17/8/31
昨晩のNHK『クローズアップ現代』でネコのマダニ感染についてやっていた。
猫に付くことがニュースだったらしいが、ニースになるのかどうかよく分からなかった。マダニかどうかよく分からないが、草原の中には色々な生き物がいて、猫を外に出せばノミだけでなくダニも拾ってくるのは当たり前だと思っていた。そのために時々は洗う事もしたし、部屋を殺虫剤で燻蒸したりもしていた。
最近は外に出していないので、痒がっているのを捕まえて毛皮を調べてもノミもほとんど見当たらない。家の中をテリトリーにしているダニがいるのかもしれないが…。
動物は様々な生物の複合体と考えた方が良い。人間も皮膚にも消化管にも様々な微生物が住み着いている。時によっては本人が元気だから抑えられているけれど、体調の悪い人に移ると病原菌として働くものもある。そして、マダニの中にも色々な病原菌が住み着いていて、それがペットやその周りにいる人にも移ることがあるという事だ。
野生動物が人間の生活圏に出てきたからというような解説をしていたが、本当だろうか。私に言わせると、人間が自然の中での暮らしのイロハを忘れたためにリスクが分からなくなっているような気がするのだが。
猫とのかかわりでのマダニについて良くまとまっているHPを見つけた。
『子猫のへや』『猫のマダニ症』
17/8/29
朝、テレビを点けたら北朝鮮のミサイルが日本上空を突っ切っていったと大騒ぎをしていた。
別段通っただけで何処かで被害が出たわけでも何でもないのだが、NHKどころかEテレも民放も私が出かける10時過ぎまで大騒ぎに盛り上がっていた。この言い方が的を射ているかどうか分からないが、ここまで騒いで北朝鮮を喜ばせて良いのだろうか。
タイムキーパー代わりのテレビなので、4時間以上付き合ってつまみ食い的に聞いていたが、地域のニュースや天気予報や交通情報をすっ飛ばすほど大したニュースはなかった。
今日の解説で1つだけなるほどと思ったのは、「朝鮮半島は休戦中とはいえ戦争が終わっているわけではなく、北朝鮮は朝鮮半島統一を最終目標にしているので、北の体制を保証しても核開発もミサイル開発もやめる事はない」という大学の先生の解説だった。彼はドイツの例を出していたが、ベトナムはまさにベトナム戦争でアメリカを追い出しての統一だった。
中東だけでなく東アジアもきな臭いが、兵器が飛び交い人が死ぬことのない解決を目指してほしいものだ。
17/8/28
昨日の焼津VC(災害時ボランティアセンター)立ち上げ訓練が終わった後で、会長から雑談のように「流れ全体の間延びを無くすのにはどうしたら良いと思う?」と課題を出された。
確かに、今回はボランティア役の無いまま、全員で流れの確認をしたので、その場で「どうする?」と話し始めたり、解説が入ったりもしたが、ロールプレイでたまたまボランティア役のリーダーになったベテランから、「駆け付けたボランティア側から言うと」の突っ込みもかなり入った。こちらが駆け付けた側ならばという発想は運営側にとっても大切なポイントだと思う。実際にこういう駆け付けボランティアを続けておられる方もたくさんおられるようで、中には「阪神淡路以来」の強者もまだおられるようで、慣れないVCの運営にはヤキモキして口も手も出したくなるボランティアさんは結構おられるのではないかと思う。
考えられるのは書式の必要十分を精査する事と人の流れの阻害要因をなるべく減らすことに尽きると思う。
また、自分達が何とかしなくてはと何もかも背負込んでしまいがちだが、他の組織を当てにするところはきちんと相手を信じて当てにしてしまう事も大切ではないかと思う。ただし、これには日頃の付き合いが大切で、そこを手当てするための色々を手抜きすべきではない。
まだ単なる感想だが、出来れば大災害の前に、もう少し意見を出せるようにしたい。
17/8/4
この秋で田原本の伯父が亡くなって10年だそうだ。母のすぐ上の兄だが、母の兄弟9人の内で1番直接お会いした回数が少ないかもしれない。
1番初めは私の5~6歳頃。秋に金光駅で伯父と従妹と母と4人で撮った写真が残っている。従妹とは同い年なのだが、お互いに1人っ子、もう他人と遊べるはずの年だが、何をして遊んだのかも覚えていない。同じ時に従弟達と祖父に連れられて裏山をかなりの距離歩いたのは秋の日ざしまで覚えているのだが…。
次が、私達が大学時代。この時は学割の使える内に遊んでおこうと春休みに奈良を回る起点として泊めてもらった。それならと伯母が、あそこへ行っておいで、ここも良いよとお弁当まで作って従妹と一緒に送り出してくれた。その時は伯父も張り切ってお夕飯のすき焼きの世話をしてくれたりしたのを覚えている。
次が結婚後、TANUKIやTOPPOさんと一緒に夏休みのドライブ旅行のついでに立ち寄った時で、確か「胃ガンで胃を切った」とずいぶんほっそりされていた時だったと思う。その次にお会いしたのは和賀家の祖父母のお年忌に母の代理で行った夏、伯父はすっかりと元気になってお腹周りの貫禄も戻っていた。
最後にお会いしたのはTANUKIと大阪へ遊びに行く途中で立ち寄らせてもらった時、大雪で名古屋を抜けるのにとんでもない渋滞に巻き込まれて「昼に行く」が夜になってしまったが、伯父はもうだいぶ体力が落ちて「人と一緒に食事をするのは体裁が悪いから」と言っておられたが、「お昼の予定だったから」と出して頂いたお好み焼きを食べる間、付き合ってくれて少しはお話をしたように覚えている。
実はそれなのに、結婚以来ずっと夏越の祓い・年末の大祓いをお願いしているのは田原本教会なのだ。叔母達と違って伯父からは教会の話も信心の話もほとんど聞いたことはない。ただ、地道に機関誌を送ってくれるのを時にじっくり、時に斜め読みさせてもらっていただけだ。
私の中では神様もちょっと気難しい親戚の伯父さん並みにカテゴライズされている。そうなっているのも案外伯父の影響なのかもしれないが…。
17/8/2
仏壇の棚の下が押し入れの1/4位のサイズの物入れになっている。主に父が使っていたのだが、ここが三鷹以来のカビとノミorダニの住家になっているのではないかと思っていた。とりあえず無理に片付けなければ物が入らない状況でもないので手付かずだったのだが…。
何が入っているんだろうという興味もあってひっくり返してみた。
とりあえず大物は父の大事にしていた将棋盤や駒台・駒の一式。ついでにNHKの将棋テキストが少々。今注目の藤井4段の師匠・杉本先生が講座の講師をやっていたようだ。そして、商売道具の時計の修理に使う道具類や部品。手近な所からも出てきていたのだが、まだあったのかという感じ。趣味のジグソーパズルやレコード・音楽のカセットテープなども出てきた。
後は膨大な新聞切り抜き。小説や将棋の棋譜、他にも興味を持ったものがきちんと整理されていたが、ここがカビの温床だったようだ。他にも母が押し込んだらしい衣類や本なども出てきたが、このあたりを処分すればだいぶスペースも空くし、カビも退散してくれるだろう。
本日はここまでだが、次は仏壇の裏のルナの隠れ家、ノミがピョンピョン出てこなければ良いが。
17/8/1
あっという間に8月。先月は梅雨時ではあったがこちらでは雨は少なかった。しかし、全国的にみると各地で豪雨・水害の被害が出た。大きかったのは福岡・大分のだったが、それ以外にも狭い地域で川があふれたり、マンホールが噴水になったり、歩道橋が滝になったりと他所の大事より此処の大事という被害が各地で起こった。
特に、農地は守りようがないうえ、田んぼなどは出穂期に水をかぶった所も多かったのではないだろうか。
雨の降り方が熱帯のようなゲリラ豪雨が多くなっているのも確かだが、山仕事が仕事としての儲けにならないために山が荒れている事も大きな要因になっているのではないだろうか。また、申し訳ないが田畑が水の一時的な行き場となることで住宅地までは水に浸からなかったものが、その中間貯水池そのものがなくなったために山からの水が一気に流れ込んでくるというものあるのではないだろうか。
日本のように山が急で国土そのものは狭い所では治山治水を怠るとあっという間に国土そのものを失いかねない。国土全体をコンクリで固めれば良いわけではなく、きちんと手を入れてきたからこそ弥生時代以来ずっと日本という国が続いている。そこをしっかりと考えるべきではないだろうか。