17/10/24
衆議院議員選挙も終わった。結果的に自民党の1人勝だったが…。
私はどうも政権選択選挙というものになじめない。
今回の突貫工事でできた希望の党、党首が小池百合子さんでは自民党との違いがどこに出るのか、結局鮮明にならなかった。しかもすでに都知事としての重責を帯びていて、選挙に出もしない人がリーダーでは政権選択の目玉である首相候補が誰かも判然としなかった。
そういう意味からいえば、政権取ではなく、「民意を国政に反映させなければならない」というところでまとまった立憲民主党の方が分かりやすかった。しかし、彼らも希望の党同様の政界渡り鳥のねぐらであるのだろうといううさん臭さは消えなかった。
小泉政権の頃から、政界に健全なブレーキが利かなくなった。真っ向から意見を対立させて議論をする野党も、突っ走り過ぎをけん制する与党反主流派も無くなり、結果としてあっちへ突っ込み、こっちへ突っ込みを繰り返しているように見えてならない。
選挙のたびにオセロゲームを繰り返す愚を繰り返している間に政治家そのものが劣化してきていると感じるのは私だけだろうか。
今回野党を自任している政治家の皆さんには野党の役割をきっちりと修行してほしい。与党が出して来るものはその案の良い所を売り込むわけで、ではまずい所はどこなのか、穴はないのか、国民大衆に国会の論議に注目してもらえるかどうかも野党の質問の巧みさにかかってくるはずだ。また、きちんと調査データーをつかんで、これは何だと爆弾質問が出るだけの勉強もしてほしいものだ。
17/10/12
選挙で安倍自民党は『少子高齢化』を『国難』と言い出した。それにしては消費税の使い道に子育て支援を入れるなどという小手先だけで間に合うの?と思うのだが。
そもそも借金(国債など)の返済に充てようと消費税を持ち出したはずなのに、借金が膨らんでいくのが解せない。別の方面に使いたいのならどこかを切り詰めるしかないのだが、その部分が全く見えてこない。景気よくパラパラと使っていれば借金は膨らみ続けるはずだし、そんな世の中に我が子を置いて行きたいとはあまり思わないのではないだろうか。
本当に少子化を憂うのならばまず今いる子供達を大切にする施策を考えるべきだ。虐待で亡くなる子・心や体に大きな傷を受ける子を無くすこと、自殺をする若い人たちを救う事、どちらも子供達の周りに多くの人手とプロの目を持つ見守り者を増やすことが大切になる。子供を産み育てる世代の時間と資金の余裕もなくてはならないが、それ以上に心の余裕が大切なのではないだろうか。
大体、小さな子供が泣くだけでいやがる大人が多数いたり、子供の声がうるさいと保育園建設を阻止したり、運動会などの学校行事を騒音とする人々のいる社会が子育てにに向いているとは思えない。政治が価値観を変えない限り、小規模な資金投下でこの傾向が変わるとは思えない。
17/10/10
衆議院議員選挙告示。なぜ今選挙なのか、大赤字の国の財政を賄う税金である大金の使われ方として納得はできない。しかし、始まったからには政権選択というよりは安倍政権の通信簿として考えてみようと思う。
森友学園・加計学園の不明瞭な決定過程や特に森友学園の国有地売却に伴ういい加減さの露呈、総理本人がかかわっているかいないかよりも、それだけで公明正大であるはずの官僚システムが誤作動を起こす事の方が私には怖い。
そんな官僚システムに税金を収めて果たして正しい支出ができるのか、まずそこに信頼がおけない。
また大議論になるはずの自衛隊の仕事を、閣議決定で煙に巻くような事をする政治家に憲法改正を議論する事を任せて良いのだろうか、我田引水の訳の分からないものに憲法を作り替えないだろうかと不安になる。
さらには選挙の為だけのように離合集散を繰り返している政治家に、他人に訴えるだけの理念があるのかはなはだ心もとない。なすべき事のために政治家となり意義を語り仲間を集めて実行するという気概のある政治家はどれだけいるのだろうか。ほとんどが肩書付きの名刺を持ちたい、歳費という高額の給料を得たいと群がる就職希望者のように見えるのは私だけだろうか。そうでないというのならば党の意見の前に自分の意見があり立ち位置があってしかるべきだ。
17/10/6
昨日、現役の小学校の先生のブログで学校給食は役目を終えたのではないか、という意見が出ていた。
学校給食の質の問題や食物アレルギーの問題、給食指導の大変さなど色々あるだろうが、残念ながら今も給食がその日の摂取カロリーの大きな部分を占めている子供達が一定程度居る事を考えると簡単に廃止の意見には乗れない。
家庭の食生活が個食に向かい、祖父母や親せきなどが寄って世代を超えた大勢で食事をする場を持つ子供はラッキーと言わねばならない状況なのだ。学校で食事とは何かというところから実践で教えるしかないのではないだろうか。
食べる事でどう身体ができていくのか、食物アレルギーや病気を持っている子供にとっては何を避け、その代わりに何を食べるのか、どのくらいの量を食べれば良いのか、食事のマナー、伝えるべき事はたくさんある。
しかし、そろそろ教室で担任がすべての面倒を見るというのは卒業したらどうだろうか。少子化で空き教室を確保できる学校は多い。食堂を作り、栄養指導や健康やマナー指導のできる栄養士や教員を置き、さらには共に会話を交わしながら食事をする大人のボランティアを入れるくらいの事をして楽しい食事の場を提供するのはどうだろうか。
人とかかわる場にはたくさんの人が必要だ。特にこれから育っていく子供にはかかわりのある大人が多い方が良い。もちろんしっかりと給料を払って来てもらうプロの数も多いに越したことはないが、校区の住民にも多くかかわってもらって共に地域の子育てをしてもらう取り組みが、これからの学校には一層必要になるのではないだろうか。
17/10/2
民進党と希望の党の合流がゴタゴタしている。数合わせだけの合流が細川首班・鳩山首班で2度政権を取ったが、考え方の幅が広すぎてあっと言う間に瓦解したのを見れば、そろそろ学習しても良い頃だ。その点で小池党首は正しい。
しかし、保守(自民党)ともっと保守(希望の党)の2つの争いでは意見を異にする人々の受け皿がない。国民の権利擁護・環境保護と野生動物との付き合い方・兵器のみならず原発も含めた核の利用の停止など国政の論点は広くあるべきだと思う。
17/10/1
NHKの『女城主直虎』で戦国の女主に脚光が当たったらしい。島田市博物館では今川氏の寿桂尼に脚光を当てた文書の特別展が開かれている。
彼女は京都の公家の出身で今川氏親に嫁いだ。子供の今川氏輝・義元などの後見をしたそうで、夫が病床にあった頃から政務を補佐していたというが、仮名文書の今川氏の分国法である『今川仮名目録』は彼女が中心になっていたのではとも言われているらしい。
ほかにも年貢の免除や土地の安堵などの書類にも彼女の署名があるので、実質的に領地経営をしていたのだろう。
江戸・明治の時代が公的な場から女性を排除してきただけで長い時代で見れば日本の女性は社会に向かって活躍をしてきたのではないだろうか。