18/10/30
午前中にケヤキの会など地域ミニディサービスを行っているグループの合同研修会があった。
今回は講演会という事で講師は焼津社協の永田實治会長だった。
演題は『赤く美しく咲く花も一人では咲けないよ! 〜みんなで進める地域支え合い〜』となっていたが、やおら彼の半生を語りだした。
お父さんの仕事の関係でパラオ生まれな事、その後サイパンに転勤となりS19年に母子で命からがら焼津に戻ってきた事、それでもある程度のご家庭だったのだと思うが、お祖父さんが人力車で焼津駅に迎えに来てくれて初めて乗ったんだというエピソードも語られていた。ちょうど小学校低学年だったが、環境の差からずいぶんいじめられもしたしヤンチャもした事。それを先生方にも心配されたせいか、4年生の時に自分だけクラスが変わって男の先生が担任になった事。6年生までその先生のクラスで今と違って厳しく体罰も受けたけれど可愛がったももらった事、中2の時にも1人クラス替えをされたけど、その時には自分にクラスのリーダーとなってほしかったという事で頑張った事など、子供時代の思い出が語られて行った。『遅も速も一生懸命風車』の句をひいて一人ひとりの個性を大切にというお話もされた。
物の何もない時代に育ってきて、欲しいものを得ようと努力して、手に入れる事で喜びを感じていた時代から、今は何でもあるが果たして幸せなのだろうか。物があっても気持ちの良い環境があっても、それが当たり前だと喜びにつながらないのではないか、心が空洞化していないかと疑問を提示された。また物がある事の喜びが分からないと人に物を分け与える事を知らず、愛された実感がないと人を愛する事も出来ないのではないか、これが国と国との関係にまで広がっているように思われるとの事だった。
高校までは何としてもと親に言われて進学をしたけれど、その後は家計の状態から無理だろうとあきらめていたところを先生方の勧めや家族や知り合いの様々な支援で上京して大学を出て教職に就かれたそうだ。自分がここまでこれたのも人の縁によるものでそのご縁を次に繋いでいきたいのだとお話しされた。
道元禅師の『花紅にして空なりといえども 1人開くにあらず 春風来たりて初めて開くなり』を紹介された。
18/10/29
11月8日で母が亡くなって丸2年、3回忌となる。
我が家の場合、法事と言って親族を呼ぶとなると全国ネットとなって大変なため、1年目の偲ぶ会以外はゴメンナサイという事にしている。それでも何もなしというのも気が咎めるので、お茶とお菓子を送ってそれぞれに偲んでもらおうと思っている。
過ぎてからというのも何なので、準備を整えてようやく送るばかりになった。和賀家系の親族は多いので送り出すまでが大変だが、母のヘソクリを発見して、なんとかそれらしくまとまった。
18/10/20
この1月近く阿部智里さんの『八咫烏』シリーズにはまっている。ジャンルとしてはファンタジーだと思うのだが、なかなか深い。
6巻の構成で第1部が終わりらしい。山内という何処か分からない世界の八咫烏(本来は烏でサッカー日本代表のエンブレムでもおなじみの3本足の烏だが、普段は人の形で暮らしている)として語られる。大まかに平安中期以降の貴族世界と鎌倉武士の世界を思い浮かべながら読むと面白い。
1巻目の『烏に単は似合わない』で宮廷での日嗣の御子のお妃候補達の華麗なるしのぎあいが繰り広げられる。やってきた理由も「お父様に言われたから(彼女は姉のピンチヒッター)」「家名のために」「宮に恋してる」「?」と様々。しかしその場になかなか日嗣の御子は現れず、多々事件が起こる。その時、日嗣の御子はどこで何をしていたかというと2巻目の『烏は主を選ばない』に語られている。ここで彼が兄宮の母・皇后とその一族から絶えず命を狙われているという驚くべき事実が語られる。この2巻までで、主な登場人物の人間関係が語られていく。結果的に本家本流の教育を受けた兄宮は日嗣の御子の味方であり、お妃選びで何故ここに居るのだろうと不思議がられた日嗣の御子の幼馴染の浜木綿姫が妃となったところでいよいよ本来の物語がスタートという形となる。
3巻目『黄金の烏』で日嗣の御子の近習であった雪哉の故郷・北領で事件が起きる。危険な麻薬が出回り、今まで見た事もない大猿によって村が襲われる。彼らは八咫烏を食料と認識しているようだ。出張ってきた日嗣の御子と共に事件を解決していく雪哉は最後に宗家親衛隊を養成する勁草院に入り武人として生きる事を決める。そして4巻目『空棺の烏』は雪哉の勁草院での出来事と100年前にこの山内で何が起きたのかを探る日嗣の御子と兄宮の物語となる。勁草院は武人を育てるための3年生の学校なので男子校だが、ここだけ取り出せば学生達それぞれの事情と青春群像としてのそれぞれの成長の物語としてみても面白い。
そして5巻目『玉依姫』では一転して山内の外側、日本の何処かの村の祭りから話が始まる。この村では山神様に御供を捧げる事で繁栄を願ってきた。その御供を迎えるのがあの大猿であり、大猿が奉じる山神であり、八咫烏だった。『玉依姫』では御供となり山神の母親役となった人間の女子高校生・志帆の側から、第6巻『弥栄の烏』は山内側からの視点で3者の関係が描かれている。それぞれの視点からそれぞれの思いがあり、それぞれの義がある。最後の大猿の側からの「神の恵みによる人間への変化より、猿のままの幸せの方が良かったのだ」という文明批判の叫びがこの物語をキリッと締めていると思う。
近く第2部が始まるそうだが、神なき八咫烏の世界はどうなっていくのだろうか。日本の明治以降の近代史のようにも思えた第1部、第2部で我々も含めた未来への希望は見いだせるのだろうか。
18/10/16
2度延期になった消費税の10%への引き上げがまた話題になっている。
財政再建が大きなテーマで始まっていたはずだが、森友学園への国有地のダンピングや議員定数の増員などの無駄遣いを見ていると本当にやるのか?と苛立ちを覚えるが…。
ワイドショーでは食料品の10%と8%据え置きの線引きをめぐって楽しんでいるようだ。生活必需品として食料に関しては外食をのぞき軽減税率として8%のまま据え置くというのだが、それではコンビニのイートインはどうなる、持ち帰りを選べるハンバーガーや牛丼などはどうなるか、学食が10%で良いのか、立ち食いそばが10%で出前の寿司は8%はおかしくないかなど、にぎやかだ。もっとも水道料金は10%になるそうで、どんな人にも生活必需品というのなら電気・ガス・水道などの方が優先度が高いのではないかなど、設計をした政界にも官界にも生活とは何かを問う哲学はないんだなと思わされた。
消費税についてはあっさりとパーセンテージで決めてしまって、子育て支援というのならば子供1人につきいくらと子育て支援金を付けたり、生活保護費の引き上げや保護をかける上限範囲を引き上げるなど対策を取った方が早いと思う。ただし、消費税増税を上回る予算となるかもしれないが…。
しかし、自分の稼ぎで生活できない人が増えるという事は社会不安を引き起こす。何を優先するべきか、生きる事をどう考えるかの哲学が求められる。
18/10/13
今日の毎日新聞夕刊に小笠原諸島のアカガシラカラスバトという絶滅危惧種の鳥が少し増えてきたという記事があった。島内に持ち込まれて野良猫化したネコが襲ってかなり数が少なくなっていたものを、野良猫を捕獲したことによってアカガシラカラスバトが増えてきたという事らしい。
こういうニュースを聞くと何だかな切なくなる。鳥も猫も悪くはないのだが、たまたま捕食関係にあるだけなのだが…。
幸いアカガシラカラスバトは気難しい種ではなく、環境を守ってやれば繁殖力は弱くはないらしい。
しかし、ネコもたくさんいるからと安心をしていると、飼い猫の去勢・避妊化が進む中で、多様な遺伝子の保存ができなくなれば、コンパニオンアニマルとしてよりも、ネズミと戦う動物といて我々を守ってくれている役獣としての役割をきちんとしてくれるかが気にかかる。
18/10/5
本日は月1回の歯医者。
医者から「歯茎の充血がいつもよりひどいけど、ストレス溜めてる?」ときた。「昨日、硬くもないイワシのフライを奥歯でかじって脳天を突き破るほどズキンと来た」という話をしたのだが、無意識で歯を食いしばっている影響らしい。
片側ばかりに問題が出るのはパソコンも影響しているらしく、机やいすの高さ、マウスのサイズなどが合わないと肩凝りから歯の不調にも来るらしい。仕事でずっとパソコンの前にかじりついているのならば考えるが、そうでもないのでどれだけパソコンから離れるかを考えた方が早いかもしれない。
18/10/3
ようやく、6月の白内障手術後の目薬が終了となった。
手術後はそれこそ3種類+ドライアイ用の目薬を5分間隔で朝昼晩寝る前と点眼に追われていた。最後に残ったのが消炎鎮痛作用の薬だった。これでようやく治ったという事になるのだろうか。もっとも気のせいか今でも時々、コンタクトレンズを入れ過ぎて目がこわばったような感じがするのだが…。
18/10/1
今年はものすごい暑さの夏の上、9月に急に冷え込みもしたが、今になってもまだかなり暑い日もある。
そんな中、金木犀の開花が早い。すでに9月下旬から香りがして来て、いつの間にやらずいぶん咲いている。一方で先日まで咲いていた百日紅の2番花は昨夜の台風で終わってしまったようだ。
花は平常心なのかそれともやはり気候に調子を狂わされているのか…、そろそろ秋花壇に衣替えの時期だが、千日紅がまだまだ頑張っている。