ちょっとした感想 

 

  『北海道旅行記』は思い出のページにしまいました。

 

01/8/31

  大汗をかいてホームページの模様替え中です。
  1つ達成した所で、しばらくそれに習熟する時間がかかりますが、初心者ゆえに次々と新しい事が発見できるし、やってみたくなります。
  今回の課題は、ホームページのフォルダーの中のファイルを系統立てていくつかのフォルダーに分ける事。写真が増えて捜すのが大変になって思い付いた事です。
  とりあえず仕分けをしたら、ドロンと画像が消えて大慌てをしました。画像もそれぞれに仕分けをして各フォルダーの画像フォルダーへ。
  ところが物事はそう簡単にはいきません。エクスプローラーを使うと楽だというアドバイスに、それを起動したものの『ホームページ』フォルダーの中は空っぽ。散々捜した挙句、その下位に作っていた私のマイドキュメントの中から発見。後の扱いを考えてCドライブの下に作り直したら、カウンターが消えてしまいました。カウンターの作り方なんてすっかり忘れちゃったし。諦めて、今インターネット上に出ている家のindxの暗号をメモ帳にコピーしたものの、暗号なので読めません。せっかく2641までまわったのにもったえない!
  とりあえず、1日かけて自分のパソコン上ではきちんとファイルし直されました。初回もアップの仕方が分からないまま、サポートの先生にやっていただいたので、今回もここから悪戦苦闘第2段が始まります。
  皆さんがこれを読む時には、そこまでは無事に出来たという事です。次回の模様替えまでには、カウンターの作り方と表を利用した文章の書き方を勉強しようと思っています。

01/8/30

   今日のニュースによると、静岡空港に関する住民投票案は、自民党の反対多数で委員会で否決されたそうだ。
  賛成派の知事が再選された、すでに動き始めている計画をいまさら賛否を取る必要はない、等という理由が挙げられたそうだ。
  しかし今、収入減が分かっているからこそ、支出の優先順位をキッチリと決めなければならない時に、これで良いのだろうか。まず、この空港ができる事で、どこへ行く事が出来るのだろうか?県民のニーズはどの位あるのだろうか?この空港ができる事でどんなメリットとデメリットがあるのだろうか?この空港のランニングコストは?
  話し合われる事でメディアに取り上げられ、県民が広く知る事が出来るであろうこれらの事が、本気で調べなければ分からない所へ消えてしまうのが、一番残念な気がする。

01/8/27 

   今日は大学の先輩のお父様の葬儀に参列してきた。
   お父様にお会いした事はなかったが、享年82歳。1年半前までお元気だったそうだ。小学校や(旧制)中学のお仲間がお元気で大勢見えていたので、ご本人も家族の方も亡くなられたのが残念だった事と思う。
   学校時代、軍隊時代、職業人としての時代、それぞれのお仲間からの弔辞があった。私にとっても大きな時代の流れを振り返る事となった。
  その中で、戦後すぐ、トンカツソースの生みの親になった話には感銘を受けた。戦時中冷蔵庫に山積みされたサツマイモを活用し、なおかつ冷蔵庫を魚用に転用するためだったという。戦中育ちの人に「サツマイモは一生分食べたから」とサツマイモ嫌いの人も多いが、そこからあの甘味ととろみが出たのかと思うと、なぜか感動してしまった。

01/8/26

  ますむらひろしのマンガに『ジャングル・ブギ』というのがある。
  マンガなので肩肘張らずに聞いてもらいたいが、紅ドクロ王という悪玉が全体主義の国家を作ろうと画策している。そこに主人公達が立ち向かっていくストーリだが、その中で、紅ドクロ王の占領下で働かされている人々が不思議な光る石を持って家に帰ってくる。これに向って一人一人が勝手な事を言い合っている。家族が集まっていながら、家族の団欒は無い。初出が82年になっているので、携帯電話はまだ無かった頃だろうが、何となくそれぞれがテレビや携帯電話に向っていて、家族同士が向き合いにくい今を感じてしまった。
  人が人に向き合っていく、相手の気持ちを思いやったり、相手の考えを読みながら自分の意見を通したりの、訓練の初めは家庭にある。また、自分や家族と違う考え方があるという事を知るのは身近な他所の家、友達や親類の家での出会いが最初だろう。
  今日も警察官が包丁男に発砲して死なせてしまい、自らも刺されて死亡したが、コミュニケーションの訓練を意識して考えて欲しい。こうなってしまった今、心理学のプロが研究室の中ではなく、実社会で役に立つ技術を習得してたくさん出て来て欲しいし、それ相応の報酬を伴った仕事として社会が捉えて欲しい。

01/8/25  

   林丈二の『猫はどこ?』というエッセーを見つけた。まだ読みかけだが、「お年寄りが集まるような場所、たとえば公園や路地裏に置かれたベンチ、何だか日向ぼっこがしたくなるような所というのも良く猫が集まってくる。つまりお年寄りが住みよい街と、猫がノンビリできる街というのはかなり共通の条件を備えているという事になる。だからと言ってノンビリした猫を育てようといっているわけではない。『ノンビリした猫のいる街づくり』というのはあってもいいかもしれない」という所に至極共感した。
  彼は路上観察が主で猫だけがとても好きという人ではないようで、それだけにこの考え方には理解者も多いと思う。
  犬・猫などの小動物や、お年寄り、小さな子供などが屈託無く暮らせるためには、その周りにある多数の暖かいまなざしや手助けの手が必要である。
  今、都市だけでなく小さな町でさえ人々は自分以外のものに興味を向けない。これは人間という社会性を持った動物の存在の危機ではないのだろうか。
 

01/8/24

   警察庁が来年度、警察官5000人増員を含む予算概算要求を決定したそうだ。全国だったかどこかの地方だったかで、スクールカウンセラーを増員する計画もあるという。
   リストラ、リストラと人員削減にばかり目が行っていたものが、ようやく必要な所に必要な人を配置しようという考えが出てきたようだ。構造改革とは大幅な人員の配置換えでもあるはずだ。事務部門などはコンピューターネットワークのお蔭で、さほど人手が要らなくなった。
   しかし、人に係わる部門、子供の保育・教育やお年寄りや病人の介護、地域の安全管理などには、今の何倍もの人手が有ってしかるべきである。長時間保育は保育職員の長時間労働の上に成り立っているし、老人施設や病院の夜間体制は緊急事態に対処するにはお粗末過ぎる所が多い。学校も本来の仕事以上の雑用に教師が追われている。交番も留守の所が多いという事は人手不足なのであろう。
   多忙は注意力を減退させるし、気持ちが慌しければ人に優しくはなれない。ゆとりのあるローテーションで多くの人が仕事と自分の時間の余裕をもてば、我々のライフスタイルも変わってくるはずだと思う。

01/8/23

   長野のK嬢さんのホームページで紹介されていた『アグリビジネス侃諤プラザ』をやっと読んだ。前から気になっていて、消えたらどうしようと思いながら時間が作れずに読めなかったものだ。
  細かい企画の設営動機は分からないが、「長野の農産物や農産物加工品を自信を持って長野で売りましょう」というのが主眼のようだ。
  農業は産業として先細りのように思われているが、人間が食べ物を必要とする体である限り、絶対に無くならない産業である。「人間食わずば生きらりょか」と『青山ほとり』の歌詞にあるとおり。
  それならば、それをどういう形で産業とするか?資本主義社会である限りその仕事で儲けて、仕事をする人達が生きていかれなければならない。商品にどのような付加価値を付けるか?付加価値を削ぎ落としたものが安い労働力や機械力を使って大量に同じものを作る事である。それならば、その反対にあるもの、少量しかないもの、手間のかかったもの、その場に来なければ得られないもの…、考え方は色々あるが、その1つの答えを出そうとしている試みである。
  話し合いとは違い、農産物という生き物をこのコンセプトに則って、商品として軌道に乗せるには時間がかかるだろうが、気長に長野を旅する楽しみとして見続けていきたい。

01/8/22

  ノロノロ台風11号が日本列島を縦断中である。
  昨日からNHKはずっと台風情報。被害の出た所は大変だったし、出掛ける予定のある人には交通情報が次々と出るのはありがたいでしょう。しかし、こちらは昨日時々強い風雨があっただけ。ダラダラ見ている割に役に立つ情報は無い。
  こういう時に欲しいのはもっとローカルな情報。港の潮位や裏の川は大丈夫なのか、この道は通れるか等々。せいぜい行動範囲プラスアルファ。後は被害情報と幹線道路と乗り物の交通情報、気象状況位があれば良い。
  CATVが平常のプログラムのままだったが、こういう時くらい、自らもマスコミである事を思い起こし、機動性のあるニュースを流してくれないかと思った。

01/8/19

  叔父の葬儀の後の精進落しで、お寺の檀家総代さんと話をした。
  このお寺は今はお坊さんが住んでいない無住寺。檀家総代さんが管理をしているお寺だそうだ。
  この管理の歴史も長いらしい。終戦後、それまで居た住職がお酒で体を壊して亡くなった。その後、檀家で管理をし、何かの時には所属する大きいお寺からお坊さんに来てもらう形になったそうだ。それも不自由だというので、住職を募集して来てもらった夫婦は2日で敗退、「こんな山の中では勤まらない」とトラックから降ろした荷物をまた積み直して去ったそうだ。(小高い丘の上のお寺だが、以前は道らしい道も無かったとか。今回も火葬場へ行くバスは途中の道で何度も切り替えしをするような道だった)
  その後、浄土宗の学校から紹介してもらった坊さんがつい先月まで居たそうである。頭の良い人でよく勉強もする人だが人付き合いが上手でなく、30半ばになってもお嫁さんが見つからず、小さいお寺の限界も見えて去ったそうである。
 「また元に戻りました」とおっしゃっていたが、お寺の裏の墓地は立派だし、お寺の立替計画も皆で積み立てをして実行に移そうとしているそうだ。
  宗教というのは形ではないと思う。建物の立派さや宗教者の世俗的な立派さではなく、地域の人と共に土地に根ざしたものであって欲しい。このお寺さんが、宗教を通じて生きているのを知ってうれしかった。

01/8/18 

   今日は午後から函南の叔父のお通夜へ。
  どうせどこから行っても混んでいるからとR150〜R1バイパスを通って熱函道路へ出るルートを選んだが、まず新日本坂トンネルで渋滞にはまってガッカリ。沼津の街中でも渋滞にはまり、逃げるつもりで道に迷って父もウンザリ。最後の詰でも道が分からなくて叔父の家に向ったはずが、見事にお寺さんにたどり着きTANUKIがイライラ。それでも何とかpm4:30の出棺にはギリギリ間に合った。
  お通夜の始まるpm6:30まで、しばらくお寺さんで待機。従兄弟達の子供が大きくなっていて、どの子がどの子かしばらく?こちらの少ない親族はともかく、叔父方の親族や友人・知人・近所の人となるとまるっきり?同じ静岡県内の事で、こちらでも隣組の方々が葬式の手伝いをしてくれるそうだ。そんな人達も大勢出入りしているし、結局大人しく隅っこに控えている。
  夕方から空は明るいのに時々パラついていた雨が、お経が始まったとたんにザーっと本降り。境内の参列の方には気の毒な事だった。
  亡くなった叔父の戒名は正岳謡音信士、唄好きの叔父らしい。6月に入院した時は持ち直して退院したそうだが、7/7の入院が最後の入院となったらしい。享年78歳。
  お通夜が一段落した所で叔母に引き止められたが、今日は引き上げ。明日は1日父と2人でお葬式に参列。瑞穂も今日は叔父夫婦が来たが、明日は従弟に運転させて来るとの事。
  

01/8/17 

  お盆が終わったところで、函南の叔父の訃報。
  かなり晩年までフサフサの髪を黒々と染め、カラオケや民謡を歌うのが大好きだった叔父だが、ここ数年はパーキンソン病のために入退院を繰り返して弱っていた。
  6月には母方の伯母、今度は父方の叔父、身の周りの人達が旅立っていく。

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