06/3/31
ゴミ出しのため7時半起床。大袋を両手に2人で何往復か。
朝食の後、今度はTOPPOさんが自室にする予定の作り付けの洋服ダンスに手をつける。半畳分の押入れサイズだが、よくもまあ、と言うほど入っている。もうきられない物、シミになってしまっているものや虫に食われたものは処分。主としてお母さんの物だったがお母さんが着なくても誰かが着れそうな物はまとめて大きな段ボール箱3つ分、お父さんの物はまだ余り手をつけていないのだがそれでも段ボール箱半分、タオル類が段ボール箱山盛り1つ、さらには靴下・ハンカチ・小物類などが一山ずつ、さらにはハンドバックやボストンバックなどなど「当分買わなくても使うものはあるね」とTOPPOさんがため息をつくほど出てきた。
その間、全自動の洗濯機もフル稼働、お天気も良いので普通の洗濯物が終わった後はカーテンを順に洗った。
もう1つの物入れは妹さんが残していったものらしく「ここは彼女に任せる」という事で今回は一段落。
コーヒーを飲みながら台所周りを少し整理、あっという間に夕方になってしまった。
駅に送ってもらう途中でもう1度病院へ。今日は酸素チューブも取れてよくお話をされていた。
日も傾いてしまったので分かれて1人で食事をするよりもと途中のお蕎麦屋さんへ。いかにも古そうなドッシリとした構えの店で特大のエビが2本も乗った天ぷら蕎麦をご馳走になった。
7時過ぎには新横浜に着いたものの待っていたこだまは三島行き、結局7時45分発のこだまで帰ってきた。焼津駅には体調不良でふて気味のTANUKIが自転車でお出迎え。とことこ歩いてマーミの家に寄り、明日の餅つきの段取りを聞いて帰った。
06/3/30
TOPPOさんの援軍に横浜へ。今回は1人なので新幹線を使う。動きやすいので地元駅での待ち合わせにしたが、新横浜も横浜も駅が工事中で分かりにくかったので良い選択だった。
「駐車料金がもったいない」とまず買い物をしてTOPPOさんの実家へ。買ってきたサンドイッチでまずお昼。一休みをしてからお母さんのお見舞いに行く。道中は満開の桜。
腕の点滴と鼻の酸素チューブにつながれてタンの吸引をしてもらっていたが、顔つきも穏やかで呼吸もさほど苦しそうではなかったのでほっとした。TOPPOさんは昨日活けたという桜を見せて何かと話しかけていたが、あまり返事はしてくれなかった。
今回もここから後は部屋の片付け。物入れを整理するにはまずそれを入れる場所を作らなければならないという事で、今回はお母さんの部屋にまず手をつける。ここも数年来物置化しているので、まず床にあるものからチェック。
いらないものは捨て、頂き物のタオル・ハンカチなどは箱から出してまとめていく。手前から順に片付けて籐のイスとテーブルを1度廊下に出し、前回まとめたタオルの山にたどり着いてほぼ床面が片付いたのはまたも真夜中。玄関はゴミ袋の山に占領された。
明日がゴミの日だというのでキリの良い所で終了。
06/3/28
TANUKIと共通の春休みはもう今日しかなさそうなので、満開だという家山の桜を見に行った。
9時頃に家を出てR1バイパスを使ったので、割と早くに着いてそのまま車を止める事ができた。平日・午前中・天気予報はかなり良くないの3拍子が揃って、満開の花の下は程々の人出だった。幸いにうす曇のままお天気ももってくれて、花の下でのんびりと楽しんだ。しかし、この花のトンネルはれっきとした道路で通過していくトラックの運転手さんなどは出てくる人や急に出入りする車に苦笑い状態。
本来の売店以外におもちゃや鮎の塩焼きの露店も出て賑やかになっている。歩きまわった後は桜茶屋の桜の花が入ったアイスクリームをTANUKIと半分こ。こってりとアイスクリームだがあまり甘くなくほんのりと桜の香りと塩味がして美味しかった。
ここから島田に出て、牧の原台地の茶畑を通り抜けて御前崎まで遠征。お昼は灯台の側の店で海鮮丼を食べて帰ってきた。
06/3/22
夜中の2時過ぎに寝て、ゴミ出しのために朝7時起床。寝ぼけ眼のまま1軒分の坂を下りてゴミを出す。3人がかりで数往復。
とりあえずのコーヒーを飲んだもののそのままダウン。全自動の洗濯機が仕事をしている間にもう一眠り。「そろそろ洗いあがったから干さなくちゃ」と言うTOPPO氏を見送って踏ん切り悪くゴロゴロした挙句に布団をたたんで昨夜掃除機を掛けた新TOPPOさんの部屋に布団をどかす。
本日はこの2Fの和室の片付け。とりあえず到来物のお茶漬けの素で朝ごはん。レトルトの具と乾燥のカヤク、だしがセットになっている。
この2Fはお父さんが寝室に使っておられたようで、部屋の片隅には紙の山があったので、これはまだ触らない方が良いかなと思っていたのだが、そのほとんどが囲碁の本だった。という訳でここもきれいに片付け。掃除機を掛けて最後に和ダンスの上の箱をチェックするとお母さんの和装のコートなどだったので、できたら和ダンスの中にしまおうとタンスの中を整理。ひび割れてバリバリになった指でやりたい仕事ではなかったが、ついでに防虫剤も取り替えて何とか全部をしまい込んだ。
1時を回った所で押入れや物入れの中はともかく2Fの2間が部屋らしくなった。「まだ続きがあるからね」と言われつつも、とりあえず今回はここまで。
買い物がてら街で昼食。1度戻って5時前にこれからお母さんの所に行くというTOPPO氏と途中まで車を連ねてR16へ入る所で別れた。その頃からポツリポツリと雨。東名は土砂降り。さすがに疲れて足柄SAで仮眠。それでも8時頃には焼津IC。これから食事の支度などしたくないのでラーメン屋に寄って9時頃には家に戻ってきた。
06/3/21
彼岸のお中日ではあるが本日は朝から節句働き。
朝食の後まずTOPPOさんのお父さんの書斎から手を付ける。机と壁面1面は重要書類などもあるかもしれないので手をつけず、まずは問題のなさそうなガラクタから。出張の際の旅館の歯ブラシやタオル、髭剃りなどと一緒にくったりと黴ている鞄もいくつも処分した。さらには頂き物らしい手帳・カレンダーなど十何年分。これもあらかた処分。未使用のタオルやメモ帳などは使えるかもしれないものとして分類、マッチは危ないのでこれも1箇所にまとめる。片付けながら「もうタオルは一生買う必要がないね」とTOPPO氏。
あらかた床面が出てきたところでお昼。ここでWBCの決勝の7回辺りからテレビを見てしまったのが運のつき、お父さんが今年のバレンタインデーに買って秘蔵していたらしいチョコレートを食べながら結局最後まで入れ込んで見てしまった。
実はここまでは前座。それから「ここを私の部屋にする」とTOPPOさんが言っていた日当たり良好の旧妹さんの部屋に取り掛かる。もちろん主はとっくにお嫁に行っているのでそれ以来、物置化の道をたどっていたようだ。
とりあえずは床に積みあがっている到来物の仕分け。タオル・シーツ・布団などを箱から取り出して箱は潰して仕分けする。お父さんが几帳面に受け取った日付や頂いた人を箱に記入しているが、かなり古いものは黴がきていて手がつけられなかった。さらには3つの本箱から中身をチェックして用済みの雑誌などを束ねていく。空いた本箱は書斎へ仮置きして残しておく本をしまっていく。仕事関係以外では山のような囲碁の雑誌が出てきた。さらには元部屋の主の若かりし頃のアルバムなど。「懐かし〜い!」という赤ちゃんの頃の写真にはもちろんお姉ちゃんも一緒に写っていた。
それやこれやで部屋の奥の出窓に置かれていた鉢植えの残骸にたどり着いた頃には真夜中。結局大きなゴミ袋14個分のゴミと山のような古本・雑紙の束に広い玄関が占領された。
06/3/20
八王子へお墓参り。ついでの方が大口の用事ばかりで、まずは墓参りの帰りにタニカの叔父の所へ。さらにTOPPOさんの実家の片付けのお手伝い。
TOPPOさんは夕方まで仕事だし、タニカの方も忙しい所に昼間行くのは悪いので午後遅めの時間を設定。そんな訳でスタートは朝10時。焼津ICから乗った東名はまずまず順調だったが、厚木ICで降りてから先は大渋滞。休みの合間の年度末の20日、忙しい人の方が多いので仕方がない。
結局お墓に着くはるか手前ルートから外れない所にあるファミレスで1時のお昼。
お墓に着いて2時、暖かいお天気の中で「良いお天気が続きますね」と石屋さんで挨拶をしたら「?」。後から聞いたら関東は昨日はかなりの大風で大変だったようだ。ともかく花とお線香を持ってお参り。さらに別の区域にある親戚のお墓にもお参り。時間に押されてさっさとお参りを済ませて瑞穂へ。
カーナビのルート設定をして、カーナビとしては渋滞をかいくぐりながら走ったらしいが、運転していた私としてはしっかりと渋滞の中に居た。結局タニカの工場へ着いたのは夕方5時。さすがにパートさんは上がっていて家の人間だけだった。
叔父からの借金の保証人の件は蓬莱税務会計事務所の不良宮島氏にした相談メールの返事の「全額被る覚悟がないのならおやめなさい」のプリントアウトを渡して「もし良かったら会計事務所を紹介するから」とやんわりお断り。もう1件のネット販売の件ではもう少し突っ込んだ相談もしようかと思ったのだが当事者の従弟も忙しそうなので「送料が高く見えない量で売る事を考えたら」のアドバイスだけにしておいた。そして従妹の所の長女の高校卒業祝いと従弟の長女の高校入学・次女の中学入学の祝いを置いてR16を横浜方面へ。
ここから先もひたすら渋滞。途中で車も我々も腹ペコになりつつあったが、ようやく車は家のカードが仕えるガソリンスタンドを発見して満腹に。人間の方は結局TOPPO家の近くまで寄る店の意見が一致せずコンビニで買い物をして彼女の実家へ。最後の最後の住宅街でどの坂を上るのか分からずその辺を1周。結局DORAの野生の感でたどり着く。すでにpm9:20。
結局「カップラーメンをすすっただけ」と言うTOPPOさんと3人、缶ビールで乾杯をしてコンビにおかず一式で再開を祝す。
「ここの家の電気釜のタイマーが分からない」と言うTOPPOさんと試行錯誤をして朝ごはんのセットをして本日はこの辺で終了。
06/3/16
本日朝刊の地方版、消防士の強制わいせつ事件と教師の児童買春、公務員の中でも倫理観を持ってもらわなければならないはずなのに何を考えているのだろう。本能的存在だけならばただのヒトという動物、それが人間となるためには本能を理性で調整しなければならないはずなのだが、それを家庭や学校や社会の中で身につけないまま過ぎてしまったヒトが多すぎるようだ。
06/3/10
3/4にTOPPOさんのお父さんが亡くなられた。TOPPO家の事は時々ジジ&ババと一緒でも話題が出るように、お父さんは家で1人暮らし、お母さんは介護付きマンション、TOPPOさんも同じ市内で1人住まいをして仕事をしていた。高齢であるが矍鑠とされていたのでTOPPOさんが仕事の合間や土・日に家の様子を見に行きながら買い物を手伝ったりお母さんの様子を見に行ったりでそれなりの生活の形ができていた。お嫁に行っている妹さんも頻繁に電話を掛けたり様子を見に来たりしていたようだった。
残念ながら娘さん達の居ない時に亡くなられたが、電話連絡ができなくなった事に不審を抱いて5日の夜に訪ねたTOPPOさんに発見された。1人で居た時の死亡のために警察が事件性の有無を調べるために入ったが急性心不全という事だった。
そんな次第でお通夜が8日お葬式が9日と間が開く事になった。
我が家は冠婚葬祭で何かとTOPPOさんにはお世話になっているので仲間内の香典を預かってマーミ&ジュンちゃんとTANUKIの4人、8日のお通夜に駆けつけた。葬儀場は1件貸切で宿泊施設も付いており職員とTOPPOさんの職場の人達が取り仕切ってくれていたのでお手伝いはあまりなかったが、即断で決めなければならない事だらけで喪主さんはひきりなしにあちこちで呼ばれて中々落ち着いている間もない様子だった。
お通夜そのものはシンプルに無宗教でクラッシックと卒業された旧制第8高等学校の寮歌の流れる中で白いカーネーションが全員から手向けられた。
お父さんはちょうど散髪にも行ったばかりだったそうで良いお顔をされていた。お葬式は無宗教でしたかったのでとの事だが、お気に入りのクラッシックのCDと寮歌のカセットを用意されたように見つけたそうだ。
焼津からの他の3名は仕事もあるのでお通夜だけで失礼させてもらい、私はTOPPOさん姉妹と葬儀場で宿泊。大学生になった妹さんの長男はお別れの言葉を書けと言われてかなり遅くまで悪戦苦闘をしたようだった。
翌朝は妹さんの旦那さんと子供達に早くに起こされた。そのまま妹さん一家は近所のファミレスに朝ごはんに出かけ、我々もコンビニで朝ごはんを確保。
お葬式が朝9時からと早かったので着替えて一息入れた頃には人が集って来た。
お葬式も無宗教なので音楽の中で花が手向けられ、結婚のいきさつについてお母さんが回想されていた文章を妹さんが朗読され、そのご長男が追悼の言葉を読み上げた。小学生の頃、弟妹を連れて子供だけでおじいさんの所へ遊びに来たものの駅の待ち合わせ場所が中々分からなくて心細かったり心配させたりした思い出を中心に素直で心温まる追悼の言葉だった。
後は妹さんの婚家の親類の方が季節だからと持ってきてくれた菜の花やたくさんの花に囲まれて出棺。斎場も最近出来た新しいもので、山1つ崩して作られたという大きな施設だった。
お骨上げの最後にTOPPOさんがお父さんの趣味だった囲碁の白石と黒石を1つずつ骨壷に収め、担当の職員の方がこちらが前になりますという方に愛用のメガネをかけさせて蓋を閉じた。
再びバスで葬儀場に戻って祓いの膳。ちょうどお昼という事で皆でゆっくりと食事をする形となった。
午後の割合早い時間に妹さん一家とTOPPOさんでお父さんの遺骨を家につれて帰るのに付き合う。妹さん一家は子供達の学校もあるので夕方帰って行った。
お元気とはいえ男性の1人暮らし、家の中が何かと散らかっていたのでせめてお父さんを安置したお座敷だけでも片付ける事にして掃除をしてゴミ袋を買いに出た夕刻、今度はお母さんの体調が悪いと施設から連絡が入った。さすがに気丈なTOPPOさんも限界。何とか家までは車を走らせたもののこの上様子を見に行くには体力も精神力も限界。結局施設から近い叔母上に様子を見に行ってもらう。心配で何も手に付かなくなったTOPPOさんに「状況が悪ければ連絡が来るから」とオニDORAはそのまま掃除続行。もちろんTOPPOさんもこき使う。おかげで「病院で点滴をして落ち着いたよ」とおば様方が報告がてら様子を見に家に寄ってくれた頃にはお座敷はお座敷らしく片付きかけていた。結局大きなゴミ袋4杯のゴミをまとめ、大汗を流しに風呂へ。軽く缶ビールを空けて寝る。
雨の朝、幸い今日がゴミの日だというので大袋を二人で担ぎ出し、朝の最後の時間を遺影の前でお茶を飲んで新横浜まで送ってもらった。
06/3/4
今週の『俳句でおしゃべり』のお題は竹の秋と磯巾着。磯巾着はともかく竹なら産地とばかりにうららかな午後を丸子と岡部を歩いてみた。
腕がおかしいと言うTANUKIを連れてまずは鍼治療。帰り道はR1へまわって丸子路へ。相変わらず道は狭いが、駿府匠宿ができてずいぶん観光化されてきている。
しかし、吐月峰柴屋寺は昔と代わらずひっそりとあった。竹製品を売る売店で声を掛けると拝観券を売ってくれる。お寺の中もひっそりとしている。ご本尊にご挨拶をして縁側からお庭を拝見。竹やぶに抱えられるように建つお寺だが、いざ写真に切り取ろうとすると上手くいかない。
丸子路や古き御寺の竹の秋 DORA
そもそもこのお寺は室町時代中期に連歌師の柴屋軒宗長が草庵を結んだ所だが、徳川家康が保護をし修復させたものだそうだ。泉水庭園で向うに見える山からの月の出をめでるように作られた借景庭園になっている。月と竹は相性が良いのか竹細工がここの名物となっている。
しばらくカメラを抱えて唸った後、細い道を少し歩いてお蕎麦屋さんへ。丸子名物とろろ蕎麦に揚げトロをつけてお昼。無人売店でTANUKIがシソの実の佃煮他の買い物。
車に戻ってR1を下り岡部町の玉露の里へ。丸子と違って川沿いの道の風は冷たかった。こちらはお茶と竹の子の産地。周りの山は竹やぶになっている。
川風の冷たき路や梅香る DORA
風に冷やされてそのままお茶室へ。雛飾りとつるし雛が広間を明るくしている。今月のお菓子の銘は菜の花。淡い黄色が春らしい。玉露を一服。TANUKI、昔の教え子のお母さんに会う。初めに応対してくれた人がその教えた子の兄嫁さんだったらしい。
帰りにTANUKIはこちらの売店では巨大生椎茸を購入し。
焼津より気持ち寒いこちらでは今が梅の花の盛り。芳香を放っている。逆光に輝く竹の葉もきれいなのだが…、写真も俳句も難しかった。
遂道の先の光や春の風 DORA
06/3/3
家の西側に残っていた田圃が埋め立てられた。かなりショック。これで今年の夏はよりいっそう暑くなるだろう。
田畑と言うものは個人資産であるけれど生産のためのもの、さらには地域の財産でもある。こう簡単になくなっていくのは納得がいかない。土地利用に関する法律や税制は本当に日本という国全体のためになっているのだろうか。
06/3/1
2月は逃げるというがあっという間に3月。カレンダーだけでなく、それとなく色々な所を春向きにする。しかし、外は肌寒い雨。
俳句の本を読んでいたら、春光とは2月の明らかに春めいてきたクリアな光を言うそうだ。たしかに春だなと感じるのは2月の日の光の色かもしれない。そして春たけなわになると光はもっとほんわりしている気がする。