03/9/29
方手落ちはいけないので、本日は『リセット』について。
こちらは北村薫氏の「時と人の三部作」の最後である。作者は『スキップ』で中年になった時、もう少し別の人生は無かったのかを考え、『ターン』では同じ毎日の繰り返しの中で、何を生み出す事ができるだろうかという徒労感を、この『リセット』では時の流れを書きたかったそうだ。
全部読んでみて私は『スキップ』が一番好きだ。たぶん年齢に合っているのだろう。
人は大人になるまでに「自分とは何か」を成長と共に何度も考える。しかし、大人になり社会人になったとたんに「○○社の」「△△家の」誰、あるいは「お父さん」「お母さん」になってしまう。つまり自分より役割や立場が優先されてしまう。それをとりあえずポンと置いてしまって「私は」と言える事は気持ちが良い事だ。
この三部作の縦糸は赤い糸である。人と人が時空を超えて繋がること、これが在りそうで無さそうな大人の御伽噺として読者を楽しませてくれていると思う。
もう1つ作者が同世代なので『スキップ』での昭和40年代や『リセット』の第2部、昭和30年代の懐かしい事物がポロポロと出てくる。これが実は「在りそう」の所在証明としてつい「そうだっけね」と話に引き込まれる役目を果たしている。『スキップ』『ターン』『リセット』とも新潮社文庫
03/9/28
『樟樹』の中野武彦氏は母の女学校時代の友人の幼馴染である。隣同士だったので学校に上がる位までは行ったり来たりして遊んでいたらしい。この本では『隣の女の子』として度々登場してくる。その方のご紹介の母の本だ。
中野氏は学生時代から中学時代、そしてこの幼年時代と段々に下って回想録を3部作にまとめたらしい。本職の作家さんではないので、「おじいさんの子供の頃はな…」と言った感じで年代順の記述というよりは思い出のキーワードに沿って話が進んでいく。
後から考えれば激動の時代、少年の目に日常はどう捕らえられていたのかというテーマは大上段に歴史を語るよりも心に残るものが多くある。
03/9/27
昭和初期にどんなイメージをお持ちだろうか。
もちろん私にとってはすべて歴史情報で、昭和6年には満州事変が起こり、8年には国際連盟を脱退している。昭和11年には2・26事件、12年には日中戦争、14年には第2次大戦、そして、16年の太平洋戦争へとなだれ込んでいく騒乱の時代である。
最近この時代をテーマにした本を2冊読んだ。1つは『樟樹』(中野武彦著)というエッセー、もう1つは『リセット』(北村薫著)という小説である。中野氏は当時大阪の大店の小坊ちゃん(こぼんちゃん=末息子)。『リセット』のヒロインは神戸のかなり良いお家のお嬢さんになっている。共に小学校から中学(女学校)へあがる頃である。
実はこれらを読むかぎりこの時代の子供達にとって後に大変な時代と認識される時代のイメージは無い。友達と遊び、映画を楽しみ、宝塚の新しい出し物に心を浮き立たせ、デパートで買い物をし、美味しいものを楽しんでいる。
共に印象的に出てくるのが、神戸港での海軍の観艦式である。どちらの本にも出てこなかったが昭和15年は紀元2600年祝賀が行われており、母などはこの印象が強いようだ。そして昭和11年のベルリンオリンピック、その次は東京(戦争で中止)と子供達は胸を躍らせていた。
子供達も日本が戦いの最中にいることは知っていた。出征兵士を送る時もあれば英霊を迎える時もある。防空演習もあったが子供達は普段の生活に忙しかった。
ふと、東欧でもアフガニスタンでもイラクでもまた北朝鮮でも子供達は今をこのように生きていたのではないかと思った。そして、今の日本も未来の時から眺めれば「あの時代は大変な時代の入り口だった」と思う事になるのではとも思った。※ 『リセット』の作者北村薫氏は戦後の生まれですが、かなり良く資料を調べています。また「当時を生きた人々から直接取材ができた事が大きかった」と述べておられます。
03/9/26
巨人が原監督解任。
何だか例年の阪神の代役をしているようで…。
北海道十勝沖で大きな地震が起こり、大変なのに不謹慎ではあるが、昨年優勝、今年Bクラスその延長上に原巨人の長期展望が見えてくるのかと思ったら…。何だか日本の今の縮図を見たようで…。
03/9/24
本日は焼津地酒倶楽部主宰の秋の地酒祭り。
TANUKIもすっかりお得意さんになって、陸協の先輩の酒屋さんから電話がかかってきた。
今回は冷おろしがメインテーマ。冷おろしと言うのは、昨年の秋から今春に掛けて仕込まれた酒を火入れ(加熱殺菌)してタンクに貯蔵し、秋になってから火入れをせずに瓶詰めにしたものだそうだ。熟成される事で口当たりがまろやかになり、香りも落ち着いて味わえる酒になるのだそうだ。蔵によりその名前は『冷おろし』だったり『秋あがり』だったり『秋の生一本』だったりするが、同じ意味であるようだ。
蔵元さんもお酒に付き添ってくる職人さん(?)も大体同じメンバー。同じ写真を撮ってもしょうがないので今回は会場風景をメインに写真を撮ってきた。
もちろん端から飲み比べ。各蔵の違いはあるのだが、味覚は「美味しければ良いじゃない」という状態で何処がどこの見分けはつかない。
大村屋酒造さんの8年古酒を飲ませてもらったが、金色に輝いてちょっと先日飲んだ泡盛に近い香りがして、これだけは違いが分かった。
もう1つ、燗をつけた酒を出してくれた所があったが、大吟醸のように磨けあげた米を使ったものよりもアミノ酸を残し味を複雑に残した物の方が燗酒向きだそうだ。
また、喉越し良くさっぱりと飲むためには醸造用アルコールの添加したものの方が良い事など色々な知識も仕入れてきた。
会場では夏にお世話になったサッポロビールの工場長さんにもお会いしたし、ちょっとホールで涼んでいたらやはり一休みしたくてやって来た年配の男性と「お酒は美味しく飲まなくちゃね」と酒仙談話も楽しめた。
今回は少しはつまみも食べたし、福引ではDORAが初亀醸造の『秋あがり』を引き当てたし中々楽しい時が過ごせた。
03/9/18
とうとうと言うべきか、道頓堀に落ちた人が水死した。人に押されてという目撃証言もあるので、決め付けるのは早計だが、落っこちそうな形で騒いでいた1人ではあったのだろう。
こんな事になるのを恐れて地元商店街も警察や自治体も「やめろ」とは言っていたが、失礼ながらあんな汚い川に正気で飛び込むはずが無い。雰囲気に酔ってのぼせ上がるか酒に酔った勢いか…。つまり制止の言葉など耳に入らない相手である。だからこそ飛び込んで死んでしまう場合も考えられる。「どうせ止められない」「ともかく止めろと言ってあったのだから」と責任を回避しているように見えてならない。
本当に制止するつもりならば、マスコミに騒がせない、飛込みなど出来ないように柵を作るなど実効性のある事をしなければ仕方が無い。フーリガンが現れるのはサッカーだけではない。また機動隊にとってデモ規制はお手の物のはずである。お祭騒ぎではあっても、暴走する群衆をなるべく穏当安全に解散させる手立てを関係者は考えるべきではないのだろうか。まったく話は飛ぶが、名古屋での立てこもり爆破事件で警察は火災が起きる事の対応をまったく考えていなかったようだ。宝石店での人質焼殺事件や武富士の事件で研究されていなかったとは、その方が驚きだった。
03/9/16
同じ野球といってもセリーグ6球団のチームカラーはぜんぜん違う。
たとえば巨人は重厚長大チームだ。それぞれの選手がドッシリとその場に存在し続ける点で落ち着いたチームだ。横浜はお祭騒ぎの打のチーム。打てば乗る。逆にヤクルトは広岡・野村と理論家監督が居た時が強い。中日は情念のチームに感じる。星野が主力投手から監督時代のイメージが強いからかもしれないが。広島と阪神は地域密着型、同じような猥雑さを持っている気がするのだが、よりスマートなのが広島、マグマが渦巻いているのが阪神だろうか。
チームイメージと監督、選手の技術が上手くかみ合った時は何処のチームも強くなる。選手を同じように配分すれば強くなるというものでもないし、見る側としてはそれぞれの気の合った個性のチームを応援しながら楽しい試合を見たい。
03/9/15
阪神タイガースが18年ぶりのリーグ優勝を果たした。
経済効果やら大阪の馬鹿騒ぎやらばかりが話題になるが、タイガースと言う球団、ファンが育てていると言う一体感がある。お祭騒ぎになればフーリガンも居るが、J以前から10人目の選手としてファンが選手の背中を押してチームを支えている。
毎年とは言わないが、たまには大喜びをさせて欲しい!
今年のチームの皆さん、優勝してくれてありがとう!秋の宵『六甲颪』天をつく DORA
優勝だ『六甲颪』天高く DORA
優勝にしみじみと飲む秋ビール DORA
03/9/14
音楽というものはタイトルは忘れてもメロディーが流れると何となく当時の事を思い出すものだ。
今NHKで放送50周年ということで思い出のメロディーを月1回特集番組にしている。本日は、1958・1968・1978・1988・1998の各年のヒット曲からだった。
1958年はまだ学校に上がる前で中野の私鉄沿線の商店街に住んでいた。何処の店もラジオを流しっぱなしにしていたので、この頃の曲はかなり覚えている。プレスリーをはじめロカビリーの全盛の頃で、日本語の歌詞で歌われていた。また石原裕次郎が売り出してきた頃でもある。
10年後1968年は3億円事件のあった年だそうだ。グループサウンズ全盛期。今回は出てこなかったが『グループ』と言うくくりだけでずいぶん色々な音楽が試されていた感じがする。
1978年はキャンデーズ解散の年。『与作』と『勝手にシンドバット』が同じ年のヒット曲。人それぞれに色々なジャンルの歌が歌われていたと今になって思う。
これが1988年・1998年となると付いて行けなくなる。1989年が昭和64年・平成元年に当たるから、昭和と共に私の音楽のインプットも終わっているようだ。
ウォークマンが出たのはいつだろうとちょっと調べていたら、今回NHKでは話題にも出なかったが『となりのトトロ』が1988年の映画である。この挿入歌は好きなのでちょっとだけ私の音楽回路に入っている曲の年代が延びた。※ ウォークマンは1979年生まれだった。 参照 ザ・20世紀
BSあなたが選ぶ時代の歌 http://www.nhk.or.jp/music1000/
03/9/12
新聞で他所の子供にお菓子をあげる事の是非について「困る」と言う投書から色々な意見が派生していた。
昔、我々の子供の頃は他所の人から結構もらっていた。お使いなどに出されると「お手伝いえらいね」と店のおばさんに飴玉などをもらう事は良くあった。
お菓子どころかお昼やお夕飯を呼ばれる事も時にあった。もちろん友達が家で食べていく事もあった。子供はもちろん気にしていなかったが、親の方もお互い様程度でさほど気にしてはいなかったのではないだろうか。
しかし今やアレルギー体質の子供がかなりの数にのぼるとなれば、そう気楽なことも言っていられない。学校給食で蕎麦アレルギーを起こして亡くなった子供の話は大きく取り上げられたので、蕎麦アレルギーがあることは知られるようになったが、昔からある卵や牛乳だけでなく、小麦粉や大豆などがアレルゲンの事もある。
さらに小児糖尿病などでも食べ物の管理が必要だったはずである。子供が小さいうちは本人にも理解できないし、他人に食べ物を勧めるのもリスクがかかる時代になった。
もっとも現代の親はそれ以前に犯罪に巻き込まれる事を恐れているのだろうが。
03/9/11
新聞によると石原都知事が外務省の職員宅に爆発物が仕掛けられた事件について「当然だ」というような発言をしたらしい。
主義主張はともかく、これは知事の発言としてはおかしい。都民の安全は知事にかかっている。それを率先して示そうとしていたはずの人が、都内でテロが起こるのを当然視していたら、言っている事とやっている事に乖離が生ずる。
さらに、都に住民票を置いて仕事をして税金を払っている都民を知事が差別をしてはいけない。それがまず消防や警察を束ねている知事が安全に関しても責任をもたなければならない人達なのだから。
03/9/7
今年は不景気のせいか、天候が不安定なせいか、各地で農作物の窃盗が起こっている。山形のサクランボから騒ぎになって、最近は収穫をしたばかりの米だそうだ。
国内が戦場になっている訳では無し、今日食べるものも無い飢饉でも無し、単にお金が欲しいというだけの泥棒であろう。長い時間と手間の集積である作物がようやく結実した所で奪っていく、そこが何とも情けが無い。
経済合理性ばかりを追い求め、自分が幸せかどうかの基準まで金額で計ろうという考え方が、人の心まで狂わせているように思えてならない。
03/9/5
季節柄、新聞やテレビでは防災についての特集が組まれている。
静岡県での今の課題は、個々の建物の耐震性の向上と、防災に対する人々の感覚のようだ。
建物の耐震性に関しては、阪神大震災以来、お役所の机上の対策には力を入れられているのだが、現実には個人の家の場合など、工事の見積もりの段階で費用がかかりすぎて出来ない場合が多いようだ。
人々の防災に対する感覚もなぜか地震がこの地を避けている事もあって濃淡がある。
現実問題としても、平日の昼間、人々が働いている時の災害では、住んでいる地域ではなく働いている地域での組織的な行動を考えなければならない。また移動中、通勤・通学の時間帯であれば、その場での行動を考えなくてはいけない。
それぞれの場での防災訓練をしてみても、1人の人間が何処でどうなっているかで状況も行動も変わってくる。さまざまなケースでのシュミレーションを豊富にやる事によって1人1人が考えるしかないのだろうが、工場やオフィスと地元自治会との連携などは担当者の意識の上で「やった方が良いのだろうなぁ」という程度で、これからの課題のようである。
03/9/4
ケーブルテレビの週刊ニュースで、市内の小川小で夏休みの最後のイベントに、お父さん達がお化け屋敷を企画したニュースをやっていた。
PTAや校区の人達でおやじの会を作って活動をしているそうだ。
学校を舞台にお化け屋敷を作る。ストーリーはお化けにつかまった校長先生を助けに行く。子供達はグループごとにキャーのワーッのと言いながら中に入っていく。途中でお坊さんにお化けをやっつける呪文を教わる。このお坊さん近所のお寺の本物のお坊さん。もちろんお化けにつかまっている校長先生もこの学校の本物。子供達も力が入る。
しかし、それ以上に準備をしているお父さん達がヤンチャ坊主に戻ったような良い表情をしていた。
03/9/2
日本で遺伝子組み替えの米を開発しているそうだ。それも耐農薬性や耐病性のあるものではなく、花粉症を緩和させる米である。
アレルギーの治療に減感作療法というものがある。アレルギーを起こす物質を特定しそれをごく少量体内に入れる事によってアレルギー反応を抑える治療法である。様子を見ながら長期間行わないと効果が無いので、医者も患者もよほどやる気が無ければ行われないが。
それを毎日食べる米によって出来ればありがたい事ではあるが…。実は難しいのではないかと思う。『スギ花粉症』と一括りに言われるが、実はヒノキだったりハウスダストだったりのアレルギーが主である人は多いようである。アレルゲンそれぞれを対象に減感作をしなければならないのだから、この米を食べても効果のある人と無い人が出てくるはずである。さらに、この量でもそれがアレルゲンになって発作を起こす人があるかもしれない。そうなると食品としてではなく医薬品として扱わなければならなくなる。
まだまだ研究素材でしかないようだが、じっくりと研究して欲しいと思う。