17/1/27
母の入っていた句会の会報から母の句を抜き出している。月1回の句会に5句投句している。大した分量ではないが、ようやく1年分を写し取った。
感性の面では特にお互いに反発しあっていた親子だが、変なところで感覚が似ていたり、同じ文字使いをしていたりでやっぱり親子だったか…と、つくづく思う。
17/1/26
片付け物をしたら母の書いたものが大量に出てきた。創作は少ないのだが、句会の会報の写しだったり、誰かの短歌だったり、大叔母からの手紙の写しだったり、色々と出てきた。ご本人は何かをまとめ上げるつもりのようで、それぞれのノートの頭には序文のようなものはあるのだが、どうつながる予定だったのかはさっぱりわからない。
私としては祖母の遺稿(NHKの朝ドラに感化されて自分の一代記を小説風に書いていた)が読みたいのだが、それは出てこない。
それはともかく、意外と母の事、だけでなく父の事も知ろうとしなかったなぁ…、と今更ながらに思う。
私の覚えている最初の記憶は、朝、T家の祖母が七輪でご飯を炊いているのを側で見ていた記憶だ。時には『おめざ』のお菓子をもらったりもした。もう1つはもう少し大きくなってからの夕方、会社から帰宅した祖父が1人晩酌を始めたところにソロリソロリと大鉢のホウレン草のお浸しを持っていくと「虹が出ているよ」と窓の外をさした手、もちろん両親も一緒に暮らしていたのだが、祖父母の印象の方が強い。
母方の祖父もまめな人で、字が書けるようになって1番初めの文通相手だが、ハガキを出すとすぐに返事をくれた。たわいのない事をやり取りしていたのだろうが、私が小学校高学年になった祖父の晩年には、「お祖父さんはあまり体調が良くないけど、返事を出さなくちゃと言っているので」と祖母や叔父からの返事が返ってくることもあった。
その他にも双方の叔父や叔母たちにかまわれて、相対的に両親の影響が少なかったのかもしれない。
17/1/22
大相撲初場所は大関・稀勢の里の初優勝で終わった。千秋楽で攻める横綱・白鵬をすくい投げで下しての堂々たる優勝だった。
白鵬もまだまだ強い横綱だし技術もあるが、終盤にもろくなるのは全盛期は過ぎてきたのかなぁという気がする。それでも稀勢の里に対して手抜きをせずにきっちりと当たったのは彼に対する期待があったからではないだろうか。立派な横綱と渡り合って勝ったという事を稀勢の里は誇って良いと思うし、今後に生かしてほしい。
今場所の横綱・大関は全体に情けなかったが、それでも最後の決戦が熱戦の横綱vs大関になったのは相撲協会はホッとしたのではないだろうか。
それはともかく、若手の相撲が面白くなっている。遠藤は今後も「ケガさえなければ」と言われ続けるキャラクターになりそうだが、逸ノ城はダイエットをして動きが良くなってきたし、国産の関取衆もそれぞれに癖のあるキャラクターがそろってきた。春場所がというよりもしばらくは主役が変わりながら楽しませてもらえるのではないかと期待をしている。
17/1/21
日本ではこの夜中、アメリカでは20日にトランプ新大統領が就任した。
周りからの言われようも随分だし、ご本人の言いようも随分だが、良くも悪くも正直なアメリカ人の見本なのかもしれない。
アメリカからの発信を見ているとどうも理想的すぎる物言いが多い。もともと移民の国で、それぞれにアメリカに対する理想を求めてやって来ている部分があるのかなぁとは思っていた。しかし、代を重ねて住み着いている人々にとってはただのあたりまえの故郷で、普通の人間らしい色々な感情が渦巻いているはずだし、それぞれの地域特性に従ったカントリールールに縛られているところもあるだろう。非の打ちどころのない論理的な理想論と「これこそが俺らのまっとうな考えだろうが」という土着の感性(否定はしません。どこの土地でもあるはず)のせめぎ合いに今回は感性が勝ったという事なのだろうと思う。そういう意味ではアメリカも他所のお節介を焼くよりも自国の問題に向き合おうという普通の国になったという事なのではないだろうか。
もう1つ、彼はトム・クランシーの作中のジャック・ライアン大統領になりたいのではないかと思うのだが、それならば実業の世界だけでなくインテリジェンスと外交についてしっかり頭に入れてふるまってもらわなければならない。小説の中のように劇的な困難に対するわけではないが、現実の世界に出てくる数字はその裏に本物の多くの人生がかかっている事を分かっていることを願う。
17/1/19
昨年の暮あたりからあまり新聞を読んでいない。読む時間が物理的にないわけでも、興味がないわけでもない。だが、1日が終わる頃、今日も新聞はろくに読んでいないなと思う日が続いている。
アメリカの大統領が変わる、イギリスがEUを抜ける、韓国が騒がしい、中国の大気汚染がこの冬もひどいらしい…、どれも大きなニュースだが、いまいちピンとこない。豊洲問題・オリンピックなど東京も色々と大変そうだが、身を乗り出すほどのものかという気もする。
事情があって、スマホに災害情報のアラームをいくつも入れているので、日に何度かは地震情報だったり気象情報だったり、市内だと火事や行方不明者の情報だったりも入ってくるが、日常作業でほとんどは淡々と消してしまっている。
私と社会とのつながりとなるローカルな多彩な情報が大きなメディアからは入ってこないのが問題なのかもしれない。
17/1/16
東京の豊洲市場予定地の地下水調査でベンゼンなど危険物質が今までの検査レベルに比してずいぶん多く検出されたらしい。
「一生飲んでも大丈夫だし、利用する水ではないから」と寝ぼけた見解を出している人がいたが、将来的に生鮮食品を取り扱う場所で、しかも中小企業の連合体のような業者が親子代々職場として生活し利用していく場所で、この言い方はないだろうと思った。
ベンゼン・シアンなどは気化するし、ヒ素も出ているという。日本人は食に対して神経質すぎるというむきもあるが、身体を張った実験をする気にはならない。
17/1/15
腰を据えてホームページビルダーの転送設定と取り組んだ結果、「ネットにつながっていません」は機械語のようで、とりあえずホームページの大家さんとの接続はできているらしいことが分かった。
しかし、受け入れ側のフォルダーにうまく入らない。そこが問題なのだが、何故そうなっているのかがよく分からない。質問は出してあるのだが回答が来ないことには、しばらく先に進めないかもしれない。
17/1/13
クリスマスにTOPPOさんから『吾輩も猫である』という猫好き作家が書いた猫アンソロジーをもらった。
目には入っていたのだが、自分が買わなかったのは、知らない作家さんと苦手な作家さんばかりだったからなのだが、猫が切り口、しかもみんな猫好きとなるとそれぞれにみんな面白い。どの猫も猫が変に固定化していないが猫だもんねぇ~、と納得がいく性格に作りこんである。
その中でもタイムリーだと思ったのが恩田陸さんの『惻隠』。一人称でしゃべり倒しているのが「ワタクシ」という猫(と言って良いのかどうか…、九尾はキツネだったような…)。
どうやら彼女の棲み処は大統領執務室だったようなのだが、核のボタンが押された後、人間は誰もいなくなった世界で、その部屋にやってきて猫と一緒に暮らしていた何人かの人間について機械を相手にしゃべっている。なかなかブラックユーモアのパンチのきいたショートストーリーだった。
ところで今年は夏目漱石生誕150年・没後100年の年だそうだ。父は漱石が好きだったらしくて何組も全集でそろえていたが、私は『吾輩は猫である』も楽屋落ちが多すぎてあまり好きではない。
17/1/8
あっという間に今年も1週間が過ぎた。「もう」なのか「まだ」なのか、随分バタバタしていた気もするし、例年の正月の行事や予定がない分、何もせずにいるような気もする。
パソコンを買ってから1月以上が経ったのだが、こちらもまだ完全移行ができていない。このホームページビルダーが引っ掛かっているのだが、腰を据えてサッサとやろうという気がどうもわいてこない。1つにはノートは字が小さくて、やはり古いパソコンの方が見やすい事、たとえ時々ストライキを起こして止まってしまったり、再起動を重ねたり、急に画面が消えたりしても、すでに頭の中で織り込み済みになっているので、そう慌てない。しかし、それではノートパソコンが大型のバックアップ機になってしまうので、部屋の片付けのためにも何とかしなくてはならないのだが…。
17/1/1
昨年暮れはバタバタしている間に過ぎてしまった。明けても今年はお正月様を祭っているわけでもないしと机の引き出しの整理。はっきり言ってガラクタばかりなのだが、うっかり捨てるわけにいかないものも含まれている。
いまさらに父の納骨法事の時のメモなども出てきて、解読できれば役に立ちそうだ。その時に各方面に送った宅配の送り状の控えは出てきたのだが、何のために何を送ったのかの記憶は全くない。ついでに父が祖母の葬儀の時に記録したものも出てきた。ここしばらくの片付けで両親とも記録を残すのが好きな事はつくづく分かったが、こちらにそのDNAはあまり来ていないのだが…。