17/3/29
3/27に栃木県の県高体連が主催した登山講習会で雪崩による遭難が起こった。生徒・教師計8名が亡くなり多数のけが人を出した。お悔みとお見舞いをまず申したい。
先生方が事前にどれだけの踏査をしていたのか、生徒達にどれだけの基礎知識ができていたのか、という疑問はあるが、この事故を反省して積雪期の登山はやめるという結論を出したようだ。
しかし、危ないからやらないというのはどうなのだろうか。今回も山岳部やワンゲル部に所属していた生徒たちに対する講習だったそうだし、多くの犠牲を出した大田原高校の山岳部はインターハイの常連校だったそうだ。この子達もいつかは冬山を攻めたくなるだろう。それなら基礎知識はどこで得るのか。今回積雪のある斜面(大雪で雪崩の恐れがあるという事で登山は中止してラッセル訓練にしたそうだが)を歩くというのに雪崩に対する備えはしていなかった。基本を学ぶのは悪くないが吹き溜まりのような斜面に入る事に登山のベテランの先生方も違和感はなかったのだろうか。事故が起こっては困るが、起こるかもしれないと基本的な準備を事前にする必要を感じなかったのだろうか。
今回、雪崩に巻き込まれた時に位置を知らせるビーコンを準備していなかった。ベースに使っていたスキー場はすでに今年は閉鎖していたが、職員は雪崩がよく起こるという事をよく知っていた。きちんと準備を整えていれば、急な降雪で表層雪崩が起きるかもしれないことが分かり、この場所には入らなかったはずだ。ビーコンを持たせていても「そういう物があるんだ」という知識を持たせただけで終わっただろう。
慎重に、しかし、若者たちの実体験ができる機会を奪わないでほしい。
17/3/20
義父が亡くなって22年になる。これは地下鉄サリン事件の日なのでこちらが忘れていてもテレビニュースが思い出させてくれる。そして父が亡くなって8年になる。
どちらも年月の流れをあまり実感できないのだが、義父が亡くなった時、小学校の卒業式だった甥がいい大人になっているので、それだけの時が流れたのだ。
いつの間にか母が焼津に来た年齢と同じになっている私だが、あの頃の母の方が体力も好奇心も行動力もあったのではないかと思うと、ちょっと悔しい気がする。
17/3/17
今日が彼岸の入り。一般的な休みの日に八王子に墓参りに行くのは至難の業なので、早々に行く事にした。
スタートでソファの防水シートを洗っていたので出遅れたが、10時前に出発。海老名JCTから圏央道を使えば2時間少々で行くはずで、予定通り昼頃には到着。家の墓参りの後、TANUKIが歩くと言うので歩きで一山越えて親戚のお墓もお参り。こちらはたいてい早々に誰かが来ているのだが、今日はまだ花が上がっていなくてちょっと気にかかる。
1時間ほどでお参りを終えて帰りは中央高速経由。何となく空がカミナリグモを孕んで不穏だが、時々パラリと雨が落ちる程度。
談合坂SAで遅い昼食。こちらはお腹が空いて何でも美味しい(さすがにかつ丼のご飯全部は食べきれなかったが…)が、TANUKIはガッカリしながらステーキ定食(\1000だけど)。
帰りはよほど河口湖からR139を通って富士のふもとを回ろうかと思ったのだが、お天気がいまいちの上、昨日は体調が悪かったので素直に御殿場経由で帰ることにした。ところがこのあたりで眠くなってきた。運転手のバトンタッチはできないのでかなり危険。それでも何とか富士川SAまで持たせて一休み。土産物を見るのにはかなり面白いが、なにも静岡の自宅に静岡みやげを買う気にもならず冷やかすだけ。コーヒーが飲みたい私とすでにお腹を減らしたTANUKIでコーヒーとドーナツのおやつ。
後は大相撲中継を聞きながら一直線に自宅。猫達はお利口にお留守番ができたようだ。
17/3/13
森友学園のウルトラ右翼小学校は結局申請取り下げで表向きの決着はついたようだ。
格安での国有地取得の不明瞭な問題から学校(と言っても幼稚園だが…保育園もあるようだがこちらは厚労省の管轄なので)の教育内容にまで疑問符がついて、ワイドショーを大喜びさせたが。
この理事長がお金に汚い、虚言傾向のある人だったから今回はたたかれたが、同じ確信犯でも、自分を律し、預かっている子供たちに愛情をかけ、理論破たんの無い教育をしていたらかえって困った事になったかもしれない。
17/3/11
今年も東日本大震災の起こった日が来た。今年は仏教的には7回忌の法事にあたる。
発災時は今でも忘れられない。ちょうど民児協の定例会の最中だった。港からもかなり近い防災センター(という名の3階建ての小さなビル)もかなり揺れた。閉じ込められたくないので1番近かったからドアを開けたが、窓の外の電線がユラユラとすごい勢いで揺れていた。それでも会議は継続。終了後に下に降りたら、2Fには避難者が何人か、管理人室の小さなテレビでは今まさに襲ってくる津波の映像が映し出されていた。外にも港付近の工場の人達が防災ヘルメットをかぶって避難。民児委員さん達もテリトリーの心配な人達に携帯電話で安否確認を取り始めていた。
自宅に戻ってからも延々とテレビで災害情報をチェックすることになった。その中でこちらも津波警報は出ていたし、地震もあり東部では停電もあったはずだが、東北地方の同じ映像の繰り返しばかりで、地元情報が全くなくイライラさせられたのを覚えている。
幸いこちらは無事だったので、被災地を心配し、色々なルートからの義援金を送るくらいの事しかできなかったが、多くの人が亡くなり、まだ見つからない被災者も多い。それ以上に生活の再建に大変な思いをしている人々は多い。その時生まれた子供達がこの春には1年生に上がろうというだけの歴史を刻んでいる事を思うと長い時の流れを感じる。復旧という事では時の流れに追い越されている。これからどんな街づくりをするのか、これからどう暮らしたいのか、何もできないけれど被災地の皆さんの未来を応援したい。
17/3/8
有料で特別養子をあっせんしていたという容疑で逮捕者が出た。分かりやすく言ってしまえば人身売買なのだが…。
しかし、「悪だ」とあっさり言いきれない事態があるから厄介だ。
児童養護施設が日本中で満員状態なのは4年前と変わらないのではないかと思う。現在の日本では里親家庭に委任したり、養子縁組をしたりが極端に少ない。その結果、施設で育った子供達が家庭生活というもの・個人が暮らすという事を理解しないまま大人になってしまう事もある。また、常に集団生活だと誰かとの強い結びつき、いざという時に頼れる年上の大人とのつながりも薄く、社会に出た第1歩で躓くことも多い。
また、子供が授からない夫婦というものも常に一定状態あるはずで、そのすべてが子供はいらない、子育てはしないと割り切っているわけではない。今現在はどうなっているか調べていないが、30年位前までは里親候補者は子育て中・または子育てを終えた人のみだった。
つまり、子どもを育てたいけれども授からないという人達は子育てをするというチャンスが閉ざされてきていた。少子化が心配されている今、生まれてきてくれた子供達はどの子も大切にされて幸せに育ってほしい。
施設に収容される子供達の多くが被虐待児であるという事も考え合わせると、望まない妊娠出産については大切に育ててくれる養親をマッチングする方が、ともに幸せになれるような気もする。
しかし、これをビジネスとして成り立たせてしまえば、やはり人身売買に他ならない。
17/3/7
下で書いた大阪の私学の小学校は、今年の認可は難しくなったようだ。
まだ、校庭をはじめ工事中だし、何度も映像が流された中で、沖縄でよく問題になる小学校上空を飛ぶのと同じような大きさで飛行機が上空を通過していく環境は小さな子供が1日の大半を過ごす場所として果たしてふさわしいのかと疑問に思う。
それ以上に、すでに1年生になる日を心待ちにしている子供たちにとって、この状況はどうなのだろうかという事を、ニュースの周りに群がる大人たちが無頓着な事がより一層気にかかる。
17/3/3
都は民間からかなり高い値段で土地を買い豊洲市場を作った挙句に土壌汚染対策で先に進まなくなってしまった。一方で国は私学の小学校を建設する法人に格安で土地を売っている。こちらはゴミ処理代を引いたというのだが、その引き方が普通ではない。土地を買う金も都民の財産である税金なら、国有地も国民の財産であるわけで、その扱い方がぞんざいすぎるのではないかと思う。
もう1つ、小学校を建てるという土地が、空港直下で騒音や危険防止のために住宅地から空き地になった土地だそうだ。学校建設には到底向かない土地に思えるが、そのような点は学校を建設するという段階で審査されないのだろうか。
また今日は豊洲の問題で記者会見した石原元都知事が「僕は素人ですから」を連発していたが、例えば家を建てる時、建て主は建設関係の仕事をしていなければみな素人だが、それなりの自分の考えを持って費用や間取りを考えて交渉するものではないだろうか。都知事はプロの政治家や行政マンとしてではなく、素人である住民の代表として、プロのやることをチェックするのが本当なのではないだろうか。ハンコ押しマシーンのために高い給料を払いたいとは私は思わない。
17/3/1
あっという間に3月になった。
今日の『毎日新聞』夕刊の特集ワイドで「伝統的家族」なる幻想という自民党が成立を目指している「家庭教育支援法」を批判する記事が出ていた。
家族のあり方などはそれぞれで個別の事情も抱えているので一律にどうこう言えるものではないが、法案からは抜けているだろうが、この1点を柱にしてほしいものがある。それは子供が独立するまでは親は子供と朝食と夕食を一緒に食べること。父親が子供の寝顔しか見られないというのは家族として機能不全に陥っているし、片親の単身赴任も子育て家族としての機能を奪っている。企業にそういう働き方させることを禁止した上で、父親も母親も社会の一員として仕事をしている、その中で町全体が子供たちの成長を見守っているという社会が作れるのならば、是非とも頑張って法案を練ってほしいものだ。
江戸末期に日本を訪れた外国人たちは日本ほど子供を可愛がる国はないのではないかと思ったそうだ。必ずしも家族だけで子育てをしていたわけではないが、諸外国に比べて識字率も高かった江戸時代の子育て・教育を振り返ってみるのも良いのかもしれない。