21/1/30
『俳句でおしゃべり』のお仲間のたまごさんが今月20日に亡くなられたそうだ。享年90歳。
『石寒太のしりとり俳句塾』の頃からのお仲間だった。
色々な事をよくご存じで、格調の高い句から茶目っ気のある句まで自在に読まれていたのが印象深い。
ご冥福をお祈り致します。
21/1/29
菅総理が最後のセーフティネットの「生活保護の活用を」と言ったそうだ。
確かに最後のセーフティネットではあるが、この制度いささか使い勝手が悪い。確定までに手間がかかる上に、その後の支援が手抜きで、うっかりするとずっと生活保護下で暮らすことになりかねないのだ。
企業を守るために労働力の調整をしやすいように派遣やらパートやらの働き方を進めたのは政府の方針だったのだから、そこで働く人々の暮らしを安定させるシステムを作っておくことは政府の仕事のはずだ。次の仕事が見つかるまでの住宅保証、仕事が切れた時の生活を保障するための保険、健康保険や社会保険の仕組み、この何十年かの間に作っておくべきことをやらなかった国会と政府の責任は重い。
下に書いた『首都感染』の中にも「国の最大の仕事は国民の命を守る事だ」と出てくる。
21/1/27
高島哲夫さんの『首都感染』を読んだ。
シミュレーション小説とでもいうのだろうか。今回は実際に新型コロナウイルス蔓延の真っ最中だけに時に現実とゴッチャになりかねなかった。ただし小説の中のH5N1型ウイルスは致死率60%にもなろうかという強力なもの。これがサッカーW杯で沸く北京から一挙に世界に広がったらというものだ。
この人の書く世界が怖いのは「資料は今手に入るものを最大限活用しています」と言っていることだ。初版が2013年、しかしすでに今を予言しているようで、それもいささか怖い。
帰国機の検疫、乗客乗員の隔離、さらには空港閉鎖。どんどん緊迫感は上がっていく。隔離した人からの発症・死亡、そしてついに市中感染。大使館員からの感染らしいという盲点のつき方も小説としてはありかも。そしてついには首都の完全閉鎖に出る。
当然ながら社会は大騒動になる。「国全体に感染者にあふれ疲弊してしまうよりも、ウイルスを封鎖地域内に閉じ込めて、その代わりに無事なそれ以外の所で閉鎖地域で必要な物を送り込んで支えていく」という考え方は賛否があるだろう。しかし、このくらいの胆力の何分の一でも本物の総理大臣にも持ってほしい。
この人の作品は大筋に問題提起とそのシミュレーションとして1つの道筋を提示するとともに、家族の再生の物語と縒り合せながら小説として読ませるものになっている所だ。主役級が暖かすぎて出来過ぎる人物に描かれている所は小説として受け入れ、ありそうな問題を提起する様々な人々を生き生きと描くことで緊迫感のある作品になっている。
21/1/26
コロナ特措法でコロナ陽性の人が入院に応じないなら懲役という話を聞いて赤塚不二夫の漫画の世界かと思った。
それより何よりどんどん検査をして陽性になった人は隔離、隔離中も医師が健康観察をするのが皆保険国家のスジだろうと思う。入院調整中に死者が出るなど、国民のほぼ全員から健康保険料を集めて健康管理をしている国として恥ずかしすぎると思わない厚労省の役人や国会議員・都道府県の行政責任者がいる事が国民として恥ずかしすぎる。
さらにはホテル隔離をしても健康観察も本人任せ、食事はコンビニ弁当というのも体調の悪い人には気の毒すぎるし、症状の出ていない人には何のために居るのかと苛立ちの原因だろう。
これが解消しない限り国民に責任転嫁をしないでほしい。
21/1/20
新型コロナのワクチンについて、日本でもだいぶ具体的な話が出てきた。
アレルギー体質、ましてや花粉症の真っ最中に「高齢者からどうぞ」と言われても、危険を感じてお断りをしたい。
しかし、集団免疫については確かに正しいと思っている。
実は家の最高齢ネコが昨年暮れから鼻風邪をひいて、クシャミ鼻水をまき散らしている。この子はずっと捕まらない子でしかも高齢のため、獣医さんに連れて行く方がストレスだろうと予防注射もしていないが、他の3匹はしっかり毎年予防注射をしているため、他に感染はしていない。
今回のコロナウイルスに関しても当てはまる可能性は大だが、それだけの免疫を持つ人を作るだけの時間的な余裕がどれだけ必要なのか、その間にどれだけの人が犠牲になるのか、その間の犠牲者をどれだけ減らせるか、医療機関だけでなく、全体の指揮を執る政府の手腕にもかかっている。
21/1/13
春に続いてコロナ蔓延による緊急事態宣言が出た。連休前に首都圏、それに続いて本日、大阪・京都・兵庫、愛知・岐阜、栃木、福岡に出た。
宣言が出たからどうなるという程のものが見づらくなっているが、人々が行動自粛をしている間に、政府や自治体は検査の徹底と無症状陽性者の隔離と見守り、入院が必要な人を早期に入院させる手配、それにはベット数だけでなく医師や看護師など医療関係者の数の手配もしなければならない。それができなければ何のための緊急事態宣言だか分からない。
緊急事態宣言を出せば役目終わりではない。これを始まりにそれぞれがやるべき事をきちんとする、特に政治家は国民の1人であるという自覚が足りないのではないか、給料はしっかりともらいながら足を引っ張るような行動ばかりが悪目立ちするのが気にかかる。
21/1/10
大相撲初場所が始まった。
PCR検査の結果、九重部屋・友綱部屋・荒汐部屋・宮城野部屋・湊部屋で陽性が出、力士・親方・行事などの関係者が休場となった。特に九重部屋は幕内・十両力士を大勢抱えているので、取り組み数も減り寂しくなる。
さらには本人は陰性だったが、相撲そのものが濃厚接触になるので健康リスクを考えて廃業した力士までいたようだ。
それでもやるのかは相撲協会のポリシーだが、同格の力士が部屋に何人かいて十分な稽古ができた部屋と自分1人で若手を相手に稽古をしてきた部屋の力士では身体の仕上がり具合も違うのではないかと思う。せめて稽古機会が十分にとれるように手配するなど協会としてやれる事をしていかないと安心して見る事ができない。
21/1/7
首都圏の1都3県にコロナの緊急事態宣言が出た。お題目以上の実効性があるかどうかはともかく、「エライコッチャ」を政権や行政も共有したことにはなる。
振り返っても仕方がないが、無症状のウイルス感染者がGoToで全国へ運んで行ったとともに、クリスマス・年末の買い物シーズンにそれぞれの地域で人々の間に広がり、増殖したウイルスが自覚感染者を激増させているのだろう。
すでに今陰性でも明後日には陽性に代わるかもしれない人々が大量にいるはずであるという事を頭に置いた対策を考えなければならない。しかし、飲食店の時短営業だけで抑えられるのだろうか。その飲食店も、従業員の他に食材・資材・生花など様々な取引業者の生活もかかっている場である。さらに、食材も花も生命であってその時に使われなくては無駄になってしまう。また、それを商品にするまでには時間も資金もかかり、多くの人の生活の元となっている。
さらに都会では職とともに住居を無くした非正規雇用の人々も多い。昔なら故郷に帰って畑仕事を手伝えば当座の食い扶持くらいは何とかなったはずだが、すでに帰る故郷のない元々の都市生活者も多い。
すべてが都会に焦点を当てて地方を切り捨ててきたツケだが、ここまで来たら腰を据えて日本が今後目指す社会を検討するのも良いかもしれない。
21/1/1
新しい年が始まった。「年寄りは早起きだ」というのを他人事に聞いていたが、今朝は6時半に目が覚めた。普段はゴミ出しなどの必要があるので、この時間に目覚ましを鳴らすが、ハッキリ目が覚めるのは7時前。
せっかく目は覚めたが、まだ暗いし寒い。結局テレビを点けて怠惰に朝日が昇るのを眺めていた。
世界に太陽信仰がどれくらいあるのか分からないが、日本人は何となく刷り込まれているようで、ワー、キャーとカメラを向けながら、年代を問わずで一瞬手を合わせて神妙な顔をする人が多いのが面白かった。