々としている。
納骨式も無事に終わり、3時には連島を辞し日比の従弟に岡山駅まで送ってもらった。ほぼ1時間。日比と逆方向へ引っ張って来てしまって一緒に乗っている叔母には疲れただろうに気の毒をしてしまったが。
帰りもタイミング良く岡山発のひかりに乗れた。自由席でゆうゆうだったが、大阪あたりからはかなり混み合ってきた。それでも名古屋あたりの暗くなった所で岡山駅で買った夕飯の駅弁も食べ、8時頃には自宅に着いた。
15/8/19
せっかくTOPPOさんが来たので今日はドライブ。事前に西へ行こうかと考えていたのだが、空模様と相談をして御殿場へ。
以前行ってゆっくり出来なかったのが残念だった、とらや工房と東山旧岸邸へ。別荘地なだけに緑が濃くて気持ちが良い。岸総理の旧邸は案内の方が丁寧に説明をしてくれた。東名高速が開通したのを機会にここを自邸に現役の衆議院議員として東京まで通勤されていたそうだ。玄関付近は人の応対もできるように広く、書斎は落ち着きのある洋室、居間から食堂は広くとって庭に開けている。総理の気にいっていた椅子というのに座らせてもらったが、ゆったりと身体を包み込む気持ちの良い椅子だった。ここからも隣の食堂からも開けた庭が見晴らせて、それなりに植えられた木はあるようだが自然な景色で目に優しかった。遠景のポイントには伊藤博文邸の石灯篭が据えられている。
お茶室にも使っていた和室はさほど広くはないが家具もないせいで広々と感じさせる作りになっていた。こちらの茶庭にはポイントに吉田茂総理からもらったという石灯篭が置かれていた。
見学の後、今回はとらや工房でゆっくりとお茶。朝たっぷりと食べて出てきたのでそろそろ12時近かったがどら焼きとお茶で一休み。
このあたりは戦前の別荘地で、昔はもっと色々な家の別荘が立て込んでいた所だったらしいが、すぐ近くにある秩父宮様の晩年の住居だった秩父宮記念公園へ。ここ花ながきれいで、現在は改植中だそうだが、それでも夏の花がたくさん咲いていた。こちらは茅葺の和室を中心にした住まいになっている。現在は防空壕を調査中という事で、案内が出ていたので見に行ったが、住居の裏へかなりがっしりとした大規模のものが作られていたようで、実際に使われたこともあるそうだ。
ノンビリと2つのお屋敷とお庭を見て帰り道、東名を清水で降りて春にお世話になったスウィートメッセージやまろくでジェラートを食べて戻って来た。
15/8/15
終戦記念日。もちろん当時生きていたわけではないので直接には知らない。
母方の祖父は大連、伯父は海軍で船に乗っていた。もう1人の叔父は国内の守備隊、父も国内の高射砲部隊、父の妹の連れ合い(まだ結婚していなかったが)はソ連の捕虜となってシベリアに居た。O家の義父も中国大陸に出征していた。さいわい全員靖国に葬られることなく生きて戻って来たが。
しかし、父は東京の下町生まれで祖母から話は聞いていないが空襲に遭っているはず。母方は大阪に住んでいたので祖母と母のすぐ下の妹が空襲に遭っている。
たまたま私の知っている身内は生きのびたというだけで、この戦争で多くの命が失われた。70年が経ってすでに直接戦争を体験した人は少なくなっているが、戦争を仕掛ける愚かさも戦場になる悲惨さも知っている我々は、戦争という愚かな発想を遠ざける事を考え実行するべきではないだろうか。
一方、アメリカと言う国は、第2次世界大戦以来、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東での様々な戦争とこの70年間のほとんどを戦争を続けていた国だ。たまたま本国が戦場となっていないから痛みが身にしみていないのかもしれないが、この国にくっ付いて行く事は極めて危険なのではないかと考える。
15/8/7
今年の夏は白せん菌(水虫)に取りつかれた。正直言って水虫とも長い付き合いだが、皮膚が弱い方なので、とりあえず、カブレか虫さされかはたまた水虫か…、かゆみ止めから順に試してみて医者に行くのが遅れた。
検査をしながら1週間ごとに様子を見て塗り薬を変え、3種類目、成分や濃度はあまり違わないようだが、メーカーが違うので微妙なレシピが違うのだろう。「ピタッと合う薬を見つければ早いから…」と先生は仰るが、いよいよとなったら飲み薬が登場するらしい。前回途中で肝機能の数値が悪くになってストップがかかったのだが…、しばらく白せん菌と縁切りが出来た実績はある。
15/8/1
涼みがてら行った図書館で『ゲド戦記』を借りて来た。何年か前(と言っている内にケロリと10年位経っているのが怖いが)の夏にアニメ映画になり賛否両記の批評が気になって見に行った記憶があるが、少年向けの物語だしと原作を読む気にはならなかった。
今回たまたま手に取ったのは作者が『空飛び猫』シリーズのアーシュラ・ル・グウィンさんだと分かったからだ。彼女の作品は日常の中にポンと荒唐無稽を入れて、それなりに現実感を持って感情移入できるだろうという信頼感がある。
読んでいるのは5巻シリーズのまだ1巻で、アニメ化されたのは最後の方らしいと見当はつけたが、しばらくノンビリと少年の成長と冒険の物語につきあうのも楽しいかと思う。