ちょっとした感想   

06/1/29

   しばらく前に市内にできた龍ちゃんのカッパ館を見に行った。駒ヶ根の天竜川カッパ館にも行ったことがあるが、全国カッパサミットやカッパ共和国もあるらしい。ここも静岡かっぱ村という事で、館長さんが村長さんだそうで、村民にならないかと誘われた。各地のサミットに行ったり機関紙がもらえたりするそうだ。それだけカッパにまつわる伝説がある所やカッパグッズコレクターが多いという事だろう。
   ここのコレクションも7.000点余りあるそうだ。なんと言っても清水菎や小島功、水木しげるなどの絵、備前焼や清水焼、萩焼など各地の焼き物で各地の作家が作ったよさこい踊りのカッパ達(連ごとになっているので部屋の一面をずっとパレードしていて圧巻)、サッカーはワールドカップバージョンで観客まですべてカッパ、ごていねいに表情がみな違う。キーホルダーのような小物からぬいぐるみ、お面、木彫り、大きな焼き物など様々なものが所狭しと並んでいる。面白いのは何人かの画家の干支シリーズ。それぞれのカッパの捉え方と干支の組み合わせが楽しかった。
   実はここ、建物もカッパ、外にも色々なカッパがたむろしている。また焼津市の町の駅にもなっている。ちゃんと目の前には川、1Fの半分がカラオケなので賑やかだが、なかなか楽しい所だった。
   川根温泉の帰りにカエルのコレクション館に寄った事がある。静岡市にはネコの博物館、1つの物も集めるとなると数限りなく集まるようだ。

06/1/28

   多分ここに引っ越してきてから初めての私的模様替えを行った。私がパソコンを置いている玄関の板の間はパソコンの脇に電話を置くための多目的ボードを置いていたのだが、寝室に置いていた私のライティングデスクと交換した。仕事先やOB会から用事の電話が掛かるたびに「少々お待ち下さい」と奥まで行ってゴソゴソするのが面倒になったので。
   これでこのスペースはしっかりと私の事務所になった感がする。難点はイスを置くスペースまでは無いのでライティングデスクが机の役をできない事。今までも物置だったので良いのだが。
   事務所ができたから仕事ができるようになったとは言わないが…。
   それにしても1年やっただけで紙の山に埋もれた民生児童委員関係の資料には恐れ入った。
   そして机や引き出しに押し込んであったものの半分は意味不明もしくは捨てるべきもの。大掃除にしばらくかかりそうだ。

06/1/22

   大相撲は栃東の優勝で終わった。
   今場所は優勝争いが最後まで続いて面白かった。十両も古参力士と若手とのしのぎあいだった。これから数年は面白い相撲が見られる予兆だと思う。03年初場所の各段優勝がほとんど外国勢に占められたのだが、彼らが順調に力を伸ばしてきている。しばらく精彩の無かった白鵬も復活してきたようだ。昨年1年間が朝青龍の独り舞台だったのが大分役者が揃ってきた。
   初場所は懸賞も多くかかったし場内のお客さんも多かったが相撲協会がこれに安心をするのは早いと思う。確かに相撲は面白かったが、東京がようやく不況から抜け出したというだけのような気もする。地方都市はまだまだ道楽にポンとお金をつかえる企業も個人も限られているのではないだろうか。
   個人的には農大の後輩時津海が終盤までトップグループに付いていって技能賞を取った事、郷土力士の潮丸が勝ち越して次は幕内に戻って来られそうなのがうれしい。

06/1/21

   食事の前に「いただきます」を言っているだろうか。
   TBSラジオの『永六輔その新世界』という番組に「給食費を払っているのだから、給食の時に子供にいただきますを言わせないで欲しい」という投書があり、数十通の反響があったそうだ。今朝の『毎日新聞』に載っていた話からの孫引きだが。
   正直言ってビックリした。私にとって「いただきます」は食物となるご飯の稲や野菜や肉となる動物・魚などの命を奪う事で私の命を生かしてもらっているその感謝だと思っているからだ。つまり頂くとは他の命を頂く事だと考えるのだ。そこには給食費という金銭の介入の余地を感じない。
   そして食後の「ご馳走様」はその命達を美味しい食物として加工してくれたすべての人々への感謝であって、やはり目の前の金銭とは別の次元の感情だと思う。
   こういう事は文章に残されるものではなく各家庭の中で身にしみこまされるものだが、すでに親の世代にこのような事が伝わっていないのがショックを倍化させる。

06/1/20

   大先輩から電話が掛かってきてNHKの『鶴瓶の家族に乾杯』を見ている。本日は芝川町と富士宮市。そして鶴瓶さんが行った富士宮市の麓地区は農大の富士農場がある場所。
   元の富士農場の地主さんは金山奉行の末裔。撮影はそこから始まった。この農場のちょっと手前に農大の新農場ができているのだが、学生時代、年に1度は農学ではなく人間関係研究会の方でお世話になっていた農場とその周辺はとても懐かしかった。
   とにかく天気に恵まれればどーーんとみごとな富士山が望める。その代わり中々上天気には恵まれないのも長い付き合いで知っている…。もしも撮影が一発勝負ならばものすごくラッキーなことだ。旧農場は現在キャンプ場となっているようで、働いている若い人達も農大卒らしい。
   一方の相方の天童よしみさんは芝川町で蕎麦打ちから中学生達の下校に付き合っての町めぐり。
   軽い話題の後でだが、輸入再開がすったもんだで決まった米国産牛肉にBSE危険部位の脊柱か混入されていたそうだ。これにてまたも輸入は中止。食品なのだから安全が第一。買い手が安心する商品を持ってくるのは当然だと思うのだが、恫喝的なあの大騒ぎのアメリカの売り込み後のこの結果は何なのだろう。

06/1/12

   劇団四季のミュージカル『南十字星』のチケットを頂いたので、TOPPOさんと待ち合わせて行く事にした。その代わり開演pm6:30、終演がpm9:00を過ぎるので焼津まで帰るのは億劫なので東京で1泊。たまたまネット検索をしていたら四季劇場のすぐ隣の芝弥生会館が見つかった。ここならばさすがの方向音痴も迷いようが無い。
   時間が半端すぎるのもいやなので昼前に家を出る。ちょうど昼に出るこだまに乗れた。実は少し遅れていたので乗れたのだが…。まずは駅弁でお昼ごはん。純粋に電車の中で駅弁を食べたのは何時以来だろうか。静岡ふる里弁当は茶飯の上にお茶の若葉、角煮・桜海老のかき揚げ・わさびの茎の煮たものなど静岡の食材を盛り込んだものだった。食べながら見る富士山は乾燥しているせいか雪が少ない。
   進むほどに混んできて、品川で降りる頃にはかなり満員だった。
   まだ1時過ぎ。浜松町まで出て食後の運動に駅のすぐ側の旧芝離宮恩賜庭園に入る。真ん中の池を中心とした典型的な回遊式泉水庭園で今に残る最も古い大名庭園の一つだそうだ。入場料\150。入ったとたんに風除けをした寒牡丹があでやかに迎えてくれた。風も無く穏やかな午後だったが入園者は少なくのんびり散策ができる。藁縄を使った松の雪つりや多分ソテツなどだと思うが藁囲いがされているのが珍しい。池の中は水鳥がたくさん日向ぼっこをしている。ビル群に囲まれているせいもありあまり大きさを感じないが歩いてみると結構歩きでがある。奥の方では10月サクラも咲き残っていた。そして日陰では池が見事に凍っている。もともとは江戸湾から水を引き入れていたようだが、今はその遺構があるだけで淡水だそうだ。
   竹芝ふ頭はすぐ目の前。その近くに今日の宿がある。チェックインは3時からだが、歩き疲れたのと、すぐには見つかるまいと思ってまだ間があるがそちらへ向かう。道としては少し大回りだったが、あまり迷いようもなく本日の宿に到着。少し早かったが「お部屋のご用意はできています」と言われてありがたくチェックイン。
   荷物を置いて少し休んでからすぐ並びのはずの四季劇場を見にに行く。フロントで聞くと駐車場から裏口繋がりで行けるそうだ。さて後はTOPPOさんの来るのを待つのみ。
   早めに職場を出てきたと言うTOPPOさんとは4時過ぎに無事にロビーで合流。何でもスイカで精算ができずに改札で引っ掛ってどっと疲れたそうだったが…。
   ちょっと早いが終演後まではお腹が持たないのでホテルのカフェでお夕飯。カレーとミートソースしかないというのでビーフカレー。時間は充分にあるのでその後はコーヒーをもらっておしゃべり。程よく暗くなった頃に駐車場を抜けて通用口から四季劇場へ。まだ開門前だったがそろそろお客さんが集まりだしていた。
   結局一番乗りで客席へ。混む前にと代わりごにトイレに立ちその長さに仰天してくる。中休みの人の流れを見てとても納得したが…。
   さていよいよ開演。オーケストラの調整の音が止み一瞬静かになったと思ったらそのまま物語がスタートした。
   舞台も客席もこじんまりとしたイメージだったのだが、舞台の奥行きや大道具の左右からの出し入れだけでどんどん場面展開をしていく。時は太平洋戦争が始まろうかという頃、インドネシアはオランダの植民地支配下の苦しみから民族独立を勝ち取ろうとしていた。そして日本は中国・アメリカとの関係がどんどん悪化している頃だった。主人公・保科勲とインドネシアの娘リナとの恋をブンガワンソロの歌で一方の縦糸に、インドネシア独立運動の歌をもう一方の縦糸に、そこに日本軍のインドネシア進出と戦争の時の流れを横糸に物語りは進んでいく。
   残念ながらメロドラマの出来のよしあしは分からないが、背景説明が多すぎるのが残念な気がした。間に挟まっているインドネシアのガムランや踊りなどはエキゾチックで楽しかったが。
   南十字星はTOPPOさんが「せめてプラネタリュウムで…」とブツブツつぶやいていたが、それをされたら私にはどの星か分からなかっただろうから仕方がないかもしれない…。
   戦中を自分に忠実に誰に対しても公正に生きてきた主人公はBC級戦犯として刑死する。この辺りは演出家・浅利慶太氏の戦争と戦後に対する強烈なメッセージだろう。正しい戦争など無いが、時代を転換させるためには人が死ぬことが必要な場合もありうる。その犠牲の上に何を打ち立てるのかは次の世代の役目である。そして我々は彼らに対してどんな答えを表しうるか、私はそう聞いた。

06/1/11

   今年も政府のお題目は財政再建のようだ。確かに「孫子の代に借金の山を残しますか」と言われれば、「みっともないから止めてくれ」と言いたいが…。
   金と言うものは道具でしかないのだから、数字が整ったと喜ぶものではなく、生きた使い方をしなければ何にもならない。
   今の政府は明らかに個人の自己責任を求める小さな政府を目指している。墾田永年私財法以来、経済が行き詰った時には生き馬の目を抜けるのならば儲けて下さいというのはカンフル剤として有効ではあるはずだ。しかし、それのできない人々への公的なセーフティネットはおそろしく脆くなる。その代わりに儲かった旦那衆が色々な形で儲かったものを使う事で末端まで経済が回ることを考えなければならない。
   直接的には人を雇う、あるいは将来有望と思われる人材に奨学金を出す。さらには道楽に金をつぎ込むと言うものもある。演劇・音楽・絵画・スポーツ・ギャンブルなどそうして発展して文化となったものは多々ある。さらには自分が気になる研究分野への研究資金の寄付などアメリカでは盛んに行なわれているようだ。
   ひるがえって日本ではこの旦那衆の役割をしてきた大企業がすっかりこの分野での精彩を失ってしまった。現在この分野で活躍しているのは世界標準になってきたサッカーや野球の選手などばかりである。
   市井の人々の小さなボランティアも大切だが、国家レベルでの旦那衆のボランティアも視野に入れなければ、日本という国は面白みの無い文化の無い国へと落ち込んでしまう気がする。

06/1/6

   ネコ缶を買いに行ったついでに近くのブックオフに寄った。何か軽い読み物を探すつもりだったのだが…。
   結局、買い込んできたのは『ネット王子とケータイ姫---悲劇を防ぐための知恵』(香山リカ・森健著 中公新書ラクレ)。まだパラパラと見ただけだが、今の小中学生のネット事情と感覚・感情の動きを追いながら、このツールをどうツールとして使わせるかを考えているようだ。これから仕事始めに読もうと思っている。

06/1/1

   昨夜は茶々を待ってパソコンで遊んでいるうちに今年になってしまった。そのままお賽銭の5円玉を握って近所の神社へ初詣。最近行っていなかったのだが、昔はたいてい誰かに出会って「おめでとうございます」と挨拶を交わしたものだった。今年は誰にも出会わなかった。その代わり道路を走る車の数は多かった。茶々も探しながら行ったのだが出会わず。
   今日も茶々を探しながら近所を歩いたが、日の丸を出している家よりも洗濯物を干している家の方が多かった。これも昔はご近所に失礼だからと3が日位は洗濯物を外に出さなかったものだったのだが…。
   お正月が1年の節目の祭り日としての特異性を失てしまったようだ。

12月    2月