22/6/23
ずいぶんしばらくぶりに静岡駅まで出た。
駐車場が空いているのにまずびっくり。街や店もまだ混んでいるというほどでもない。
ショックだったのは、私が静岡へ来る前からあった喫茶店が無くなってしまった事。ナポリタンやオムライスなどいわゆる昭和の香りの和風洋食が好きだったのだが、店員さん達も年齢の高い方が多かったので、コロナ禍では仕方がなかったのかもしれない。
静岡駅の地下はもともと通路でビルの地下にお店のあるところもある程度だったので、飲食店が減るとますます寂しくなる。
22/6/22
少子化は果たして問題なのか?
我々の若い頃、人口爆発、それによる食糧不足の可能性の方が問題になっていた。国の人口が1億を超えたらどうしようかと言われていたのだから、今大騒ぎをする必要はあるのかとも思われる。
医療の進歩で高齢者が長生きになった事と、その高齢者が若者を支援しないために、結婚がコストになってしまった事、婚外子がタブーな存在のままな事、就職や結婚で外国から入ってくる人に対して排他的な事が、より問題をややこしくしている。
しかも、食料自給率は5割も達成されず、宅地開発された所が毎年のように災害被害を受けるような状況で人口を増やすことが、これから生まれてくる子供達を含めて国民の幸せにつながるのだろうか。
高齢者が増えすぎるのならば、高齢者を定義する年齢をあげればどうかという考え方もある。しかし、高齢になるほどに身体にもガタがきて通院の時間が必要になる。さらに高齢でなくてもガンや慢性疾患などで通院に時間のかかる人も多い。したがってコロナ禍で多くが試されたリモートワークの標準化が大切になってくる。病気を押してだったり通院時間も惜しんで働くのではなく、十分な個人の時間を取ったうえで、本人の社会参加の意欲を保つためには、ハードな通勤時間をなくす、必要な医療措置の時間を取るなど、きめ細かな働き方改革が必要だろう。
子育て世代にも同じ事が当てはまる。子育ては両親や周りの社会すべてでかかわる事で、単身赴任などもってのほかだ。さらには若者世代だって、結婚をしたらどうかと言うためには、資金的にも時間的にも今の働き方で良いのかどうか考えるべきだ。
もう1つ別の面から、日本には自治会・民生児童委員・消防団など地域の中のきめ細かな自治のためのボランティア組織がある。都市が人々を吸い込んでしまった結果、地方では(多分都市でも)その担い手が足りなくなっている。
大企業や国家公務員が広い地域に人を返して事務仕事などをリモートワークにすれば、それらの人々の中から地域の仕事を担ってくれる人を探すことができる。もともとこれらの仕事は地域の中で仕事をしながらかかわってきた事だった。企業の社会貢献というのは阪神淡路大震災以来一つのテーマとなっているが、こういう貢献の仕方もあるのではないだろうか。
22/6/21
ニュースによると今年の大企業のボーナスはかなり良いようだ。大企業とそれに給料が連動する公務員以外には、だから何ではあるが、少しでも景気が良くなればありがたい。
非正規・パート・アルバイトなどの労働形態には反映されない話だし、中小企業も電気・ガソリンという活動の2大エネルギーの値上げでどこまでが追随できるか分からない。そして我々年金生活者は年金引き下げの上に貯金金利も上がらない。さらに生活保護世帯もこのコロナ禍で増加しているようだ。
結局、国の形も国民の生活形態も変わった中で、1960年代の価値観を持ち込んでもあまり効果はないとしか思えない。もっとも江戸時代240年ほどの間に、庶民の生活はどんどん変わり、武士の生活もそれに引きずられて特に物価の変動には苦労しただろうが、年俸(大名家も旗本御家人も)の石高はほとんど変わらずに来たらしい。
22/6/15
吉川赳議員は静岡県選出の衆議院議員だが、18歳の女の子にいかがわしい行為をしたことを週刊誌にすっぱ抜かれて、自民党を離党したが議員辞職はしないつもりらしい。
この議員、選挙区では当選できず比例復活で当選しているので、論理的には党を離党したら議員も辞職すべきである。またもし、それでも議員辞職はしないというのならば、本日まで会期中であった本会議出席は当然の義務だが、雲隠れしたままだそうだ。
地元有権者がノーの判断をした人物をそれでも議員にした自民党にも大きな責任があると思うのだがどうだろうか。
同じ県内とはいえ、私の1票は選挙区が違って役に立たないが、有権者も見識を示すべきケースだと思う。
22/9/10
県の調査によると県内の小学校高学年から高校生のヤングケアラーが1クラスに1~2人程度居るのではないかという数字になったようだ。また、児童虐待も最多だった昨年に引き続き多いようだ。
子供を取り巻く環境だけでなく、家族を取り巻く環境が悪化している表れなのだろう。
日本の福祉制度というのは、幻想になりつつある標準家族をベースにしながら、福祉を受ける本人だけを見ての制度設計になっている場合が多い。不幸せになるのを待ってから手を差し伸べるよりも、不幸せになる事のないように温かく見守り対応する制度に変えていく必要があるのではないだろうか。
22/6/5
ある方のブログを読んでいたら『主人・嫁』という呼称が気に入らないと述べていた。同世代の方だが、人それぞれなので「にらばお使いにならなければ」で済むことだが…。何か声を大にして言う事には違和感がある。ただし我が家でも使ってはいないが。
結局、日本の家庭というのはいみじくも昔の人が言ったように「永久就職」(今はそれほどでもない場合もあるが)であり呼称は立場語でしかない。じきに子供が生まれれば「お父さん」「お母さん」に類する言葉で互いを呼び合うようになる。そもそも昔は、東京ではある程度以上の年齢の男性が「家の嫁」と言ったら、子供の嫁さんだと思われた。
それはともかく、日本社会には色濃く母系制の家庭感が残っているように思われる。ただ、武家社会以降は嫁取り婚が普通になり一般にも広まったため、親族付き合いなども含めた家庭内の事は姑から嫁に伝授されるようになった。若い嫁さんが意地悪をされるシンデレラストーリーの方が面白いから色々と物語が伝わっているだけで、それぞれがブツブツ言いながらも1000年も続いてきたシステムはそれなりに機能してきたと言って良い。
男が仕事や地域について責任を持ち、女が家族を取り仕切ってきた。どちらが上だ下だという事ではなく、チームとして背中を守りあってやっていくシステムだったと思う。
22/6/3
ウクライナが戦場になっているせいで、アフリカなどでの飢餓が心配されているのだそうだ。
ウクライナは農業国で小麦やトウモロコシの輸出国だが、ロシアによる港湾封鎖で送り出せない。今の状況では在庫はたっぷりあるらしいし、今年も作付けはできたらしい。
ただこのニュースは、当事者のアフリカ諸国がどう対応しようとしているのか見えてこない。ヨーロッパの国々が「みんなロシアが悪いのさ」と言いたいだけならば、それはそれで良いが、本当の危機ならば当事者がどう動くくかの方が大切なのではないだろうか。
例えば国連常任理事国の中国を動かして、中国軍の護衛でウクライナに船を出して買い付けに行く。中国はアフリカ諸国ともウクライナとも、そしてロシアとも、それなりの関係があるので、できない相談ではない。欧米は思い切り嫌がるだろうが、世界の国々はもっと広い。そして、ロシアも欧米以外に敵は作りたくないだろうから妨害はしにくいだろう。
気候変動・戦争・政治的な問題、さらには人口の増大も含めて、人間の食糧がすでに偏在ではなく不足の方向に傾いている。20世紀以降だけでも戦争などで食糧生産に適した土地が不毛の地になってしまっている。穀倉地帯で戦争などやっている余裕はないはずなのだが。
22/6/1
今年の前半も後1月となった。上海では2月もコロナで都市封鎖がされ、ロシアがウクライナに侵攻し、国際ニュースをこんなに熱心に聞くのもしばらくぶりだったような気がする。
個人的にもコロナに振り回されたし、天気の不安定で体調にもだいぶ影響が来た。特に早々と暑くなったと思えば急に平年並みの気温に戻って寒かったりと身体に良いとは言えない状況が繰り返された。
それでも今年はTANUKIがせっせと庭で野菜作りをしているし、だいぶ高齢化してきた猫達も元気で、我が家なりに無事に過ごせているのは、ありがたい事と思っている。