04/2/28
関西での鳥インフルエンザが大事になってきた。
隔離は理解ができるけれど、全部を殺処分にする事ははたして正しいのだろうか。今騒ぎになっている国の中では多分日本が検査体制も研究体制も一番整っているのではないだろうか。慌てて取り片付けるよりも対象を観察し、研究する視点を持ち、解決の道筋を見つける事も大切なのではないだろうか。
ウイルスも基本的にはたんぱく質なので焼却すれば無くなるのだろうが、土に埋めるというのは大丈夫なのだろうか…。
それよりも気になるのは、今回の鳥インフルエンザは殺鳥ウイルスであって、人間に直接感染する可能性は低いのに、食品の問題となりつつある事である。一番大切な事は養鶏場から養鶏場へと飛び火して、我々が食べる卵や鶏肉が無くならないようにする防除で農水省の仕事である。もちろん食品としての安全性を担保する厚労省の仕事も大切であるが、マスコミの騒ぎ方は筋が悪いような気がする。
もちろん鳥を殺すパワーを持つウイルスなので、体調が悪くて免疫力が弱っている人が感染する恐れが無いとはいえないし、ころっと殺人ウイルスに変異することがあるかもしれないが、今一番大切な問題からは外れているような気がする。
04/2/27
東海地震の注意情報にどう対応するか、NHKで色々とシュミレーションをしているのだが…。
まず、学校。保護者が迎えにきて家に帰ることになっているのだが…、仕事に出ている人は右から左にすぐというのは無理、学校・保育園などが職場ならば預かっている子供達を送り出さなければ自分の体は空かないことになる。これがお役所や病院勤務となれば呼び出しをかけられる訳で、迎えに行くことができてもその後、自分の子供を安全に過ごさせることができるのか疑問がある。
また病院も軽症者の退院や診療制限をすることで災害時の対応の準備をするつもりのようだが、無事に地震が来れば良いが(?)空振りだった場合、そのために加減が悪くなったり亡くなったりという事が起これば訴訟問題にもなりかねない。
診療所も休診にして拠点作りに入るというが、逆に診療所は開いてホームドクター制を徹底させることで体調が悪い人に安心感を与える考えを取った方が良いのではなかろうか。ただ行っても断られるとなれば不安にかられた人が軽症・緊急にかかわらず救急車を呼び続けて町がパニックになりかねない事も考えた方が良い。
それよりもこの時点で医者はすべての担当患者に処置状況と処方箋を渡して欲しい。緊急時だからこそ、どの医者や看護士、薬剤師が見ても患者に対応ができる体制をとっておいた方が、災害後の対応がスムーズになるはずだ。実際薬でコントロールをしていれば良い慢性病患者は多いはずで、この分を診察対象からはずしただけでもだいぶ余裕が出るはずだ。
本日最後に問題としていたのが災害弱者の避難についてだった。足の弱ったお年寄り、体の不自由な人だけでなく、急に退院してきた人(お年寄りが多いでしょうね)、小さな子供が何人かいるお母さん、学校から帰ってきた子供達、しかし、手を貸すことになる自主防関係者のほとんどは自宅以外の場所で仕事についているわけである。ピンシャンとしたお年寄りはともかく、彼らをいかに誘導しやや長期間居てもらう場所(今地震・津波が来るというほど切迫はしていないのが注意情報)を確保するかは緊急のテーマなのではないだろうか。
そして、地震がなかなか来ない場合の解除方法も難しい課題だと思う。しかし、土砂崩れと津波を心配して安全に避難できる場所なんてあるのだろうか。地盤が悪ければ立体交差の道路や鉄道、ビルも壊れる。浜岡原発は断層帯の上、安全の計算はされているというが未曾有の災害でそれはいつも覆される。
04/2/25
企業の中での発明の対価が裁判でいくつも争われている。
終身雇用制であった間は出なかった問題だ。終身雇用の中では1人の人丸ごとの評価を企業が買っていたわけだからだろう。しかし、終身雇用制が崩れ能力主義へとシフトしたことで、1つの仕事での評価が企業と社員のギブ&テイクの基となった。十分に評価されなければ頭の中に開発アイデアを入れたまま、アイデアを評価してくれる会社に移ることもできるようになった訳だ。
ルールのないまま混乱を続けるよりも、経営者と研究者の間で合理的な解決を探すべきだろう。
04/2/24
魁新聞の『知的にして痴的な魁掲示板』がしばらくお休みになった。
私のBBSデビューの場所、しかもいかにも下町の長屋風に気さくな大人のサロンとして運営されていただけに残念だ。
多重HN(ハンドルネーム=投稿名)問題や他所からの記事のコピー、返信の多用など、何度か問題を起こしながらも、自治的に解決できてきた。ボランテアで運営の中心になっていた副編さんも初めの頃は投稿や投稿者のチェック役というよりもメンバーの一人として加わっていたはずだ。
その副編さんの仕事が変わってきたあたりから執拗に子供じみた言募り合いが増えてきたような気がする。しかしメンバーの年齢構成が変わったようには見えない。いい大人が自治を忘れた事で居場所を1つ潰してしまった事が残念でならない。
04/2/18
サッカーのワールドカップアジア予選が始まった。
この間終わったのにもう始まるの…、という感じだが、それだけの時間がたったのだろう。
本日のオマーン戦は後半ロスタイムにかろうじて久保が1点を入れて勝ち。見ていて苛立たしい試合だったが、勝たなければ桧舞台に立てないのだから良しとするが、先が思いやられる。
04/2/17
鳥インフルエンザが大分県のチャボに出た。ペットとして十数羽を飼っていたものだそうだ。騒ぎの最中だから情報が上がったものだろうが、渡り鳥説をはじめ感染ルートの解明を急いだほうが良さそうだ。思いの外簡単にウイルスが渡って来れるのかもしれない。
人が悪意を持って作ろうが、自然がほいと出してこようが、危険そのものに変わりはない。そして、自然そのものとの戦いに鉄砲の弾もミサイルも役には立たない。
04/2/15
『身体感覚を取り戻す』(斎藤孝著・NHKブックス)を読んだ。副題が「腰・ハラ文化の再生」となっているように、日本人の体に染み込んだ動きの技とそこから派生する言葉(心理)を考察した本である。
現在のお年寄りまでは確かに伝わっていた『腰を据える』『肚を決める』『自然体』など体感を伴った心理的な言葉が、それ以後の世代に伝わっていない事を心配している。これこそが「日本の伝統的な身体文化」だとの事である。
まだ受け売りなのでうまく伝わる文にならないが、歩く・たくさんの荷物を持つ・体全体を使って労働をするなどが日常生活から遠ざかっている今、大切な事なのではないかと思った。
著者は今、現実的な回帰点のモデルとして、昭和20年代〜40年代の子供たちの身体性をモデルと考えるべきではないかと提示している。
私の子供時代も含まれるが、テレビゲームどころかテレビさえも各家庭に無かった時代、運動嫌いの私でも結構遠くの友達の家まで歩いて遊びに行ったし、馬跳びやゴム段などを暇つぶしのようにやったり、鬼ごっこなどで結構走り回っていたものだった。
04/2/14
例年は節分明け早々にお参りに行く法多山へようやく出かけた。
今になってR1をエコパに行く道の整備が進み、道標に従って行ったらあれよという間にいつも入れる駐車場の手前に着いてしまった。
スタートが遅かったので、まず門前の食堂に入ってお昼を食べる。お店はそれぞれ何時の間にか改装されたり建て替えられたりしてきれいになったが、お蕎麦にしろ丼物にしろなぜか郷愁を感じさせるものが出てくる。今日入ったお店も思いっきり甘目のたれの親子丼。
重文の仁王門を通って、杉の並木道を登っていく。途中から階段。脇に巻き道の上り坂があるので私は何時もこちらを通るがTANUKIは「くじいた足が…」と言いながら階段を上る。上で待ち合わせ。
お参りをしておみくじを引いたら私は昨年と番号まで同じ『凶』。TANUKIの方は『大吉』。たっぷりと厄をなすりつけておみくじ結び用の鉄塔に結んできた。TANUKIは「俺はどうしよう」と言いながら結局結んだようだった。
帰り道でもちろん厄除け団子を食べる。
お土産も買って、帰りは逆方向へ出てみる。小笠山の裏を回り込むような形で大須賀町から大東町へ山道を抜けて行く。TANUKIは下心があったようで、県道69号線への方向指示を出す。先週のOB会で夢咲牛を売っている店をJAの人に教えてもらったようなのだ。しかし、行けども冬枯れの田んぼと新興住宅地、そして茶畑。高天神城址や塩の道博物館?など次の目的地にしようと心にメモする案内板は色々あったが、何時の間にかR150相良町へ出てしまった。
後は素直にいつもの道、藤守とマーミの所へチョコレートならぬお土産の厄除け団子を置いて帰ってきた。
04/2/12
2/10に書いた事に続ける。
そもそも猫と人間との共存関係の元は、ネズミの害から人間が守ってもらうためのものであった。食料であったり、経本であったり、お蚕だったり、時には赤ん坊だったり、総じてネズミに襲われやすいものをネズミを捕食する猫を仲間にすることで人間が助けてもらう側だった。そのために人間は居心地の良い猫の住処を用意した。食事は?もちろんネズミ。不足をすれば猫が良く働いている証拠だから人間の食べ物を分けたかもしれないが、猫は肉食主義者なので日本ではありがた迷惑であったかも…。しかし、日本の猫がアジやイワシなど近海の魚が好きなのは、長年の人間との良い関係が遺伝子にまで刷り込まれている結果ではないだろうか。
彼らの守備範囲は家とその周辺、だから、留守番をしながら家の仕事をするおばあさんやお寺の和尚さんとは古くからペットとしても良い関係を築いている。
もう1つ、彼らが考えていない役割があった。ネズミを駆除する事で出来る伝染病予防である。中世ヨーロッパで魔女狩りの余波で猫を虐待した結果ペストが大流行した。
ペットとしての猫より、ネズミを狩る猫のほうがはるかに猫らしい。猫の糞が汚いから猫は家の中で飼えの、増えすぎると困るので去勢をしろのと言っているうちに、本来のネズミを取る技術のある猫が居なくなった時、人間がネズミや病原菌に襲われても自業自得、現代日本人が生物としての猫を大虐待した結果である。ついでながら、猫が中国から入ってきて一般に広まる前までの長い間、その役割をしていたのはアオダイショウを主とする蛇ではなかったかと私は思っている。彼らもよくネズミを捕る。猫以上に住みにくくなっているであろう蛇たち、はたして猫に見放された時にも生きているだろうか。
04/2/10
『牧太郎の二代目魁新聞』の牧編集長の今日のヘッドライン日記の「通りかがりの猫が糞をしていって困る」と言う話にちょっと引っかかって書いてきた。以下転載。
猫の撃退法、お教えしましょうか?
どうしても来てもらいたくなければ、猫が通る度になるべく鼻面をめがけてコップ1杯位の水をまきます。猫だっていやな事は回避しますから来なくなりますが、すべての猫が覚えるまで繰り返す根性が必要です。
水ですので猫が怪我をする事もまず無いので、飼い猫でもトラブルになる事は少ないので、悩まされている方は試してみると良いかもしれません。
しかし、猫にとっては猫の町、人間共が勝手に縄張りを決めるのは許しがたいと思っているかもしれませんよ。
猫だって生きているからには食べて出すのは理の当然。
昔はあまり気にならなかったのは犬や猫が変わったからではなく、地面に住む虫や微生物が片付けてくれていたからです。
コンクリやアスファルトで地面を固めて彼ら小さな生物が住みにくい環境を作ったのは人間です。
04/2/9
昨日は農大の進士五十八学長が静岡市で講演会を行った。
もちろん校友会の県連挙げてのバックアップ。
県連の連絡幹事の先輩は秋から準備に忙しかったが、こちらもパソコンで連絡を取り合える範囲でお手伝いさせてもらった。
pm2:00開場ではあるが、準備もあるのでとのことでpm0:15集合に間に合うようにTANUKIも引き連れて行った。
静岡支部の若手が大量動員されて動き回っているが、誰が誰やら分からない。とりあえずもう1人の女性と接待の準備。学長はじめ県連幹部の控え室のお茶の仕度をする。時間も人でも十分あるので、思いつく事を色々しながら話しているうちに彼女は花卉研の大後輩である事が判明。前回の静岡県中部の校友懇親会、花卉研の世田谷最後のOB会でも会っていた。
待ちかねている所に顧問の平井清水町・望月由比町・木下榛原町・黒田小笠町の各町長、菊地県支部長、各副支部長や北村氏、鈴木氏など主だったところが入れ替わり顔を見せちょっと世間話をしていく。最後に学長と戸神校友会長、小沢顧問が登場。
会場での菊地支部長の挨拶は我々は失礼して後片付け。学長の講演の出だしの頃に会場に滑り込んだ。
学長は造園が専門なので、話は環境としての緑地(生物の住まう場)の話になった。科学で解明できる部分の外にある心情的な環境こそ必要だと言うような形を実践例や各地の図面(公園や町の空間など)などをたくさん例示して進められた。さて、講演会の後は懇親会である。そのまま受付をやるようにと言われていたので、急いで行ったのだが、8Fから階段を駆け下りて会場のビルへ着いた頃にはみな同じように移動した訳でごった返していた。
受付は支部ごとに分けたので、「うちの会の受付がやっと来た」「名札は並べといたよ」と先輩方に言われながら志太常磐松の受付開始。人によっては「どちらからいらっしゃいましたか」と受付の引渡し。幹部の座席指定を言われていたが、すっかり忘れて「先輩お願いします」と会場に行く先輩にもらった名簿ごと引継ぎ。立っているTANUKIにも出席者名簿をひとつかみ、「渡せなかった人に渡して」と押し付ける。ついでに今回も『志太常磐松会たより』を他所の支部の方にも見てもらおうと持っていって北村先輩に分けてもらった。
懇親会場は超満員、挨拶・乾杯と続いてすぐ人々が動き出す。あちらこちらで話の輪が出来る。私も声をかけたローバークルー部の先輩2人としばらくぶりでお会いして懐かしかった。もっともお二人とも教員なのでTANUKIとの話しに盛り上がっていたが。
これだけの会場に女性は3名。我々と短栄卒で管理栄養士をしている私より少し先輩の方だった。
途中で応援団OBのリードで学科を歌い、さらに盛り上がった。
開始が早かったのでpm7:00過ぎにお開き。楽しいひと時だった。
04/2/7
東南アジアでポコポコとあらわれている鳥インフルエンザ、今のところ人には大きな広がりはないようだ。しかし、ベトナムで豚への感染が確認されたそうだ。豚は鳥と人の両方のインフルエンザウィルスに罹るという。豚自身は死ぬような事はなく、体内でウィルスの遺伝子組み替えが起こる事もありえるらしい。つまり、鳥を殺しているウィルスが人に感染するウィルスに化ける事も無いとは言えなくなったという事だ。
東南アジアの農家では、専業の畜産より他の作物を育てつつ庭先で豚も鳥も飼っているのが普通なのではないのだろうか。いつ化け物が現れるかもしれない中に我々は今居る。
中国で大量の渡り鳥が飛んでいる途中でバラバラと死んで落ちてきたというニュースもあった。
日本はアジアの隅っこに位置している。うかうかしていればテロとの戦いより大きな犠牲を伴う戦いに臨まなければならなくなるかもしれない。
04/2/4
記憶というものは面白い。1度きりの事は意外とよく覚えているものだ。また毎日のようにしている事も体の中に記憶が埋め込まれている。
しかし、半端に何度かやった事の記憶というものは混ざるものらしい。
山道のドライブが面白くなって以来、年に1〜2回の割で信州の方まで出かけている。新津で不幸があって以来、法事で新潟方面にも同じルートをたどって出かけている。急ぎであれば最短ルートなり疲れないコースなりを選ぶが、たいていはドライブがメイン、少しずつコースを変えたり、寄る場所を変えたりしながら遊んでいる。
今回の『我が家探訪 富山編』もいざ思い返そうと当時の地図をにらんでも、ルートに整合性が無く、よくよく思い返してみると違う時のコースのようだ。あれが必ずしもその時たどった正確なコースかどうか、今でも100%の自信があるわけではない。
けれども、暑かった夏、長かった道の記憶は同じような道をたどった何度かの記憶の縄となって思い返される。
04/2/3
自衛隊の本隊がイラクに向けて出発したようだ。
国会での論議は、国民が納得するほどなされただろうか?やってた?本来、準備は出来ていても、国民と国会が議論を尽くしてOKとなってから出て行くからシビリアンコントロールと言うのだろうが、日程表が先に在りで良いのだろうか?
04/2/1
ふと天気予報を見たら花粉情報が始まっていた。まだ飛んではいないようだが、今日から2月。気になって慈恵医科大の花粉症ページも見てみたら今シーズンの更新が始まっていた。
昨年の冷夏の影響で今年の花粉の飛散量は少ないらしいが、この冬は富士山の雪も少なく、大雑把に暖冬、飛散開始は早そうな気がする。
この『…気がする』と言う第6感、現代人は衰えているのではないだろうか。目の前に見せられて初めて慌てる、動物としてのヒトの能力が落ちているのではないかと心配なのは私だけだろうか。