03/11/30
ついにイラクで日本人の犠牲者が出た。
もう少し情報がはっきりとしなければ日本政府関係者(外務省)だったから狙われたのか、外国人なら誰でも良かったのか、単なる武装強盗か分からない。しかしイラク人運転手を含めて日本国が責任を負わなければならない人の命が3つ奪われた。
しかし、日本の外交の最前線で仕事をするのは本来の外務省の役割である。心の痛む事件ではあるが、ちゃんと仕事をしようとしている人が外務省に居た事は日本人として嬉しく思う。だが、状況を分析し安全を統括するプロの武官が大使館に居るのならば、たった3人でもっとも危険な地域に行かせただろうかという疑問は残るが。
03/11/29
J1最終戦。すべての試合が午後2時スタートとなった。トップ争いの磐田vs横浜に鹿島vs浦和が絡む。頑張って得点を重ねれば東京Vと当たっている市原にもチャンスが無くは無い。逆に大分vs仙台は降格戦だった。
結果、先に2得点して油断の出た鹿島に浦和が追いつき、横浜が磐田に競り勝って横浜が前後期完全優勝を果たした。降格戦は1-1のドローで仙台が京都と共に落ちてしまった。
以上の試合を気にかけつつ、清水vs名古屋戦を見ていた私。大木監督の元でのホームでの最終戦を何とか勝つことが出来た。しかし終わってみれば下から数える方が早い順位。
清水は前シーズンにほぼ出来上がったチームを解体して作り直すような作業をしたのだから組みあがるまでに時間がかかるのは仕方が無いが、結局1年間かけて何も出来なかった。選手同士の信頼感が薄いから自分で何とかしようとして墓穴を掘ってしまう。若い選手が出てきたが、チームとして組みあがるまでにはまだ時間が必要だろう。サッカーはチームプレーだという基本に戻って出直してもらいたい。
03/11/27
いつの間にか10万を廻った。家の車の走行距離である。
1995年12月ぎりぎりの納車で、お正月におっかなびっくり試運転したCR-V。夏休みにはさっそくに東北一週のドライブ旅行。以来、長距離だけでもTOPPOさんの天文の会の夏合宿で乗鞍へ行ったり、富山に居た従妹を訪ねたり。TANUKIの出張に付き合って大阪へも行ったし、北海道のわんわんの飼主の結婚式で岡山へも行った。新津の伯母の葬儀や年忌でも車を走らせたし、尾瀬にも行った。ほぼ8年で10万キロ突破。
まだまだ車は快調だが、そろそろ部品のメンテナンスなどに気を使わなくてはならない。まだまだこの車に頑張ってもらわなくては。
03/11/25
『山旅の想い出』のまえじまさんから「ネコ語」についてのメール。まえじま家には18歳のニコちゃんなど2匹の猫がいる。
「DORA家でもネコが炬燵を出せと言ったそうですが…」と。
家の場合は炬燵のコードと布団を取ったものがその他の季節のテーブルとなっている。で、その下にもぐっては「そろそろ布団を掛けないか」とこちらを見上げて催促する、という次第を通って炬燵化する。
面白かったのでニコちゃん語を転載。
(尻尾を立てて)「ニャ」=「付いて来い」、
(鍵を見ながら)「ニャ」=「この戸(または窓)を開けて」、
(スイッチを見ながら)「ニャ」=「スイッチをつけて」 (コタツ、ク-ラ−、ホットマットなどの電器器具のスイッチ)。
「あ〜ん・あ〜ん」=「おかあさん・おかあさん」(妻を呼ぶ声)
寝室から「あ〜ん・あ〜ん」なら、「おかあさん、一緒に寝てよ」 庭から「あ〜ん・あ〜ん」なら、「おかあさんも庭に下りてきてよ」
「ゴあ〜ん」=「ごはん、飯を食わせろ」(唯一憶えた、人間の言葉のコピ−)
えさ箱に入れてやった後でも「ゴあ〜ん」と言う場合は、エサが気に入らない、 別なえさ頂戴、の意味となります。 しかしその都度、云われるままに別なえさを与えるのは癪だから、 「ダメ、これを食べなさい」と言うのですが、 すると敵は「ニャあ〜ん・ニャあ〜ん」と甘え声に変わります。
以前、2階の納戸の天井裏に上げてやったら、大変お気に入り、天井のハメ板が開いている時はそれを指して「ニャ」。 ハメ板を閉じてしまったら指す点がないために、 納戸に入ってひたすら「ニャあ〜ん・ニャあ〜ん」。
どうやら「ニャあ〜ん・ニャあ〜ん」=「私のお願い聞いて」のような 意味のようです。 ところが、「私のお願い」が何であるか、分かる時と分からない時が あります。「ゴあ〜ん」は家の連中も言いう。人間と暮らしていて一番初めに覚える日本語なのかもしれない。
クロンは「イヤン」がお得意。TANUKIにかまわれると連発するのがなんとも可笑しいのだが…。
嬉しそうな声で「ニャニャ」は「ただいま、おみやげがあるよ」の意。出入り口を閉めて「はい、ご苦労さん」と言わないと、家の中が鳥の毛だらけになったりトカゲが逃げ回ったりの騒動が始まる。
パピは「ニャ〜」の「もう寝ましょうよ」がお得意だった。
03/11/21
昨日から近所で子猫の捕り物にかかっている。
ご近所さんが「家に子猫が迷い込んできたけど、猫は苦手で触れない」とSOS。おっとり刀で行ってみると裏口でニャーニャーと小慈朗色の1月半位のチビさんが鳴いている。残念ながら捕まらず。手を出したとたんに隣りの家との狭い隙間に入り込んでしまった。
今朝、「まだ居る」と誘われて行ってみるとプランターの中で保護色を生かしてお昼寝中。結局逃げられて、隣りの家を突っ切りその隣りへ。「そういえば夜中鳴いていたね」と隣りの家の奥さん。
道路をはさんだその先の家の入り口で1度呼び寄せたが、何事かと次々に出てきたギャラリーに子猫が警戒してまたまた失敗。その先の中学のプール脇から手前の家の庭に入り込んだが、結局また奥の方に逃げ込んでついに捕まらなかった。
結局、最初に呼びに来た人は家の周りに猫寄らずを撒いて自衛。
さて、この子猫、今後どうなることやら…。
03/11/20
11/18にとなり組の仲間のメロンさんが焼津にやって来た。そもそもは『風の頁』の仲間である。彼は東京武蔵野市の果樹農家で、農大の後輩にも当たる。旅は農閑期の楽しみだそうだ。
焼津は「初めて」と言うのに放っておく訳にも行かない。到着時間に駅までお出迎え。pm1時過ぎ。チェックインには早すぎる時間。そのまま岡部町の玉露の里へ。
空は見事な曇り。紅葉には早い。とりあえず初対面なので、自己紹介などし合いながら車を走らせる。駐車場からカメラを持ってアプローチを歩く。
お茶とあんこものが好きだと言うので、安心してお茶室へ。せっかくだからと勧められて玉露を味わう。お菓子は紅葉の模様を描いたじょうよ饅頭。
その後はお茶室の濡れ縁から池の鯉の相手。皆がえさをやるので、人が現れると我先に押し寄せて来る。流行の病気などどこ吹く風と押しくらまんじゅうをして口をパクパクとえさの催促。¥20也のえさをメロンさんも買ってみる。
お茶の後は茶畑の山に登ってみる。途中、町の天然記念物の巨木などカメラに収めてみるが、なかなか上手く決まらない。ここから焼津に戻って花沢へ。港町焼津とは違う山里の顔を持った地域だ。駐車場に車を止めて夕方の道をてこてこと歩いて上る。まずミカン畑、柿の実の朱、黒い板壁が続く小道をカメラを抱えて歩く。脇を流れる小川は白く濁っている。「この水じゃ印象悪くなりますねぇ」とメロンさんも被写体に苦労している。
法華寺まで歩いてUターン。4時半のチャイムが流れてくる。「暗くなっちまうぞ」と通りがかりの自転車のおじさん。
とりあえずメロンさんを宿に送り届ける。さて、夕食はよし寿司。3人では予約の取りようもないので早めの時間に行く事にしたのだが、TANUKIが帰ってこない。ようやく携帯が繋がって「オレは後から自転車で行く」と言うので一足先に待ち合わせ場所の駅に向かう。
小あがりでしばしお預け。と言うのも寂しいのでお刺身の盛り合わせを頼む。残念ながら生シラスも生桜海老もこの日は入っていない。後からやって来たTANUKIが「大井川は漁があった」と言うがこちらの仕入れ先は別。でもカツオもサンマもヒラメも美味しかった。初めの盛り合わせのサンマは酢じめで、後からTANUKIがしめていないのを頼んで食べ比べ。
TANUKI1人ご機嫌に冷酒。我々はお寿司。かくして1日は暮れてゆく。翌日も雨。夕方の約束をしたのでメロンさんは朝寝を楽しんだようだ。午後からは雨をついて島田の方まで足を伸ばしたそうだ。
焼津はおいべつさん(恵比寿講)。西宮神社は駅の側にある。まず家で夕飯。刺身にはんぺんフライのお客さんが来た時の定番メニュー。
一休みして雨の中を駅の方まで歩く。いささか時間が遅いので道は空いている。傘をさしカメラを抱えて露店の間の細道を歩く。鳥居の前の混雑もなくお参り。TANUKIが縁起物の熊手を社務所で買い、「トイレ…」とスタスタと商店街を歩いていく。そのまま行きつけの写真屋に飛び込んでしまった。待つことしばし、店の招き猫の黒猫あじちゃんを肩に乗せて出てくる。このネコ16歳。まだまだ元気だ。
落ち着いた所で大熊手を売る角の露店を見に行く。カメラを構えていると店のおじさんがおしゃべりにやって来た。雨がまたきつくなってきたのでお茶でもしようと喫茶店を探したが、もう店じまいをしてしまっている。コンビニの場所が知りたいと言うメロンさんを案内して、そのままお宿を素通りしてまた駅まで3人で戻った。
今回の一緒の遊びはここ迄。メロンさんは明日も1日焼津近辺を巡る予定だ。そして帰り道では『風の頁』仲間の不良宮島さんと会うのだと言う。
03/11/17
中東がまたきな臭くなっている。アメリカは自軍の死者が増えているのでイラク北部で本格的に掃討戦。アフガニスタンでも国連の女性職員が何者かに撃たれて死んだ。イスラエルも相手を刺激するような事ばかりやっている。アルカイダは国境など関係なしに爆弾テロ。日本も来たらふっ飛ばすと言っているようだが…。
日本の国益だけ考えれば、中東諸国が安定して日本に適正価格で石油を売ってくれれば良い。そのために我々が出来ることは何なのか。火に油を注ぐようなことではない。
確かに混乱状態の所へ出て行って亡くなるのがJAICの職員や警察官などばかりと言うのは納得がいかない。が、理屈の上で自衛隊は国と国民を守るために武器も扱える職種であり、持ち場である国を離れる必要はない。それより遠い所での国を守る仕事は外交官が外交を通してやるのだと、日本は今の憲法を作る時に決めたのだから。
03/11/15
J1、日本平で清水vs浦和戦が行なわれた。浦和のエメルソンが居ない飛車落ち戦だし、ホームの利はあるが正直言って勝てる気があまりしなかった。
浦和はとにかく波に乗っているし、スピードが最後まで落ちない持久力が付いてきた。しかも彼らの多くが静岡育ち。対してこちらは頼りになるのはベテランばかり。それも個人の力に頼りすぎている。
思ったとおりに振り回され、イエローカードのコレクションになってしまった。その一部は確かにファールだろうけどイエローが出る?という微妙なもので、審判さえも見切れない浦和のスピードに利があった気もした。
後半途中で沢登が退場、さらに高木も退場と追い詰められたが、安のゴール!試合というものは分からない。この前後からさすがに疲れが出たのか清水の動きが悪くなりヒヤヒヤしていたのだが、浦和も調子を合わせるように動きが緩慢になっていた。こればかりはホームの利だったのだろう。
しかし、森岡も足を痛めたようだし、次の試合はアウェイでまたきついものとなる。
03/11/14
『赤毛のアン』の作者ルーシー・モンゴメリーはほぼ1世紀前のカナダの人である。1874年生まれなので、19世紀末の教育を受けた事になる。
名士のお嬢さんで若い頃には学校の先生をし、遅い結婚で牧師の奥さんになった。
『赤毛のアンは』ほぼ彼女自身の人生の時間軸と共にアンの成長が書かれているが、まだ女性が政治に参加する前の時代である。しかし、若いアンが通りかかった道で選挙の買収の場面に出あったり、選挙に狂奔する男達が何度も描かれていたり、アンの子供達が大人になる頃、第1次大戦の最中に女性にも選挙権が一部与えられる事(一家の主が出征している場合は妻が投票できる)に付いての批判が入っていたり、なかなかキッチリと選挙というものを見つめ続けている。
03/11/13
色々な事に気を取られているうちに、また若い牛の狂牛病が発見されたそうだ。せっかくの全頭検査を原因究明に生かして欲しいものだ。
そして各地の鯉がコイヘルペスで死んでいるようだ。他所から新しく入ってきた病原菌のようで、霞ヶ浦などで大量死も出ている。どうやら色々な形で色々な河川に入って来たようだが、対応策を早く出さなければならないだろう。
いまや、地球上のどこにあるものでも機会があればすぐやってくる。「入ってこない」と呪いのように言っているよりも、いずれ来るものと思って対応策を考えておく事が大切だと思う。
03/11/11
昨日の午後からみゆが体調をこわしたようで吐きまくっていた。何匹も猫がいれば誰かが交互に何かやってくれるので、まず様子を見る。しかし良くなる様子もないので今朝は獣医さん。
ものの見事な便秘だったようだ。お腹の上の方まで硬く詰まっている。元々後ろ足が悪くて踏ん張りが利かないので、数ヶ月前にも一騒動だった。それ以来毛玉防止用のおやつやドライフード(要するにネコの基準で繊維の多い食品)を食べさせているのだがご利益がなかった。もっとも今回は砂場で騒いでもいなかったが。
昨日から食べずに吐きつづけていたので、吐き気止めと栄養補給の注射をしてもらって浣腸。ケージを借りて帰ってきた。しかし、狭いと1回ごとに片付けなければならないので、慈郎のケージを引っ張り出す。砂箱・水と共に半日入れておいたが、「出せ、出せ」と大騒ぎだった。
みゆが大騒ぎをしているのにクーが膝の上にやってくる。確かに今日は寒いが、妙にベッタリとくっ付いてくる。なぜていると白黒ネコとの秋の陣で傷だらけ。肩の傷が膿んでいるので、深いようだったら明日は病院行き。
みゆの相手をし、クーにくっ付かれているとクロンが不満そうに座っている。結局クロンも抱え揚げてヨシヨシとかまいつける。
夕方みゆは無事に釈放、じいちゃんの部屋に逃げていった。クーとクロンも今ようやく一緒に籐椅子の上で丸まって眠った。
03/11/10
さて選挙結果が出揃った。与党全体は絶対多数だが、自民党はかき集めてトントン。結局野党の民主党は40増。公明党は与党としての売り込みと結束力で組織を守ったが、他の小政党は二大政党制に埋没した。
政界全体が二大政党制に持って行きたいのなら、それぞれの政党の哲学、この国をどんな国にしたいのかの大きなデザインが聞きたかった。それに近付けるために今何をするべきなのかが流行語のマニフェストなのではないだろうか。根っこを抑えなくては本物の二大政党にはならないのではないだろうか。
たとえ双方の理想が『誇りを持って国民が「日本人だ」と言える国』を作りたいとしても、それがどんな形のものなのか、どうやってそこに向かって行くのかなどの方法論は違ってくるはずである。(みな同じなら別の政党に分かれる必要がないでしょ)
逆説的だが、次の国会では瑣末な問題を優秀な官僚群が処理してくれているうちに、国民衆目の中でたっぷりと議論を深めてもらいたい。
03/11/9
下から続いて、今日は衆議院議員選挙。
予想通り投票率は低かった。
選挙戦自体、超地元候補者の選挙カーが廻ってきたくらいで、盛り上がりはなかった。都市部でこそ各党も力を入れて街宣活動をしたようだが、私にとってはテレビの中の事。選ぶ手ごたえのない選挙だった。
日本は不思議な国で歴史を遡っても権力の中枢は空洞で良いことになっている。そこはさておいて現実に動くシステムが出来てしまう。政治家が選挙ごっこに現を抜かしている間に、国民は違う世界を作ってしまうという事もないとは言えない。
03/11/8
日本はイラクに自衛隊を出すようだが、根本的な一点を考えておいた方が良い。
紆余曲折はあったが、アメリカが一方的にイラク国土を攻撃し、勝手に終局を宣言した。しかし、イラク側は当事者のはずのフセイン元大統領は行方不明のまま、別に降伏文書に署名したわけではない。したがってその時点でのイラク軍が解体されたわけでもなく、すべての武装解除もなされていないはずだ。これは逆の側から見れば、まだ戦闘の途中であり、戦術としてゲリラ戦法を選んでいるに過ぎない。
他国での戦闘行為の中に入り込むことを禁じた憲法との整合性を先につけなければ、おかしな事になるはずだが日本国の担当責任者は誰でどう考えているのかが伝わってこない。
このままズルズルと進む道は、昔々破局へと続いた道をまた歩んでいる事になるのではないだろうか。
03/11/4
中国で日本人留学生が悪ふざけの余興をやって騒ぎになったらしい。その前はどこかの会社が買春ツアーと思われるような社員旅行をして顰蹙を買った。どちらも中国のマスコミネタになったので、中国の人達は日本人は本当に慎みの無い国民だと思っていることだろう。
一方、日本のマスコミでは日本に来る中国人犯罪者の話題ばかりが出てくる。
人の行き来が多くなれば、当然の事だが、どこの国の人間だとて良い人ばかりが往来するわけではない。
しかし、普通に往来する人々を見ることなく、悪い所ばかりをクローズアップするということは、お互いに引っ越すことの出来ない隣人同士の関係として良い事なのだろうか。
しばらく前に誰もが唱えていた国際化とは、アメリカ風の生活をする事でもなければ英語が話せる事でもない。色々な考え方、色々な風習を持った人々が広範囲に行き来する事に対応できる人間になる事であるはずである。
03/11/1
3連休初日。あちこちで「旅に出るーー」と言う話を聞いているとついどこかに出かけたくなる。
そこでお手軽に井川までのドライブ。
つい癖でR150に出てしまったが、R1のバイパスもかなり整備された。ともかく静岡の町を安倍川から西河内川に沿って北へ。南アルプスに至るまでずっと静岡市である。しかし市街地を過ぎれば、畑と町のサンドイッチがずっと奥まで続く。
残念ながら紅葉には少し早い。もっともすっかり葉の落ちた落葉樹もあるので、今年の紅葉の色があまり良くないのかもしれないが…。横沢でトイレ休憩。
川沿いの道をえっちらおっちらと登っていく。途中でバスとすれ違い。細い道なのでタイミングが悪いと苦労するのだが、まさに先行車がど真ん中を走っていて、しかも狭い道でのすれ違い。お付き合いでこれ以上下がれない所までバックさせられた。全体に山道をせっかちにすっ飛ばしていく車が多い。タイムトライアルではないのだから、そんなに急がなくても良いと思うのだが…。
夜来からの雨で道が濡れている上に落ち葉、あまり車を飛ばす条件にはなっていない。しかし、登って行くうちに空が晴れてきた。
富士見峠で一休み。農家の人の出している売店でTANUKIが大なめこを買う。展望台からは南アルプスの山々が見える。紅葉には少し早いが野菊は満開。そこここで花を咲かせている。
ここから少し井川湖側に降りた所の食堂で昼食。店の外でおでん・豚汁が良いにおいをさせている。でも店で山女蕎麦。女将さんが「どうぞ。美味しかったら買っていって」と刺身こんにゃくを出してくれた。こんにゃくは買わなかったがTANUKIがクリタケを手に入れる。ハイシーズンなので一族で手伝っているらしく、小学生位の子供達が店の手伝いをしながら数人で遊んでいる。明日は井川湖紅葉マラソンがあるらしく、道路には横断幕が出ている。
眼下に井川湖の水色が見えてからが長いのだが、とりあえず井川ダムの駐車場へ。きれいな紅葉が近寄れない所で日に輝いていたが、桜の紅葉や何かの赤い実を写真に撮ってみた。
次はすぐ側の井川駅のみやげ物屋。今度はTANUKIが大椎茸をより出す。
先に進んで井川の本村に入ると南アルプス絵本の郷。絵本を楽しむのには¥300の入場料が必要だが、ビジターセンター(おみやげやさん&喫茶店)はそのまま入れる。一休みしてハーブティー¥300。
ここから引き返して夕日の道を下ってきた。登るはともかく、2速にギアを落としても転がり落ちる道。5時頃には買い物をして家に帰り着いた。