ちょっとした感想   

04/6/29

   本日は志太常磐松会の大先輩方3名に誘われて農大の富士農場の新宿泊棟を見学に行った。
   am9:30、きっちりと約束の時間に誘いに寄って下さった。今日は後部座席でのんびりさせて頂く。東名高速富士ICから西富士道路、R139を行く。朝霧高原に農大の農場はある。
   学生時代に人間関係研究会で毎夏休みにお世話になった施設はそろそろ老朽化して取り壊しになるようだ。新施設は通の少し手前の方に管理棟・宿泊研修棟、牛舎・鶏舎などの飼育棟などがしっかりと整備されている。
   まずは管理棟にご挨拶に寄って宿泊棟を案内して頂く。新館はドアを開けたとたんにプンと木の香が漂う。まだきれいな玄関だが畜産実習が主なので長靴用の下駄箱も奥に用意されている。部屋は空調付きで広く、荷物棚も別にあるのでゆったりと感じる。食堂兼研修室になるはずの広間も壁面全体がガラスで明るく軸組みを見せた建て方もシンプルでおしゃれだ。
   隣にある旧館(これだって私には新館…)は角のない建付けをコンセプトにしていて、ちょっと面白い建物だ。洋間は4人部屋だが、6畳+半端に板の間の和室もあって秋篠宮ご一家もお泊りになったそうだ。部屋がゆるくカーブをする一直線に段々高くなっていくように並んでいる。2Fは食堂。ここも両側が窓で明るい。残念ながら富士山のある側の窓の前が杉木立で、今日は雲って見晴らしも良くないが、どの位見えるのかは分からないが…。
   しかし、本館に戻って案内して下さった島野事務室主任さんが撮った写真を見ると、この実習棟の上にド〜ンと富士山が浮かび上がる形となる。実は今回メンバーの3人までが写真好き。写真の話でしばらく盛り上がり、島野さんが撮られたという農場から見た富士山の絵葉書と『西富士100の素顔』を頂いてきた。
   ここから車でほんの少し奥に行くと私にとっての懐かしの富士農場がまだある。県のキャンプ場にもなっているはずで、今日も神奈川県の子供達が宿泊訓練に来ていた。こちらは農場としては放牧場と牧草地で広々とした中で牛がのんびりとしていた。池の先の小屋には水牛とリャマ?が飼われていてちょっと側まで見に行ってきた。

   ひとまわりして帰り道を田貫湖へ。この田貫湖も貯水用に作られた人造湖だそうだ。今はその周りがキャンプやヘラブナ釣なども楽しめるリゾート施設になっている。富士山を写すポイントとしても良い所だそうだ。ここでお蕎麦を食べて白糸の滝へまわる。平日なので人出はそれほどでもないがこのところの雨で水量は豊富で見ごたえがあった。その後「まだ早いから」と行った桜の名所になっている霊園は火曜日がお休みで門が閉まっていたが、広くて見晴らしも良いそうだ。
   この当たり一帯は戦前、戦車学校があったそうで、今もモニュメントがあるそうだがそれは看板で見てお話を聞いただけで西富士道路から東名高速へ。高速に乗ってからようやく空は明るくなってきたがとうとう富士山の天辺は顔を出さなかった。
   pm3:30頃一番暑い時間に焼津に到着。志太常磐松会でバーベキューをやりに行こうよという下見だったが、10月頃には是非やりたいねという事になった。

04/6/26

   本日の夕刊に長崎の学校での事件で、事件を確認して救急車を呼び救急車が来るまでの10分強の間、教職員もパニック状態で状況を把握しきれていなかったらしい。駆けつけた救急隊員に直接、加害者の少女が何があったのかを説明をしたらしい。
   第一発見者の6年の担任がパニックを起こしても仕方がない。普通に日本で生きてきた人間は血の海など見慣れてもいないし、かかわったのが自分のクラスの子供達だと知ればショックを起こしてもおかしくない。
   しかし、職員全員がショックを起こしていては困る。養護教諭や体育教師などは救急法もどこかで習っているはずで、本来彼らが倒れている子供の救護に当たるべきだし、一方の一緒に居た子供(加害者)が怪我をしていないか、何があったのかを聞き出すのは生徒指導担当者なり校長や教頭なりが当たるべきではないのだろうか。そのための公務分掌だし、学校の責任の果たし方ではないのだろうか。

   東京の事件の少女は帰国子女だったらしいが、日本という国に順応しないまま学校が扱いかねてしまったらしい。
   大人がきちんと大人の役を果たさなければ子供達はますます暮らしにくくなり、少子化もすすむのではないだろうか。

04/6/23

   今度は東京でマンションの5Fから中学生の女の子が幼児を突き落としたらしい。
   一連の事件を見ていると身体は大きくなり頭に知識も詰まっているのだろうが、生きる力・生きる知恵が育っていない事を感じる。
   目の前の問題に対していくつもの解決の選択肢を思いつき取捨選択をするのが知恵である。学校教育はマルバツの二者択一、正解が1しかないテストばかりを教えて知恵を付ける事を忘れているのではないだろうか。

04/6/21

   台風が四国に上陸。まだ6月だというのに今年2つ目か?
   昨夜、帰って来る時も清水に入ってからはザッと雨が降ったり、波もかなり高かったりしたが、今日の午後は風も加わって台風模様。
   洗濯はしたもののあまり乾きそうでなく、片付けも出来ないが、パソコン仕事の片付けだけは大分はかどった。

04/6/16

   新潟へ出かける前の準備で地図を調べている。
   ピンポイントの地図を得るのにはインターネットの検索はかなり便利に出来ている。しかし、ルート検討をしようとするとまだまだ高速道路でもらったエリアマップの重ね合わせの方が便利だ。道路は繋がってこそ役に立つのだが、太平洋側から日本海側へ出る道はあまり検討の仕様がない。時間・距離・料金・給油地・SAや道の駅、知りたい事は色々あるが、情報を繋ぎ合わせるソフトはあるのやらないのやら…。

こんなページはあるのですが、お勧めコースは関越道経由。東京まわりでなど行きたくない…。

http://www.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/~www/KATSU/SMAP/smap.html

04/6/14

   日本の出生率は下がり続けているらしい。しかし、食料自給率は50パーセントを切っている。養いきれない人口を抱えながら人口が増えないと騒ぎ立てるのもどうかと思うのだが…。
   ところで、あなたは毎日が楽しいだろうか?今あなたが住んでいる土地が好きだろうか?自分の仕事の誇りを持っているだろうか?最後に、あなたは子供時代を楽しく過ごしただろうか?
   この質問に『はい』と答えるあなたなら、年頃になれば1人で居るよりも家族とともに居る方がもっと嬉しいという考え方にならないだろうか?
   子育て期間が女性の仕事のキャリアにマイナスに働くとか、子育てにお金がかかりすぎるとかいう経済的な問題は、実は瑣末な問題、言い訳のための問題のような気がする。
   しかし今、人と直接心を開いて接し合うことが苦手な若い人が増えているのではないかという心配はある。相手の心の中ばかりを探ったり、相手を受け止めずに自分だけ受け入れてもらおうとしたりの関係では、子育てのベースとなるカップルが出来ず、夫婦の形から考え直さなければならなくなるかもしれない。

04/6/13

   学校という場の究極の目的は人と如何に接するかを学ぶ所ではないかと思っている。もちろん読み・書き・ソロバンは大切だが、学んだ内容にどれだけ心を留めているだろうか。学校の思い出といえば学んだ学習内容よりも先にクラスメートや先生、学校の佇まいなどが出てこないだろうか。
   そのうちにゆっくりと思い出を振り返ってみようと思うが、人付き合いが苦手でマイペースで動く私は小中学校とも『要注意』の申し送りのある子供だったと思う。良くも悪くも突出した子供はまだ良い。何をやっても中くらいという子供は印象のないままに流されてしまう。
   今は親子、教師までが平均値を求めて一人一人を見えにくくしているが、だからこそ個性を大切になどという目標が生まれるのかもしれない。

04/6/11

   突然キレル子供に大人がびっくりしている間に、彼らは成長してすでに親になっているようである。最近の乳幼児殺しや虐待の親側の言い分が『泣き止まない』『言う事を聞かない』『懐かない』etc.と。赤ん坊は生まれてきたとたんに別の個体として別の意志をもってくる。お母さん・お父さんと同じ事など考えない。自分を強く主張する。それに辛抱強く付き合いながら同じ時間・空間を共有する事によって家の子供になってくる。「お父さん、お母さんが大好き」という子供に育ってくる。ここまでの我慢が出来ないとすべてのリズムが狂ってしまう。
   しかし、子供の要求のままに親が振り回されてしまっては家庭という社会の生活が崩れてしまう。夜は眠るものだし、食事の時間も決まっていた方が良い。静かにすべき所で静かにしていられるようにもならなければならない。意思を伝え合うための言葉も覚えなければならない。これらは家庭でのしつけである。
   また、医療の進歩で乳幼児死亡率は著しく低いが、逆にアレルギーや自閉症など心身の持病を持った子供は増えている。これらを早く発見して保健師さんやお医者さんと対応を考えるのも親の仕事である。
   そして、親のやるべき事も教えられていなければ上手くこなす事は出来ない。「勉強だけしていれば良い」と突き放して育てた覚えのあるおじいちゃん、おばあちゃんは、孫のためにも自分の子供が親としての基本を学んでいなかったら「親になれば子に教えられる」などと暢気な事を言わずに、しっかりと親が親になるべくサポートの手を延べるべきである。

04/6/10

   自分のための誕生祝に北村薫の私と円紫さんシリーズ全5冊を買った。もちろん文庫化されたからだが…。文学部の学生の『私』が学部の大先輩の落語家、円紫さんと出会い日常の小さななぞに出会いながら卒論を書き、出版社に勤めてしばらくまでの成長物語であり、落語やさまざまな書物の薀蓄論であり、推理小説にもなっている。
   図書館で出会って借りて読んだのはずいぶん前だが、心を捉えられたシリーズだった。
   買ってまっ先に読み始めたのが一番の長編(1冊で1話)『秋の花』。主人公『私』の高校の後輩が文化祭を前にした学校の屋上から墜落死する。この子と幼い頃から対のようになっていた親友の様子がおかしい…。小学校以来の先輩『私』も巻き込まれていくのだが。
   推理小説なのでこれ以上話の中に入らないが、↓の事件を考えるに当たって光は見えてこないだろうかと心のどこかで考えていた。
   死んでしまったお子さんについてはそれこそ気の毒だったとしか言えない。死なせてしまった方は、心が落ち着き成長した時に、「ごめんなさい」をいう相手はすでに亡くなってしまって居ない。この闇に寄り添って導いていく責任が大人にはある。

04/6/2

   昨日、九州で小学6年生の女の子が学校で同級の女の子を殺した。細かい事は分からないが、カッターナイフで頚動脈を切ったらしい。
   またぞろ「命を大切にする教育」などと識者が言っているが、頭の中だけを教育してもまたまた大人を驚かせる次の事件が返ってくるだけだろう。肝心な事は取っ組み合いの喧嘩も含めて感情をコントロールしコミュニケーション能力をつける事である。腕力も言葉も心のありようも訓練されないままでは成長しない。うれしかったり、悲しかったり、悔しかったりを経験し、どう対処するのかを1歩ずつ体験し心を成長させていくしかない。
   怪我を恐れたり危険なものを遠ざけるよりも、危ないからこそしっかりと経験させる事である。
   チャット仲間だったと言う事を大きく取り上げている報道もあるが、その前に毎日同じ学校・同じクラスに通っている11〜2歳のすでにけっこう分別のある子供がちょっとした喧嘩で収まらなかった事に今回の最も大きな問題点があると思う。

04/6/1

   6月1日、衣替え。しかし、昨日まで蒸し蒸しとした暑かったのが、本日は梅雨寒。実は東海地方はまだ梅雨には入っていないらしい。けれどもずっと梅雨のようなお天気。
   衣替えと言うが5月半ばから半そでで充分な気候だった。今日は逆に半そでではちょっと寒いかなという気候。どうも身体がついていかない。
   例年通りだとこのあたりは6月10日前後が入梅となる。

5月    7月