03/1/28
『総代さんはつらいよ』でもボチボチ話しが出ているように、焼津市は市議会議員選挙の真っ最中。
そして、今日の毎日新聞の地方版に、『悪しき慣行続く焼津市長選』と出た。副題が『自治会が候補全面支援』『地域代表意識 度が過ぎ』と見出しが続く。
確かに自治会の中がどれだけ固まるかの力比べの感はある。同じ組や総代から候補者が出れば、知らない人ではないし、余程の事が無い限り組長や総代は協力をしないとは言いにくい。
善し悪しはともかく、このパターンは投票行動が崩れない限りしばらく続いていくと思う。
候補者もほとんどが無所属で、政策も似たり寄ったり。それなら知っている人で…、となる人も多いはずだ。しかし、地元ぐるみで割り振りを決めて、自治会の役員に選挙活動を手伝ってもらっても、投票行動は別になれば、自ずからこの形は崩れてしまうはずだ。誰が先に目覚めるかでしかない。
もう1点の公共の場である公会堂などの使用については異論がある。選挙事務所として1人が占拠してしまっては問題があるが、会合などで人を集めるためには公平をきして貸し出すべきではないだろうか。識者は選挙の度に投票率の低さを嘆くが、候補者を直接見て瀬踏みできない事が無関心に繋がっているのではないだろうか。安くこまめな会合を開く事は、自治を形作る上で大切な事ではないだろうか。
政治家の最大の努めが自分の意見やビジョンを人々に伝え賛同してもらう事だとしたら、選挙公報だけで人を選ぶよりは、人が寄りあって選挙の形を作っていく方法を探るべきではないだろうか。
03/1/26
引き続き大相撲の話題から。
十両以下の優勝者を見て驚いた。下から順に優勝者の国籍はブルガリア・日本・モンゴル・グルジア・モンゴル。もちろん幕内優勝はモンゴルの朝青龍。
三段目優勝のモンゴルの時天空は農大生のお相撲さんだ。どういう形で2足の草鞋をはいているのか知らないが、順調に上がってきている。
しかし、ここまで国際化してきたら、「日本勢も奮起しなければ」などと、解説の親方が小さな事を言ってはいけない。「自分は昔、日本という国でお相撲さんだったんだ」と言うお相撲さんOBを世界中に作る位の気になってもらわなくては…。そして「色々な面で我が国とは違う所もあるが、日本は良い国だよ」と言ってもらえるようにする事も、大相撲の大切な仕事だと思う。
これだけ日本らしい文化を残しながら、格闘技という世界のどこの国にもある競技で、その1つの形である相撲のルールに則って、強ければ横綱にもなりうるというものは、日本を世界にアピールする大切な手段である。外から見てもらうのではなく、中から体験して知ってもらうというのは大切な事である。
03/1/25
楽日は明日だが、大相撲初場所は貴乃花の引退と朝青龍の優勝で終るようだ。
大きな転換点なのだろうが、どうもワクワクしない。思うに怪我人が多すぎるせいだ。あれだけの身体がぶつかり合う格闘技なのだから、昔から怪我はつきものだったであろうが、土俵に上がっているお相撲さんの怪我については、マスコミも何も言わなかったはずだ。それが破られてから、身体にベタベタと色々な物をくっつけてくるお相撲さんが増え、負傷休場も増えたような気がするのは私だけだろうか。
相撲に限らずプロスポーツは、やっている本人達が強さ・上手さを競うだけでなく、興行としてお金を取って見てもらってナンボというものでもある。またある期間継続的にプロであり続けなくてはならない。怪我や病気は仕方が無いが、見てもらえる程の事が出来るまで出さないという協会側の強い意思も必要なのではないだろうか。
03/1/23
出る時は立て続けに出るもので、北海道でもBSE牛が出たそうだ。やはり同い年。北海道以外のこの頃生まれた全頭検査をするそうだが、大産地の北海道こそしっかりと検査をして何らかの手がかりを捜す努力をすべきではないのだろうか。
人も設備も足りないためらしいが、今の不景気の最大の原因が、いつ仕事が無くなって生活が出来なくなるかに個々人が怯えている事である。ならば、必要な所にはお金も人もかける事はその対応にもなるはずなのだが。
03/1/21
BSEに罹患した牛がしばらくぶりに見つかった。また96年生まれだそうだ。病気のやって来たルートを早く突き止めるとともに、国内の広がりについての研究を進めてもらいたいものだ。
また、タイ産のオクラから規定量以上の農薬が検出されたらしい。オクラは夏の食べ物、それを遠方から運んで冬に食べる意義があるのだろうか。
世界の食糧事情は悪くなっているのに、お金になるからと外国人(日本人)に好まれる食品を作る農地の余力はあるのだろうか。インドやアフリカが今飢えに苦しんでいるのは、植民地時代にヨーロッパ各国がその土地の食糧生産のための農地を大量に換金作物(香料・お茶・インディゴ・綿・ゴム等)のためのプランテーションにしてしまったからだ。日本人はとんでもなく悪い事をしているのではないかと後ろめたく思うのは私だけだろうか。
02/1/20
少子高齢化で現役世代が高齢者を支えていけない!とお役所が悲鳴をあげている。
しかし、世の中の全ての人を同学年で輪切りにする必要が本当に有るのだろうか。このくくりを外せば、かなり色々な事が出来る。
まず、義務教育を終わった後、皆が進学する必要は無くなる。机に向ってする勉強が嫌いな者、早く技術を身につけたい者は、ここでまず仕事に就く。後から、理論的な勉強がしたくなれば、学校へ行く道を取ればよい。
また、障害を持つ人を障害者として、福祉の対象に押し込めようとするが、社会参加をする事は群れ生活をする人間にとっては生甲斐でもある。出来ない部分はサポートをし、出来る部分では社会のために何かをしてもらうことを考えれば良い。動くのが大変で通勤は出来なくても、頭脳明晰な人も居るだろうし、動くのは苦にならなくても、考えながら何かをする事は苦手な人もあるだろう。集中力や体力に欠ける人もその人なりに興味を持って出来る事はあるはずである。子供の時から重いネフローゼに罹っていた村山聖棋士はA級にまで登ったプロ棋士であった。
そして、年を取るにつれて体力も弱るし、病気とも仲良くなる。しかし、農村・漁村に行けば、70歳・80歳で現役でお元気に働いている人はたくさん居る。都会で働く人だけが60歳で引退をする事は無い。今の企業の殺人的なスケジュールをこなすのは大変でも、体調やそれぞれの人生観で数人でワークシェアリングをすれば、メリハリをつけながら体調を維持していく事が出来る。
保護の対象者がまわりに支えながらにせよ、自分の仕事を得、その賃金を得る事が出来れば、世の中の見通しが少しは明るくなると思うのは私だけだろうか。
そして、こういう人達を支える仕事に多くの人が必要になれば、ここにまた仕事が出来、就業する人ができる。こうして皆が仕事に就き、定期的に賃金が入り、皆が少しずつでもお金を使っても大丈夫だと考えれば、難しい言葉を使わなくてもデフレも克服されるはずである。
03/1/17
阪神大震災から8年が過ぎた。まさか!という場所で、しかも明け方起きた。落下物の下になったり、建物そのものが崩壊したり、火災から逃げられなかったり、ガス洩れによるガス中毒などというのもあった。多くの方々が犠牲になった。
様々な体験を聞く機会を持ち、いつ来てもおかしくないとまで言われている東海大地震を待っている当方としては、大丈夫なのかと心配に思う点がいくつかある。
まず、確かに自主防による避難訓練も行われているが、地震はいつ起こるか分らないという事である。平日の昼間の時間帯なら自主防の役員のほとんどが勤めに出ていて居ない。また、地域の訓練、職場の訓練などでは、フルメンバーが揃うかもしれないが、実際には1人の人間がいくつもの場でいくつもの仕事を引き受けている。本人が被災者でもあるわけで、実際には誰が何処に居て何をしているのかを把握するだけでも大仕事になるだろう。
さらに、静岡県というのは太平洋沿いに何本もの流通路がある割には、その他の道路は少ない。津波で一発で持っていかれた場合、東西の交通もかなりストップする事を考えなくてはならない。日本全体の物流も心配だが、県内だけでも各所に陸の孤島ができるだろう。
そして、観光県でもある我が県で、来県者の保護と早急な帰宅の手配はそれぞれの観光地で考えているのだろうか。地元の人間は互いに居る・居ないが分っても、日帰りの観光客の数の把握などハイシーズンにぶつかれば、かなり困難になるはずだ。
最後に原発。電力会社を信じたいが、自信満々は現実に飲み込まれると脆いものである。自信よりも常日頃の細心の注意を望みたい。
という訳で、地震を起こす大ナマズ様、今年も大人しくしていて!と願わずにはいられない。
03/1/15
今月のこの『ちょっとした感想』は、正月気分に浸りきっている。そろそろ正月気分も吹き払わなければならない頃なので、最後に大きく白昼夢などを。
それは医療機関の大々的な再配置である。
3分診療で保険料はパンクと、医者も患者もお役人までが言うのなら、大きく夢を描きましょう。まず、市町村も県境も取っ払って、公共交通機関で10分以内にどの住民も医者に着くように診療所を配置する。大型バスなどもったいなければ、町営のマイクロバスでも、タクシー会社との契約でも良い。ともかく自分で車を運転せずとも安い値段で医者に着けばよい。
診療所もそんなに大きなものでなくて良い。医者6名、看護士18名、薬剤師6名、管理栄養士6名、心理療法士6名、ケアマネージャー6名、事務官6名程度で良いだろう。3交代24時間体制、もちろん休暇もあるから、常時待機している人数はこの1/3程度になる。ここでの仕事は、初期医療、慢性病の管理、ターミナルケア、在宅の要介護者のケア等である。当然往診もする。
競争相手が出来れば個人の医院や私立の病院も奮起する。住民当たりの医者の数が増えれば、1人の医者が担当する患者数は減って、診察に時間がかけられる。また栄養士や心理療法士、ケアマネージャーなど、同じ所に専門の相談窓口を増やせば、医者1人が何もかも背負い込まずに、患者もより良いケアが受けられる。このような診療所が幾つか集まった形で地域の中核病院を置く。救急医療や本格的な検査、入院が必要な時はこちらが担当する。IT社会を目指しているのだから、カルテなどはCDに入れて患者本人が持てばよい。パソコンに入れれば、何処で治療しようと記録ができる。余分な検査も、あちこちの医者で山のような薬をもらってもチェックできる。
さらに、医大付属などの医者を養成するための病院を置く。まずここで研修をし、海外協力隊などで体験を積み、救急病院で研鑚を積んだら診療所へ出る。診療所を勤め上げて1人前、病院での管理職や独立の道も選べる事にしたらどうだろう。
まだまだ施設(箱物)も人も足りないはずだ。
03/1/14
小泉総理が靖国神社に行ったらしい。しかし、何でマスコミは臨時ニュースのテロップまで流して、大騒ぎをするのだろう。
外交的には北朝鮮の問題で協力しなければならない韓国・中国を苛立たせただけでマイナスだろう。個人的にも、いくら玉串料を出しても、きちんとした神社参拝の作法に則らないパフォーマンスの悪い、ただ行っただけに、何か意味があるのだろうか。(それを大々的に述べ立てるマスコミもマスコミだが、ともかく神社なんだから、祭神が怒りますよ)
残るは政治的メッセージだが、政治的メッセージの一番のターゲットである国民はどう見たのだろうか。国民の1人である私は上記のように見たのだが。
03/1/13
例年なら節分が過ぎてから行く事にしていた法多山へ、今日お参りして来た。
薄曇ではあるもののまずまずのドライブ日和。3連休で皆遠出をしてしまったのか、道路は走りやすい。例によって有料区間を過ぎた島田からR1バイパスに乗る。そして、次の有料区間に入る手前の千羽ICで降りて掛川の街を通り、エコパとともに出来た新しい道を通って法多山へ。ここで、まだ初詣モードの駐車場待ちの渋滞。
「沢山は歩けない」と駄々をこねるTANUKIのために、一番近くの駐車場まで、ノロノロといくつもの駐車場待ちの列を超えて行く。実はある程度離れた所は¥300。真近の所は¥500。
しかし、ここからが結構長い。道端の露店のいい匂いをかぎながら通り抜けて、土産物屋や食堂を通り抜けてようやく重要文化財になっている仁王門。花粉の季節には歩きたくない杉の大木の間の参道を抜けて、TANUKIは階段コース、DORAは脇道の坂道。登り切ると正面に立派な本堂が立っている。
まず今年の無事を祈る。おみくじを引く。今年も凶。気を付けなくては…。
おみくじを結んで、帰り道には厄除け団子を食べる。お土産も買って、門前の食堂でお昼。
帰り道は空いていたのでずっと旧道を通ってくる。藤守とマーミの所にお土産の厄除け団子を置いて、本日のお参りドライブは終了。
03/1/12
本日は京都で都道府県女子駅伝。静岡県せめて21番のゼッケンより上を目指してほしいのだが…。
今年は農大陸上部の選手達も何人か各県代表で走るという情報を農大のホームページで得ていたので、そちらも楽しみにTANUKIのパソコンを立ち上げて、NHKのホームページのデーターとIBMが入れてくる区間記録の情報などを見ながらテレビも見た。
まず静岡チームだが、スタートは4位と期待を持たせてくれたが、最終結果は22位とゼッケンより上に出る事はできなかった。
農大からは栃木の1区と秋田の4区で2人の選手が走った。また、東京の1区は私のもう1つの母校(通信で教員免許を取った)玉川大学の学生だった。ついでながら、山口1区、福井2区、群馬9区は静岡の会社で活躍している選手が、ふるさと選手として走っている。
優勝タイムは兵庫の2:16:02。最後に入った鳥取が2:30:03。最後はグランド内での何チームかごとのデットヒートが繰り返され、全体のレベルが上がっていることを感じさせた。
しかし、選手と並走して画像を送ってくるのは車両の関係もあってわずかな数。どうしてもトップ争いやメジャーな選手ばかりになる。という訳で、テレビよりもパソコン画面ばかりを見ていた今大会だった。
最後に私の故郷東京は11位。意外と上位に食い込めないのだが、今年はよく頑張った。
03/1/11
今これを読んでいるあなたは、どのような家族構成で暮らしていますか?
たとえば、お父さんは市外に通勤、お母さんは別の市外に通勤、子供たちは市内外の学校なんてご家庭は無いでしょうか?つまりホームベースである家が昼間空っぽで、家族がバラバラになっているという事ですが。
いざ、事が起こった時、大地震でも津波でも大火事でも、あなたとご家族はどのような行動を取るでしょうか?
夜間の場合は家族がそろっているので状況判断がしやすいですが、昼間だったら?小学校位までは、家族が子供を引き取りに行くのが建前になっている所が多いはずです。しかし、消防・警察・医療・あるいは公務員や学校等に両親が勤めている場合、切迫した勤務情況で手が放せないはずです。その子供たちはどうしましょう?
昼間の住宅地に壮年の大人が少なくなりました。お年寄りや小さい子供を連れたママ、病人、本来保護が必要なはずの人たちが、町を守る第一線に立たされる可能性があります。自主防災組織の名簿があっても、実際に人がいなければ役に立ちません。また、職場の中でも、そのような非常時に役割を振り当てられている人は多いはずです。
町が町の顔を持つためには、昼間も多様な人々が仕事をしながら居る事が大切だと思うのです。
03/1/8
私のテレビスポーツ観戦好きは、T家の祖母の影響が大きい。
明治生まれで江戸っ子の祖母は、ドラマやバラエティーよりも、スポーツやニュースなど今動きがあるものの方が好きだった。釜元全盛時代のサッカーや猫田が切り回していたバレーボール、ボーリング、ラグビー、バスケットボールなど、動きのある球技が好きだったらしい。さらに相撲、野球も家族で見ていた。また父がボクシングが好きだったのでよく見ていたが、これは祖母も見ていたかどうかは覚えていない。
祖母が何かスポーツをやっていた記憶も無いので、東京オリンピックでテレビを見てはまり、次々と見るようになったのかもしれない。さて、7日のラグビー以外の高校スポーツだが、サッカーは国見と市立船橋が勝ち進み、13日に決勝戦が行われる。昨年までは最後の数試合は毎日試合という形だったが、さすがに選手の体の事を考えて間を空けたようだ。
そして、女子バスケットは静岡の常葉菊川高校が優勝した。高校総体・国体に次いで3冠だそうだ。
03/1/7
この記録によると去年の今日もテレビでスポーツ見物三昧だったらしい。今年の高校ラグビーは去年同様、東福岡vs啓光学園だったが、今年も啓光学園が強かったものの良い試合となった。
毎年同じでも何なので、今年は七草の話でも。春の七草はセリ・ナズナ・ゴギョウ(ハハコグサ)・ハコベラ・ホトケノザ(タビラコ)・スズナ(カブ)・スズシロ(ダイコン)これぞ七草と歌になっている通り全部食べられる。
どうやら薬効もあるらしい。ナズナは高血圧や便秘の改善に、ハハコグサは咳や痰に、ハコベは脚気や胃弱・産前産後の養生などに良いらしい。セリ・カブ・大根は立派な野菜である。さらに、七草粥は漢方の五気五味を1つに集め、食養生の根本を教えるために考案されたものという説もある。五気とは寒・涼・熱・温・平の体温に関するもの、五味とは酸・苦・甘・辛・鹹(塩辛い)の味覚に関するもの。体調は様々なバランスの上にあるので、足りなければ補い、多すぎたら取り除くという考え方である。1年の始めに体調を整えようというのは、理に叶った事であろう。
もう1つ、七草粥には、七草ナズナ 唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先に 七草ナズナ という呪いが付いている。こちらは豊作を祈っての予祝行事である。
03/1/6
ようやく今年の暦を買って来た。
今年の運勢は、真っ黒!「多欲に過ぎず、旧態堅持で努力すれば無事安泰を得る。小事にも、細心の注意や気配りが大切」とのご託宣。しかも体調変化の節目だそうで、特に循環器系、消化器系に要注意だそう。同じ生まれ年のTANUKI、リスクが大きそう!
ついでながら日本国運・経済とも多事多難…らしい。
ところで未年は群れで生活するヒツジの穏やかなイメージとは違い、歴史的には紛争の起こる年らしい。
さて、暦の占い、当たるか当たらないか…、今日は小寒、明日は七草で松の内もお終い。今年が本格的にスタートする。
03/1/4
一昨日はポカポカ陽気の午前中に、焼津・藤枝のお年始まわりに行った。叔父さん・叔母さん宅などへの、玄関先で立ち話程度の気軽なお年始だが、うっかりすると年に1度のおしゃべりの機会になってしまう。ともかくそれなりに皆さんお元気そうで良かった。
そして昨日は横浜へ。日曜日まで休みの所が多いだろうから、3日はアナだと思ったのだが、東名の上りはしっかり渋滞。しかも途中から雪がハラハラと降ってきた。と、御殿場の渋滞につかまっている間に、雪はドカドカと降ってくる。東名を走るようになって長いが、雪が積もるほど降った経験は初めてだった。
雪の中をたどり着いたTOPPOさんの所で、食べ損ねたお昼を食べさせてもらって、ちょっとおしゃべり。
その後、義姉の所へ。道路がきれいになって、近くなった感じがするが、私の動物のカンの方がTANUKIの記憶より冴えていて、「あっちだ」と言うTANUKIに従って、道を間違えて街中で往生する。
義姉の所へ行けばTANUKIは当然のように義兄と酒盛り。
今年はイギリスに行っていた長女も勉強を終えて帰国したので、たくさん写真を見せてもらった。イギリスをベースにフランス・ベルギー・北欧など、友達の輪を頼って2年間の間に旅行もずいぶんしてきたらしい。大学を卒業した次女と2人、それぞれアルバイトをしながら自分のやりたい仕事をする為のノウハウを蓄積中のようだ。
点いていたテレビは途中から懐メロ。我々をターゲットにフォークソング等を流し出した。
「懐かしいなぁ…。まだ12弦のギターを仕舞ってある」
と、だいぶ聞こし召してご機嫌になった義兄。
しっかりとご馳走になって腰をあげたら外は雨。
またまた酔ったTANUKIの道案内が外れてR246への入り口を逃して、Uターン。後はひたすら横浜ICを目指し、東名に乗って焼津へ。帰りは渋滞こそ無かったものの霧と雨。上りは相変わらずの渋滞だったけれど、こちらもスピードが出せないので、ノコノコと、しかし土砂降りの中でSAに入る気もおきずに、3日のうちに家に帰りついた。
03/1/1
明けましておめでとうございます。
1年の計は元旦にあり。
しかし、今年もマイペースを崩さず、ノンビリ行こうと思っています。
今年も多くの方々と色々なおしゃべりを楽しみたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。