ちょっとした感想   

22/8/30

   ある方がブログで『太宰治の辞書』(北村薫著/新潮社)の感想を書いているのを目にした。『円紫さんと私』シリーズの1冊だ。
   このシリーズは好きで、「なら読まねば」と図書館で借りてきたのだが…。2015年刊なのだが、すでに1度読んでいたらしい。タイトルや全体を覚えていないものの、小さなエピソードは「読んだなぁ」と思い出せるものだった。
   主人公の『私』ももう中学生の子を持つ親、編集者としてバリバリ働いているが、どこか気楽に自身の謎の探求に走り出す癖は変わっていない。
   彼女の卒論の芥川龍之介やその関りから出てきた菊池寛は私にとって全く知らない世界なので、結構楽しく読み進められたのだが、今回の太宰治や萩原朔太郎(『猫町』だけでお手上げになったけど)は、あまり好きではないという先入観から、全体を覚えていなかったらしい。
   中心テーマが太宰の『女生徒』の中のロココという言葉。何となくイメージはできても、それ以上に突っ込む国文の素養がこちらにはない。だから彼女の探索のどこに共感すれば良いのか分からずに文字だけ読み進んだのだろう。
   それでいて、彼女の親友の正ちゃんとのやり取りや生ピーナツの蘊蓄は何となく覚えていた。

22/8/24

   ついに政府はコロナ感染者の全数把握をあきらめたらしい。各都道府県に任せるという。状況はそれぞれなので、それでも良いのだろうが…。
   いきなりの方向転換が釈然としないのは、医師が寝る間も惜しんで報告を上げなければならない何があったのかが判然としないことだ。
   ただのデーター入力をわざわざ医師がする必要がそもそも分からない。専門の人を当てて(コロナ対策費を人件費に使えば良いだけなのに)、医師に診療の仕事に専念してもらえなかった訳は何処にあるのだろうか。
   さらに、感染者の体調チェックのためでもあったはずだが、それは無くなっても大丈夫なのだろうか。一人一人の状況が違う中で、若くても、買い物などにも行けず、見守る人がいない状況はかなりつらいのではないだろうか。それが小さな子供を抱えたシングルマザーだったら親子はどうなるのかと不安になる。
   そして、社会全体の感染状況データーが欲しい行政や研究者にとっても最も大きな感染爆発の中で、データーが変わってしまうのはどうなのだろうか。
   何も解決策を出さないまま、状況に押されての決定に見えて、なんとも不安になる。

22/8/18

   docomoでマイナンバーカードの申請手続きをしてもらった。今までこの手のカードは持つメリットがないと思っていたのだが、どうやら保険証に使えそうなので、サポートのある内に作ることにした。
   あまりスマホを使いこなせていない私には、そもそも写真を撮るソフトからダウンロードしなければならないというところから敷居が高い。QRコードを入れるのも得意ではない。それが幾つもあるとなったひにはそれだけでウンザリしてしまう。
   それにしても、この3年コロナに振り回され、データー処理に保健所も医療機関もアップアップになっていながら、何も手を打たずにここまで来た事に日本の行政制度のダメさ加減を見ているのは、私だけではないと思う。
   例えばこの、携帯電話会社を巻き込んだマイナンバーカードの申請手続きと保険証としての利用(一部使えたらしいが)をさっさと進めていたら、データーはもっと簡単に親コンピューターに集積され、それぞれの現場でも各地の感染状況や病床の逼迫状況、患者の広域での引き受けなど、様々な事ができたはずだ。
   マイナンバーカードも今の様子では、マイナポイントをもらったら引き出しの隅などに放り込まれて忘れられるのではないかとも思っているが…。

22/8/9

   コロナ患者がまたしても増加して、病院がひっ迫している。これで何波目か、まったく学習能力がないのが情けない。
   そしてまた、発熱ですぐに医者に来ないでくれと言いだしたが、コロナだけが発熱を起こすわけではない。この高温下、熱中症も怖いし、コロナではない炎症を起こして発熱している場合もある。熱を出している原因も分からないまま、解熱剤を使おうか放置しようかというのは、21世紀の医療状況としては考えられない。

22/8/7

   『無月の譜』(松浦寿輝著/毎日新聞出版)を読み終えた。以前、毎日新聞で連載をしていたものだが、当時は全部は読んでいなかった。
   大雑把にあらすじを言うと、棋士を志した青年が奨励会3段リーグを年齢制限でやめた。つまりプロになる事は出来なかった。その彼の大叔父にあたる人が将棋の駒を作っていたという不確定な情報を追って大叔父の生涯をたどりながら彼の作った駒を探しに出る。
   祖父の弟であるその人は幼い頃に養子に出され、しかも昭和20年に戦死している。彼の父にしても「俺の3歳の頃に亡くなった人」という以上の関心はない。
   祖父の将棋仲間であり彼の奨励会入りにも力を貸してくれた人のつてで、大叔父の商業学校時代の友達と会う。さらに、将棋の盤・駒を扱う店の人から「知り合いだったのではないか」という人につながり、彼が大叔父の兄弟子で共に駒師の見習いをしていた事が分かる。さらに母親の友達ネットワークから大叔父の恋人だった人の消息を知る。
   この時点の現在が棋士・羽生善治が売り出してきて大フィーバーを起こす頃、我が家でも将棋好きの父が「すごい若者が出てきた」と大興奮していた頃だ。彼の大叔父と同世代の人々は皆80代に入ろうかという高齢者。それぞれの人生の中での出会いをそれぞれの語り口で伝えてくれる。
   結果、彼はその在るか無いか分からない駒を追って、叔父が戦死をしたシンガポールへと飛ぶ。交流があったという神父さんはすでに亡く、教会も廃墟となっていた。教会の世話をしていた人から神父の友人だった人が日本関連の品を形見に引き取ったかもしれないという話を聞き、マレーシアへ。その人からアメリカでの文化事業の団体に渡した駒かもしれないと言われ、そのままアメリカのニューヨークへ。実はすでに普通の会社員になってのお盆休みの探索行なのだが、このポンポンポンと即断即決ができるのは、この前までプロを目指していた棋士だったという感じが良く出ている。
   そして彼はついに子供達が集まるブルックリン将棋クラブで大叔父・玄火の駒に出会う。書にも大いに興味を持っていて独自の書体『無月』で書かれた駒、すでに半世紀以上が経ち、すっかり使い込まれた駒だったが、彼は大いに感動した。
   しかし、将棋を指すのに使ってこその駒、「これからも使ってほしい」と駒はこの将棋クラブに残してきた。
   それから時代は過ぎ、時は将棋界の新ヒーロー・藤井聡太を生み出した。この物語はここからの回想という形になっている。
   将棋にドップリつかっていた自分がキリを付ける1つの節目がこの旅だったと回想しているわけだが、同世代の羽生・森内・佐藤などの赫々たる棋士たちと同時代にプロとして加われず、将棋から離れていた心が、藤井という新しく飛び出したヒーローを見て、過去の旅からまた将棋へと目を向けた心の旅ではなかったのかとも読み取れる。
   ※写真は我が家にある父の形見の将棋盤と駒。退職のお餞別に頂いたらしいのだが、きれいなまま。もっと使えば良かったのに…。

22/8/6

   政治家と旧統一教会との関係が取りざたされている。与野党問わず、かなりの政治家が何らかのつながりを持っているらしい。
   政治家の方は自分に投票をしてくれる票の数としか思っていなかったのかもしれないが、統一教会と言えば霊感商法などで多くの日本人から大金を巻き上げ、家庭を壊していた団体ではないか。特に保守派の議員がかかわりが深いというのが、双方の思想信条を考えると納得がいかない。

22/8/4

   昨日は新潟・山形で水害、岩手でも北上川が決壊したらしい。そして、今日は北陸。どうにも危なっかしい天候が続いている。
   誰もがスマホで今の状況を流せるという、情報の流れが良くなった事もあるのだろうが、「大変だ」の共有がしやすくなっている。
   しかし、数年前にも同じ所が決壊して…となると、その間何をしていたのかという思いもある。自然災害はなくならない。それから身を守るために人類はずっと知恵を使ってきた。せめて亡くなる方・行方不明の方が出ないように早めの対応をされることを祈るしかない。

22/8/1

   暑さ半端ない8月の到来。もっとも毎年同じような感想になりかねないが…。
   昨年春は体調がかなり悪かった茶々が8月には大分持ち直している。それが今年は年齢相応とはいえ元気にご飯の請求、さらに人間のご飯でも「1口味見がしたい」と大請求。
   ここまで甘ったれになるとは思わなかったが、早朝には元気に鳴きながら布団の上に居座っている。お腹が一杯になれば後は気持ちの良い所で寝て過ごしているが、ねこの寿命で言えば、大病をしてからずいぶん頑張っていてくれている。

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