ちょっとした感想   

09/3/29

   夜のNHK教育テレビで今年の日本農業賞受賞者の特集をやっていた。1時間で全部伝えるには盛りだくさん過ぎて惜しい番組だった。
   個人経営の部では生産から加工・販売までのルートを確立して「やる気が出たよ」と生産しているメンバーに言わしめる養豚の話だった。ブランドを確立するためにあえて生産性は劣っても食味の良いブタを手間をかけて育て、しかも養豚農家からは全頭を引き取り、食味検査で生肉として出荷しないものはハム・ソーセージなどに加工してさらに食堂や通販などの販路まで持っている。全体が1つになって仕事として成り立っているのだと思う。他にも北海道の小麦農家・日光のほうれん草農家なども生産するだけでなく、その地を生かし、さらにその利用についてのこだわりを持って研究しているようだった。
   集団組織の部では諫早のカーネーション生産のグループが取り上げられた。8戸で年間670万本が生産されているそうだが、栽培の効率化や工夫で勉強の時間や新品種の栽培研究などもし、どんどん変わっていく人気品種の確保にも努めているようだ。一番いいことは仕事は大変でもそれが仕事になる(生活できる)という事で後継者が育っていることではないだろうか。
   こちらの部では練馬農業体験農園主会も受賞していて、しばらくぶりで高校の同級生の顔が見られた。都市の中で生産緑地をどう守っていくか、都市住民と農家とのつながりをどう作るかの1つの試案だと思う。もう1つは岡山のブドウ栽培の圃場に萱や落ち葉など土地にあるものを利用して敷き詰め除草剤を使わない取り組みをしている所だった。もちろんブドウそのものにもこだわりはあるのだろうが。
   最後の食の架け橋賞は四国の四万十町十和おかみさん市で、山間農地と高齢化で、出荷がままならなくなっていた地域の村おこしとして、おかみさん達が町のスーパーで料理の実演をしながら野菜を販売したり、逆に農業体験や郷土料理を食べに町に来てもらうツアーを企画したり、町の駅を利用してバイキング料理を作ったりの取り組みをしているものだった。こちらは町をあげての取り組みの代わりに交代制で自分の農業にはあまり支障の出ないようにして、しかもこの収益はおかみさん達のお小遣いになるそうで、それがやりがいにもなっているようだった。
   これらを見ていくと画一的に工業のような農業をやろうという発想はない。その土地の自然とともに色々な仕事に取り組みながら農家という生産の場を構成している。これが百姓という名のもとだと思うのだがどうだろうか。

09/3/24

   本日は父の葬儀。朝早い自宅出棺にもかかわらず大勢集まってくれた。
   体を拭い、お線香を立ててから納棺。よく着ていた上着を着せかけ顔の周りには花を、胸には最後に使っていたNHK詰め将棋の賞品の森内9段の扇子を開いて乗せた。TOPPOさんが追悼句『歩ひとつ戻ることなし春の夢』の短冊を入れてくれた。
   叔父達とも相談をして無宗教の告別式にした。
   1つには関東大震災や東京大空襲のせいで、先祖からのお付き合いのお寺もないし、お墓も父の代で独立して祖父母が都営霊園に入っているので、無理にお願いできるお寺さんがないこと。さらに、T家は浄土真宗なのだが駿河には親鸞聖人が足を踏み入れなかったそうで浄土真宗のお寺がほとんどないこともあった。
   しかし、どうやっても良いとなるとこれもやり方が難しい。洋画の主題歌などのイージーリスニングをCDでつないで流し、思い出の写真を何枚か組んでDVDに編集してもらった。後はよく遊びに来ている叔父の孫達全員に出てもらい代表してお別れの言葉を言ってもらった。
   白いカーネーションで全員に献花をしてもらい、お礼の挨拶などをして最後にお棺に花を入れて斎場へ出棺となった。
   こちらではお焼香をしてお別れ。火葬場はフル稼働で30分おきに集骨の案内が入っていた。ちょうど昼時に当たるのでお客さんのお弁当はこの場で祓い膳にあたるものにした。
   最後に公会堂で組内の祓いの席についてもらったが、平日の午後ということであまり大勢は集まれなかった。しかもWBCの決勝戦の最中で、目はそちらへ。それでもだてに教会の奥さん達を引き連れていったわけではなく従妹達は手馴れた様子で接待をしてくれた。

09/3/23

   父の通夜。瑞穂の一族や函南の一族のほかマーミ&ジュンちゃんや十勝の叔母や日比の叔母、田原本からは従妹夫婦、天王寺からは従妹が来てくれて手伝ってくれた。もちろん台所番のリーダーは勝手知ったTOPPOさん。
   玄関の火鉢を端に寄せていくつかの写真を編集して父の思い出のコーナーを作った。やはり将棋がメインになるが、こうしてみると三鷹時代に毎年正月に家族写真を撮っていたのは過ぎた時間がよくわかって良かった。そして色々な人が家に来ている。外部の人にはともかく内輪受けして、それぞれに懐かしがってくれた。

09/3/22

   父は大正9年生まれ。青年期をどっぷりと戦争に浸かった世代だ。
   東京下町生まれなので関東大震災にも遭っている。祖母は私より小柄な人だったが、父を背負い朝炊いたご飯を鉄のお釜ごと風呂敷に包んで逃げたそうだ。しかし、その復興していく昭和初期の良い時代が成長期に当たっている。戦争中は千葉の海岸線防衛についていたそうで国外には出ずに済んだ。
   戦後はいくつかの職を変わっているが、最後はジューキミシンに勤めていた。仕事の話は聞いたことがないがその頃には職場の将棋の会に参加していて、都の大会などにも出ていたらしい。
   私が学校を卒業する頃から祖母の体が弱り、父の定年退職とともに私が結婚したので、それからは父が祖母の介護をしていた。将棋の他に読書や映画、庭仕事など1人で楽しむことが好きだったのでわりと悠々自適の生活をしていた。
   はじめはトン汁もカレーも同じ材料を入れていた人だったが、いつの間にか料理も上手くなり、「親父カレー」は内輪の名物料理になった。
   祖母が亡くなった後、こちらに家を建てて一緒に住むようになったが、母方の親戚が全国に散らばっているので初めの内はそれぞれによく遊び歩いていた。我々はくまなく廻ったが、両親はもっぱら母の故郷の岡山や母の女学校時代の友人が多い大阪に出かけていた。
   家ではBS放送で将棋を番組を楽しんだり映画を見たり。その後はちょうど出始めたプレイステーションで将棋も楽しんでいた。昔は釣りも好きでこちらに引っ越すときも釣竿を持ってきたのだが、海も川も近いのに行くことはなく、釣竿は室内の物干しと化したが、庭も広くなったので庭仕事には余念がなかった。
   昔の人は器用で、家の中の細々した修理や細工、ごみ出しの仕分けや掃除などもごく最近まで良くやっていた。
   私と同じでマグロに引かれて焼津に来たところもあるが、晩年はお徳用の1人盛を猫と分けてよく食べていた。猫はマグロがなくても皆じいちゃんが好きで、じいちゃんが来てからの猫はとりあえずじいちゃんが1番好きで、じいちゃんの側が1番落ち着くようだった。しかし、じいちゃんは次々入ってくる新入りの世話に取り掛かり、じいちゃんを卒業するし一人前の家の猫になっていった。
   今年の1月の誕生日にも足は弱っていたもののミニステーキとかぼちゃのポタージュにケーキも付けて完食。その後も食欲はあったのであまり心配もしていなかったのだが、月末頃から食べ物が入らなくなり、そのうちお茶も喉を通らなくなり入院。入院当初はさほど心配もされていなかったが、血液検査の結果は腎臓が相当悪いとの事で1度は危篤状態にもなり点滴になってしまった。それから1月半、2月半ば過ぎには少し元気も出てきたように見えたが、最後は痰が取れなくなって呼吸が相当苦しそうだった。それを何とか看護師さんがとってくれてホッとして眠ったまま逝ってしまった。

09/3/21

   葬儀の準備というのは待ったなしで始まる。
   昨夜父が亡くなり、その場でまず、「どうやって帰りますか」という話になる。出入りの葬儀屋さんが居るわけもなし、最近義弟の近所でお葬式を出した家に聞き合わせてもらって扱ってもらえるかどうかを聞いてもらう。
   いくつもの業者を見比べるまもなく、「1時間位で向かいます」という話になり、病院で立ち会う側と家を片付ける側に分かれて準備に取り掛かる。
   寝台車で運び込まれてきた父を部屋に寝かせるとそのままバタバタと葬儀の段取りに入る。
   今日は「親族が集まるのが昼過ぎだから」と1時頃に葬儀屋さんの担当者に来てもらって、細かい部分を詰めていく。土曜日だが組長さんは仕事ということで義弟が市役所の手続きなどに歩いてくれた。これで火葬場の時間を決め、ホールの時間を取り、最後に手伝ってくれる組の人たちの祓いの為の公会堂の時間を取って具体的な日程表が出来ていく。その後で予算を考えながら祭壇や飾り、お返しや料理の内容や数のチェックに入る。正直を言って1つ単価から予算の割り出しなどせずに大雑把に決めてしまった。
   その間、親族からの電話は入ってくる、人は来るで1つの事を落ち着いてやっていられない。
   最後に請求書を見てひっくり返らなければいいのだが…。

09/3/17

   彼岸の入りなのでストレス解消を兼ねて1人で八王子まで墓参り。
   良く晴れて気温も高いという天気予報は9時前に家を出た時は「ホントかいな」という空だった。
   平日の朝というのに東名は空いている。日本平SAで買い物。後はせっせと車を走らせて御殿場ICから中央高速へ行くためにR138へ。しばらくぶりでバイパス側を通ったがずいぶん食べ物屋さんが増えていた。東富士五湖道などはほぼ貸しきり状態。11時前だったが谷村PAで前回味をしめたコロッケカレーうどんで早お昼。うどんにコシがあって、カレーはライスカレーなどにも使っている具沢山のもの、しかもコロッケのジャガイモの味がしっかりしていて美味しい。お腹も一杯になって\530。大月JCTから東に向かい、八王子JCTで圏央道へ入り1区間、西八王子ICで降りるとかなり早く着ける。それでも最後の墓の前を通る道は渋滞していた。
   入り口の石屋さんで挨拶をして花と線香を買い墓へ。さすがに彼岸の入りということでけっこうお参りの人が居る。ちょうどお昼時でお墓の前でお昼を食べているグループも多い。その上をカラスが飛び交っている。この頃にはすっかり晴れて気温も上がり風も穏やかでピクニック日和だが、付近の杉はまっ黄色に花粉の最盛期を示している。さすがにしっかりとマスクをして墓掃除。花を生けて線香を立てお参り。線香が尽きるまでにはしばらく間があるのでその間に一山越えた所にある親戚のお墓にもお参り。今日は車が多いのでテクテク歩く。こちらもお参りをした後でグルッと廻って戻るとちょうど線香も尽きようとしていた。ざっと線香の灰を洗い流して帰路。
   帰りは相模湖まで下を通ろうかと思ったが、渋滞していそうなので止めて素直に戻る。八王子西ICから入って圏央道から中央道。こちらではまだ梅が最盛期であちらこちらで咲き誇っていた。午後早い時間で今度はトラックが多い。談合坂SAで一休みをしてメープルバニラソフトを食べる。ここしばらくソフトクリームが食べたかったので、暑いくらいの日の下で食べられてラッキー。東名に戻って今度は富士川SAではんぺんフライを食べる。このあたりはストレス解消。花粉にたっぷりさらされて目薬を差しながらの走行なので落ち着けるためもあるのだが…。
   そんなこんなで4時頃には焼津IC。ちょっと父の様子を見て買い物をして5時頃には家に帰りついた。

09/3/15

   今日の市の広報で「野良猫に餌をやるな」「猫は室内飼いせよ」というような事が載っていた。しかしこれにはきっちりと反論をしたい。
   そもそも猫は人間とは別の生き物である。彼らには彼らの生き方がある。それは飼い猫も野良猫もない。彼らの生き方はネズミをはじめとする小動物の狩をして生きることだ。我々人間は人間に害をもたらすネズミ駆除のために猫に人間の周りに住んでもらう事にした。その基本を忘れてはいけない。
   「ここで安心して暮らしてほしい」「ここでネズミの狩をしてほしい」というメッセージとして餌をやったり寝場所を提供したりしているわけである。この基本を崩すと猫の存在意義がペットであるという事だけになり、猫にとってのメリットがまったくない関係になってしまう。
   ここ焼津は魚の町である。猫好きにとって漁港とそこで暮らす猫ほど風景としてマッチした絵はない。それもペットとしてのきれいな猫ではなく港で暮らすふてぶてしいまでにガッシリとして生活力のある猫が良い。ここまでは私の個人的な趣味だが、彼らは魚クズも食べるだろうがそれを目当てにやってくるネズミも退治してくれる。残念ながら猫よりはネズミが媒介する伝染病の方がずっと多い。
   そして生き物はいつか死ぬ運命にある。子猫や若猫、年を取った猫は死の危険も多い。しかしそれはペットであろうと人間であろうと生き物の宿命である。
   狩のできる猫と猫の多様な遺伝子を残していかないと、いつか猫も絶滅危惧種になりかねないしその時に中世ヨーロッパの黒死病(ペスト)のような危険な細菌がネズミによって媒介されないとも限らない。中世ヨーロッパの人口を激減させたという黒死病は魔女狩りの余波で猫をたくさん殺した結果だという。

09/3/12

   門前の小僧の将棋好きだ。ただし相手のあるものなので指す方はどうにもヘボだが見るのが好きだ。
   プロ棋界も年度末、中原16世名人が引退を表明された。昨年夏に脳出血を起こし入院・リハビリ中だったが、1つの時代の終わりを感じる。
   一方C級2組の有吉9段は3/10の最終局に勝って現役続行を決めた。この方はすでに70歳を超えておられる。(対戦した高碕一生4段は自力昇級ありの位置につけていたらしい。)
   将棋好きの父が毎日曜日NHKの将棋番組を見ていたので、これらの棋士が颯爽とトップ棋士として活躍していた時代からずいぶんと時が流れたことを思う。

09/3/8

   地元で祭っている八王子神社のお祭りの当番だった。
   お祭りは神社の祠の前で、関係する神社総代さんや地区の総代さん、当番組の男の人達で行われる。
   女性陣は初めから直会会場の公会堂でその準備。昔のように全部手作りではなく、トン汁を作って漬物を切るくらい。それも人海戦術で切ってしまえば後は火の番をしながらそこここに集まっておしゃべり。来年の当番組の担当さんも来て取材をしていった。
   直会は初めに神主さんをはじめ神社総代さんや主なお客さん、その後で総代さん達と当番組のメンバーで行われる。初めのお客さんの数に合わせてテーブルや座布団を並べ、折り詰めや刺身、お寿司は頼んだものを並べて準備。お酒もしばらくぶりで1升をそのまま薬缶に入れて燗をつけた。上まで熱くなるのを待たず、上がかすかに温くなったところで瓶に戻すと程よく燗がつく。
   今回は「なかなか来ないね」と言っている内に皆さん戻ってきて、お神酒が回り直会が始まった。何人か接待役を置いて後はまだ待機。あちらこちらから色々な話の出た中で、「安い猫グッズを造っている人がいるのよ、きっとDORAさんもはまるよ」という話が出た。どこかの縁日に店を出しているらしく、その縁日が「練り製品とかこんにゃくとか安いし…」と何人かの人達のブームになっているようだった。
   直会の後、若い奥さんと神主さんを送って行った。家から出てきた神主さんの奥さんがその地区の主任児童委員さんでビックリ。それぞれを姓では認識していても結びついてはいなかった。
   戻って、2度目の直会。今度は我々も世話をしながら参加をする。ちょうどタイミングよくお昼時。新しい家が増えた分メンバーがだいぶ若返った。次の組長さんも紹介されて午後のほどほどの時間でお開きとなった。

09/3/4

   昨日、民主党の小沢代表の秘書が政治資金規正法違反で逮捕され、今日、小沢さんの釈明会見もあった。また、今日は定額給付金が与党によって衆議院で再可決された。マスコミの騒ぎようも含めどっちもどっちで国民から見ればばかばかしいを越え、もっとやるべき事があるのではないかと思うのだが。
   たとえば、愛知の鳥インフルエンザ、たとえば不況によるホームレスや生活保護家庭の増加、授産所などの経営が成り立たない状況、たとえば病院のスタッフの過重労働と診療難民、たとえば農地の荒地化、それらに政治家はどんな処方を出すのだろうか。
   日本という国は実は小さな政府でやってきた国だったと思う。その補完役は大企業と地区ごとのコミュニティだった。大企業の福利厚生と終身雇用、地域での相互扶助が国のずさんな網でも間に合うように人々を救い上げていた。これは江戸時代の殿様と家臣団・名主を中心とした自治組織以来の伝統を引き継いできたものではなかったかと思う。しかし、効率第1主義があっという間に企業と地域のプライドを取り上げ人々をバラバラにしてしまった。
   100年に1度の難事に立ち向かう最前線に居るべきと期待されている政治家が国民不在のままマスコミを喜ばすためのパフォーマンスにうつつを抜かしていて良いのだろうか。

09/3/1

ねこのこの雛も並ぶや日の優し  DORA

2月    4月