ちょっとした感想   

19/6/26

   トランプ大統領が日米安保を破棄したらどうかと言い出したそうだ。イイネ!を付けてあげたいところだが…、ご自分のフェイスブックに書いたのではないそうで残念だ。
   そうすれば沖縄に住民の意思を無視して無理やり新たな基地を作る必要性は無くなるし、当然、普天間をはじめとした基地も返還してもらう事になる。そもそも首都のど真ん中に他国の軍事基地があり制空権もないなど独立国としてあり得ない。さらに北方領土問題も正面からロシアと話し合いを持つ事ができる。
   もう1つ重要な事は中東とは奈良時代もしかしたら飛鳥時代からの古い付き合いのある地域で、さらに今、中東の石油が手に入らない状況は日本にとって大問題となる。この地域がなるべく平穏で本来のフレンドリーな商人としての顔を持っていてくれる事が日本の国益にとっては大変に大切な事となる。何処かの国の顔色をうかがいながら右往左往することなくアジアの1国としての立ち位置をきちんと取れるようになる。そもそも第2次世界大戦以降、アメリカやロシアが軍隊を入れなければ豊かな国々だった所が、人の心も含めて砂漠化してしまった事はその地域だけでなく地球全体としても残念な事だ。
   日本もそろそろ自分の足で立つべき時だ。

19/6/22

   江戸の版元・蔦谷重三郎とそれを取り巻く人々、歌麿・北斎・写楽について私の中では高橋克彦氏の小説が入門書になっている。どちらかと言えば蔦屋は後ろに引いた存在として書かれていたが、名プロデューサーとしての印象が強い。
   今回、増田晶文氏の『稀代の本屋 蔦谷重三郎』を読んだ。当然主役は蔦重。田沼時代の江戸バブル期に狂歌連に取り入って版元としてのし上がってていく若かりし頃から始まる。高橋克彦氏の『写楽殺人事件』にも人間関係の相関図が出て来るが、狂歌をけん引していた武士達に取り入って蔦重は版元としてのし上がっていく。その間に歌麿や北斎、山東京伝や曲亭馬琴・十返舎一九などを寄宿させたり雇ったりして育てている。
   寛政の改革と共に飛ぶ鳥を落とす勢いだった蔦重は狙い撃ちにされた形で取り締まりを受ける。その意趣返しとして写楽を世に出した、という事はある程度このあたりを研究している人々の共通認識なのだろうか。写楽の人物像は色々と取りざたされているが、活躍したのがほんの短期間の為、様々な人物として描かれている。増田晶文氏は阿波藩の斎藤十郎兵衛説をとっている。
   これを最後に蔦重の活躍期もほぼ終わるらしい。しかし享年48歳。江戸の人としてはほぼ平均的な享年まで活躍を続けた人だったことになる。

19/6/19

   昨夜、新潟と山形の県境で大きな地震があった。村上市で震度6強。津波警報も出て夜間に皆さん避難されたようだが、幸い大きな津波は来なかった。
   新津から近いので伯父がお世話になった方などもいらっしゃるはずだが、被害の少ない事を祈りたい。
   それにしても、最近地震慣れしてしまって、「またか」と思うばかり。土地柄、雪が深いので建物の建付けがしっかりしているせいか、屋根の被害や部屋の中の家具の倒壊などはずいぶんあったようだが、建物そのものがつぶれるような事は無かったようだ。
   さらに地震・津波の常襲地帯で経験者がおられるせいか避難も素早かったようだ。
   今回の地震は東日本大震災以来の太平洋側の地盤が落ち着かないのがドン突きをくらわしたような形で日本海側が揺れたらしい。日本周辺だけでなく地球規模で大鯰が暴れはじめたような様相だが、こればかりは止めようのないもので、せいぜい注意深く気を付けていたいと思う。

19/6/13

   民児協時代にご一緒してお世話になった方のお姑様のお葬式だった。
   来月がお誕生日の満105歳。曽孫さんの弔辞で「生まれたのは第1次世界大戦前!」という一節が出てきた。大正・昭和・平成・令和と長丁場を元気に生き抜いて来られた方だ。6/7の最期の日、ディサービスにも普通に出かけ、帰ってきてお夕飯も食べた後に旅立たれたそうだ。
   農家さんだが手先の器用な方で「これおばあさんが作ったのよ」とよく手芸品を頂いた。その時でもすでに90歳近い高齢だったはずだ。また、お嫁さんが民児委員をされている事もあって、朝夕には子供達の登下校の見守りも一緒にされていたそうだ。
   当時の民児委員仲間何人かとご一緒したが、ケヤキの会のボランティア仲間にバッタリお会いしてビックリ。故人の姪御さんに当たるそうだ。

   別件だが京都の警察から落とした手帳が届いた。薄っぺらい小型の手帳がゆうパックで着払い850円。簡易書留の方が安いんじゃないかな…。事前と事後の書類手続きで郵送料82円×2。結構なもの入りとなった。しかし、お役所らしいとはいえテキパキとやって頂き有難かった。

19/6/7

   京都の警察から電話がかかってきた。「たぶんあなたの手帳が届いています」との事でビックリした。やはり新幹線の中で落としていたらしい。正直、住所録が拾われて悪用されないかと気になっていたのだが、拾って届けて下さった皆さんに感謝、感謝。
   帰り道の事で、家に帰るまで気が付いていなかったので、逸失物届けも出していなかったのだが、「書類作りますね」と電話口でやってくれた。
   手帳にゴタゴタ挟み込んでいたものが特徴となって、多分私のものだろうとなったが、警察の事で、私が私である事を証明しなければならず、「まず本人確認をしますので書類を送ります」との事だった。確認が取れた所で着払いで手帳を送ってくれるそうだ。
   実は手帳を無くして一番ショックだったのが、車を運転するようになって以来毎年作っている車のガソリン使用量のデーターだった。最近は長距離で出かける事も減り、燃費も良くなっているので10数行しか使わないが、今年分も欠かさずデーターが残るのがうれしい。
   今年の1番嬉しいバースディプレゼントになった。

19/6/3

   旅の帰り道の何処かで手帳を落としてしまったらしい。
   簡単な予定表でしかないのだが、無いと不便な事甚だしい。スマホに文字を打ち込むのは苦手で、やらないからスマホにも語彙が溜まっていなくて、打ち込んでいる内に内容が頭から消し飛びかねない。
   使っていた手帳を探すのはあきらめて新しく買ってきたが、この半端な時期でも売っているのにまず驚いた。
   正月には新しい手帳に必要な事を書き込むし、年度替わりには加わっている色々なグループのそれぞれの予定も書きこむが、いざ今やろうとすると結構めんどくさい。

19/6/1

   6/2に田原本の教会の布教100年祭にお参りをするために奈良へ出発。
   本日は宿を取ってある橿原市まで行けば良いだけなので気楽な旅。ただし、土曜日という事もありすべて乗り物は座席指定を取っているので乗り遅れるわけにはいかない。
   たっぷりのえさと水をネコのために用意して、戸締り確認。少し早めだが10時に家をスタート。ところが焼津駅で上り列車に遅れがあるという事で焦らずに済みラッキーだった。その代り静岡駅でかなりの余裕ができたが、おみやげを買ったりお弁当を買ったりしてホームへ上がると、早々に乗る予定の11時11分発のひかりが入ってきた。のぞみをやり過ごすわけだが、席に座ってしまえば安心できるというもの。TANUKIはこんなところまでわざわざ大きなタブレットを持ち込んでネットチェック。
   浜松を出る頃少し早めの昼食。せっかくの旅なので私は『しずおか満喫弁当』を買ったが、「軽いものが良い」というTANUKIは『カツサンド』。
   乗り継ぎの京都に着いたのは12時45分。かなり広い近鉄との乗り継ぎ通路はいくつもの学校の修学旅行の子供達であふれていた。
   ここからは近鉄特急で橿原神宮前までほぼ1時間の旅。同じ線路を走っているのだが特急だけが特急券が別売されてすべて座席指定になっている。今回は旅の手配をアンビアさんを通してしてもらったので、もちろん切符はあるが改札の機械を通さないので改札口の人のいる所でチェックをしてもらって通った。乗り場の案内も複雑で慣れていないとさっぱりわからず、改札の駅員さんに乗り場を教えてもらった。
   何はともあれ2時過ぎには橿原神宮前に到着。「駅徒歩1分」の宿の場所を確認して、荷物をコインロッカーに放り込んでせっかく来たので橿原神宮を目指す。線路を挟んで目と鼻の先なのだが、通路が分からず彷徨ってTANUKIは靴擦れを作ってどんどん不機嫌になって行った。なんのことはなく駅の目の前に焼津駅でも見るような線路をくぐる形の通路ができていて、無事に反対側へ。人が駅へやって来るのを逆走して無事に大きな鳥居の前にたどり着いた。ここで完全にダウンしたTANUKIを茶店において1人でお参り。
   最近建て替えたという木の大きな鳥居をくぐって広い参道をまっすぐに進むと手水舎。そこから広場を進むとお社がある。橿原神宮そのものが明治になって作られたお社なので、木が鬱蒼としているわけではなく、かなり広々として明るい印象がある。畝傍山への登山道もあるようだが、そちらはパスして深田池を橋に沿って一回り。奥まで行くと神饌田もあるらしい。きれいではあるが、道沿いに小さなサツキの木で花が少し咲いているくらいで特に趣もなかった。
   宿のチェックイン時間も過ぎたので早々にチェックインしてそのまま一休み。ツインルームだが広い角部屋で、ベッドの他にソファなどもありのんびりくつろげた。ただ、飲み物の自販機が売り切れだらけなのには困ったが。しばらくして元気が出たTANUKIは近くのダイソーを見に行った。
   6時からは予約したホテルの和食のお店でお夕飯。なかなか2人で来られる所ではないし、結婚40周年だしと張り込んで料理長お薦めのプレミアム会席を頼んだ。お供は古代茶ビール。抹茶も降りかけられていて緑色だが確かにビール。食事全体がお酒のお供に合うようにしっかり味でビールが進みかねなかったが、食べる方を優先したので、いささか味が濃かった。普通のビールも追加したTANUKIはお腹が途中でギブアップ。目には素晴らしかったり1つ1つの味もお刺身以外は美味しかった。海なし県で焼津式にお刺身を食べようとは言わない方が利口だし…。
   すっかり満腹して一休みした後は温泉。このために宿はここに決めたようなもので、濃すぎない硫黄泉でなかなか良いお湯だった。

   翌朝は6時頃目が覚めて、日曜日の定番Eテレの俳句講座を見てから起床。
   出発の支度をして朝ご飯を食べに。人のピークは過ぎていたようで、和洋のバイキング。昨日の夕飯でお腹はあまり空かないし、せっかく奈良に来たので茶粥と飛鳥汁。少しのおかずとコーヒーとヨーグルト。TANUKIはいつも通りにしっかり食べていざ出発。
   ここから田原本駅までは券売機で切符を購入。「どこから乗るんだ」とキョロキョロしていたら、親切な駅員さんが乗り場を教えてくれて「後ろの方が降りやすいですよ」と教えてくれた。
   さて田原本駅。「ここからどっちだ」と言っていたら駅に教会の案内の方がいて、超ローカルな略図をくれた。できれば駅でロッカーに荷物を預けたくてウロウロしたのだが見つからず、歩いている内にきれいに道に迷ってしまった。同じ所を堂々巡りしている内になんとか教会のマークが見えてきてなんとか到着。
(続きは和賀家&我が家へ)

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