ちょっとした感想   

19/10/31

   本日はTANUKIも一緒に鍼の先生へ。「ちゃんと歩いて来れるほど元気になって良かったね」と大歓迎。瞼の落ちるのが気になるのを見てもらい「退院したばかりだから軽く刺激をしておくね」と合谷にガッツリとお灸。私の方は今日もまた咳の治療。仰向けになったとたんに咳き込んで、終わってから「少し背中を高くしておくと楽だよ」と言われたが、先に言って…。「次回忘れていたら言ってよ」と言われたが、もう治ってほしいなぁ…。
   午後はTANUKIの快気内祝い第1段の調達。自分で挨拶に行ける所。叔母の所で話し込み、後の2軒はお留守。
   ご近所の方が「さっき来てくれたでしょう、ごめん、ちょっと出ていたんだけど…」と来て下さった。玄関にカメラを置いているらしい。「元気になって良かったねぇ、無理はしないようにね」とかえって気を使って頂いた。
   夕方には藤守の義弟が娘の新婚旅行のおみやげのお菓子を届けてくれた。彼の方も同じ日の退院明け。薬が変わって体調管理を慎重にしている所らしいが、家のリフォーム話で病み上がり2人で盛り上がっていた。

19/10/30

   本日は秋晴れ。
   午前中、TANUKIのリハビリがてら散歩に出ようと思ったのだが「蓮華寺池公園1周は自信がない」と言い出したのでドライブに変更。御前崎まで車で行って、ネコ塚から灯台までの散歩コース。
   しかし、灯台の周りが工事中で、途中から住宅街の道に入り込む。灯台は垣根の植え込みが無くなり、ずいぶん明るくなっていた。公園化するようだが、奥の店などは風よけが無くなって大変なのではないだろうか…。TANUKIはブツブツ言いながらも完歩。
   そのまま帰るのも芸がないので風のマルシェまで行ってみる。TANUKIが「リニューアルしたみたいだ」と言っていたけどそれはなく、レストランが廃業していた。マーケットは健在だったので、ひと回り。こういう所ならTANUKIは文句も言わずによく歩く。
   お昼を喰いっばぐれて、帰り道を吉田まだ戻って五味八珍でラーメン&餃子。
   スーパーで食材の買い物をして帰宅。結局1日外出となってしまったが、初日としてはよく歩いたのではないだろうか。

19/10/29

   午前中にTANUKI退院。投薬の注意、次の外来の予約のチェックを看護師さんとして、お会計を済ませて、はれて退院。
   土砂降りだったが、荷物もたいしてないので、モタモタ歩くTANUKIがいささか危なっかしいだけ。
   帰りに業務スーパーに寄りたいというTANUKIが道を間違えて、グルグル回りはしたが、1人で降りて何やら買ってきた。
   帰りがけにマーミの所に寄って、顔見世をして帰宅。とにかくほっとした。

19/10/28

   主治医の先生から明日退院の許可。血液検査も問題がなかったようだ。
   それでも今日もお腹のエコー。朝食抜きだったらしく、リハビリの階段上りの途中でエネルギー切れになったらしく、途中からエレベーターで降りたそうだ。
   バスタオルなどもう使わないだろう物を少し持ち帰ってきた。

19/10/26

   本日は私の方が不調。色々あって咳止めに漢方薬を使っていたのだが、五虎湯の中の成分と龍角散ダイレクトの中の成分がWで効いたらしくてお腹に来てしまった。まさか龍角散のど飴にまで同じ成分は入っていないだろうがこの数日これもイッキ舐めしていたし…。そんなこんなで今日の午前中はトイレにお百度。
   午後、着替えが無くなるだろうとTANUKIの所へ。血液検査によっては少し入院が延びるかもとぶつくさ言っていた。

19/10/24

   午後、TANUKIの栄養指導にお付き合い。
   体調不良のせいとはいえ、せっかく脂が抜けたので(筋肉も無くなったが…)今の体重をキープしつつ健康に復活したい。ただし、糖尿の気があり、腎機能の心配があり、肝機能(これは投薬のせい)の心配もあり、なので、総カロリーをかなり抑えたうえ、カリウムも危険なので野菜でお腹をふさぎなさいとも言えないらしい。鍋の増量に白菜(カリウムが多い)を使いにくいのはかなりきつい…。
   結局、3食のご飯の量をきちんと確定して、1日のたんぱく質の必要量の1/3と野菜量の1/3で主菜と副菜を考えるのが分かりやすいらしい。ゆっくり食べて下さい、と盛んに言われていた。
   本人にしっかりと自覚をしてもらって食べるしかないが…。

19/10/23

   午後1番でTANUKIの運動リハビリの見学。
   大柄な男の先生、「さぁ、何からやりましょうか」にTANUKIは階段へ。話しながら、休みながらでC病棟の6階まで上り下り。動いている時は意外としっかり話しているが、時々ふらつき。一休みした後は外に出て庭の歩行。「はじめは登れなかった」と言う緩やかな芝生の坂もクリア、やはり何もない所で足が突っかかって時々つまずくのは怖いが、転ぶ事は無く、歩道のふちのレンガに乗ったり(4歳児並みの脱線率)もして一回り。ここに来る患者さんの中では動ける部類なので先生も口先では軽口をたたいている。
   屋内に入って一休みした後は、ラインの上を足の出し方を色々にして歩行、多分バランス感覚の練習。間で「退院したら蓮華寺池公園を散歩コースにしたい」と言ったら「良いですねぇ、階段も使って古墳の方まで歩いてください」と言われ、側に居た患者さんも交えて古墳談義。
   細かい動きを見てくれているもう1人のリハビリの先生から、「集中力はあまりありませんから、退院してもしばらくはバイクの運転はやめて下さい」と言われる。

19/10/21

   午後、TANUKIの主治医と面談。ようやく退院の予定が立った。
   髄液の中の細菌数は下がっていても無くなってはいないし、身体のふらつきなどもあって、まだ完全に治ったわけではないが、後は通院でも良いとの事だった。
   脳炎そのものは常在菌を相手に免疫系が入れなくても良いスイッチを入れてしまったようだ。言語野は大丈夫かと聞いたら、そちらに関わるダメージはないがとの事だった。
   ただ、看護師さんからリハビリの様子はチェックをしておくようにとの事なので、何時も午前中に入っている歩行のリハビリについて担当の先生と調整をして見せてもらう予定。また、脳外とは関係ないが糖の乱高下もあるらしいので、管理栄養士との面談も予定してもらった。
   TANUKI本人はさっさと退院したいようだが、もう1週間と聞いていじけて昨日いただいた神社のお祭のお下がりの栗饅頭をやけ食い。

19/10/20

   TANUKI普通に目を覚まし、朝ご飯と共に薬。マッサージ機にも乗って、テレビは見る番組が違うのでそれぞれで。
   気になっていたらしい庭の畑もチェックをして、小さなゴーヤーを収穫。
   昼にはうっかり薬を忘れかけたが、食後は食器洗いも担当。
   午後はせっせと病院へ持って行くものを準備していたようだ。
   夕方送って行って看護師さんに引き継ぎ。体温と血圧チェックとなるようだ。明日、主治医の先生と話し合い。

19/10/19

   朝、外泊許可を取ったTANUKIを迎えに病院へ。こういう時は準備万端調えて待っている。看護師さんに飲み薬の管理を聞いてそのまま床屋へ。私は買い物をして帰宅。昼前に出来上がりTANUKIを迎えに行く。
   午後、「病院に行ったら居ないんだから…」と弟夫婦が様子を見に寄ってくれる。
   TANUKIはせっせと留守中の郵便物などの確認。「疲れた」という割には元気。ただ、もともとそうだが「あの・その・この・どの」状況でポロリと言い間違えをしたりするのがちょっと気になる。状況としては、やはり問題になる細菌が髄液中に居たらしく、何度かの検査で数値が下がりきっていないようだ。
   さて、昨日の続きで焼津の台風被害状況。今日は氏神様の祭りでもあるのでお夕飯は寿司を取った。その寿司屋さんからの情報で、お店は対策をして水は入らなかったが筋向いの郵便局本局は地下に水が入って、電気系統と配達の車やバイクがダメになって当分大変なようだ。〇生などでも大変なようで、ビルが意外に高波に弱かったという事か…。
   TANUKIの行きつけの床屋でも危うく店のコンセントが浸水するところまで水が来たそうだ。

19/10/18

   台風19号の検証番組がテレビで始まっている。その間に、またこの週末に大雨が降りそうで怖いのだが…。
   どうしても被害の大きかった所が注目されるが、まず被害の程度はともかく我が町・地域の反省が大切ではないだろうか。
   さて、焼津市の場合、まず出たのは11日午後の波浪警報だった。12日に入ったとたんに大雨・暴風警報が出た。高潮警報が出たのは朝7時過ぎ。ついでに行きつけのガソリンスタンドが前日在庫切れになり、朝のメールでこの日は閉店。
   防災メールに戻って午後に入って「警戒レベル3」、木屋川が氾濫の恐れとの事で、対象地域は一色・田尻・北新田・道原・田尻北・すみれ台・石津港町、和田・港・大富の3公民館が避難所として開設。その後、この地域の避難所として港小・港中・和田中が午後2時に追加された。
   さらに3時を過ぎて土砂災害警戒情報。これは静岡地方気象台と静岡県の情報がそのまま回ったようだ。これに伴って4時前に今度は「警戒レベル4」、策牛・関方・方ノ上・坂本・石脇上・石脇下・小浜・野秋・花沢・吉津・高崎・浜当目・浜当目1・3・4丁目と山側に避難勧告が出され、東益津公民館・坂本コミュニティ防災センター・浜当目コミュニティ防災センターが避難所として開設された。
   そして5時前には「警戒レベル3」で八楠・八楠1〜4丁目・大覚寺の一部・大覚寺1〜3丁目・越後島・中里・岡当目・浜当目2丁目に朝比奈川が氾濫危険水位に近付いているとして出され、東益津と大村の公民館が避難所として知らされた。
   さらに暗くなった午後6時半、藤守・下小杉・惣右衛門に栃山川沿いに浸水の危険という事で「警戒レベル3」が出され、和田公民館・藤守地区コミュニティ防災センター・和田中・大井川公民館が避難所として指示された。
   7時半頃には焼津VCのメーリングリストで被害状況確認が来た。ほとんどが被害なしだったが、職場の高齢者施設や自宅の浸水被害の対応に追われた人もあったようだ。
   高潮警報が注意報に切り替わったのは午後9時36分。洪水警報が注意報に切り替わったのは午後10時20分。土砂災害警報が解除されたのが午後10時30分。大雨警報が注意報に変わったのは午後11時49分。暴風波浪警報が注意報になったのは未明の13日4時前だった。朝比奈川沿いの避難準備情報は13日午前1時過ぎには解除されたが、すべての避難勧告・避難準備等が解除されたのは朝6時半だった。
   キッチリと雨戸を閉めていたので防災無線が鳴ったとしても気が付かなかっただろうが、すべて市の防災メール。市内の防災無線で流れてくるものがすべて入る。かなり高齢の人でもスマホは持って入るだろうが、エリアメールは残っていないのではっきりとはしないが、こんなに来なかったような気がする。
   不満だったのが、停電はなかったのにテレビのNHKの情報は全国的な被害状況が中心で地元のものはテロップで流れるだけ、じっとテレビを見ているわけではないので音と画面を使って出す情報は地元のローカルなもの、それ以外の大きな出来事こそテロップで十分だ。外に確認に出るのは危険なのだから、命を守る行動に100kmも離れた所の川が氾濫した事よりも、近所の川や崖、道路の状況の方がよほど必要な情報ではないだろうか。安くない受信料を払っているNHKだからこそ腹立たしい。
   海沿いは高潮で大変だったなというのは個人的なつながりの中で感じたが、この数日で港の施設(私に言わせればついこの間で来たばかり)のかなりの規模の被害や、かつお節工場の被災などのニュースが出てきた。県内でも東部は台風15号の被害もあった中で19号の被害も出て大変だが、遠くの大被災地の前に地元の被害・被害者にどう向き合うかが大切なのではないかと思う。しかし幸いに焼津市はVCを立ち上げて他所からボランティアさんを募集するほどの大規模な被害ではないようだ。

19/10/16

   病院へ行ったらTANUKIはリハビリで留守。
   仕方がないのでコンビニでパンを買って車でお昼。と言ってももう3時だったが…。こちらは歯医者で散々待たされていいかげん疲れた。
   TANUKIはホイホイと車椅子にも乗らずに歩いて戻ってきた。「スクワットをやって腿とお腹が痛いと言っていたが…」
   今日また会った主治医の先生によると食事に関する制限は「血糖値の問題で脳外とは関係ない」との事だった。

19/10/15

   TANUKIの病院のお支払い。保険証の確認と保険限度額摘要のカードも確認。
   TANUKIは主治医の先生から「気晴らしに一時帰宅しても良いですよ」と外泊許可の書類ももらっていた。とりあえず週末に帰ってみようかという事にして、お風呂などは構わないが、まだ車の運転などはしないようにとの事だった。

19/10/14

   昨日のラグビーW杯の日本vsスコットランドはすごい試合だった。
   世界のトップチームと互角に戦ったという面でもすごかったが、地道に陣地を取っていく2昔前のラグビーから、ボールを素早くつないで動き回るラグビーに大変身した。
   さらに1人1人が当たり負けしていない。チーム内にも外国出身で海外のチームの力を知っている選手がいる事と、ほとんど味噌っかす扱いで世界のトップリーグに加えてもらって戦い続けた積み重ねがここで花開いたのだろう。世界のラグビー界に育ててもらって良いチームが作られたと思っても良いだろう。
   しかし、4連勝と言ってもまだ予選リーグが終わっただけ。このチームがどこまで通用するのか、ここからが楽しみだ。
   ところで今日のTANUKI。そろそろパンツが無くなるので差し入れに行った。喉をやられて薬で思いっきり眠い私よりもよほど元気。4人部屋が2人しかおらず、そのもう1人も週末に外泊許可をもらって自宅に戻っているそうで、つまらながっていた。

19/10/12

   本日は朝から本格的な台風。
   雨も風も時々一休みするが突然激しくなる。そうこうしている間に隣町藤枝のエリアメールで避難勧告。その内に焼津でも東益津地区の避難勧告、こちらは主に土砂崩れのおそれ。夕方には木屋川沿いも氾濫のおそれで避難勧告、さらに瀬戸川&朝比奈川沿いにも避難準備、夜に入って大井川方面にも避難準備。エリアメールはかなり大音量でチャイムが鳴るのでビックリさせられる。その他にも災害情報が入る設定にしているので1日中携帯が騒いでいた。
   さらに夜に入って焼津VCのメンバーから被災情報などが入り始めてきた。
   テレビの台風情報と携帯メールのチェックしかする事のない1日の中で、「大丈夫?」と電話やメールが入るのが有難かった。

19/10/11

   とんでもない大型台風が来るというので、対応に忙殺。竿を吹っ飛ばしたことがあるので、全部地面に下ろし、ランの植木鉢も玄関先に取り込んだ。もう1つ、水道メーターにかぶせている蓋、すでにボロボロだが無いと困るので今度こそ飛ばさないように取り込み。
   公民館まつりは中止になったので準備も無しと昼に電話をもらいホッとしたが、公民館は避難所準備の態勢を取るらしい。
   午後、買い物に出ればテレビの効果は絶大で、ガソリンスタンドは車が渦を巻いているし、ホームセンターから養生テープは消えていた。さらにスーパーからはパンや水が無くなり、レジはこの時間にしては大混雑だった。
   車庫をガッチリ閉めて、暗くなった頃に雨戸のないガラス窓にガムテープ補強。外すついでに大掃除になりそうだ。
   ネコの食料は消費税が上がる前に缶詰の買いだめをしたし、ドライフードも買い込んで流通が遅れても10日くらいは持つはずだ。人間様の方はきんぴらやポテトサラダ、漬物などを少しずつ作りためたが、あり合わせを整理。水はTANUKIの巨大鍋に溜めたが、できれば電気には止まってほしくない。
   本日のTANUKI、何やら看護師さんにウニャウニャ言いながら薬を張られていたが元気。看護師さんによると「外泊許可を出せますよ」との事だが、こんな嵐の時はやめてほしい。
   パンツの替えが無くなると困るだろうと届けて早々に帰って来た。

19/10/10

   午後、TANUKIが電話をかけてきて明日の午後に床屋に行きたいと言い出した。しかし、私は明日の午後は公民館で用事。
   「ちょっと抜けてきて」というが、始まったところで中座して終わったところに帰って来れるか、ちょっと考えればわかる事だと思うのだが、まだ頭の配線が追い付いていないらしい。そもそも、私に「予定が空いているか」の確認もなく、自分の予定だけを決めても駄目でしょうなのだが…。

19/10/9

   本日のTANUKI。だいぶ元気になり「床屋に行きたい」と外出許可を取るつもりのようだが、着るものは持って行けても付き合っている時間の余裕は私にはなさそうだ…。さてどうするつもりか。
   しばらくぶりで主治医の先生が回診に来たのに行きあった。薬も効いているし、しっかりリハビリをすれば今月下旬には退院できそうとの事。退院後も予後の検査に月1回くらい通う事にはなりそうだが、まずはホッとした。
   午前中の歩くリハビリで階段を6Fまで上がっているようだし、午後の顔周りのリハビリが終わったところに行きあい、それくらい動けるならと1Fの院内コンビニまで引っ張り出して無くなりかけていた歯磨き粉を買ったりして病室に戻ったら次のリハビリのお迎えが来て結構忙しそうだ。
   また金曜日にはエコー検査があるらしい。
   私の方も壊した奥歯が入った。ちょっと大盛だが、前回のように回りが痛まないのでじきに馴染むと思う。
   歯医者さんに「旦那まだ入院しているの?長いなぁ」と言われた。みんな何気に心配してくれている。

19/10/8

   昨夜はパソコンがオーバーワークだった。写真の編集をしながら印刷、さらに別の文書をワードで検討、メールを待ちながらホームページの更新もしていた。思いっきり散らかし放題でパソコンをこき使っていたのだが(バックヤードでも余分な物まで色々動いているようだし…)さすがにオーバーワークになったか固まってしまった。
   何の気なしに再起動をし、確認もしないでホームページをアップしたら、『4匹ネコズルーム』が出ない。手元に残った原稿は白紙、送り出した先を確認したら???の羅列。要するに壊れたらしい。
   困った、ほとんど私の忘備録、頭の中には何も残っていない。しかもバックナンバーを確認したら、トップページは9月から、という事は1月以上の記憶が無くなってしまった…。
   ホームページ作成ソフトもいくつか変えているし、プロバイダーも何度も引っ越しているし、もちろんパソコンも代変わりしている。ここまで無くさずに持ってきたものだけにちょっとばかりショックが大きい。
   夕方TANUKIからきた電話によると、福島の学生時代の仲間が体調を崩しているらしい。自分が体調を崩している時に聞くとショックだろうが、またそういう年代でもあるという事なのだろう。

19/10/7

   忙しすぎて病院までは行かれなかったが、夕方TANUKIから電話がかかってきた。どうやらお小遣いが無くなったらしい。
   保福島の叔母さんが見舞いに来てくれたそうだ。「どうしよう…」じゃなくて早いところ元気になって快気祝いを返したいと思ってもらわなければ…。

19/10/6

   TANUKIはだいぶ本領発揮、様子を見に来てくれた末の弟とケンカをしたようだ。
   土・日はリハビリもないのでテレビを見て退屈そうにしていた。昨日は藤守の弟が「テレビの番組表が無いとつまらないだろう」と番組ガイドを差し入れてくれたようだ。
   パンツを無事に届け、オムツ類は撤収して、ロッカーがだいぶ広くなった。
   明日は検査があるので朝食禁止の札が出ていた。「それでなくても食事の量が少ないのに…」とブツブツ言っていたが。

19/10/4

   今日のTANUKIは退屈そうにベットでテレビを見ていた。朝は1時間使く歩くリハビリをしたようだ。まっとうな階段を1階分と半分あがったらしい。
   ようやく「パンツ」と騒ぎだした。そろそろオムツは撤収してもよさそうだ。
   「今月末には退院できるようにリハビリを頑張りましょう」と言われたようだ。しかし、血糖値やら肝機能やら不安定な数値を出しているようだ。そんなこんなでうっかり差し入れの食べ物は持ってこられないので、姪っ子がお見舞いにくれたお菓子は家に持ち帰って私がありがたく頂いているが、「俺がもらったのに」とすっかりいじけていた。賞味期限もあるのでおあいにく様…。
   携帯を持ち込んだのであちこちと連絡を取ったようで、カンマ氏も見舞いに来てくれたようだ。

19/10/2

   本日は私が歯医者。無意識にちょっとした(かなりの)力がかかったらしく治療中の歯を壊してしまった。「かなりストレスが溜まっているね」と、それでも抜いてしまうのではなく残り部分をバラバラにならないように貼り合わせて、「後は上からかぶせるから」との事だった。今の間に腫れがひいてしまってくれると良いのだが…。
   さて本日のTANUKI。行ったとたんに看護師さんの巡回、そして、口周りのリハビリの先生が登場。口は動くようになったので今度は頭の中身のチェック?高齢者対応の認知症の運転免許チェックのような問題。やれ終わったと思えば下のリハビリ室からのお迎え。上半身の動き、中腰での動きなどをしていたようだ。午前中には歩くリハビリもあったらしい。
   「先生からお呼びがかからないね」とナースステーションに聞きに行ったら、とんだTANUKIの早とちりだったらしく、お呼びがかかっているわけではなく、「薬も効いて順調に回復をしているから」と聞いてくれた看護師さんに言伝があった。

19/10/1

   本日のTANUKIと言いたいのだが、本日はこちらの方が体調不良。白内障の手術をして以来、目はシャッキリしていたのだが、今日はいささかチカチカする。もらっている薬の副作用かもしれない。しかし、咳は大分お静まりがかかってきたので、今日は家でゆっくりする事にした。
   夕方TANUKIから取組後のお相撲さんのような声で電話がかかってきた。主治医の先生から話があるようだが、とりあえず明日にしてもらった。

居眠りをさそっているよ秋の雲     DORA

9月    11月