07/4/27
教育再生会議がまとめた『親学』提言は大変不評のようだが、私はちょっとニヤリとした。
ます、父親のPTAをはじめとする教育参加。そのためには当然ながら参観日やPTA活動・学校行事に両親とも有給が保障されるべきだ。さらには子どもや母親が病気の時にはもちろん父親は家庭人として看護や育児のための休暇も保障されるべきだ。そして、子どもに早寝早起き朝ごはんの習慣を付けるためには両親共に同じ生活をしてこそ習慣として身につく。そのためには少なくとも中学生までの子供の居る家庭の父親や母親に早出や残業で夕食が夜遅くなるなどはもってのほかで、家族で落ち着いて夕食を食べ穏やかな団欒とともに早寝をする事が望ましい。それでこそゆっくりと子どもに目が届き挨拶や基本的な生活習慣をしつける余裕が出るというものだ。そして、母乳で育てるべきだというのならば、母親をメンタル面で支えるためにも父親が共に妻に寄り添い手助けをして安心をさせる事が大きな力となる。そのためには父親がリストラの不安や過重労働・低賃金にあえいでいるようでは困る。
追加するならば、小・中学生の親世代は自治会にとっても働き盛りの世代である。PTAや子ども会・スポーツ少年団など子供にかかわるものだけでなく、自治会活動や消防団活動などにも積極的な参加が出来るような働き方を考えて欲しいものだ。
さらに遊び場としての生活道路の開放を考えるのならば、何もかもトラック輸送に頼るのも間違いなら、自家用車がなければ生活ができない町づくりも困る。
こうしてみると国や自治体、企業に向けてのなかなか良い提言といえる。それらがこの方向に向かって変われば、現在子育てをしている世代だけでなく将来子育てをする世代にとっても子どもを育てるのは大切な事だよというメッセージとなると思う。
ただし、現実には医療・介護・消防・警察・運輸など24時間体制の職場は多々あるわけで、そこで働く人々も父親であり母親である年代が主流だという事を忘れてはいけないし、その子供達を両親と共にどうフォローするかという事も大切なことである。
07/4/24
日本人というものは均一性が好きなようだ。老人対応のマンションといえばお年寄りばかり。障害者用のバリアフリーをうたい文句にすれば障害者ばかり。昔は子供不可というアパートもあった。間取り的にも1K位で新婚さんは良いが子どもができたら出て行ってというもので、おめでたと共にアパート探しという事になった。
確かに同じような状況の人ばかりならお互いに分かりあいやすいしご近所付き合いもしやすいだろう。しかし、いざという時には多様性があった方が協力がしやすい。
せめて高層マンションならいざという時エレベーターがなくても何とかなるような下の階にお年寄りや障害者など、上の階にはそれ以外の人々という住み分けはできないのだろうか。
先日も書いたが、弱者が暮らしやすいという事は誰にとっても住みやすい。ボランティアという外来語がなかった時代も我々は地域で助け合って生きてきた。そのためには赤ちゃんからお年寄りまで色々な立場の人達が共に暮らせる場が必要だと思う。
07/4/23
統一地方選も昨日の投票で一段落がついた。
当選された市長さん達はそれぞれに企業誘致などによる働く場の確保や財政の健全化をあげているが、もうひとつ考えて欲しい。
これまで、働く場の減少→生産年齢世代の大都市への流出→少子高齢化→財政の悪化の道をたどってきたのではなかったか。ここで何故働く場が減少したかを考えないと振出に戻る事はできないのではないだろうか。
バブル期に個人経営というものが様々な所で成り立たなくなっていった。これは都市部の小売店や親方一人に社員数人という零細な工場、農業や林業も含めて、固定資産税や代替わりと共に掛かってくる相続税の膨大さなどで心ならずも廃業したり次の世代につなげなかった例は多い。その結果、生活の糧を求めて企業への就職を目指して人々は大都市に集まり、さらに企業側はコストダウンを考えて海外へ生産拠点を移そうと考えるのだから国内の多くの地方の生活の場が荒廃するのは当然の事であった。この思想のままでは多分上手くいかない。発想の転換から考えた方が良い。
地域の中で1人1人がそれぞれに仕事をして対価を得て生活が成り立つ工夫を考えた所がこれから活性化するだろう。幸いここまでインターネットが発達すれば事務仕事は都会のオフィスの中でしなければならないわけではない。細かな技術の開発も大掛かりなプロジェクトよりは才能のひらめきの方が生きるかもしれない。地球環境を大切にするのなら季節の食品を地産地消でまかなった方が良い。産地の珍しいものが食べたければそこへそれを目的に旅をして風物と共に楽しむのも良し、技術そのものはあるのだから通信販売に頼るのも良い。
そして、昼間地域に人が居るという事は、子供達には大人の働く姿が見えるし、大人達にとっても子供の様子がよく見える。子どもやお年寄り・障害者など社会的弱者が生き生きと生きるためには多くの人が居る事が必要である。さらにはお年寄りや障害のある人達にとっても自分達のできる事を探すチャンスも多くなるのではないだろうか。ヒトは群れる動物で常に誰かのためになる事で自分の存在を確認しようとしている。
さて、このアイデア、いかがなものだろうか。
07/4/22
水曜日の朝、茶々が玄関でじいちゃんを出し抜いて外に遊びに行ってから5日が経った。
飛び出したっきり行方が知れずというのは初めの2日位で、3日目には「家で心配しているから」とクロンが説得したのか庭まで連れてきた。後は朝晩庭にやって来てはいるのだが呼ぶと逃げてしまう。
外でネコの喧嘩の声がすれば気がもめるし、急ブレーキの音も心臓に良くない。その上、朝はともかく夕方玄関の戸を開けっ放しているので、クロン・みゆ・蒼の一党が夕食後の散歩としゃれ込んでいてせっかく身につけた夕飯の時間には家に入るルールが壊れている。茶々以外はしばらくブラリとすれば帰って来るのだが…。
茶々もいい加減お腹も減ったろうと心配だったが、今夜はお互いの持久戦で、こちらは玄関に入るまで粘ってやろうと思い、茶々も絶対に食べて行くと思っていたようで、玄関の戸をはさんでの攻防を続けたが、臆病なようで賢い茶々は私が離れて動けない位置にいないと中に入って来なかった。結局こちらが諦めて玄関の中で食べるだけ食べさせて放っておいた。という訳でまた夜の闇に消えてしまった。
とにかくこれでしばらく他所の家の鳥やハムスター・魚などを捕ろうという気にはならないだろう。1つしかない大切な命、とはいえネコが捕るべきものについてヒトがとやかく言えるものではない。しかし大切にしていた飼い主としては許せないはずでこれが一番心配なところでもある。
07/4/18
ついに我が家の恒例となってきた焼津地酒倶楽部の春の新酒祭り。この時だけお会いするお馴染さんも増えてきた。もちろん焼津地酒倶楽部の各店の皆さんや各蔵元さんから来る皆さんはほぼレギュラーメンバーなので、こちらからはだいぶ顔を覚えてきた。今回も志太にある磯自慢・初亀・杉錦・喜久酔・志太泉・大村屋酒造の6つの蔵がそれぞれの自慢の新酒を持ち寄ってきている。
今回、フルーティで香り高かったのが喜久酔と志太泉、磯自慢と初亀はスルスルと飲める口当たりのサラリとしたもの、杉錦と大村屋酒造さんはちょっと癖のある強めのものを飲んだ。杉錦さんの「ちょうど良いぬる燗」につけたものも口当たりが良く美味しかった。結局全部を飲み比べる事はできないので各蔵のお勧めなのだが、種類や銘柄はあっさりと頭の中から消えている。
初めの頃はつまみが出たとたんに手を出す前にパッと消えていたものが、だいぶゆとりを持って食べられるようになった。また、お刺身やおでんは初めから引換券なので、食いはぐれはないものの、テーブルの周りが満員で食べる場所の確保に苦労する。また、お酒はもちろんだが、おつまみを提供しているお店の販売も出て美味しいなと思ったものを買えるようになったが、どうせならいくつかのお店が持ちまわりで来てくれると楽しいのではないかと思う。
最後にリカーショップグリーン(志太常磐松会の先輩の店なのだが)の大吟醸アイスなどを食べて個人的にはシメ。
利き酒や福引などのイベントもあるのだが、その前に酔っ払った。
07/4/17
プロ野球西武の高校生選手への金銭供与事件から専修大学北上高校が野球部の解散を決めた。OBが西武からの資金提供で進学しただけでなく、高校自体も特待生として学費免除で選手を集めていたという事だ。しかし、大学受験でさえ1芸に優れているものを採る制度がある時代に、野球だけでなく各スポーツや芸術・学力などで生徒を取ること自体は私立高校としての特色ある教育を掲げる限り間違いではない。その生徒に私学で学ぶだけの学費が出せなければ奨学金を出しましょうという制度自体もそれだけで悪いものではないだろう。
サッカーやバレーボールではプロ・アマ協力して全体のレベルを上げそのスポーツを楽しむ人やファンを増やそうと努力をしているのに、野球だけがどうしてそうならないのだろうか。
校長が「高校野球ファンには大変申し訳ない」と記者会見で語ったそうだが、何よりも謝らねばならないのは夢を持ってこの学校の野球部を目指して進学をしてきた生徒達にだろう。さらには、ティーンエージャーの子供達をまっとうな価値観の中に置くべく努力をしなかった周りの大人達こそ充分に反省をするべきである。
07/4/15
季節の小箱さんが蓮華寺池公園のコンサートに出るというので散歩がてら出かけてみた。暑くもなく寒くもなくちょうど散歩日和。ソメイヨシノは飛花落花の状況だが、八重桜が満開。池のふちを歩き始めた所でバッタリと志太常磐松会のM先輩に会った。地元藤枝の方なのでよく散歩に来られるそうで、いくつか富士山の撮影スポットを教えてもらったが、みんな丘の上、しかし、山桜に縁取られた富士山は撮ってみたい。藤は咲き始め、来週は藤祭りでこの期間だけ駐車場が有料になる。また、御衣黄という黄緑色の桜もよく咲いていた。M先輩ともっぱら写真の話をしながら池のふちを1周。
昼前になると駐車場が一杯になって苦労するので早めに来たのでまだ時間的には余裕がある。しばらくぶりで博物館に入り、今日までという新井智一氏の土人形のコレクションと猪の郷土玩具展というのを見てきた。毎年お正月前後に干支に関する展示をやっているのだが、今年は少し遅くまでやっていたようだった。
売店でうどんを食べて少し早めに野外音楽堂へ。こちらのスタートは少し遅くなったようで、2人前の人が熱唱していた。
季節の小箱家もお子さん達が家から離れ、今日は奥さんも見に来ていた。そして昨年のクラスの子供達が一連隊、ほとんどクラス会状態で集って来た。
季節の小箱さん、若い人達と違いおっとりとした話しぶりで繋ぎながら歌うのだが、会場の子供達の手拍子のリズムにのって良い感じでの熱演だった。
まだまだ出演者はあるようだったが、後は歌声を背中に聴きながら会場を後にした。
07/4/13
少子化対策だと大騒ぎをしている割にはこの日本には無国籍の子供達が大勢いる。国が日本の子供だと認めていないわけでもちろん福祉の対象外になるし様々な統計にもカウントされていないだろうと思われる。
まず、今大騒ぎをしている母の離婚後300日を経過せずに生まれた子供達。日本の制度では父系制を採っているので子供は父の戸籍に入るのだが、それがいやだと言う場合は子供は中に浮いてしまう。(これに関しては児童福祉の観点から児童手当・予防注射・新生児検診・保育所入所などのサービスはすると厚労省の通達が出たようだが)さらに日本在住の外国人と日本人の間にできた子供達で父親がいない子供達、そして、裁判にもなっている代理母によって産まれた子供達。
今ちょっと気になっているのが北朝鮮に拉致されたのだろうと言われている2人の子供達に関して、彼らの父親は北朝鮮の国民だったので、当然これまで国内で生きていれば北朝鮮籍としてとりあつかわれているのではないかと考えられる事だ。そうだとすれば出入国違反は問えるとしても保護者がいなくなって帰国したという事になる。拉致だと騒ぐのはどうだろうか。行方不明になった当時に母子をきちんと探していれば少なくとも殺人事件は解決したかもしれないし、子供達も日本の親族に引き取られたかもしれない。
小さな日本で、少子化が心配だと大騒ぎをしながら日本と言う国は国民として受け入れる事、国民を守る事には甚だ熱意を欠いているように思う。
07/4/9
統一地方選の前半が終わった。
選挙期間中からテレビも新聞も都知事選のニュースばかりだが、基本的に東京都民以外は蚊帳の外の話でしかない。一方、静岡県でも県会議員選が行われていたのだが、ほとんどニュースにならなかった。選挙運動もせいぜいが選挙カーが名前を連呼していたくらいで、選挙カーが不必要にうるさいのはマイナス点。「○×をよろしくお願いします」の電話も基本的に無視する。時間を考えないものは生活感覚がずれているとしてもっとマイナス点。
私が聞きたいのは候補者がどんな哲学を持ってどんなビジョンを描いているかだ。どんな仕事をしてきたかも確かに判断の基準にはなるが、それ以上にこれから何をしたいのか、するつもりなのかの方がより重要である。議員という仕事に求められているのは国や地域の将来の展望であって、個人の将来についての口利きなどではない。
人々の心に伝わる言葉で、繊細かつ大胆に語ってほしい。
07/4/4
ソメイヨシノという桜は江戸時代後期に江戸吉原遊郭の春を彩るために開発された品種だそうだ。当時は植木鉢に仕立て花の頃に吉原の町の中に持ち込んだそうだ。
そんな花なので条件が同じならばどの木も一気にパッと咲く特色がある。
ところが今年のこの近辺のソメイヨシノは気まぐれだ。すでに花を散らし葉を出しはじめているものもあれば、その隣でやっと蕾をほどきだしたものもある。気温も乱高下しているので花そのものは長く楽しめそうだ。
しかし、そもそも桜の開花を祝うのはこの花を目安に農作業が始まり、稲魂を山から里に呼ぶ行事だったからだ。指標にフラフラされたらどうも座り心地が悪い。
07/4/3
今日は春の選抜高校野球の決勝戦だった。静岡県代表は最近大会にもなかなか出られないのだが、今年は常葉菊川高校が決勝戦までやってきた。
はじめは「今年は静岡県から出たんだね」、1回戦では仙台育英と接戦を戦い「1つ勝てて良かったね」といったものだったのだが、2回戦では今治西高に大勝。ベストエイトでは優勝候補の大阪桐蔭に逆転勝ちをした。さらに準決勝の熊本工業にも逆転勝ち。そして本日の決勝でも大垣日大に点を取られては追いすがる展開ながら最後は6-5と逆転。ついに優勝旗を手にした。
すでに常葉菊川のキャッチャーが優勝インタビューで「夏も出たい」と言っていたが、すぐに次に向けての練習が始まるのだろう。粘り強く、気持ちを切らさない事が良い試合にし、ついには試合をひっくり返す原動力になったと思う。技術とともに気持ちにもよりいっそうの磨きをかけて欲しい。
前回の静岡県勢の優勝は29年前の浜松商で、この常葉菊川の森下監督が浜商のキャプテンだった時だそうだ。この前回優勝時には私はまだ静岡県人ではなかったが、TOPPOさんの亡くなられたお連れ合い(この時点ではまだお連れ合いではないが)がこの浜商にお勤めだったので学校のフィーバーぶりは漏れ聞いていた。
今日の対戦相手の大垣日大は初出場、しかも希望枠からの出場で決勝戦まで勝ち上がってきた。全国のレベルも出場校とそれを逃した学校のレベルも僅差なのだろう。
07/4/2
今日のNHK『クローズアップ現代』は「震度6が高齢者を襲った」というタイトルで能登半島地震で避難した高齢者の廃用症候群についてやっていた。避難所の狭い空間でショックもあって寝てばかりいる事から筋力が衰えて歩くのが困難になったり心肺機能が衰えたりするのにどう対処するかという事は、今後の高齢者のQOLの問題だけでなく町の福祉予算にも直結する問題だけに大切な事だと思う。
対応策として動く機会を作る事。場所さえあれば体操でもゲートボールでも心のケアとして周りが提案する事を勧めていた。
この20年近く、阪神淡路大地震では避難や復旧作業による地域コミュニティの崩壊が問題になり、中越地震では車など狭い所での寝泊りによるエコノミークラス症候群が問題になった。だんだんに巨大災害による避難生活の質も上がりつつあるが、そのような事はなければそれにこした事はない。しかし、いざと言う時の備えに心のどこかにとめておくべき事だと思う。
07/4/1
歴史書に書かれる歴史とは勝者の歴史である。戦争だけでなく、思想だったり宗教だったり言論だったりその勝ち負けは生活第一の一般庶民の知る事実とはあまり関係のない所で行われる。
そして身近で本当にあった事実は顔を見合わせて人から人へ感情と共に伝えられるものである。書物には載せられなくともそれもまた本当の歴史である。
伝える事に努力する事は良い事だと思うのは私も日記好きの日本人の1人だからだろうか。