18/1/30
庭を作った時以来の木々が大きくなり過ぎたり弱ってしまっているので、庭の大改造を考えている。
木は動いてくれないので仕方がないが中心にあるイチイがセンター。隣の藤棚も動かせないが、株立ちにしていた紫の藤の幹がダメになってしまい蔓だけはたっぷりと残っているのを出来たら藤棚にからむように移植してくれるというので、うまくいけば藤棚がにぎやかになる。しかし、藤棚の下は冬に葉が落ちた後以外は陰になるので、作業スペースくらいにしかならない。
入り口側は手前の松・ツゲ・シデコブシ?が弱ってしまっていて切ってしまうので、真ん中の空きスペースは日当たりも良くなりそうなので花壇でも作ろうと思う。
西寄りの所は座敷の前だけ庭らしい作りを残して、奥は畑化を企てている。そのためには今ある木を抜かなければならないのだが、全部いらないとも言い切れないので移す場所が作れれば良いのだが…。
さすがに脚立に立って大枝と格闘するのは体力的に厳しくなってきて、もし大きい木を残すにしても定期的に植木屋さんに入ってもらう事を考えなくては暴れ放題になりかねない。
家と庭全体の細々としたメンテナンスを考えると両親は80歳近くまでよくこまめにやっていたなとつくづく感心をする。
18/1/28
大相撲初場所の千秋楽だった。場外の方がにぎやかだったが、若手が台頭して土俵も面白くなっている。
優勝は平幕の栃ノ心、14勝1敗、しかも負けたのは横綱の鶴竜にだけというのは素晴らしい成績だと思う。殊勲賞・技能賞もついてきたのは納得だ。敢闘賞はともに10勝を挙げた阿炎と竜電。阿炎は文字通り若手だが、竜電も初入幕、新しい力が台頭した。
また、逸ノ城や遠藤が力を付けなおして復活してきているようだし、輝はここしばらくで力が付いてきた。
農大出身の豊山は9勝して幕内での初勝ち越し、正代は7-8で負け越した。
今回、休場明けの横綱の鶴竜は10勝した後疲れが出たか黒星を並べたが、今日は勝って11勝、大関の高安が12勝したが、お勉強場所の若手はともかく上位がいささか頼りなかった。そろそろ新旧交代が近づいているとも言えるので、それはそれで楽しみにしたい。
18/1/23
コウヤのおばあさんが亡くなられてお葬式だった。1月15日に亡くなられたそうで、なんと100歳になっておられた。
気さくな方で人がお好きだったのだろうと思うが、O家も遠縁の親戚になる(マーミもどうつながるのかよく把握できないらしいが)こともあり、何かある時は必ず家に見えていた。結婚したばかりの頃、「東京から来たばかりじゃ知らないよね」とこちらの方言だったり、習慣だったりを教えてくれた。それもこちらに気を遣わせないようにさりげなく教えてくれるのがうれしかった。
また、義父の亡くなった時もすぐに家に来てくれて、普段着で座り込んでいた義母を見て、「すぐにお客さんも来るし、綺麗な母さんでいないとお父さんが可愛そうだから」と言われて、「お父さんが好きだったものでも、お母さんが気に入っていたものでも、おばさんの方が良く知っているだろうから着せてやって下さい」とお願いした事もあった。
ラジオ体操のグループや老人会の方の弔辞を聞いているとつい最近までお元気だったようだ。そんな皆さんたちにとっても頼りになる優しいお姉さんで、曽孫さんのお別れの言葉からも暖かで穏やかな人柄が伝わってきた。
戒名は理徳明智尼上座。戒名の文字からも温顔が浮かび上がる。
18/1/22
昨夜はイントロだけで終わってしまった。昨日の会場ではパワーポイントが使えなかったので、夏秋教授から講演要旨のデーターは送って頂いたが、まず、私が聞いた講演内容についてまとめる。(どれだけ理解ができたのやら…)
開発学科というのは発展途上国での活動が多い。そういう国々にとってはまず自分達が食べる農業が最優先される。それができなければ農村から都市部に人が流失し農村の荒廃と都市部のスラム化を生む。
アフリカ東部でもコメは陸稲の形で作られているが、たくさん採れれば保存をして販売する事ができる。そのための支援をして農村をまず安定させることが大切になる。
そのような途上国でも時と共に状況は変わる。その中で安全に関する意識も変わって来るし、安心をどこに置くかも変わってくる。生き残ることが最優先の社会から様々なリスクを無くそうという安全を追求する社会に進んでいくが、途上国と先進国では取り除くべきリスクがだいぶ違う。寿命というものは必ずしも安全安心の担保で伸びるものではないが、身体の弱い人にとっては必要な項目である。
農業・農学が先進国ではライフサイエンスや環境問題なども含めた新しい視点から見始めているが、途上国ではまだまだ農業まで目が行かずに情報も得にくくなっている。しかし、農業は百姓ともいうように様々な仕事とリンクしている。
また、食に関わる情報も多く出ているが、その付加価値は本当はどうかを見抜く消費者の目も必要になる。
ところで、自然なものなら安全なのだろうか。
麦には麦角というカビの1種が付く。昔のヨーロッパではそれを除けることなく製粉して食べていたが、アルカロイド系の毒があるために体を壊す人も多かった。これを研究する事で、麦角の正体を見極め、頭痛薬ができた。科学の目を入れる事で安全を検証したり、そこから何かが得られるかを考える事ができる。
植物に付くエンドファイトというカビは普通は無毒だが増えると毒素を出し食べた家畜があたって死ぬこともある。しかしこのカビを植物から取り除いてしまうと植物そのものが病害虫や環境に弱いものになった。そこで現在は無毒化したエンドファイトを付けた種を使うようになった。
また、先生の講座の学生が1本のバナナにどの位の微生物がいるかを調べた。その結果80種ほどのカビを見つけたが植物に病気をさせるものは2種だった。実はこれらの微生物がバランスの取れた1つの世界を作っている。
生物農薬として役に立つ微生物を探すという事もあるが、例えば作物を守ろうとして野蚕を絶滅させてしまうという事になると双方の産業の軋轢を生むことになる。またゴルフ場の雑草対策のつもりが作物に付いて枯らしてしまえばそれも大変な事になる。
ウイルスについては植物についても治療薬はないが、ワクチンという考え方は出てきている。毒性の弱いウイルスに強い物を選抜する方法もあるが、遺伝子組み換え技術を使ってウイルスにかかっているような遺伝子を入れる事で病気にかからないという技術もハワイのパパイアなどで確立している。実はハワイのパパイヤはウイルスで壊滅状態になり、この技術によって復活した。実は2011年から食品としてのパパイアの日本への輸入は再開したが『遺伝子組み換え』が災いをしてなかなか売れなかったそうだ。苗木そのものは入っていないが、食品として食べる事に関しては安全性や食味性など多くの科学的な試験をしているので安全ではあるのだが、安心をどうとらえるかという問題はある。
自然のものの安全性については地域で長年の経験や直感で用いられている事も大事にすべきだが、科学の目を入れて検証したり、この先科学の発達とともに評価の変化もあるものだと考えた方が良い。
18/1/21
農大の同窓会、校友会静岡県支部の女性部で、農大から夏秋啓子副学長をお招きして講演をして頂いた。県内女性部おおよそ200名余りがいるのだが、参加者は県校友会の男性役員さんやお母さんと一緒に来てくれたお子さんも含めて20名余りという贅沢な講演会だった。
私が農大在学時代は栄学・短栄以外は女子学生は本当にまばらだった。冗談のようだが、1年生の頃は安心して入れるトイレの情報交換をしたり、お弁当をどこで食べようかと悩んだり、お陰でそれぞれにマイペースに行動する女子学生達もそれなりの軽い仲間意識を持っていたように思う。
そんな農大に夏秋先生が大学院を修了して就職をしたのは我々の時代の少し後。栄養学科には女性教員も居たが、当時の拓殖学科に女の人が副手で入るというのはかなりのセンセーションを巻き起こしたそうだ。
今や合格者は女子の方が多いそうだが、別の大学にも受かっていれば「女の子が農大?」という意識はまだあるようで、入ってくる女子学生は半数弱になるそうだ。しかし、今や子供の大学を決めるのはお母さんの意見が大きく、「お母さん達に選んでもらえる大学になることも大切」との事だった。
また現在、世田谷に小学校を建設中だが、まだ開校は先なのに説明会に10倍以上が集まったそうだ。世田谷キャンパス隣の中高校に併設されるので、農大の資産を利用して体験がたくさんできる教育を目指しているそうだ。「現在の年中さんが小学校に上がる時には開校します」との事で、私学なので通学可能範囲から児童を募集する事になるそうだ。
18/1/19
沖縄で小学校上空をアメリカ軍のヘリコプターが飛び回っているようだ。先日は窓枠がグランドに落ちて大騒ぎになった。
これを国内で騒いでいるだけでは謝ってもらってもまた同じことが起こるだろう。どうせなら同じような案件を抱える教育委員会がアメリカの学校管理者に「あなたたちはどのようにこの問題に対処しているのか」と視察に行ってくれば良い。アメリカ国内でも同じような問題があるのならば、かなり心配な状況だが、多分そんなことはしていないだろう。辺野古の問題も政治家や軍ではなくアメリカ国内の自然保護団体と話をしたらどのような反応があるだろうか。
本当に解決を目指すのならば、発信の仕方も考えるべきではないのだろうか。
18/1/17
阪神淡路大震災から23年が経った。ちょうど今の家に引っ越した後だったような気がする。まだ我が家には携帯どころかパソコンもなかった。気になりながらテレビにくぎ付けになったのは覚えている。ついこの間のような気もするし、ものすごく時間が経ったような気もする。
多くの方が亡くなり、ものすごく大きな破壊であったが、同じ神戸市の中でも「家の方は無事だった」という話も聞いたし、京都に居た従妹が「友達と連絡が取れない」と1月も経った頃にまだ言っていたのも記憶している。
大きな被害があった場所は限られていたものの、交通インフラや人の流れを考えると京阪神のかなり広い範囲が被害に遭ったともいえるものだったのだろう。
その前に1986年の伊豆大島での噴火による全島避難などもあったが、あの辺から日本は地震・噴火などの災害が次々と起こっている。最近も地震は多い。地球の時間の流れは人の時間の流れとは違う。我々は地殻変動の時に生まれ合わせてしまったのだろうか。
18/1/14
昨年から場外ばかりがやかましかった大相撲の初場所が始まった。
個人的には農大OBの双大竜が引退をしたことに1つの時代の終わりを感じた。農大の各クラブなどもブログなどで活動紹介を始めるようになった頃、相撲部のブログも活発に情報発信をしていた。時津風部屋とは代々交流があり先輩が多くいる事もあって学生たちも事あるごとに行っているようだが、そんな中で彼らから先輩の四股名の発表もあった。
あまり大柄ではないが、幕内まで上がって来て喜ばせてくれたし、福島県出身だけに東日本大震災後も自分の頑張る姿で福島を元気づけたいと頑張っていた。3段目の半ばあたりに落ちていたようだ。
親方になるほどの実績は積めなかったようだが、普通の社会ではまだまだ若手、もっと相撲に関わる仕事をするにしても別の社会に向かうにしても頑張ってほしい。
18/1/9
少しは身体を動かさなくてはと歯医者の帰りに岡部の玉露の里まで足を延ばした。
日が出ればまあまあの暖かさなのだが風が強い。さらに風に飛ばされてきた雲が時々パラパラと雨粒を落とす。あまり散歩日和とはいえなかった。道の駅であることと経営が民間に移ったせいか休日の翌日でもお茶室も開いているようだったが、お客さんの姿は見えなかった。庭に入る脇の四ツ目垣が青竹で組みなおされているのが新春らしく気持ちが良かった。
四ツ目垣の青々として淑気満つ DORA
18/1/6
プロ野球の星野仙一さんが亡くなった。まだ70歳だったそうだ。
身の回りでも新年早々から訃報続きで、志太常磐松会の先輩が2人亡くなられた。
今日はそのお1人、志太常磐松会の前会長のお葬式に行ってきた。私は昨年の春にお会いしたのが最後で、お元気そうだったのだが、12月にお会いになった方が、急な訃報でビックリしたと弔辞で述べておられた。12月30日に急逝されたようだ。
会社を経営されさらに色々なお役も引き受けてお忙しいはずなのに、志太常磐松会の集まりにも喜んで顔を出して楽しそうにされていた。民児協でも地区は違っていたが同じ焼津市民児協で同じ時期に活動したこともあった。
会社は息子さんにバトンタッチをして現役は引いていたそうだが、お顔の広い方で大勢の方がお別れに見えていた。
もうお1人の志太常磐松会の先輩もよく志太常磐松会の集まりにはお顔を見せてくれた方だった。囲碁がお好きで「碁会と重なって」と仰ることもよくあったが、最近は「碁は頭が付いて行かなくなったよ」とこちらへお顔を見せて下さることが多くなっていた。他の大先輩方と一緒に富士農場から白糸の滝の方にドライブに連れて行っていただいた事もある。
だんだん上が寂しくなっていくのが、こちらが年を取ってきたという事だろうか。
18/1/5
珍しく夢を見た。
そもそもはどこかの医者に診察券を出しに行ったはずだった。待ち時間がかなりあると言われて歩いている内に川に出た。イメージ的には家の裏を流れている瀬戸川のようだった。晴天のはずだったが土手に上ったら川は濁流。大きな木が上流から流れてきている。足元にも水がひたひたと来ているようだが、向こうから来る人は平気な顔で歩いてくる。「通れますか?」と聞くと「大丈夫だよ」との事で川に沿って歩き出す。木が覆いかぶさって小暗い中を歩いて行くとやはり足元が水に浸かってくる。仕方なく外側に迂回。下がっているのに何故か道が乾いているが別に不思議とも思っていない…。そこで知り合いに出会う。「あんたパジャマのままどこに行くの」と言われてふと見ると夏用のギンガムチェックのパジャマでいる。その間にも水かさが上がってきて、危ないかもと思う一方で、せめてトレーナーのパジャマを着ていれば良かったとよく分からない事を考えている所で目が覚めた。
濁流の夢は結構ストレスが高まっているらしい。
18/1/3
あっという間に3が日が過ぎていく。昨夜はかなり強い風が吹いたが、昼間は特注の晴れの日が続いた。
喰積(本来は年始客に出すための正月料理の意味)というべきかどうか、冷蔵庫に押し込んであるもろもろで買い物にも出ないままでいる。変な話だが、正月くらいは皆で休もうよはかなりできる。
もちろん神社さんは初もうで客を受け入れるために忙しいし、公共交通機関や警察・消防・病院など社会インフラを支えている人々も皆で休もうというわけにはいかないだろうが、正月早々仕事に追われるのが良いのかどうか、考える時に来ているのではないだろうか。
18/1/1
新しい年が始まった。今朝は初春を特注したような穏やかな晴天だった。この1年が今日の天気のような日ならば言う事はないのだが…。
今年も実業団駅伝を見・サッカーの天皇杯の決勝を見ながら新聞や頂いた年賀状を読むうちに1日が終わった。