04/8/31
右手の親指側の手首にだいぶ長いお付き合いのコブがある。ほとんど目立たない事があると思うと、標高が増してグリグリとうっとうしい事もある。手首を曲げるとグリッと痛かったり肘が重かったりするのはこいつの余波ではあるまいかと心配になって、近所の出来たばかりの整形外科へ行って来た。
結果、「中身を抜いてもまた出来るかもしれないけど」とゼリー状の内容物を太い!!注射針で吸い取ってくれた。「穴を開けたのだから今日はぬらさないように」と看護婦さんに包帯を巻かれて、山のように処方されたシップ薬を買って帰ってきたが、あまり状況は変わっていない。
ただし、これ、懐かしい痛みが伴っている。中学時代からおなじみの腱鞘炎。昔は「そんなに勉強しているとも思えないが…」と担当の先生にからかわれたが、その頃、速記の勉強をしていて、速記録を書き、普通の文字に直し、お清書をして提出していたので、時間だけはずいぶん長く鉛筆を握っていた。
しかし、いまや自力で書いた文字は自分でもうっかりすると読めないほど、字を書く事をしていない。思うにパソコンのマウスとのお付き合い時間が長いせいかもしれない。
04/8/29
本日は市の防災訓練日。昔は防災の日の9/1に行っていたのだが、最近は夏休み最後の日曜日に定着している。
昨日の防災無線での注意報から始まって、今朝は警報、さらに地震発生の花火が上がり、注意と避難を促す放送が入る。各自治体ごとに避難場所に集合して訓練が行われる。
我が家の場合は目の前の中学が避難場所なので、人が集りだした頃に出て行って充分間に合う。私は今回出て行くのが遅くて点呼に間に合わなかったが、今にも雨が降り出しそうな空の下、総勢900名弱集ったそうだ。
訓練はポンプや消火器の扱い方と救護方だが、何度も繰り返す事で身に着けるためには目新しい事が少なくても仕方がない。小学生・中学生も参加してくるので、子供達にとっては新しい事を知る機会ともなっているようで、熱心に説明を聞いて参加していた。
最近は救急搬送の訓練で、物干し竿にシーツや衣類を巻いたり通したりして造ったタンカや、毛布をそのまま巻き込んだタンカなどを使ってけが人を搬送する応用問題に力が入っている。
ついでながら、三角巾の結び目は必ず本結びにするように、そうする事で病院で解く時に解きやすいと言う話があった。
1時間ほどの訓練の後、小・中・高校生は防災訓練に参加した証明書を受け取り(学校提出用らしく、大人はありません)、解散となった。
午後は地域によっては耐震基準変更前に建てられた住宅の市の耐震診断があるそうだが、建物の崩壊や火災が少ないほど、人の被害も少なくなるはずで、診断をするだけでなく、市としてどう対策を立てるのかまで踏み込んでもらいたいものだ。
04/8/27
高速道路・鉄道・郵便、何故分割なのだろうか?
物事は全体で見て考えた方が余程効率的なものもあるはずで、これらはスムーズに繋がってこそ意味がある。
人が国内どころか世界をまたにかけて歩いている現在、分割するなど、おおよそ効率的なリストラとはかけ離れている気がする。
東京や大阪など大都市でなくとも、同じ労力で同じサービスが受けられるようにすること、これが最大の目標だと思うが、鉄道に限れば長距離移動では逆行している。
04/8/25
夏休みももうじき終り、ということで少しドライブに出た。
am10:00自宅発。東名を使って富士まで、西富士道路に入って朝霧高原を目指す。途中もちやで一休み。TANUKIがトイレに行っている間に冷たい朝霧牛乳を一杯。
ここまで来たからには農大の新・旧の富士農場をちょっとのぞいてみる。新しい農場の入り口に日本の国旗と共に五星紅旗が掲げられていたので、中国からお客様が見えていたのかもしれないが中は静かだった。こっそり中に入って前回うまくいかなかった宿泊棟の写真を撮り直そうとしたのだが、本日も曇り。良い写真は取れなかった。
ここから更にR139を北上して朝霧高原道の駅でお昼。名物だというコロッケ定食を食べる。\600で草鞋サイズのコロッケがドンと出てくる。TANUKIはカツカレー。売店でお土産を探す。TANUKIは椎茸サイズのナメコを発見。もちろん手に入れる。ここで手に入れた県東部と山梨の道の駅の地図を持って、本栖湖を回ってR300を通って道の駅しもべへ。ここは下部農村文化公園となっているが、まだ出来立てでどう使いましょう?といった感じだった。一周りしてお土産屋さんも眺め、ソフトクリームを食べる。こちらは日は暑いが風は心地よい。
下部温泉の脇を通ってR52と合流。身延山の側の道路沿いの身延ゆばの里という新しく出来た施設に寄ってみる。今回はお腹が一杯なので見ただけだが、次回はここで食事も面白いかなと思った。
せっせと清水港まで坂を下り、無料になった日本平パークウェーへ。木が育ち過ぎて眺望が無くなったし、頂上で工事をしているし、落ち着かないが、高みから海を見てきた。TANUKIはここで又わさびアイスを買う。もちろん物見高く1口食べさせてもらった。
後は夕日の中をせっせと自宅へ。ちょうどpm6:00に帰り着いた。
04/8/24
今回のオリンピック、華やかなメダルラッシュのようだ。国内が平和なこと、物怖じをしなくなったこと、さらには国際試合に慣れた事など様々な要因があるだろう。しかし、参加し、オリンピックの試合を味わった総ての選手に良かったねと言いたい。
頂点に立った喜びを体験した選手だけでなく、次の目標を見つけたり、新しい世界を見つけたり、様々な事柄に取り囲まれた選手達みんながひとまわり大きな人となって帰って来てほしいものだ。
04/8/21
洗濯機の糸くず取ネットがだめになりそうなので電気屋さんへ探しに行った。結果、3軒回ってどこにも無かったのだが「ありませんね」「おとり寄せになります」「お電話番号を、お取り寄せします!」というそれぞれの対応になった。もちろんどこのお店でも探してくれたのは言うまでもない。
どこで買ったか?それは勢いに押されたところで…。
04/8/20
「やっと休みになったのにどこにも行けない」と言うTANUKIを連れて御前崎の日帰り温泉まで出かけた。
世間は「休みが終わってしまった」ので、R150はトラックばかり。空は夕べ吹き荒れた後で快晴。暑いのだが空の色はどこか秋をはらんでいる。
11時ごろに到着。「やっと孫も帰ったし…」と言うじいちゃんばあちゃんがのんびりしに来ているかとも思ったが、がら空き状態。女湯の方は入れ違いに出て行った2人の後誰も来ずに貸し切り状態。ありがたくノンビリと湯に浸かっていた。特に露天風呂は日陰に入ると風がひんやりとして気持ちが良かった。塩泉なのだがお湯の吹き出し口から飛び散る水滴が、光線の加減でキラキラと小さな菊の花のようになって辺りに広がっていくのが幻想的だった。
秋光や水滴の花流れ寄る DORA
お昼は休息室で高校野球を大画面で見ながら食べる。本日はTANUKIのおごり。先ずビールに鰹の刺身のTANUKIの刺身をこちらから手を伸ばして口に入れる。後はマグロ丼。ヅケになっているので食べやすい。TANUKIはカロリーを気にしてガワ素麺。ガワは魚のタタキとネギなどの香味野菜を入れて氷水で味噌をといた漁師料理だ。
この時間の休息室も空いている。団体さんが入るとカラオケなどで賑やかなのだが、野球を見ながらの「わぁ、ドジな!」と言う私の声が一番響いていたかもしれない。
食後は韓国式あかすりやマッサージ、足裏マッサージなども受けられるが、チープに\100の電動のマッサージ器でコリをほぐす。
TANUKIは昼寝の後でもう一風呂。
帰り道、ちょっと家を通り越して岡部町の玉露の里へ玉露を飲みに行く。夕方の時間どうやら我々が本日最後のお客になったようだ。茶室のしつらえはすでに秋、七草が生けられていた。そしてお菓子の銘は虫の音。しばしの秋を感る事がでた。
04/8/17
今月は日記から遠ざかっている。
上旬は岡山でのお年忌、中旬は夏休み行事で慌しかったが、高校野球もオリンピックもあまり夢中になることもなく、プロ野球やJ1は忘れ去り、新聞さえも斜め読み、せっかくパソコンに設定したテレビもわざわざ見ることも無い。
ちょっと立て直さなくてはまずいのではないだろうか…。
04/8/12
しばらくぶりでTOPPOさんとKANMA氏を誘って飲みに出た。
30代の昔は休み一杯気楽に遊び歩いたものだが、最近はそれぞれに親が弱ってきてなかなか一緒に遊びまわる事は出来なかった。TOPPOさんとKANMA氏が「何年ぶりだろう」と言うほどに…。
それぞれに事情は色々だが、親のそばで暮らすプラスとマイナスの渦の真っ只中に居る。
04/8/9
本日ようやく新しいパソコンをテレビにした。せっかくテレビになるのだから、というだけのものだったが1人でひそかに見る小さなテレビも結構楽しい。思えば一昔前のテレビはこの程度の画面の大きさだったのだが。
しかし、アンテナなど役に立たない所なのでケーブルテレビの配線やら何やらで人手もお金もかかった。
しかも、作業が分業で配線の業者は配線だけ、パソコンの設定には別の担当者がやって来た。
さらに、ケーブルテレビのターミナルとパソコンの音声をつなぐ線のジャックの形が違うので別に必要だとの事。余分な線が1本残り、たいした額ではないが余分な出費になった。分かっているのならば同梱包にせずに、必要な物を組み合わせて売ってくれりば無駄が出ないのにと思った次第だった。
04/8/6
しばらくぶりの岡山は楽しかった。従姉弟の中の最年長なので、叔母達と従弟妹達の真ん中に納まってしまう。しかも今回集った従弟妹達はほとんどひとまわり以上年下、大人になってしまえばあまり年の差も関係ないが、子供の頃の年の差は大きい。対等に遊んだのは日比の長男くらいで、後はお守りをした、遊んであげた子供達だ。下の方は連れて歩いていれば「お子さんですか?」と言われた連中。子育て真っ最中の彼女達の子供を見ていると時の流れが感じられる。(誰?おばあちゃんの気分になれると続くと思ったのは…)
大勢の中でもまれている子供達、我々の子供時代同様に多くの思い出を作ったと思う。