17/4/29
歯医者通いが続いて待ち時間がうんざりするほどあるので『源氏物語』を読み直している。もちろん現代語訳で、田辺聖子さんのものと与謝野晶子さんのものが自宅にあるのだが、ちょっとした言葉の使い方を比べて読むのも面白い。
元々は『源氏物語』の作者説(の謎)をちょっと読んだことからそういえばあったなと引っ張り出したのだが…。作者説だけでも紫式部作者説、紫式部の後を娘の賢子が引き継いで書いた、紫式部はダミーで別作者がいるなど、色々な説があるらしい。それぞれに細かい所をあげつらってそれぞれの説を論じている。その中で、これだけ藤原氏を悪役にする物語を藤原氏の総帥道長の元(式部は道長の娘・彰子中宮の女房をしていた)で書けるはずはない、というのは一理ある。藤原氏と源氏の競争(出世・立后など)ですべて源氏が勝つような物語になっているので、藤原氏側ではなく源氏もしくは親王などの側近の誰かが作者ではないかという説も面白い。
読んでみると経糸となる源氏と紫の上の物語とエピソードのように語られる短編とがごっちゃになっているように思う。
『赤毛のアン』の作者モンゴメリーは1作目はかなりの年月温めて気合を入れて書いたが、最後は「もっと読みたい」という読者のためにうんざりしながら書いたというエピソードもある。この物語も本編とは別の形で主人公だけ出してエピソードのような短編をいくつか書いているが、今の全集ではそれも含まれている。また、『シャーロックホームズ』は作者ドイルの物語を超えて色々な作者が彼らを活躍させている。
それを考えると紫式部が直接書いたのは『桐壺』だけで、読み継がれるうちにどんどん色々な話が色々な人によって膨らまされ、さらに年月が過ぎる中で、誰かが数ある物語の中から今の形に取捨選択をしたのではないだろうか。
『源氏物語』全体を読み続けるのは結構大変だが、気が向いたところでいくつかの章を読むだけで堪能できる物語でもある。
17/4/27
4/25の派閥の講演で東日本大震災が「まだ東北で良かった」という大失言をして事実上の更迭となった今村雅弘元復興相、東大法学部卒業だそうで頭は良いのだろうが感性や共感力の発達が悪すぎた。すでに記者会見で福島の自主避難者を「自己責任だ」と切り捨てて記者に突っ込まれ激高した後だったが、さすがの安倍総理が同じ場での挨拶で陳謝した。
最近大きな災害が多く、復興相の役割は大きい。とりあえず大臣初心者の練習の場にというポジションではない。また、誰でも初心者の時期はあるわけだが、国民が高給を払っているのだから、せめて大過なくできる人選をしてほしいものだ。今回の今村雅弘元大臣は自分の言ったことが与える影響に対しての悔いよりも自身が大臣でなくなった残念さが前面に出た最後の会見だった。
17/4/24
昨日、ネット番組の対局で藤井聡太4段が羽生善治3冠を破ったそうだ。羽生3冠も10代で華々しくデビュー、19歳で竜王を取ったはずだが、それ以来の華々しいデビューかもしれない。公式戦まだ負けなし、先が楽しみだ。
ただ、促成栽培をされて、タレント化し早々と燃え尽きてはほしくない。じっくり力をつけて加藤一二三9段のようないつまでも第一線で戦える棋士を目指してほしい。
17/4/23
防衛医科大学校の秋富慎司医師が出演するNHK明日につなげよう「東日本大震災プロジェクト」『「声なき人を救え」災害派遣医療チームの格闘』が放送されます。と焼津VCのメーリングリストで回って来たので今日はテレビの前でお勉強。
災害派遣医療チーム(DMAT)は大災害時に全国の医療従事者で作られる緊急医療チームだ。阪神淡路大震災の反省から作られたそうだ。阪神淡路大震災が建物の倒壊と火災によるけが人で、早く救出し治療する事が必要だったため、初期3日間に大量投入するシステムで動いていたそうだ。ところが、東日本大震災の主な被害が津波によるものだったため、水死してしまったか無事に逃げ延びたかで、緊急治療が必要な重症のけが人は予想よりも少なかったそうだ。しかし、沿岸部の病院が使えないほどの被害を受けたため、連絡も途絶し、治療中の病人の保護、避難した慢性病患者の薬の処方など、想定外の問題がまた山ほど出てきたという事だった。これを反省して次に備えるとの事だった。
何度か書いているが情報としての震災とは私はご縁がある。関東大震災は火事が多くの人命を奪った。私より小柄な祖母は父を背負い朝の残りご飯を「後々役に立つ」とおひつから鉄のお釜に戻してそれを持って逃げたそうだ。下町の方に住んでいたらしいのだが、無事に逃げ延びてくれたお陰で私がいる。
03年の十勝地震では叔母の家の建物に数センチの段差だが断層によるらしい亀裂が入った。お墓なども倒れたというから結構大変だったのだと思う。
阪神淡路は大都市が被害を受けたので被害は大きかったが、同じ神戸市内でも無事な所もあるという意味では局地的で行政が全く動けないわけではなかった。(神戸市内の友人から被害もなく無事だったと連絡があった)
04年の中越地震や07年の能登地震・中越沖地震は余震がひどかったという意味では今回の熊本に近いのかもしれない。(ボランティアで入った知り合いが「マジでカミさんに遺書を書いた」と言っていた)ただ、雪深い所で建物が丈夫だったために倒壊家屋は少なかったという話を聞いた気がする。しかし、余震が怖くて昼間は家の片付けに戻るものの夜は近くの住民が農業用のビニールハウスに集まって一緒に過ごしたという話も小千谷の親類から聞いた。
そして東日本大震災。その前に1度東北はかなり大きな地震があり、半年か1年は経っていただろうが叔父の葬儀に岩手へ行った時、だいぶ道路が傷んでいたが無事に通れて日本のインフラは大したものだと思ったのを覚えている。その後の東日本大震災でも建物や道路の耐震性は大したもので、ここまで津波にやられたとわかる先は何事もなかったように道路も建物も壊れていなかった。しかし津波を頭までかぶってしまえば残念ながらその中の人間の命を守ることにはならなかった。もう1つ、内陸部でも流通が止まりあっという間に商店から物が無くなったと岩手の従妹達が言っていたが、この辺りは開拓入植第1世代のお年寄りもまだいて、水場や山菜などを利用することも教えられ無事に乗り切れたようだった。
同じ地震と言っても見せる顔はそれぞれの状況によって変わってくる。願わくば地球の時の流れよりはよほど早く流れる人の寿命なのだから、何事もない中で普通に一生を終わりたいが、備えは常にしておくにこしたことはない。
17/4/19
昨日、車の車検だったので今日は慣らし運転がてら御前崎まで。点検に車を出すと微妙にエンジンやブレーキ、エアコンなどの感覚が狂うので、なるべく早く用事なしで車を動かしてみる。案の定、ちょっと感覚が違ってしばらくは運転に集中。ホッとした頃にエアコンのスイッチが止まっている事に気が付くのだから、これは必須。カーナビの地図も更新してもらったのだが、これをチェックする余裕が出たのは帰り道。
いつものコースばかりでもつまらないと、途中から目的地を最近売り出し中のR150の道の駅・風のマルシェ御前崎へ。なぶら館が海産物を中心にしているのに対して、こちらは農産物。野菜や花をはじめ夢咲牛など畜産品を直販・栽培法の提示・食材を使ってのレストランで構成している。TANUKIは「それなら夢咲牛」とハヤシライスを食べていたが、こちらはここまで来てもマグロ(歯がいまいちなので食べやすさもあったが)、ネギトロ丼を食べてきた。しかし、マグロよりネギを売り出したいのかと言うほどさらした白ネギと青ネギが山盛りだったが…。
しかし、今年は大河ドラマ『直虎』の伯父にあたる新野左馬助の領地という事でいくつもの案内パンフレットが置かれていた。この人のおかげで徳川四天王の1人、井伊直政(直虎の次代)が命を長らえて育てられた。その次の代(直政の子)が焼津で生まれているので、地元としては興味深い。
今回はそちら方面は割愛して、海側を回って帰ってきた。車はいささか腹ペコ気味だが快調のようだ。
17/4/18
歯痛でダウン。ちょうど痛くなったのが土曜日の午後で痛み止めを飲みながら月曜日まで我慢。実は2週振り飛ばしていた歯医者へ、やっと月曜日に行った。
大昔に治療した奥歯、6・7歳の頃から使い続けていた歯だけにだいぶすり減っている。今回はそのすり減りの問題より、脇から菌が入って歯茎で炎症がおこってガスが充満してそれが抜けないので痛いという説明。で、大昔の詰め物が取り払われガス抜き?そして本日は消毒?しばらく歯医者通いが続きそうだ。
17/4/9
やいづ港マラソン当日。TANUKIは朝も早くから会場へ。
私とTOPPOさんも農大応援団と合流のため7時半には自宅をスタート。すでに準備を始めていた応援団と無事に合流。パラパラと時々小雨も降るがかすかに陽も出て事前の天気予報よりは良かったのでホッとした。
開会式後にかなり時間を取ってやらせてもらったが、今年は大学ペアマラソンからスタートなので、そのままスタート位置に移動をしてスタート時は景気づけ程度の応援。
ここで皆と別れて、せっかくなのでTOPPOさんをみなと祭り会場(旧港)の方へ案内する。早すぎたか、踊りの皆さんがにぎやかに踊っているほかはまだ静か。緑の広場も以前の焼津神社前から同じ会場に来たのだが、福引の対応と新築家庭への記念樹の配布だけで、植木市なども出ていないので少し寂しかった。ここで造園科OB発見。
港祭り会場はほとんどが食品だが、市内の会社などが、自社の製品だけでなく、学園祭風に店を出したりもしていて楽しかった。ここでも酒屋さんでOB2人発見。ちょっと時間が早いとはいえ、こちらがメインなのでもう少し活気があっても良いと思うのだが…。
一回りをして新港のマラソンゴール方面に行けば、すでに応援団が応援をはじめ、大勢の選手がゴールに戻ってきていた。申し訳ない事に本来の主役であるはずの農大の選手のゴールを見る事が出来なかった。
1度家に戻って、午後は農大志太常磐松会の懇親会へ。事務局なので先に行くつもりだったのだが、1時台のホテルのお迎えがなく、見えていた先輩方と一緒にお願いしていた2時発のバスで会場へ。応援団に帯同してくれていた人達に受付対応などもみなやってもらっていた。
応援団の子たちは如才なく先輩方の相手もしてくれて、こちらはとりあえず居るだけという気楽な状態でいられた。
陸上部(長距離)は今年監督さんが交代、「まだ始まったばかりで皆の名前も覚えきれなくて」と監督さん。今回は4年生・3年生の8人の選手とマネージャー1名を連れてきていた。応援団も担当の先生が体調不良でチアリーダー部の先生が引率。その代りリーダー部・チアリーダー・ブラスバンドと50名近くで来てくれた。彼らにとっても大勢の人が見て喜んでくれるこの場はうれしいもののようだった。しばらくぶりのOBの方も「俺、涙が出てきちゃったよ」と感動していた。
学生たちを送り出してOBで昨年の会計報告をしたり来年どうするかの話し合いを1時間ばかりしてお開きにして帰るところに、出席予定で見えなかった先輩が到着、時間を間違えておられたらしい。申し訳ない事をしてしまった。
4月早々とはいえ、志太常磐松会の年間最大の企画が終了、若手の皆さんにお任せでやってもらったとはいえ、ホッと一段落がついた。
17/4/6
将棋名人戦の第1局が始まった。父の趣味に合わせてBSでテレビで見ていたのはずいぶんと昔だが、あの頃も世代交代と言われていた。谷川浩司9段が登場した頃のことだ。その後、羽生世代の台頭まで父と一緒に見ていた。さらに渡辺竜王が現れ、今期はしばらくぶりの20代対決、佐藤天彦名人に稲葉陽8段が挑む。どちらもすでに将棋とのご縁が薄くなってから登場してきた棋士なので、どんな将棋を指す人なのかは知らない。
最近また、中学生で4段になった藤井聡太4段が棋士になってから11連勝の新記録を立てて注目を集めているので将棋のニュースに触れる機会が増えた。
自分が指すわけではなく、見物専門だがやはり気になる名人戦だ。
17/4/5
『教育勅語』に脚光が当たっている。歴史上にかなりの意味を持って在ったものなのだから、無いものとしてしまう事はいけないと思う。
戦後に1度、主権在民の新憲法に違反すると否定された。今回これが今生きている人に広く浸透したのは良かったのではないかと思う。
成立時はもともとが江戸時代以来の徳目を並べた上で、明治時代の近代国家としていったん事ある時は天皇の元(大昔以来の旗印として)に一致団結して国を守れというものだったのだろう。それが日本という国は中心に権力の無いドーナツ型の権力構造なので、権力を握った陸軍が利用したというのが本当のところだったのではないかと思う。とびきりに特別視するほどのものなのだろうか。
17/4/1
エイプリルフールだが、嘘偽りなく寒い1日だった。ニュースによると山沿い、箱根の方では昨夜から雪だったようだ。
静岡では桜の開花宣言もまだ出ていない。3月末のカタクリの花も蕾がちだったし、チューリップも花茎が伸びていない。それでいて天気予報では今夏は猛暑のご託宣。逆にネットニュースでは氷河期へ向かっているというのもあるが、できる事なら人間にとって住みやすい気候の範囲でいてほしいものだ。
偽りでなく寒き日や四月馬鹿 DORA