ちょっとした感想   

09/1/26

   大相撲初場所は横綱同士の優勝決定戦の末、朝青龍が14勝1敗で優勝した。
   怪我をして休場中だった横綱の復帰優勝の成績として文句のない成績だと思う。1夜明けてまた態度がどうのと外野がうるさいが、スポーツであり興行である大相撲は土俵の上での結果がすべてが建前ではなかったか。今回の朝青龍はよく頑張ったし結果も残せ、うれしさもひとしおだったと思うし、その態度を否定することは一般観客の共感を得るものではないと思う。

09/1/25

   明日が旧暦の元旦だったようだが、1日早く法多山へ初詣に行った。
   空気は冷たかったが良い天気、しかし、法多山は相変わらず混んでいる。小さな子供を連れた家族連れからお年よりや若いカップルも山門までの参道は屋台もたって縁日のよう。
   山門をくぐると杉の巨木に囲まれてしんと静寂な空間になる。坂を上りきった所が本堂、今年の無事をしっかり祈った。
   脇へ回るとおみくじ売り場で、ここのおみくじは凶も入っていてしっかりと何度か引いてしまったが、今年は末吉。1年間お守り代わりに持っていることにした。
   もちろんここに来て厄除け団子を食べなくては来た甲斐がない。混雑を避けて外の縁台で団子とお茶で一服。風さえなければ真昼の戸外も暖かい。
   おみやげも買って参道を戻り門前町の食堂でお昼。残念ながらどこへ入っても値段の割に?が付くが、今日入った店は奥さんが韓国の方らしく、いっそビビンバでも頼んだ方が美味しかったのではと後から気が付いたしだい。
   帰りに藤守とマーミ宅にお土産の厄除け団子を配って我が家の正月行事もほぼ一段落した。

09/1/23

   茶々のお母さん猫がとうとう逝ってしまった。以下、Mさんからのメール。
   のらこは12月からずーっと通院でインターフェロンと抗生物質の投与を受けていました。家のベランダの暖房付きハウスに住んでいましたが、1月8日に突然行方不明になり、14日に近所の方が衰弱しきっているのを発見して、知らせてくれました。すぐ入院、加療を始めました。一時はご飯を食べるまで回復したと聞いていたのですが、容態が急変して20日に亡くなりました。
   のらこは最初から成猫のノラネコで、ゴミ捨て場で亡き弟と目が合ったのが、うちとの付き合いの始まりです。
本当にかわいい猫でした。茶々やちびたの親であるだけでなく、私が仕事から帰ってくると待っていて、いつも一直線にかけてきました。来る人を歓迎するし、かわいがってもらうのが大好きで、とにかく明るくて、人柄の良い猫でした。肥っていたので、走る姿はゴムマリに短い手足をつけたようななんとも楽しい姿でした。
   最初にちびたが一人っ子としてどこかで生まれました。しばらくしてつれてきました。それから3ヵ月後、突然、もっと小さい子猫を3匹連れてきました。そのうちの2匹が蒼と茶々です。それで急いで避妊手術しました。
   5匹家族は我が家の裏庭に住むようになり、それはかわいい一家でした。弟や母は家の猫を部屋に閉じ込めて、この5匹とよく遊んでいたものです。
   でも、こんな大家族を飼い続けるわけにはいきませんから、茶々たちは焼津へ、もう1匹jは草加の方に養子に行きました。最初のちびたは養子には大きくなりすぎたので、うちに残りました。のらこは家の猫・竹千代と喧嘩相手だったので家には入れず、ベランダ猫になりました。茶々とちびたは元気で長生きしてもらいたいです。
   のらこちゃん、蒼が天国で待っているよ。

09/1/20

   ここまで不景気になると雇用の確保という言葉がマスコミや政治家からたくさん出て来る。
   しかし、ここまでサラリーマンだらけになった時代がかつてあっただろうか。本来、農業・林業・漁業などや商店、職人など個人で仕事をしながら生活をしてきた人々が大多数であったのではないだろうか。
   生活を維持するためには生業があればいい。雇われるという考え方はそのごく一部で良いのではないだろうか。地道に地域で暮らしを立てるというごく真っ当な考えを壊し地域社会を壊してきた合理主義から頭を切り替える必要があるのではないだろうか。

09/1/12

   港の叔父が川柳やショート・ショートのようなものの投稿を趣味としていて、病室にもスクラップブックを持ち込んでいた。49日の法事までにまとめないかと叔母に持ちかけて、スクラップブックを借りて整理中なのだが、初出は昭和28年頃、時事ネタが多いので古いものは何の事なのか調べなければ分からないものも多いが、私の人生のすべての時間とかぶさるだけの思いが詰まっていることになる。
   生前にそんな話をする機会はなかったのがちょっと残念に思われる。

09/1/5

   本日TANUKIは医者へ。診断書は1カ月の休職になっていたので今後どうするかを相談。薬を飲みながら徐々にエンジンを掛けていくのが良いだろうという事になった。
   帰りに職場へやはり復帰についての話し合い。そこまで付いて行く事もないと車で待っていたら上司の方が出てきて、今後の対応について説明してくれた。とにかく明日から職場復帰、1度にすべて元のままはきついだろうから徐々に慣らしていこうということでこちらも段取りがついたようだった。
   正直ホッとしたが、1カ月+正月休みを思い切りゴロゴロしていたので体力が付いていくかがやや心配だ。

09/1/4

   日本時間の明け方、ニューギニアの方で大きな地震があり、日本の太平洋沿岸まで津波がやってきた。数センチから数十センチのようだが、津波注意報が出てラジオ放送は昼までその情報をずっと流していた。
   もちろん市の同報無線でも津波注意報発令が流されたが、地震を感じたわけでもなく、正月早々それも日曜日にテープのチェックかと思った。こちらでは緊迫感は皆無だったが、小笠原諸島などでは時ならぬ潮の流れが起きて漁師さんなどは警戒をされていたようだ。
   確かに津波が来るかもしれない時に沿岸への接近は危険だが、そればかりを放送し続けるのもどうだろうか。私はむしろ震源地の被害が気になった。日本人は居ない地域のようだったが、M7.5の地震が2度も起きてホテルの倒壊なども起きているようだ。また、地球全体の事としてこの地震の影響で日本で地震が起こる事があるのかないのかも気にかかる。
   それにしても、昨日の湘南海岸を走る箱根駅伝の最中の事でなくて良かった。

09/1/3

   箱根駅伝の復路は途中から年始周りのカーラジオで聞くことになった。農大の学科を考えれば足腰丈夫で山に強い選手がいても良さそうだが、どうも箱根の上り下りの成績は良くない。それでも今回は順位をたいして落とすこともなく7区・8区で7位まで上げてきた。せめてシードは取れるかと楽しみが出てきたのだが、10区のデットヒートで最後まで体力が続かなかったようだった。シード権獲得の10位まで45秒足りない総合12位(復路10位)だった。それでも去年の経験を生かしてみんな良い走りをしたと思うし来年への楽しみも大きくなったと思う。また予選会からだがこの経験を生かして次のステップと目標を持って欲しい。
   今回の箱根は見ているだけならワクワクが続く良いレースだった。優勝した東洋大と2位早稲田の追いつ追われつもあったし、4位集団・7位集団などいくつかのグループ内での抜きつ抜かれつも熾烈だった。それだけ各校のレベルが拮抗し、どこが勝ってもおかしくない状況なのだろう。
   高校サッカーは大津高(熊本)に2−3で負けて藤枝東高は3回戦で終わった。

09/1/2

   本日はとにかく箱根駅伝。事情満載で出かけてまで見るわけにはいかないが、家でずっとテレビ観戦。
   前半、2区では農大期待の外丸君が今年は良い所までいけるかもという走りを見せてくれて4位でつなげた。
   今年はどのチームも途切れることなく箱根にゴール。しかも2区以降は区間新記録の連発、しかも各区間ともデットヒートが繰り広げられ、見ている分にはとても見ごたえのあるレースだった。往路の優勝は東洋大。農大は12位。しかし、明日の復路スタートの10分以上遅れの一斉スタートは青山学院大と城西大2校だけという接戦。
   明日、せめてシード圏内を目指して我が母校・農大に頑張って欲しい。
   駅伝の後は同じチャンネルで高校サッカー。藤枝東高は順当に鳥取の境高を4-0で破って3回戦へ。
   見るだけでなく自分も少し動かなければ身体に良くないのだが…。

09/1/1

   明けましておめでとうございます。
   今日は空気はピリッと冷たいながら穏やかな良い日和でした。
   実業団駅伝とサッカーの天皇杯決勝を見ながらのんびりとした寝正月でした。

昨日と同じなれども初景色     DORA

12月    2月