04/11/30
午前中は昨日誘われた主任児童委員がやっている子育て支援のお話会をカメラを持って取材(写真はアルバムです)。瀬戸川を渡った所にあるウェルシップ焼津のホールが会場。実は会場に着いてから道に迷った。入り口あたりに案内表示の1つも出ていても良いのだが、見落とした。
幼稚園前のよちよち歩きの子供達。ママやおばあちゃんに連れられて三々五々と集まってくる。迎える側はかなりのプロ!ドンと構えていて子供の引き込み方は心得ている。
程々に集まってきたところでオカリナの音でお出迎え。初めはお話。広い会場に喜んでトコトコする子供達もいるが、お話に引き込まれている。次は大きな絵本を使って『おおきなかぶ』「よいこらしょ!どっこいしょ!」と子供達も動き出す。
エプロンシアターはエプロンを舞台にぬいぐるみが活躍をする『ねずみの婿取り』。少し疲れてきたところでお母さんと子供でお舟こぎ。ずいずいずっころばし♪で輪を大きくして、ペープサートの昔話を見て、新聞紙を使った簡単な工作もして、午前中のひと時が過ぎていった。お母さん達も元々のお友達が何人かずつ集まってといったところで、全体として纏まったものにはならないが、子供達と一緒にちょっとリラックスできれば良いなぁといったものらしい。今日は迎える側も含めて大人・子供100名近くが集まったそうだ。
このグループ、ほとんどが交代で主任児童委員を降りるが、OGとして読み聞かせなどの子育て支援活動は続けていくそうだ。次は春頃に行う予定だそうだ。
04/11/29
本日は午前中に地区民生児童委員協議会の引継ぎ会。それぞれの担当地区ごと、主任児童委員とも辞める人から新しい人への引継ぎが行われた。1任期3年だが、「こんなに資料があるの」というほどの資料。しかも物によってはそのまま捨てる訳には行かず、福祉事務所に引き渡す物もあるという。もらって来たもののどこに置けば良いのやら。うっかり置けば猫の爪とぎと化してしまいそう。
すごいのは防災用のヘルメットまで用意してある事。「使わなかったよ」との事だが、地区によってはヘルメット着用で防災訓練時にお年寄りなど災害弱者の安否確認に廻っている所もあるそうだ。
来月の地区の会合が月の後半に入ってからとなるので、名簿や電話の連絡網も受け取り、明日は関係の保育園・学校へ新旧会長と新旧主任児童委員で挨拶周り。そして明後日からスタート、何をやるんでしょう…。何ができるのでしょう…。
04/11/28
今シーズンの清水エスパルスの戦いは終わった。見事なほどのボロボロの1年。
若手は伸びてきているが、ベテランからの切り替えがなかなかできない。
もう1つ試合スタイルの中でのキーマンが誰なのか判然としない。このチームの場合たぶん中盤の底に位置する選手だと思うが、全体を見る余裕があること、状況判断が的確であること、チームの選手全体の信頼があることなどが先ず必要だろうか。自前で育たないのならば補強をすべきである。
結局はセンスのある頭脳の勝負。Jリーガーであるなら体力や技術の差は紙一重、後はチームとして組上げるチームリーダーの力がチーム力を決定するのではないだろうか。
04/11/27
相撲の解説やインタビューを聞いていると「今日はどこが良かったですか?」と言うことが多い。夜はフィギアスケートを見ていたのだが、解説に「ダメですね」「ミスですね」が多い。減点競技なので見る方もそういう見方になるのだろうが、やはり見ているだけのこちらとしては「ここが良い」と見所を教えてもらう方が楽しい。
褒めて育てるか、ミスを乗り越えていく事で育っていくのか、人それぞれなのだろうがちょっと考えさせられた。
04/11/25
午後から市の主任児童委員部会の初顔合わせ。役員は元から居る方々で引き受けてくれたのでスムーズに終わる。残りは市役所の児童課が担当する仕事の話。保健センター・警察・児童相談所とのかかわりなども出てくるが、我々はちょっとお節介なおじさん・おばさんとして担当部署との連絡を取る事を主にすれば良いとの事。
来月までは引継ぎでバタバタ会合が入る。其の後は地区民協の会合と部会の会合が月1回ずつ、それに学校行事などで落ち着きそうだ。
04/11/23
実はこっそりと新人の子ネコを探している。
何匹ものネコ達が居るからこそ、老衰・病気・事故などで誰かが死んでしまっても耐えられる。あまり1匹にいれ込んでもコンパニオンアニマルと持ち上げてもネコだって支えきれないだろう。やはり生き物同士として生きていきたい。
ネット上の里親募集の掲示板では、ほとんどが室内飼い・去勢を求めている。しかし、生き物としてのネコにとってそれは幸せな環境だろうか。
建物に閉じ込められネズミや鳥を追うことも無く、土の匂いも知らず、恋もせず子供を育てる事も無い。あなたが猫なら耐えられるだろうか?
本来人間も含めて幼児期には病気などでの死亡率が高い。その先の怖いもの知らずの段階では事故での死亡率が上がる。そこを生き延び知恵をつける事で生きる事の上手な大人となる。その過程をかわいそう・危ないと否定しきって良いものだろうか。
何もかも人間が仕切ることが正しいとは思えない。ネコにはネコの生き方があるはずだ。
04/11/22
残念ながら焼津は市長選にはならなかった。今回の争点は合併問題だけ、しかも議会の賛否は拮抗しているらしい。市長が急に反対を言い出したのなら(この市長の前回選挙の時まで含めて3代の市長が合併推進できた)賛成派から候補を出して全市民で議論をするべきである。
反対意見を出すのならば、正式な合併協が立ち上がる時、大井川町が離脱した時など何度もあったはずだ。それをしないで唐突に事が起こるというのは民主的とは言いがたい。すでに新市の名前の募集も締め切られている段階で、言うならば、婚約発表をし結婚式の招待状も配った後で唐突に婚約解消を言い出したようなものだ。
静岡県内だけでも合併をめぐる狂騒曲がいくつも流れている。大きな意味でシステムが切り替えられようとしている時なので仕方がないが、どうせ一長一短あるので死ぬまでウロウロしていたくはないと言うのが私の本音だ。(だって私が焼津に住み始めて3人目の市長が今の市長、つまりずっといずれ合併の方向でごみ処理、消防、警察などの協力関係が出来ていたのだから)
04/11/19
本日はおいべつさん(恵比寿講)。お札を替え葉付きのカブと大根、果物などを供え、鯛などの赤い魚、お煮しめやなますの昔ながらのご馳走をこしらえる。
西宮神社は駅前商店街の側なのだが普段は気が付かないほどひっそりとしているが、1年に1度この日はにぎやかになる。とはいうもののお天気が悪いせいもあって細い道一杯におしくらまんじゅうになるほどの人出ではない。
家からブラブラと歩き、お参りをして小さな熊手を買い、屋台を冷やかして最後に暖かいたい焼きを買って戻って来るのが我々の定番。そろそろ冬支度が始まる。
04/11/18
藤枝市・岡部町との合併土壇場で市長が合併をしないと言い出した焼津市は今月末に市長選がある。これだけの公約違反とも言ってよい事態に立候補予定者は現職しか居ないらしい。議会も住民を代表して合併の方向に進みながら対立候補も出ないようならば、焼津に政治家は居ないということになる。
2度手間になるよりは、この市長選で合併に反対・慎重・賛成の候補を出し、市民の信を問うべきだと思う。
04/11/16
毎日新聞の土曜日の朝刊に連載中の『自閉姫の見聞録』を興味を持って読んでいる。執筆者自身が自閉症の人だ。実は、いちいち納得してしまう。どうやら私も自閉症のカケラを持って生まれているらしい。
「ちょっと変わった子供」だった私は、いまだに「気が利かない人」だし、人と一緒に居ると気疲れがする体質で、たとえ自分が一番楽しんでいても頭の中のスイッチを切り替えるのに体力も時間もかかってしまう。
それが「何でだろう?」ではなく「そうなんだ!」と納得すると何となく気が軽くなる。だからといって持って生まれたものが変わるわけではないが。
04/11/15
暇を見込まれて主任児童委員を引き受けたことは8月に書いたが、ついに12月1日からスタートする。
本日は民生委員と共に新・旧合同の地区協議会。何にも分からないままのスタートだが、民生委員はベテランも多いし、新人さんといえども人生のベテランがそろっているが、主任児童委員は2人いる担当者が2人とも交代。大丈夫なのだろうか。
ともかく、無事に顔合わせを済ませ、担当が割り振られ、次の会合で引継ぎが行われる。さらに12月に入ったとたんに委嘱式と研修会。
プライバシー尊重のためケーススタディがポロポロと出てくるわけではないので、何をすれば良いのかが今一つよく分からないが、後は走り出してから考える事にする。
04/11/13
11/15がT家の祖母の祥月命日なので、ETCの使い勝手のチェックも兼ねて八王子までドライブ。
天気予報は「晴天」と太鼓判を押していたがそうでもない。しかもクロンの傷が膿んできたので結局朝一番にまず獣医さんへ。
そんなこんなでスタートはam9時半頃。恐る恐る入り込んだ焼津ICのETCゲートを無事に通過。高速もまずまず空いていた。とりあえず御殿場SAまで一走り。ここでトイレ休息。厚木ICまでは何事も無く来れたが、ここからは渋滞覚悟。結局お墓に着く前にお昼を回り、相原のファミリーレストランでお昼ご飯。一息入れる。空もどんよりと曇ってしまい、天気予報で当たったのは気温が上がらないという事だけ。TANUKIはターメリックライスのハヤシ・半熟卵のトッピング付き、DORAは焼肉とハンバーグの盛り合わせにガーリックトースト、更に2人で1皿のサラダを取る。そしてコーヒーで目を覚ます。
お腹が一杯になって余裕が出てきたところで、残り行程をノタノタと走る。霊園前のいつも世話になる石屋さんで花と線香を買い墓に着いたのが1時半。花を生け、線香を上げてしばらく居たが、寒いので周りを軽く散歩。さらに車のナビを瑞穂の家に設定。その間にお線香もあらかた尽き、もう1度ご挨拶をしてざっと灰を流してスタート。
カーナビもそう新しい道を知っているわけではなく、いつも通る道を行く。こちらも程々の渋滞で、カーナビの「あっちだ」「こっちだ」に合わせて考える暇があって運転するのは気が楽だった。ほぼ1時間で瑞穂の元の家に到着。しかし、皆工場に行ってしまっていて留守。夏にママに書いてもらった地図を頼りにもう1度R16へ。
ごく近いので割合すぐに見つかったが、1Fに事務室があるわけでもなく、事務室に誰か居るわけでもなく、工場は稼動しているのだが、あちらこちらの入り口から声を掛けたけれど住人が見つからない。ようやくに気が付いてくれて、しばらくお邪魔。何しろ暮・正月にバレンタインものまでチョコレート屋さんが一番忙しくなるのがこの季節。1Fはディズニーの定番のグミ、2Fはチョコレートでどちらも忙しそうだった。
帰りは中央道経由でナビを設定。早め早めに知らせてくれるのでTANUKIナビより安心だった。無事に高速に乗って談合坂SAでお夕飯。お昼が軽かった?TANUKIは煮込みハンバーグ、DORAはカツ丼とどっちにしようか散々悩んで幕の内弁当。一休みした後の残りの行程は、がら空きの東富士五湖道。外気温は5度まで下がっていた。「早く繋がれば良いのにね」と言いながら須走から御殿場に抜けて東名高速へ。第2東名だかそれこそ須走から先ができるのか、橋脚だけはニョキニョキ立っているのだが…。
富士川で軽く身体をほぐし、カーナビのお勧めの静岡ICでは下りずに焼津まで進み、帰り着いたのはpm9時過ぎだった。
04/11/11
詳しいことは分からないが、焼津市をはじめとする2市1町の合併問題で焼津市長の腰がふらつき出したらしい。話が一時纏まった後で大井川町が藤枝市の財務内容の悪さを理由に離脱、焼津は内部の問題らしいが一貫して合併推進できた市長と市議会の腰が引けだしているらしいのは市民としてはしっかりと訳を聞きたい。
内部にそれぞれの意見があって纏まらないのならば、しっかりとそれぞれの意見を表に出した上で住民投票で行く先を決めるのが民主主義ではないのだろうか。同じ市に住む政治家と住民の意識・頭の構造にそう差があるとは誰も思わないであろう。ただ、政治家であるということは広く己の信念を人々に伝え同調を求める義務を持つ。そして彼らの意見をきちんと受け止めて妥当性を考えて地域のあり方を考えるのは住民総ての義務であるはずだ。
政治家ではないが私の大風呂敷を広げれば、先ずこの地域で合併を促し、広域となった上で政令指定都市となる静岡市と再合併、東京23区と同じような形となるまで広げてしまった方が良いような気がする。通勤・通学圏全体を1つにし、各区はもともとの文化圏で分ける事によって、広域での経済力・機動力を生かすとともにコミュニティの緊密さを残す。なぜ合併をして大きくなるのかを考えると、この位の事を考えなければならないのではないだろうか。
04/11/9
11/1のマオさんが伝えてくれて小千谷でのボランテアの情報はチェーンメール化したようだ。しかし、チェーンメール化したとしても、初めに伝えようとした事を問題にするべきかどうかは分からない。スタート時点では必要な情報も、インターネットのようなスピードのある媒体ではすぐに古い情報になってしまうからだ。
今回の地震で山間部では、携帯電話も不通、防災関係の情報伝達手段も停電などで使えなくなり大変だったようだ。その中で生き残った情報伝達手段をどう生かすかは今後とも課題になると思う。
04/11/4
全国お米まつりinしずおかのオープニングイベントに行って来た。世界お茶祭り2004とともにグランシップで今月7日まで行われている。
まずは静岡県指定無形文化財の清沢神楽の『八王子の舞』を見る。笛、太鼓に合わせて、男性4人で抜き身の剣と鈴を持って舞う勇壮なものだ。草薙の剣の伝説に繋がるいわれがあるらしい。
舞の後は石川県知事と農林水産省の吉村馨大臣官房審議官の挨拶。
さらに『お米、私たちの命』と題するFAOのクリスチャン・マルカン氏の講演。今年は国際米年でもあるそうだ。ところで世界の主食の50%が米なのをご存知だろうか。水田で作ることで連作障害が起きず、小麦より生産性が高い。世界の8億人もの人が飢えに苦しんでいる現在、米は世界でも注目されている。
そして全国お米祭りinしずおか実行委員長・静岡文化芸術大学学長の木村尚三郎先生のお話は『お米祭りに寄せて』と題されて健康食としての日本食、最近は外国の方もおはしを上手に使うなどのお話があった。
一休みの後で本日の記念講演、農大の小泉武夫先生の『米と和食の底力』。
戦後日本人の食生活は激変した。昭和30年代から平成までの間に肉の消費量は6倍にもなっている。アメリカ占領下でより牛肉の流入の顕著だった沖縄では男性の平均寿命が明らかに短くなってきている。日本人は肉をあまり食べないできた民族だが、大豆の消費量は多く、たんぱく質摂取量では決して劣っていなかった。
ところで、パンなどの粉食文化は焼くことによって水を飛ばす調理をするが、日本の食文化は粒食の文化で鍋を使った火と水の調整に長けている。これこそが和食の文化である。朝ごはん委員会が朝食に和食を食べる子供、洋食を食べる子供を10年間調査した結果、和食育ちの方が粘り強く、温厚であったそうだ。
さらに、最近のファストフードやジャンクフードの隆盛は食生活を変えてしまった。日本人は魚に比べて肉の消化能力の劣る消化器を持っている。このような食事ばかりだと内臓に負担がかかり、急性腹膜炎などを起こすリスクが高くなる。どこの食文化でも肉などのたんぱく質と野菜をバランスよく摂るものだが、日本の食生活は肉に偏っている。
最近の東京の小学生に食べたい給食の希望を聞いても和食は回転寿司くらいしか出てこないが、民族の育んできた食物が出てこないのはとても珍しいことである。文化というものは言葉や食べ物などその民族固有のものである。『食滅びて民族滅ぶ』にならないように子供・若者の食生活を大切にしなければならない。
日本の食料自給率は40%を切っているが、地産地消などを積極的に進めて農業の活性化を進め自給率を上げていかなければならない。というようなお話だった。
04/11/2
昨日の追記から。
マオさんの書き込みの元はマッド・アマノさんのBBSだそうです。ここは会員制なので私は確認はしていません。魁新聞で牧編集長も同じ文面を載せていたので、親切の輪が広がったようですが、現場で必要なものは時々刻々と変わっているだろうと思われます。また、ニュースでメジャーになった所だけでなく、多くの被災者が各地でそれぞれに不自由な思いをしている事も考慮するべきだと思います。
おしゃべりコーナーにちびすけさんが書き込んで下さったように、電池はいざという時の供えに普段から多めに置いておく事が必要ですね。阪神の時にはアルミホイルやラップが重宝がられていた記憶があります。十勝沖地震の後でワンワンの飼い主氏が「丈夫な靴が必須」と言っていたし、防災用品として置いておくだけでなく、普段使う物を少し余分に置いておく心掛けがいざという時に役立つかなぁと思います。ちなみに我が家では人間の食料は切れてあわてて買いに走ることがあっても、キャットフードは切らさないようにしています。
それにしてもインターネットとは便利なもので、マスコミを通さなくてもミクロな状況がすぐ側にいるように伝わってきます。
現地では逆に壁新聞・学級新聞・町の広報誌など、ミニコミが大活躍のようです。大きな組織を有し情報の交通整理をするはずのマスコミがそれらと同じレベルで良いのだろうかとも思います。
04/11/1
先々役に立つことがあるかもしれないので、中越地震のボランテアに行った人の書き込みを2つ転載させてもらう。
いざという時のために備えを考えたり、今後ボランテア参加を予定している方の参考になればと思う。
1つ目は○暴さんの『日本を切る! とにかく切る!!』に書き込まれたマオさんのもの。他所のページからの引用のようです。
小千谷市役所、小学校での救援物資の配給や、 炊き出しなどを手伝っています。 |
もう1つは風見来多さんの『ふうらい茶屋』に書き込まれたちびすけさんのもの。ご自分の所も大変なのに援軍に行ったのですね。ご苦労様でした。
新潟にボランティアで行き、今戻って来ました。知人の施設も大騒ぎで、老人の介護も心のケアを含めて大変でした。今必要なのは「金」ではなく、「人」と「情報」です。あとは「物資」をコントロールできる人間でしょうかね。そうそう、「石油ストーブ」も・・・。俺も含めて「1日3度」の食事を満足に摂れない方々が多数いました。邪魔だったのはマスコミの連中、見ているだけで手伝おうとすらしない、どうしようもない連中で思わず「邪魔だ、テメエら!!」と怒鳴り、周囲の喝采を浴びました。ホントに邪魔だったです。4日間「テント」で寝泊りしました。あの状態がいつまで続くのか?キツイなあ・・・。 ( 10月29日(金) 22時53分