ちょっとした感想   

 

03/6/30

   本日は夏越の祓い。半年の諸々を祓い清める日である。
   昔々1年を春の年と秋の年に分けていた頃のなごりとも、夏の伝染病シーズンを無事に乗り切るためとも言われている。
   茅の輪をくぐり、無病息災を願う。

半年が無事過ぎゆけり茅の輪ぬけ DORA

03/6/28

   本日は静岡市にある日本人形博物館・日本招き猫館を訪ねた。クロンが獣医さんにかかっていた時にチラシをもらってきて行きたかった所。今回のテーマは『猫祭り展』ちょうど静岡で劇団四季のキャッツを上演中なのでそれに合わせたそうだ。(今回の企画展は明日6/29まで)
   家庭環境で猫は飼えないけれど猫好きな奥様のために集めた猫の数々が、家中を占領している。(看板が無ければごく普通の住宅なのです)
   今回は招き猫と郷土玩具、フィギュアなどなど。ここのコレクションから起こしたフィギュアもある。
   まず1Fでジライヤのようなトラ猫の写真がお出迎え。(今はこの子が居るらしい)
   2Fの入り口にはデンと常滑焼の招き猫の貯金箱、本体の重さ60Kg、大の大人2人で2Fに上げたそうだ。さらに、春に大熊美術館で気に入った猫のお皿にも再会。さらには館長が猫ロボット(アメリカンショートヘア)を動かして見せてくれた。喉をゴロゴロ鳴らしたり、ニャンと鳴いたり、尻尾や顔も動かして表情も変る。本物より高いため製造中止になったそうだが、なかなかのものだった。
   ところで花巻の郷土玩具の猫は、みゆのようにあごの下が黒い。だるまさんのヒゲの影響かと思ったが、どうやらそんなネコがモデルだったらしい。「家に居ますよ」と言ったら、「ぜひ写真を」と言われてしまった。

03/6/27

   八王子で、路上に寝転んでいたのを注意した人が殴り殺された事件の犯人達が自首してきたそうだ。注意して殺された青年23歳、殺人犯になってしまった方は26〜28歳。体つきや腕力は大人でも、知能や感性は3歳児(第1反抗期)並。なんともやりきれない事件だ。

03/6/25

   日曜日にTOPPOさんのお母さんを見舞う予定を立てた。ご本人よりもTOPPOさんのつっかえ棒をしてこようかというところが多いが…。
   そこで自分の所が介護最前線だった頃に買ったその方面の文庫本を引き出してみた。こちらの色々な状況に合わせて色々な本がそろったものだ。正直言ってどれも参考文献にはならなかったし、ならないだろう。「みんな大変だねぇ!」と笑いながら読み捨てるのがお薦めだ。
   倒れた人の症状も、付いている人の情況も、そのまわりのサポーターも1人1人がみんな違う。係わらなければならないのだが、それぞれの価値観で自分の人生の持ち時間を当てるしかないのだから。
   しかし、介護のおかげで自分のために生きる時間が無かったとは言いたくない。私自身もまだ母の介護の途上ではあるわけだし…。

03/6/24

   本日のNHK『クローズアップ現代』は農村の女性達の活動。今50〜60代の女性達が中心となって、様々な活動を行っている。生産物の直売であったり、都市(消費者)との交流であったり、その土地の伝統食のレストランであったり、地域からの発信を生き生きと行っている。
   いくつか紹介されたグループの1つが静岡県の天竜川市熊地区の活動だった。
   スタートは村興しのため、ふるさと活性化対策事業などの支援を受けて地場産品としての味噌・蒟蒻・蕎麦などの生産と販売を女性達の手で行った。それはいつしか利益を生み、この利益を地域の環境や福祉に使うため、NPO法人が立ち上がった。
   山間地のため家が散っている所に、お年寄りが1人暮らし、または夫婦で孤立しているような環境である。お弁当の配達や地域ごとのお年寄りのレクリェーションの集会など、地域のコミュニケーションを良くする活動や、子供達の体験を育てる活動などを主にして、今や地域全体を巻き込んだ活動に発展し始めたようだ。

NPO法人夢未来くんま   http://www8.ocn.ne.jp/~kunma/menu.html

(参考) 中伊豆町議会たより   http://www.nakaizu.or.jp/gikai/gikaidayori/no19/hyousi.html

03/6/22

   昨日は高校のオペラを見てきた。年に一度の合唱部の発表会。もう29回目になる。今年の演目は『フィガロの結婚』全4幕。割合に分り易い、ドタバタと言って良い喜劇だ。TANUKIの教え子が数年に1度「合唱部にいます」と案内を呉れるので、これもだいぶ前に1度見ている。
   高校の発表会だから、毎年人が入れ替わるし、レパートリーは多くは無いが、毎年出し物を代えて新しく取り組めるようにしているようだ。プログラムによると前回これを見たのが13年前の子供達。面白いもので前奏曲が始まると「ああ、これだ」と思い出す。
   正直に言って声楽としての善し悪しは分らない。もちろん声量のある子、きれいに歌う子、演じる人物の性格を出そうと苦心している子と様々だ。それが見ていて楽しい。今回は伯爵の小姓ケルビーノ(女子が演じている)が良かった。ちょうど年代的に分り易いのかもしれない。
   4日間の舞台でそれぞれに別のキャスティングをして、なるべく大勢がソロの体験を出来るようにしている。大道具・小道具・衣装も全て部員の手で用意されるそうだ。伴奏のピアノも生徒。結局、指揮者の先生以外は全部生徒の手作りである。その先生もこの合唱部のOB。初期の頃に生徒だった人だ。
   こうして育ってきた焼津市の1つの文化、また何年か後に「今年出るよ」と誰かがプログラムを持って現れるのを楽しみに見守っていきたい。

03/6/19

   最近、本を買っているのは年配の男性だけだそうだ。女性をターゲットにしたものも色々出してはいるそうだが…。しかし、ハウツー本ならともかく、男女で読み分けるものでベストセラーは出るのだろうか。
   読者を意識するよりも、作者の思いや編集者のやる気が読者を引きつけるのではないだろうか。
   最近、読みたい本になかなか出合わない。

03/6/17

   春にお邪魔をした農大の先輩、ストーブ屋さんが、町村合併を考える村内の掲示板を立ち上げた。それぞれに肩書きを取り払って1村民として村の今を見つめ将来を考えようと言う趣旨のようだ。村民以外の参加を受け入れていないが、見る事によって自分達の場を考える手がかりも得られるかもしれないと注目している。
   IT革命と国を挙げて騒ぎながら数年、参加者が少ないのは気になるが、住民が手軽に直接自治に関れる場となるのではないかという意味でも注目している。

生坂村の明日を語る会   http://www11.plala.or.jp/ikusaka/

03/6/15

   昨日は、森町まで花菖蒲とあじさいを見に行った。
   TANUKIが医者から帰って来るのを待っていたら昼前、委細かまわずそのまま車を出す。夏の日が時々気まぐれに顔を出す。
   お腹の減ったのには目をつぶって、森町のアクティ森までとにかく行く。観光バスが3台も止まっているので、混んでるかと思ったが、レストランは一段落ついたのか空いている。本日は森のコロッケ定食、カレーとハヤシのルーが敷いてある上にキノコ入りのクリームコロッケ2つ。TANUKIが「コロッケが小さくなった」とブツブツ言うが、普通の人にはちょうど良いサイズ。ご飯を残さなくて済む。
   腹ごしらえをしてばあちゃんが好きな味噌饅頭をみやげに買って、本日目的の花菖蒲。わざわざ掛川の加茂荘を通り越して来たのは、小国神社の花菖蒲園があるから。広さが程々でその分料金も安い。1番花が咲き終わっているのと、午後のためにちょっと花の勢いはないが、遠景を見る分にはきれいである。足元の流れをじっくりと見ればカワニナやタニシもいる。ようやく使い慣れてきた携帯でTANUKIもせっせと花のアップの写真を撮って待ち受け画面候補とする。
   雨がパラパラ落ちてきたところで、花菖蒲園を後にしてあじさい寺・極楽寺へ。駐車場に着いたとたんに雨は土砂降り。すぐに止みそうな降り方だが、待っていてもしょうがないので、傘をさして入り口へ。ここの入場券は絵馬になっている。例年あじさいの花と干支が組み合わされている。もちろん今年は未。本堂から「只今から説明を始めます」と案内のアナウンスが入る。これ幸いの雨宿りと一直線に本堂へ。
   ここのお坊さんの解説はよどみない。本堂内の各仏様や建物、二股城由来の襖絵や天井画、庭のあじさい、さらにはおみやげ物の案内まで、「私共の檀家さんは25軒しかありません、このあじさいの季節にお出で頂く皆様のご浄財でお寺が運営されています」と続く。来年は13年に1度申の年にだけご開帳される聖徳太子作といわれる秘仏の地蔵尊がこの季節に見られるそうだ。
   話を聞いているうちに雨も上がってきたが、残念な事にあじさいはまだこれからのようだった。
   近くにある森の石松の菩提寺・大洞院やききょう寺・香勝寺も行きたかったが、雨も本気でシトシト降り始めたので、このまま帰路に。あちこちでさんざん予定外の所で渋滞にはまって、帰り着いたのは6時だった。

03/6/13

   市の保険センターから骨粗しょう症の検診の案内が来たので申し込んで昨日の午後行ってきた。身長・体重・皮下脂肪も測ってくれて、いよいよ骨密度。片足の先をコンピューターに連動した機械に入れて、生暖かい水がかかとを浸す中で待つ事しばし。他に健康についてのアンケートに答えたりしながら10名ばかりで1時間ほど。結果は7月末に出る。
   ついでなので今日は誕生月検診(老人保健法による…40歳から)。血液・尿・心電図から分かるものが出てくる。大腸がん検査の検便もあるのでこちらの結果は来週末あたり。「もう数キロ体重を落とせば血圧の幅が出るはずだけど」と毎年同じ事を言われてきた。クロンに言われるまでもなく体重は順当に上昇カーブ。
   アップアップの医療保険制度のためにも病気にならない事にお金をかけるのは自治体も個人も大切。歩く事がかなりの病気を予防するそうだから、どうしても土建業の公共事業がやりたかったら、歩き易い商店街や散歩道の造成など如何だろうか。

03/6/12

   家の『おしゃべりコーナー』にrusu君が『東京農業大(東京都世田谷区)の酒貯蔵室に30〜50年前に造られた泡盛約100本が保存されている。』というYahoo!ニュースの琉球新報の記事を知らせてくれた。たまたまここが農大のOB会のページを持っているから知らせてくれたもので、彼と農大にかかわりがあるのかどうかは私は知らない。
   そうしたら、別のルートからやって来た夜光虫さんが『この度DORAさんの大学に保存され居た4合瓶の泡盛の写真を見て、懐かしさの余り身体がブルブルと震えて、涙がポロポロと流れ、その当時の記憶が鮮明に現われました。』とメッセージを入れてくれた。なんと父上が当時の「琉球泡盛酒造連合会」の専務理事として関っていたという。しかも当時小学生だった彼自身ラベルの絵付けを手伝ったそうだ。
   この泡盛の発見自体は1987年の事で、その時すでに一部が沖縄の県工業試験場(現・工業技術センター)に里帰りして保管され、研究資料にされている。
   この時期にどういう経緯で出た記事かは分らないが、このホームページがメッセージの輪を作ってくれたことを嬉しく思っている。

琉球新報のニュースはこちら。http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/2003/2003_06/030605ea.html

03/6/11

   国と地方が税金の取り合いを始めた。権限だけあってもそれを裏付ける予算が無くては責任のある仕事は出来ないのだから当然の事だ。
   いっそ、地方分権を進めるのならば、徴税も地方税だけにしたらどうだろう。その地方税からそれぞれが国の運営費を分け持つ。もちろん国家公務員を養いきれないから、地方がそこそこ必要な人材をリクルートして地方公務員になってもらう。国の仕事は外交・防衛と地方の利害の調整だけ。安上がりになるか返って高くつくかは分らないが。

03/6/9

   今朝は朝刊が無かったので夕刊に見開きでスポーツ欄があった。
   片面でラグビーの日本代表がオーストラリアにボロ負け…。反対の面でサッカーの日本代表がアルゼンチンにボロ負け…。
   サッカーはチームを組みなおしたばかりだが、ラグビーはもうW杯まで時間が無い。
   共に最大の課題は体力不足のようだ。ちょっとやそっとではコケないバランス力、相手をだし抜く瞬発力、最後まで力が出せる持久力、昨日テレビで見ていたサッカーでもどかしさを感じたのがこれだった。
   もう1つ別の角度から、1人1人が考える力を養う事と、チームメートを信じるだけの意思疎通能力だろうか。
   どちらも見ていて楽しいスポーツだが、ワンサイドゲームは面白くない。桜も三足烏(やたがらす)も自信と誇りを持った選手に着て欲しい。

03/6/7

   私が生まれて半世紀が過ぎた。
   ありがたい事に戦争の只中に巻き込まれる事も無く(受験戦争も交通戦争も存在していたけど)、食べるのに困るほどの経済状態にも見舞われず気が付いたら半世紀。
   こう書くとずいぶん恵まれていたように見えるが、人間、想像もつかない程の高望みはなかなかできるものではない。
   ガスも水道もなく、祖母や母は井戸水をバケツに汲み置いて生活用水に使い、七輪に火を起こして煮炊きをしていた。もちろん洗濯機も無いから洗って絞って干すというのはけっこう大変な作業だったはずだ。ほぼ毎日銭湯に行ったが、毎日服を着替えさせられた覚えは無い。
   テレビとは同い年だが、家にテレビがやってきたのは東京オリンピックの前あたりで、それまではラジオだった。そして、中学・高校あたりからトランジスター・ラジオで深夜番組にはまっていたので、ラジオ世代と言ってもいい。テープもまだオープンリールの時代。中学時代にようやく学校でさわる事があったくらいで、放送局に勤めていたクラスメートのお父さんに、体育のダンス用のテープをダビングしてもらった事があったが、一部屋丸々機材で埋まっていた記憶がある。
   家族でどこかに出かけた記憶もたくさんは無い。母の実家が倉敷なのだが、私が3〜4歳の頃、母の祖母を送って初めて行った。鈍行の汽車ポッポに乗って、2泊した記憶がある。小学校に上がる年に、タニカの叔父がお嫁さんをもらった。その時に祖父が叔母のお母さんと兄さんを案内して東京見物をしたのに付いて行って、東京タワーに初めて上った。宮城や浅草にも行ったのだろうがその記憶はストンと抜けている。
   生活に時間がかかるがのんびりと時間が流れる時代だった。

   急に時間を進めて、学校を卒業してからの時の流れは速い。私が大学を出るのと相前後して祖母が寝たり起きたりの状況になった。父の定年を待って祖母の世話をバトンタッチして結婚。母が体調を崩したり、O家の祖父が亡くなったり、私が体調を崩したりとアタフタしている内に20代は過ぎてしまった。特筆事項は車の免許を取っておいた事位だろうか。
   30代はハッと気がついた時には終っていた。40代は看護・介護で過ぎていった。そして50代。どんな10年間になるのだろうか。

03/6/6

   いわゆる『有事法制』が参議院でも可決された。しかし、肝心の所がはっきりしない。何から守るのか。守るべきものは何なのか。
   事が起こった時に現場でなし崩しに行動して、後でアタフタするのは見苦しい。しかし『国土』を守るのか、『国民』を守るのか、はたまた『政権』を守るのかさえ判然としないまま、軍(外国からはキッチリとそう見られている。予算だって世界レベルのトップクラスだし)を動かす方法論だけを考えるのはむなしい気がする。

03/6/5

   NHKの『クローズアップ現代』で物騒になってしまった町の商店会や町内会で街中に防犯カメラを設置したり自警団を作っている所が出てきたという話をしていた。
   確かに警察が犯罪に追いつかなくなっている。検挙率も落ちている。しかし、自治会がやる仕事としてはちょっと違うのじゃないかと思うのだが。
   画面でも出てきたが、防犯カメラに写っている強盗に人が襲われている側を、人々が何人も足早に通り過ぎていく。問題の根本はここにある。何故だれも関らないのか?
   もしそれが知り合いであれば、そうもいかないだろう。同じ町を通る人々を知り合いにする事。これこそ自治会が取り組むべき大きな課題であると思う。通りあう人々が「おはよう」「こんばんわ」と挨拶をする。子供達に「行ってらっしゃい」「お帰り」と声をかける。お年寄りに「お元気?」と話し掛ける。街中いたる所にある工事現場や交通整理のガードマンさん達と「ご苦労さん」「問題は起きていない」と情報を交換する。知っている人のネットワークを紡ぎだす事こそ町を作る基本ではないだろうか。
   排除する事ではなく、知っている人として取り込んでいく事、青少年や子供達も含めてできれば仲間にしてしまう事、『私の町』となれば町を見る目も違ってくるのではないだろうか。

03/6/4

   今頃になってイラクの核物質はどうした?とイギリスやアメリカの議員やメディアなどでも言い出したらしい。「もしかしたら情報操作だったか…」とか。大勢のそこに住んでいるだけの人々を殺してからそれは無いでしょう。
   クウェートへのイラクの侵攻後のイラク戦争の時にも、米議会ででっち上げの証言があったとか前にテレビでやっていたが…。アメリカの良識とか民主主義もその程度の事と思っていた方が良いのなら、ちょっと寂しい気がするが…。

03/6/2

   俳句の季語は難しい。そもそも旧暦に合わせてあるものが多いので、実際の季節感とずれるものがある上、これが季語?とびっくりするものがある季節に振り分けられていたりする。
   さて、昨夜『田に水の入りて今年の夏来る』としてみたが、5月の頭には立夏で今は夏真っ盛り。今年は季節が季語に比較的合ていて台風までやって来たが、(どうしたんでしょう?)季語として今頃『夏が来た』はどうなのだろうと気になっていた。
   さんざん色々な言葉を置き換えてみて、『衣替え』なら6月頭、畑から田圃への衣替えでも整合性はあるかなと思ったのだが、自分の中では今一つスッキリとしない。私が言いたいのは「春という季節の角をくるりと曲がったら夏になった」という事なのだが。

03/6/1

   早くも今年も半分近くまで過ぎた。
   ところで、5月の連休頃に田植えをする所が多いが、焼津のこの地区ではこれから田植えである。昨日の雨で期せずして水の入った田が今日は起こされている。付近の風景がちょっと違って見えてくる。

田に水の入りて今年も衣替え   DORA

5月    7月