03/8/28
韓国のテグでユニバーシアードの大会が行われている。もちろん学生達の国際スポーツ大会。
連日のようにニュースにはなるが、試合結果を聞いただろうか。選手達にとっては晴れの舞台のはずだ。しかしニュースになるのは北朝鮮の美女軍団の一挙手一投足ばかり。応援もそれぞれのお国柄を知ったり国際交流を図るためには大切だが、では日本の応援団の話題は?ホスト国の韓国は?他の国は?
確かに隣の中国では6カ国会議が行われ、そちらの主役はとりもなおさず北朝鮮だが、こちらで行われているのはスポーツ大会。本筋の報道をきちんとする必要があるのではないだろうか。
03/8/27
この春はインターネットで知り合った人達による事件が相次いだ。寄り集まって自殺を決行する。誘い出して凶悪事件を起こす、等々。
私はインターネットも普通のコミュニティーの地続きの場だと思っている。自分と画面の向こうで繋がっているのも血の通った感情を持つ人々であると思っている。
私がここに私の場を開くまでに2つのBBSから大きな影響を貰っている。
1つは『魁長屋(牧太郎の二代目日本魁新聞社)』である。ここでは1ハンドルネーム1キャラクター。時に色々な人が現れるが、来る者拒まず去る者追わず。投稿者の新陳代謝を繰り返しながら大人の常識の範囲で皆楽しんで意見交換をしている。
もう1つが『風の頁』。こちらは管理者がきっちりとメンバーを把握している。もともとプライベートな仲間から始まったらしいので分かりやすかった事もあろうが、ホームページを通した友達の友達が…という関係でも輪が広がっている。ずいぶんアナログ的だが、沖縄から北関東までに散らばったメンバーが時に実際にどこかに集まることもある。
まだ過渡期にあるインターネットを使ったコミュニティーの形だが、このどちらにも大きな可能性があると思っている。
03/8/20
ようやくジーコ・ジャパンが国内で1勝した。高原の見事なシュート!チームの動きもかみ合ってきた。ちょっと前までは来てくれたチームの移動による体調不備などが言われたが、いまや日本チームだってかなりの数が外国の所属チームから帰ってくる。3-0の勝ちはそのまま今のチーム力として評価したい。
国内ではサッカーを楽しみ高校野球もベスト8が出揃ってのんきに楽しんでいるが、イラクでは国連の活動していたビルが爆破され、イスラエルとパレスチナも戦闘状態で、戦闘員ではない多くの人々が亡くなり傷ついている。片方を戦闘行為と言い、片方をテロだと言っても武器で人々が死んでいく事に変わりは無く何ら解決にならない。わが国は国際社会の中で何が出来るのだろうか。
03/8/17
高校野球の最中だが、夏の大会がこんなに雨で流れた事があっただろうか。本来はカンカン照りの安定した天気が続く頃である。
逆に西ヨーロッパは熱波である。
のんきに農業分野の貿易交渉などしている時ではない。どこの国もわが身を養う食料を増産しなくては、地球規模で大変な事になりかねない。
土砂降りの中でもJ1の第2ステージが始まり、プロ野球もドーム球場が増えたおかげで雨で中止があまり無い。しかし、生物としての自然に対するセンサーは大切にしなくてはいけないと思う。
03/8/15
長い夏休みとその後の復活のためのドタバタを通して、ようやく、ホームページも復活をしようとしている。
『おしゃべりコーナー』でも書いたとおり、7月の下旬にパソコンの状態がいよいよ不安定になり、リカバリーをしようと色々やっている最中に、CDが動かなくなってしまった。新しく買うという選択肢もあったが、まだまだ元をとっていない。それに色々やってみる事で納得する事も多いが、失敗して壊す確率も高いので、いささか高くついたがCDを直しに出した。
幸い夏休みに入っていたので、TANUKIのパソコンを乗っ取って、まずケーブルに直結してインターネットに接続。ところがTANUKIが言っていた通りにメールがつながらない。CATVに電話をかけて、聞き合わせながら接続。長年つなぎっぱなしの間に設定が少し変わっていた。
しかし、TANUKIはワードを使っていないので、字を書く感覚から変わってしまう。つい億劫なので、書き込みは最低限になった。ついでに画像加工もそれぞれのプリンターから入れているのでソフトが違い、写真もお天気が悪い事もあってまったく撮らなかった。つまり私のパソコンが帰ってくるまでは、メールの受け取りとインターネットのチェックくらいしか出来なくなった。そうこうする間にも月末には猫サーカスを見に東京へ。月初めにはTANUKIの糖尿病の食事療法のレクチャーを受けに内科へ。そして私の骨粗しょう症の結果を聞きに保険センターへ。結果はカルシウムがちょっと少なめ、カルシウムをたくさん食べて運動をしなさいというものだった。
さらには裏のお宅のおじいさんが亡くなり隣組でのお葬式の手伝い、それと競争をするように台風10号がやって来る。等々あわただしく過ごしているうちに、ようやくパソコンの修理完了の連絡。持って帰ったパソコンは結局CDしか直っていないので、そのままリカバリー決行。ところがまたもインターネットにつながらない。散々捜索をして必要なフロッピーを探した頃には色々やりすぎてパソコンはグロッキー。
結局、翌日リカバリーからやり直し、インターネットをつなぎ変え、プリンターを接続し、スキャナーを接続。ところが今度はデジカメのデーターを読んでくれない。結局は1度アンインストールをして、インターネットでメーカーからダウンロードをしてくる事になった。
残念ながらバックアップしたはずのものはうまく引き出すことが出来ず、メールアドレスや住所録、ホームページ用の資料などことごとく無くなってしまった。しかし、取り返せずに残念に思うのはジライヤが死んだ時に頂いた色々なメッセージと、小慈朗通信の『横浜編』『火星先生編』(当時はメールのやり取りだったのでそれを残していた)位のもので、記憶装置としては意外と何も入っていなかったと自分でも驚くほどのものだった。さらにはインターネットでFFFTPを貰いに行き、無事に家のホームページを取り込み、(実は違う所に取り込み、慌てて引越しをさせた)ようやく体制が整った。
しかし、文字やタイトルバーのサイズなどまだ落ち着かず、個人辞書も空の状態で、自分の名前さえ素直に漢字で現れてくれない。まだまだ復活までには時間がかかりそうではある。