07/3/30
ちょっと先になって必要なために午後から袋井市まで出かけた。ありていに言えばある程度の人数でお昼を食べる事ができる店を探しに行ったのだが、これがなかなかの難物だった。
まずインターを降りてすぐにある観光センターに行ったのだが観光案内のパンフレット類がない。隣のメロン屋さんは以前TANUKIがメロンの取材のついでに寄った所で、今回も出荷するには熟れ過ぎて「すぐ食べて下さい」の表示と共に安くなっているメロンをTANUKIが買い込んだ。夕飯のデザートに食べたがまさに食べ頃でとても甘くなっていた。
次は市役所へ。少なくとも観光パンフレットの1つ位あるだろうと思ったのだが、これも空振り。遠州全体を扱ったものしかなく、しかも観光スポットだけ。ただ、どんどこあさば(旧浅羽町は袋井市になった)という地場産品とそれを利用したレストランのパンフレットがあったので、行ってみる事にした。
袋井の駅周辺を外れるとみごとに田圃の中を道だけ通っている状態になる。そんな中に大きなスーパー?と隣り合って建つクリーム色の建物がそうだった。入り口にドンとあるトラクターがかなりのインパクト。レストランはお昼と週末の夕方からでバイキング形式になっているそうだ。午後の時間はテータイムという訳で私はコーヒーゼリー、TANUKIはロールケーキを食べる事にした。飲み物はフリーで、コーヒーやお茶もあるが、麦茶・ハブ茶・杜仲茶など珍しいものも。「コーヒーにコーヒーゼリーか」とTANUKIが言うので杜仲茶とハブ茶を賞味。
お隣は物産のショップ。奥には加工場もある。ちょっと面白い店を見つけた。
行きは時間の余裕が欲しくて東名を使ったが、同じ道を通るのもつまらないので帰りはR150に向かった。周りは青々とした麦畑。広々とした光景もなかなか見られなくなってきたので嬉しかった。
07/3/29
ローカルニュースで牧之原公園のカタクリ園がオープンしたというので午後から見に行った。
牧之原公園は島田市(旧金谷町)のお茶の郷の隣にある。かなり広いお茶の郷の駐車場が満車でボランティアの駐車場係のおじいさん達が大汗をかいて車をさばいていた。駐車場からお茶の郷の建物を廻った先が牧之原公園でその一角、雑木林の中に金網に囲まれた狭い地域にカタクリの群落が保護されている。こちらもボランティアの女性が受付や案内のために数名居るが料金を取るわけではない。通路側の1本の木道を通って鑑賞するようになっているのだが、それぞれにカメラを構えて写している。構造的に三脚を立てる余裕はなく、腕を伸ばしたりしゃがみこんだりそれぞれにベストショットを撮ろうと頑張っているようだった。
花の方はシダ類の芽などとともに5分咲き位か。もうしばらく楽しめるようだが受粉をしてくれる花蜂の邪魔をしないために公開は1週間だけだそうだ。
カタクリは日本全土に分布しているようだが、大井川流域ではこの牧之原台地周辺だけで昭和60年から天然記念物として保護されている。囲い込むだけでなく、晩秋には下草刈りをするなどしてカタクリが生育しやすい環境を整えているそうだ。
いまや片栗粉のほとんどがジャガイモ澱粉だが、本物の片栗粉はこのカタクリの花の地下鱗茎から取れる澱粉である。
07/3/27
24日、保育園の卒園式への参列を済ませて午後からTOPPOさんの家の片付けの手伝いに行った。TOPPO邸は最後が住宅街のど真ん中でカーナビを利用しないと行き着かないのだが、カーナビを利用すると駅前を通過する道が選ばれかえって怖い。が、その道に連れて行かれた。結局、1つ手前の角で曲がっている事に気が付いたので次回はそれを覚えていようと思う。
この日は夕方から教育研時代の友達と3人で飲む約束がしてあったので段取りを相談しただけで飲みに行った。もう1人の彼女とは本当に久しぶりに会ったのだがお互いにあまり変わっていなかった。
1杯ずつのチューハイでつまみをいく品か頼んで3時間、色々とおしゃべりをしてきた。
翌朝は8時頃起床。外が吹き荒れていたのとTOPPOさんが携帯のメール着信音にウグイスの声など入れているので、時ならぬ時間のウグイスの声で早朝に1度目が覚めた。朝食中のam9:42に北陸地方で震度6の地震。かなり広い範囲で地震が観測されたようだが、横浜では揺れは感じなかった。
それはともかく、さっそくお母さんが衣裳部屋にしていた部屋の片付け開始。まず別の1部屋を空けて、そこへ衣装掛を移動。掛かっていたものを使えるもの、処分するものに仕分けていく。倒れる直前まで着ておられたものが多いので、ポケットからティシュやハンカチ・飴玉・楊枝など色々なものが出てきたりする。私がせっせと引っ張り出したものをTOPPOさんが仕分けて「コートが好きでねぇ、いったいいくつ出てくるんだか…」と言いながらポケットの中を改めたりしながら仕分けていく。スーツなどもお仕事柄人前でお話をする機会なども多かったので華やかな色のものがいくつも出てくる。残念ながら私にはウエストがきつく、彼女には袖丈が足りないものが多い。それでも、「これ良いねぇ」と着てみたりしながら作業は続く。
昼過ぎには陸協の審判講習会を終えたTANUKIも合流。足の踏み場ができてきた奥の棚の整理を始める。専門書や趣味の絵の道具、アクセサリーなどが山積みになっていたようだ。こちら2人は延々と服の整理。部屋の真ん中にあった衣装掛のバーと円形の物が片付いた後は整理ダンス。さらには洋服ダンス。
我々はゆっくり目に起きてたっぷりの朝ご飯を食べて動き出しTANUKIを迎えに行ってそのまま仕事に突入していたのでお夕飯は早めにした。昨日の居酒屋でもらった試供品の小さな缶ビール1本ずつで鮟鱇鍋、最後に雑炊できれいサッパリ汁まで食べて夜なべ仕事。
行けども行けども先が見えなかったが、何とか床が見えるところまで片付けて終了。お風呂に入ってバタンキューで寝てしまった。
26日は月曜日で普通ゴミの日。もちろん昨日ゴミ袋何杯分ものゴミを出しているので、その中から今日出せるものを選んでゴミ出し。昨年はとにかく持って行ってもらえる物はどんどん出そうと分別もいい加減でご近所の顰蹙を買ったので今年は慎重に。
朝食の後、捨てるにもったえなくても着れない物はどこかに送ろうという事にしてまず送るための段ボール箱を買いに行く。ついでにお昼も時間が掛けられないのですぐつまめる物を手に入れる。どうしようかという物を箱に詰めながら時に「着れるかな」と試したりして、シミやカビ・虫が食ったものなどは捨て大丈夫そうなものは箱詰めしていった。タンス・押入れとだんだん年代も古くなって、「参観日にこれ着て学校に来たよ」などという物が出てくる頃には、保存状態だけでなく材質が今と違いウールでずっしり重く、「着ないねぇ」と言うものばかりになってきた。
遅めのお昼の後、すぐ近くのTOPPOさんが定点観察をしてお天気チャンネルの桜プロジェクトに出している桜の観察。ちらほらと花を咲かせ始めていた。
TANUKIは棚の整理の後は我々が投げ散らかした洋服箱を崩してゴミに出せるようにする作業。そして、あまりに捨てる分量も多いので業者を探して取りに来てもらう事になった。かなりの散財になったようだが、これを月1度の布ゴミの日に一気に出すなど容易ではないので良かった。梱包した方は結局、金光教会をしていて顔が広い日比の叔母に頼む事になった。こちらも夜、業者に来てもらって一件落着。後のレイアウトはともかく1部屋片付いた。
夜9時前になってようやく晩御飯、慌しく10時前に彼女の家を出て東名をひた走り、家に付いたらちょうど12時だった。それにしても、みゆが玄関番をしながら寝ていただけで、台所に行ったら茶々が何事かと顔を見せただけ、クロンも蒼もどこに居るのか出ても来なかった。
07/3/20
先週末から卒業(園)式シリーズが始まった。
他所の子供の成長はとても早く感じるが、お家の人達にとっては様々な事件の満載された年月だった事だろうと思う。良い事も悪い事も様々な思い出となって心に納まっているだろう。
ひとつの社会の中で成長し、もうひとまわり大きな世界に飛び立っていく子供達みんなに幸あれと祈りたい。
07/3/17
お彼岸は明日からなのだが、時間の都合で今日は八王子まで墓参りに出かける。
TANUKIが「薬が無くなったので医者に行く」と言うのでスタートは9時半。時間が遅いせいかパラパラと雨の降るお天気のせいか東名は空いていた。足柄でコーヒーブレイク。寒い!
しかし、道すがら所々で寒桜や山桜が咲いていた。俳句にしたかったが17文字にシェイプできなかった。
高速の路肩の先に山桜ひとつふたつと花の開きぬ DORA
厚木ICを降りた後も覚悟したほどは渋滞しなかった。カーナビがいつもR16に合流する所よりもかなり手前で渋滞回避のために城山方向へ誘導したのでそれについていく。こちらもどちらかと言うとのどかな田舎道。
畑土の黒々として山笑う DORA
途中のガストでお昼。拓殖大の近くでいつもの道に合流し、それは相変わらずの渋滞だったが、1時過ぎにはお墓に着いた。いつもの石屋さんで花と線香を買ってお墓へ。
1時間ほどで家のお墓と親戚のお墓をお参りして帰りは相模湖経由で中央道へ。時間が半端なのでこちらも楽勝。談合坂SAで一休みしたあと、河口湖ICで降りてR139を使って東名富士ICに向かう。まだ3時過ぎだったのが、空は黒雲、外気温も2度前後に下がって、フロントグラスにパラリと雪。ひとつ雲を抜けると日もさすのだが心細い風景が続いた。
朝霧高原道の駅で一休み、TANUKIが大ナメコやらソーセージやらと色々買い込む。もう一走りしてもち屋で一休み。ホットミルクとハタハタとなびいていた幟に惹かれて山葵コロッケ1つTANUKIに買ってもらった。
後は一路東名へ。降りるに従って空気が暖かくなったが、空は時間的に薄暗くなってきた。焼津ICには6時頃、疲れたのでしばらく前からTANUKIが行きたがっていた焼肉屋さんの焼肉を食べに行った。
07/3/14
ホワイトデーと言うよりもクッキーの日としてしまった方が良い本日、世間ではだいぶ下火になったが、TANUKIは土曜日からせっせと仕込んでたくさんのクッキーを焼いてくれた。先月皮算用をした私&ジュンちゃん、後は職場にもって行くつもりのようだ。
一昨年はオーブンとケンカをしながらだったが、今年はちゃんと使いこなしているあたりはやはり料理が好きなのだろう。
干しプルーンを買う時にはブツブツ言っていたが、結局これを包んだのが本人の今シーズンのご自慢。私的にはチーズ味が美味しかった。
オマケにくれた鍋つかみもなかなかキュート♪
もちろんマーミからも大きな缶に入ったディズニーシーのチョコクッキーを頂いた。
07/3/9
先日出したOB会の案内の返事が届きはじめた。「同世代の方がいないので」という欠席理由が割合にあるのだが、こればかりは困ってしまう。こちらとしてはそういうあなた方が同世代の仲間を引き込んできてくれる事を待つしかない。
仕事・生活に忙しくて同窓会どころではない世代も確かにあるだろうが、同窓会は同じ地域に住む色々な世代・色々な生活をしている人達がただ農大という場所を通過したという繋がりだけで集まってくる面白さがある。
個人的には人付き合いが苦手で、ほとんどが年賀状だけのお付き合いだが、地域だ・クラブだ、研究室だといくつもの同窓会名簿を持って思い出したように「集まらない?」と声を掛けているのは、ごく細い繋がりでも何となく色々な人と繋がりを切りたくないからに過ぎない。
けっして世話好きではないから皆出ておいでとは言わないし飛び切りな企画もないが、特に若い世代と「家から出るのが億劫になった」という大先輩方に登場してもらいたいと思っている。
07/3/5
昨夜はNHK日曜美術館で広重の東海道53次、その後NHKで歌麿の浮世絵について、たて続けに見た。
東海道53次の方は戦後に復刻した版木が出てきたので、それを使って平成の復刻をしたというものだった。一世代前の職人達の線・色を再現するために、使えない板は彫りなおし、使えるものは線のキレを出すための補修をし、色も絵の具の違いや色の置き方、バレンの当て方など昭和の作品を見ながらのきめ細かい調整がされたようだ。
この昭和の復刻は、技術を持つ職人が無くなる前にと、広重の物を収集していた人から作品を借りて板から彫り起こしたそうだ。
一方、歌麿の作品の方は大正時代に収集家によってアメリカに持ち出されたもので、作品を展示すると色あせる事から展示禁止を条件に美術館に入れられたものだそうだ。かなり大量の収集品だそうで、これによって歌麿の研究が進みそうだ。
日本に残る作品では色抜けしてしまっている朱と露草の青から作られた紫がきれいに残っていた。露草の青というものは布の染めや裁断の印などにも使われ消えやすいものである。本物の衣装としては庶民の手に入らない高価な紫をチープに作ったと言ったらおかしいが、なかなか考えたものだ。
しかし、しょせん浮世絵は当時の写真週刊誌かブロマイドのようなもの。庶民までもが手に取れるものである代わりに当時の江戸の人達はそれを収集しようとは思ってもいなかっただろう。さらに、版元・絵師・彫師・刷り師の分業制の中での浮世絵に絵師だけをクローズアップする事にどれだけの意味があるのかとも思うのだが。
07/3/3
我が家のテレビもデジタル化した。もっとも機械はそのままCATVの機械を交換してもらっただけだが。
とは言うもののテレビ3台分で機械3台。朝10時に来てくれた作業のおじさん1時間以上ほこりっぽい中で仕事をしてくれた。
それから主にリモコンの取り扱い説明を教えてもらったのだが…、とにかくボタンが多い。しかも「全部説明していたら明日になっちゃいますから…」と主にスイッチの入れ方とチャンネルの変え方を教えてもらったのだが、一挙にボタンが増えてややこしい。
それでも必要とあらば何とかするもので、自分のパソコンで見るテレビについては何とか希望のチャンネルを出せるようになった。
本日からJリーグ開幕。清水戦・浦和戦・G大阪戦とハシゴ。まだ選手の皆さん身体が戦闘体制になりきっていないのか間延びした試合ばかりだったが球春を感じた。
07/3/1
2月は逃げるというがあっという間に過ぎてしまった。そして3月。早くも高校は今日が卒業式の所が多い。
今年は母子福祉資金の関係で、何人かの中学生・高校生にお会いした。これは主任児童委員としての仕事ではなく、地区の民児委員としての仕事の1つなのだが、将来の夢や希望を語る子供達を見ていると願いが叶うと良いなと思う。
受験生ももうひと頑張り、夢を現実のものとするために頑張って欲しい。