ちょっとした感想   

06/10/31

   中・高生の自殺が何件か続いている。どれも背後にいじめがあるようで、ニュースでカウンセラーさんなどが「命をかけてまで学校に行かなくても良いからね」と連鎖を断ち切ろうとしているが、ちょっと待ってほしい。
   子供だからこそ世の中にいやな事など沢山あって、いちいち命をかけていてはキリが無いという所から始めてほしい。
   人が集まる所では必ずケンカや気の合わない同士の軋轢がある。子供はそれが極端に走りやすい。だからこそ親は注意深く我が子に目も気もかけてほしい。家でくつろぐことで頑張る気持ちがわいて来ればそれでも良いし、ケガをしてくるなど根が深そうならば親同士が連携を取って早い内に解決へのアドバイスを子供達の前に出してほしい。
   亡くなってしまった子供は2度と帰って来ないし、誰かを追い詰めて死なせてしまった子供もまたその死という十字架を一生背負っていかなければならなくなる。不幸の連鎖を切るためには、まず親が人生の先輩としてしっかりと子供と向き合ってほしい。

06/10/29

   高校の履修単位不足問題は全国的なものらしい。それも進学校といわれる所で多発している。特に記憶する分量の多い世界史が嫌われているようで、日本の大学生は歴史を知らないと言われていたわけだ。
   しかし、世界史と自国史を知る事で自分が今立っている場を確認する事になるわけで、教養の基礎として高等教育を受けたと言うためには外す事の出来ない学習のはずである。
   そうでなくてもここ数年大学で学問の基礎が出来ていない学生に苦労していたわけで、高校・大学に全員が進学したがるという体制も含めて考え直すべきなのではないだろうか。
   そして、将来国を背負って立つエリートになりたいという生徒達だからこそ、単位不足は甘い顔をしないで必須単位をきちんと取って卒業させるべきだと私は思う。このために1年留年したとしても長い目で見れば彼らのためであるはずだ。

06/10/27

   用事でマーミの所に行ったら彼が書類を見ながら怒っていた。
   先日、車で外出中に腹痛をおこし駅の公衆トイレに飛び込んだそうだ。その数分間に駐車違反の札を貼られたらしい。特に出頭せよとも書かれていなかったので注意なのだろうと思っていたら、車の所有者(彼本人だが)に対して反則金を払うようにと請求が来たそうだ。
   都会と違って車が移動手段の中心となっている所では、駅前といえども車の利便性がなくては成り立たない。ましてやトイレを使うという人間の自然の必要性に対して、車を止める所も無いという方が道路管理者の不首尾ではないだろうか。
   確かに駐車違反の車は迷惑だが、個人宅への物の配達、介護ステーションの車の在宅要介護者の見回り、高齢者や病人、幼児などを家に送り届ける、初めて来る来客や高齢者などの出迎え、ちょっとした駐車を余儀なくされる事は人間が生活する上で多々ある。そして、来客用の車寄せがある家などほとんど無いのが日本のウサギ小屋の現状である。
   住民が安心して安全に過ごせるようにするのが法律だとするのならば本末転倒も甚だしい。

06/10/25

   高校での履修単位不足の問題がニュースになっている。3年生の卒業単位数が足りないそうだ。どうやら1科目をしっかり勉強して大学受験に有利になるように履修科目を減らしてごまかしていたようだ。1校だけでなく各地のいくつもの高校でおこっているのは現代の高校教育の志の無さを物語っている。
   本来、高校は大学受験のために行く所ではない。円満な教養と基礎的な職業教育を身に付けるのが本来の高校ではなかったのか。その上でもっと専門的に学びたい事がある者、大学を卒業しなくては資格が取れない職業につきたい者が大学に進むのではなかったか。
   先に大学受験ありきの本末転倒が無教養な人間を大量生産する事になる。
   しかし、学校ぐるみだから生徒が自分で履修科目や単位数を増やすこともできず、たまたま当ってしまった学年は受験を前に気の毒なことだ。

06/10/23

   京都で3歳児が虐待死した。3月の段階でこの子の姉が虐待により児相に保護されていた。近所の人も主任児童委員さんも関わっていて、児相にも何度も連絡を入れたようだが、児相では家庭訪問はしなかったようだ。『児相の黒川洋一所長は「緊急性を感じなかった。姉を保護していた安心感もあった。もっと詳しい状況が別ルートで入っていれば違った対応が取れたかもしれない」と話した。(京都新聞)』 という報道があったが、それならばどういうルートから情報が入ったならば動いたのだろうか。専門職員の不足は全国的なものだが、だからこそ地域にボランティアの児童委員・主任児童委員を置いたのではないのか。他地域の事だが無力感にとらわれる。

06/10/19

   一昨日、獣医さんに行こうと網を持って追いかけられた茶々はいまだに緊張状態。そばに寄って来ないどころか足音がすると食事中でもパッと逃げる。その前の日に蒼を捕まえた時からかなりパニックだった(蒼のために加勢をして唸りに来た)から仕方が無いが…。
   しかしこの過緊張で砂場にどっとおしっこをしたのは茶々ではないかと思う。臭いが気になる(病院の入院病棟のトイレの臭いがする…)が、ここは茶々の野性の力を信じたい。もっともこれがクロンだとするとかなり危険な状況だが、ついこの前予防注射の時にざっと全身を見てもらっているので大丈夫だと思いたい。多頭飼いをしているとこれが健康チェックのネックになる(ネコが自己申告をするのはお腹が減った時くらいで…)。
   ところで、その茶々の隙を突いて悠々が甘ったれるようになった。初めは手を出すとツメ付きのネコパンチが来たが、背中を撫ぜられ、頭を擦り付け、ついに喉をくすぐられてゴロゴロいうようになった。最も遠目に見ている蒼と茶々がおさまるわけもなく、玄関の網戸をはさんで唸りあっていた。
   ご近所の手前、悠々も家ネコにするか、もうしばらく力関係が決まるまでそのままおくか、悠々も雄なので難しい所だ。

06/10/18

   北朝鮮の核実験問題とその国連での取り扱い、昔々大日本帝国が国際連盟を脱退した時に状況が似ている。ただ、当時と違うのは中国もロシアも多分韓国も北朝鮮が今崩壊することはリスクが多すぎると望んでいない事ではないだろうか。
   しかし、窮鼠ネコを咬むとなる場合、かじられる第1候補は日本だろう。だからこそ、同じ道をたどり大戦争を引き起こす前に北朝鮮に戦争回避の知恵をつけなければならない。感情論ではなく、歴史を精査してきちんとした発言をするべきだ。

06/10/16

   今度は福岡県で中学生がいじめを苦にして自殺。このケースでは最初のいじめが1年時の担任から始まったらしい。学年主任も務めるベテランの先生だったらしいがどうも生徒管理が差別的であったらしい。クラス担任だけでなく回りの大人達が適切に関わっていれば、いやな人の見本と受け流して自殺をする事も無かったのだろうが、最近は大人も子供も小さな世界にしがみついて、それが自分の世界のすべてになってしまっているのではないだろうか。
   世の中は色々な人が居て成り立っているのだから肌合いの合わない人やどうしても分かりあえる事ができない人も居る。しかし、その中でどうやって自分を守っていくかを考える事も大切な事で、大人になるまでに試行錯誤をして自分流のやり方を考えていかなければならないもののはずだ。きわめて個人的な事なので絶対にこの方法が良いとマニュアル化はできないが、大人が子供にアドバイスする事は出来るだろう。放り出しておけばお利口で個性的な子供がスクスク育つなどというのは幻想でしかなく、人間という群れの中で暮らすすべを1つ1つ手本を示し、手間暇かけて試行錯誤をしながら繰り返させる事そのものが子供を育てるという事ではないだろうか。

06/10/13

   そろそろどこかでコスモスを見ようと岡部町へ行ってみた。明日が龍勢だそうで、朝比奈川沿いの会場付近の畑の中や家の庭などにせっせと桟敷が作られていた。もちろん龍勢の発射台も人が登って準備中。ちょうど玉露の里の駐車場に車を入れてコスモス畑の中を歩けばそこが明日は龍勢の会場に変身するわけでブラブラと歩きながら活気のある様子を眺めてきた。
   普段はほとんど人に会わない所だが、今日は会場の準備の人達、コスモスを楽しみに来た人達、それを相手に農産物の販売をしている農家の人や農作業中の人と今日は賑やかだった。

06/10/10

   今日は社会福祉大会の講演会で白井のり子さんの講演を聞いた。サリドマイド禍で両手が無く右目も見えないそうだが元気一杯の人だった。
   以前にもここで書いたかもしれないが、私は障害者に鈍感な所がある。
   祖父に知り合いに当る方は子供の頃に汽車に轢かれて両手と片足を無くされた。子供の頃お会いした時はすでにおじいさんになっておられたが、足は義足を着けておられたものの手は無いままだった。「羽織の紐を結ぶ事はできない(もう一つ何かができないと仰っていたような気がするのだが…)があまり不自由は感じないよ」という事で、メモ程度なら口で鉛筆を持って書くし、(長いものは足の方が楽だと言っておられた)タバコも口で取って吸っておられた。ちょうど昭和30年代半ばの頃で「国鉄の切符が自動販売機になったのが困る」と言っておられたのが印象的だった。切符売り場に人が居れば行き先を行ってお金を取ってもらって切符を渡してもらえば良いが、券売機ではそうはいかないというようなお話だった。
   母方の祖父の実家は旅館を営んでいたのだが、目の見えない人が女将さんだった時があるそうだ。目は見えないので奥で縫い物を引き受けていたのだが、お付きの女中さんが「暗くなってきたから灯りをつけましょう」と言うと、「お前達は不便だね」と言ったそうだ。
   義弟のマーミの友人で車椅子に乗っている女性は「段差降りるのを手伝いましょうか」と聞けば「大丈夫よ」と勢いを付けて駆け下りてしまう。
   こんなエピソードばかりが積み上げられていけば、障害のある無しなどは二の次で人と人との付き合いの上でのその人らしさの1つでしかなくなってしまうのだが。

06/10/9

   NHKニュースによると、輸入米が倉庫に山積みされて使い道がないそうだ。もちろん倉庫代も莫大なものになる。
   お付き合いの輸入だが、米は余っているのでいらないという選択肢も資本主義・自由貿易の国としてはありだと思うのだが…。何にせよ無策のままお付き合いの輸入を続けているというのはいただけない。
   販売先ターゲットとして外務省の海外への食糧支援を設定して、ご飯としてだけでなく、粉・ヌードルさらにはインスタント食品なども発想の中に入れて海外で喜ばれるような支援食料を作る事を考えたらどうだろうか。
   世界に目を向けた時、飢えている人々が多々ある状態で食料を死蔵する事は許されない事だと思う。

06/10/8

   午後から県立美術館のナスカ展へ。ところが美術館へ行く道がかなり手前から渋滞。まさか美術館の混雑とも思わず色々と原因を探したのだが、結局美術館の駐車場へ入る渋滞でかなりうんざりしてしまった。
   これだけ駐車場が満員という事は美術館の中も込んでいるという事で、しばらくぶりで人の頭越しでヤッコラショと小さな壷の様子を見る事になってしまった。その他に乾燥地なので紀元前後位の布製品なども色抜けする事なくきれいに残っているし、ミイラや頭蓋骨などもよく残っていた。
   最後はナスカの地上絵について映像と様々な解釈の紹介。ほんのちょっと実物大の地上絵の様子が作られていたのだが、よくこれが残っていたというほど単純に小石を脇に避けただけのもの。驚いた。
   帰り道、今度は妙におまわりさんが立ってばかに人が多いと思ったら、天皇陛下がグランシップに見えていたようだった。

06/10/7

   農大のA先生が榛原の別荘にみえて月見の宴。昨夜の中秋の名月は雨でダメだったが今日は午後から暑いほどの良い天気。農大から家主のA先生以下8名、志太常磐松会の大先輩二人に我々。
   迷子にならないように日の高いうちからお邪魔をしたが、温泉に行く人あり、買い物に行く人ありで夕方からご馳走満載の宴会。「あんたが飲んじゃ帰れなくなる…」と大先輩に言われながら、A先生が作ってくれたブランデーにクリームを加えたカクテルをペロリ。「少し割りましょうか」と水を入れてくれたが、そのままの方が格段にコクがあって美味しかった。その代わりブランデー、これが抜けるまでは帰れないので後はひたすらお水…。こちらからもマグロの刺身とカマの照り焼きを少し持っていったが、タイのお造り・カツオのタタキ・アジの押し寿司・昆布で巻いた巻き寿司(さわち料理らしい)イカの和え物に漬物などなどテーブルに満載、途中で月をめでて月見団子を食べ、ごった煮風のちゃんこ鍋と焼きハマグリ、最後には月餅まで出てきてお腹一杯食べてしまった。
   その間、もちろん色々な話が出て、M先生が皇居の食事会に招かれ、その語ったエピソードが週刊誌のコラムに書かれた話や、各校友会の話、O先輩の昔話、さまざまな話題が出たが、志太常磐松会の仕事も手伝ってくれた後輩(彼女は結婚して退会したが)の妹さんがやはり農大の畜産科を出て、畜産農家にお嫁に行きたいとの事で大先輩が伝を頼ってお嫁入り先を探し、めでたくまとまったという話は特に嬉しかった。
   話が盛り上がって気がつけば夜中、無事に酔いもさめて酔っ払い3人を乗せて先輩方をお送りして無事に帰ってきた。

06/10/5

   北海道滝川市の小学校6年生が昨年いじめを苦にして自殺をした事件でようやく教育委員会がいじめがあったことを認めたようだ。
   しかし、いじめられたという印象はとても個人的な事なので「いじめられた」と本人が思っているならばそれはいじめられたのであって、それが子供である場合その現実を切り抜けるために周りの大人は手を貸すべきだろう。客観的な問題ではなく、本人がそう思っているのならばそれを乗り越えて先に進むためにその心に寄り添っていく事が大切な教育であって、集団生活をする学校に求められる事である。学校は教科を教える事も大切だろうが、集団が同じ行動をする中でその中の1人1人がどう行動しどう自分を主張し、どう他人の心を汲み取るかを学ぶ大切な場である。つまらない事務仕事を教員に課すよりも心を伸びやかに子供に寄り添う時間を教員が持てるように労働配分をする事こそが大切なのではないだろうか。

06/10/1

   本日は自治会の運動会。朝から雨がぱらついていたが「やるぞ!やるぞ!」と花火が上がった。
   元総代としては酒の1本もTANUKIが持って開会式前の総代の応援席へ。総代さんが「今年はテントを新調してもらったよ!」と大喜び。ブルーシートじゃ痛いから敷物ほしいよねと家に取りに行ったが、家のもボロばかりで2畳分の小さいのしかなかった。
   開会式の後、とりあえずお菓子や飲み物の準備を手伝って始まりを待つ。しかし、レギュラーメンバー以外の動いている人達が各組長さんなのだろうが、どこの人だかサッパリ分からない。しかし、こういう機会に顔を知っておかないと、どんな人が近くに住んでいるのかも分からなくなる。
   幼児のかけっこ、玉入れと順調に競技は進むが空は泣き顔。選手として引っ張り出された綱引きが終わり、二人三脚メドレーリレーの始まる頃にはかなりの土砂降り。テントの屋根からの雨の跳ね返りがシートの上にも来るほどになって、結局午前中で中止になった。飲み物もお菓子もずいぶん余ってしまったし、泥汚れの鉢巻や旗の始末で総代さんは当分大変だろうが、こちらとしてはとにかく予定が1つ終わって良かった。
   残念なのはバザーなどが雨に押されてできたのかどうか。おじさん会(中老は卒業したけれど老人会にはまだ早いと思っているおじさん達の会)恒例のイカ焼きの香りは漂っていたし、マーミが中老会も焼きソバを売りに来ていたがお店の方は見にも行けなかった。
   夜は年1回の組内の懇親会がある。

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