18/6/30
今年もあっという間に半年が過ぎた。
気だけは忙しかった気がするのだが、何をしていたかというと何も残っていない。
幸い我が家の人間は身体にだいぶガタが来ているとはいえ無事に半年を乗り切った。ネコもほぼ何事もなく、最近、茶々がお尻が膿んで大穴を開けたが、自分で舐めて治したようで、すでに傷もふさがりつつある。
長いスパンで見る事も必要かもしれないが、とりあえず次の半年、あまり心配事もなく、人も猫も健康で過ごしたいと思う。
18/6/29
サッカーW杯の予選が終わった。日本は最後のポーランドには0-1で敗れたが、セネガルとのイエローカードを出された数の差で2位に滑り込み決勝トーナメントに進む事ができた。日本の実力からすれば快挙だと言って良いのだろう。
事前には全く期待をしていなかった。報道もマイナス要因ばかりをあげつらっていたし、アジア予選こそ突破したものの、実際に練習試合を見ても「大丈夫か?」というほどゴールへの積極性が感じられなかった。
もっとも、勝ち→引き分け→負けの流れは良くないが、ポーランド戦の最後数分間を時間を流す面白くないゲームをしてまで予選通過にこだわったのは(ただしセネガルが得点したらそこで日本の予選突破はなくなり大きな批判を浴びただろうが)チームの度胸が据わっていたと言えるかもしれない。
決勝リーグは海千山千のチームばかりだが、運をつかんで勝ち上がってきた部分も多いこの大会の日本、もうひと踏ん張りしてほしい。
18/6/27
大阪の地震から10日近くになる。阪神淡路大震災からこちら、多少の震度では驚かなくなったし、日本の建物は本当に丈夫になったと思う。
しかし、揺れ方にもよると思うが、今回も屋根の被害は多いし、室内がメチャクチャになってどこから手を付けようかというお宅は多いようだ。特に高齢の方や女性の1人暮らしでは後片付けは大変だろう。
こういう時の備えの災害時ボランティアセンターも立ち上がっているし、ボランティアさんも来て下さっているようだが、意外とニーズがないそうだ。また、災害時要援護者の安否確認も市町によって進捗がずいぶん差があるようだ。
どちらもいささかのかかわりを持っていたのでニュースが気になるのだが、要援護者の安否チェックに合わせて支援の必要をボラセンにつなぐ役割も兼ねて民児委員さんに動いてもらうのが要点のような気がする。
自宅でやる事がある状況で、ただし安全に生活できるのならばしてもらう事が、大災害時には必要となるだろうからだ。避難所で所在なく過ごすこと自体が高齢者にとっては体調を崩す原因になりかねない。
災害は自然現象なのでどうせ来る。そこでいかに被害を少なくするか、今回のブロック塀倒壊(死者2名)のような防げる死を減らす事ができるかが今後の災害対策として、地震予知以上にお金を使って考え対策をしておくべきではないだろうか。
18/6/23
昨日、眼科で左目の手術後検査をして手術に伴う通院は一応終了。(来週また行くが…)
まだ顔も頭も洗えない傷の回復途中だが、手術そのものは成功しているそうだ。
問題は視力、今までの眼鏡ではきつすぎるが、眼鏡がないと眼鏡をかけ忘れている感がある。車の運転にはいささかおぼつかないし、テレビ画面は霞んだまま(あるピンポイントに入るとよく見えるが、そこに座り込んでみる程のものもない)、本もまだ集中力が続かない。今はパソコンの画面が一番安定して見る事ができるが、多分このまま続けていると近視が進むと思う。
そんなこんなの疲れが蓄積したので、本日はお隣のチャチャさんへマッサージをしてもらいに。肩から首を触られて「すごいですね」とあきれられた。ガチガチに凝り固まっていて、本人は右の方がキツイように思ったのだが、「左の方がひどいですよ」と言われた。左目の手術の方が後だったから、それだけストレスがたまっていたのかもしれないが、かなりの難物だったようだ。
早くきっちりと治って動けるようになりたいが…。
18/6/19
本日は2回目の手術。手順は分かっているので気が楽だった。ありがたい事に前回も今回も梅雨の晴れ間。
もっとも手術室で「そんなにガチガチに(手術じゃない側の)目を閉じないで」と先生に言われたが、わざとやっているわけではなく体が勝手に反応しているだけ。
先生も別の方向でリラックスさせようと「パッチリ目を開けて、西城秀樹に会えるよ」と持ってきたが「もう1世代前ですが…」とグループサウンズまでさかのぼり、「じゃあ、新婚旅行は宮崎か」と話しが流れたが、それは戻り過ぎかも…。結局ずっと肩に力は入っていたようだが、無事に手術は終わった。
「違和感満載」と帰って来てしばらくゴロゴロしていたが、夜はしっかりサッカーW杯の日本vsコロンビア。まさか勝てるとは思わなかったので、結局最後まで片眼で見てしまった。
18/6/16
活字中毒の禁断症状が出かけている。1日が退屈でつまらない。これほどとは思わなかったのだが…。
実のところメールチェック(もちろん必要な所には返信も)やホームページの更新はしているし、読み慣れている本をパラパラしてもいるのだが、じっくり読むには目が付いてこない。両目とも見えていないわけではないが、多分片目を使って見ているのだろう。
手術後の眼帯を取った後に感動したクリア感(薄暗い中で撮った猫の写真をフォトショップで調整したような)はあっという間に消えたが、せっかく良くなった目をまた悪くしては割に合わないのだが、あと数日、どこまでイライラを宥められるか…。
18/6/13
手術の翌日は朝から眼科。どうせなら1泊させてくれれば良いのだが、そうはいかないようだ。自分で車を運転するわけにもいかず、昨日も今日もタクシー代がかさむ。
それでも今日は、昨日手術の人は先に看護師さんのチェックで眼帯を外して、診療スタートと共に先生の診察が始まる。その後、別に集められて薬剤師さんから薬の説明。消毒薬、ステロイド剤、殺菌薬、目薬だけで飲み薬がないが、1日3〜4回、前の目薬が流れないように5分おきで注すのはかなりの時間がかかる。「見えるところに傷がないだけで、化膿したら困るので気を付けて下さい」と念押しされたが、もう眼帯は寝る時に無意識でこすったりしないようにするだけで、目はスッキリと見えている。しかし、顔も頭も今週末まで洗っちゃダメとの事だ。埃っぽいところもまずいので、畑仕事や外出もできればしばらく止めるかゴーグルで目を保護しなさいとの事だった。つい「猫のトイレの世話が…」と言ったら、「後でちゃんと手を洗って下さいね」と念押しされた。
困るのはメガネをかけるときつすぎて、ただし、手術前の左目は右に比べると良かったはずだが、見るバランスが崩れるのか両目でちゃんと見えているはずだが頭が重いし刃物は指を切りそうで怖い。
18/6/12
かねて予定の白内障の手術。本日は右目。
12時のお呼び出しだったが、1時近くなって本人確認、その後手術用の待合室に集まって、血圧と体温を測られて簡単な説明の後、何度も看護師さんに目薬を差されながら順番待ち。
部屋が空いた順(多分手術の順番に)手術着に着替えて髪の毛がジャマにならないようにキャップも被ってそれからまた延々と待たされる。その間にも何度か目薬、前の人が待ちに入ったとたんにトイレに行ってからスタンバイ。
手術室の扉でしばし待つと、終わった人が看護師さんに誘導されて出てきて交代。もう1つ扉を入ると手術室。歯医者の診察台のような椅子2台で1つに先生と助手、看護師さん何人かで次々と進めているようだ。
完璧な局所麻酔なので、麻酔が効いているのかどうかも不安。座ったとたんに両手に酸素チェッカーと血圧計を取り付けられて顔にシートがかけられる。パッカリと瞼を開けて止められても痛くないのは麻酔が効いているから。ザバザバと水を流され一瞬頭の上のライトが揺れて滲んだのは元々の中身を抜かれたから?「まっすぐ見てて」とか言われながら少し異物感を伴いながら新しいレンズが入って行くのは分かった(多分)。その後は目薬と塗り薬をつけられて、ガッチリとプラスチックの眼帯とテープで固められてお終い。
扉で待っている次の人と入れ替わって部屋に戻って看護師さんに血圧のチェックと明日の予定を伝えられたら、「着替えて帰って良いですよ」とあっけなかった。
眼帯が大きすぎてメガネがかけられないので、どうにも落ち着かないが特に何事もなく、お風呂は禁止なので、夕飯後もゴロゴロと過ごして寝てしまった。
18/6/11
日大のアメフト部騒動事件以来『農大リンクニュース』にまとめたかった話があった。ただ、資料としては弱いのでこちらに思い出として書こうと思う。
農大もだいぶ昔は箱根駅伝の常連校だった。元々、長距離選手をある程度揃えなければならないので対応できる学校が少なかったのだろう。しかし、今や関東地方の多くの大学が箱根駅伝を目指し、予選会からテレビが大フィーバーする時代となった。2日間テレビが大学名を連呼してくれるのだから、私立大学としては美味しい話ではある。そのために選手たちを厚遇して集めなければ競争にならない状況になっているようだ。
正直言って農大の校友会(OB会)でもそれなりの形で選手を集めて箱根に出られるようにしようという話は毎年のように出ているようだ。農大は農業系の単科大学で理系をやりたい子しか来ない。が、農業・食糧問題・バイオ関連は世界中どこに居ても学んで損にはならない。♪人間食わずば生きらりょか♪だけでなく、水問題や砂漠化の阻止、微生物から得られるものなど農学から発展するものは多い。留学生も含めてスポーツもやる学生を集める事は難しくはないのではないかと思う。
しかし、農大はやっていない。少なくとも表向きは…。学生スポーツの分を守っている。
ここまで書いた事については実はちょっと耳にしているくらいでなかなか資料は探せなかった。そして、ここからが遠い昔の私の学生時代の思い出話になる。
当時、2限目が終わるのが昼少し過ぎ、これを早めに抜け出していきたい学生は結構いた。まず応援団が昼練習の集合時間に遅れるので、授業のある低学年は(先輩の方が怖いので)なんとか抜け出そうとしていた。他にも文科系の部も含めて昼の打ち合わせなどがあれば昼飯を買いに行く時間が欲しくて、甘い先生で講義だけだとゴメンナサイと抜ける事もあった。
甘くない先生の筆頭が教職課程のN先生だった。「まだ終わりじゃないぞ、どこへ行く」と必ず一喝された。「君達はこの講座を取ろうと履修届を出したのだろ」「(教職必修なので)将来、中・高校の教員になることも考えているはずだな」「大学に何を目的に来ているのかしっかり考えなさい」とお説教が降ってきた。
かなり気楽な学校で、実験・実習以外の授業中に文字通りの内職(宛名書きなどよくやっていた…)をやっていてもわりと平気だったが(成績は低空飛行でも通過)、単位を落とすなはあちらこちらでよく言われた。
毎年、焼津にやって来る今の学生さん達を見ていると、我々の頃よりはよほど素直でしっかりと勉強もしているようだが、学校は勉強に来ているんだという所は昔以上にきちんと押さえているようだ。
18/6/7
本日誕生日。ついに高齢者の仲間入りとなった。
他に時間が取れないので本日、市役所で関係書類を用意して年金事務所へ。お役所用語の羅列の年金受給の申請書に大苦戦(受取口座になる金融機関の職員の方に手伝ってもらってなんとか終了)して、添付する必要書類をまず公民館の市役所の窓口(庁舎より近いし空いている)にもらいに行った。しかし、税金関係は本庁だと言われて結局次に市役所へ。
次は年金事務所。「予約して来て下さいね」と言われて待たされるかと思ったが、幸い空いていて待ち時間0。しかし、書類チェックは窓口の人がほとんど無言でやってくれたが、パソコンの指示で付け加えるらしい山のような書類が傍らのプリンターから吐き出されてくる。それでも20分くらいで終了。
幸い対応してくれた職員の方が皆さん親切で、何とか1回で無事に片付いた。
さて、育てられ学びの期間である子供時代・社会の中心として働く大人の時代が過ぎた。だからといってご隠居さんで猫を抱えて日向ぼっこでもしながら長々と老後を過ごすには早すぎる。
次は地域の中心になって地域を育む役割が来るのではないかと思う。もうしばらく地域や同窓会の用事、道楽の色々に能動的にかかわっていきたい。
18/6/1
私にとって色々な意味で節目の6月が来た。
最大の節目は今月の誕生日で高齢者の仲間入りをすること。考えてみれば一回り下の従妹達が「ばあば」になっているのだからそれも当然かもしれない。
面倒なのが、今月に目の手術を何の気なしに入れてしまったら、誕生月という事で運転免許の書き換えはあるし、年金受け取りの書類提出はある、さらに6月1日付で自治会の世帯家族調べ(災害時資料+福祉資料になる)を書かなくてはならないと提出書類が固まってしまったことだ。白内障の手術など簡単なものだと言っても、元々の視力がないので手術後どの位で車の運転ができるか終わってみなければ分からない。手術までにとなると今月は半月足らず、えらく忙しい事になってしまった。