我が家&和賀家 14年

15/3/30

   お節句より前にお餅を搗こうとなったら、今年は平日になってしまった。雛まつりのお餅は色とりどりできれいだが、暮の餅つきのようにお鏡やらおさんこちやらと手のかかるものはあまりないので、せっせと片付いた。
   今年は草餅を丸める頃にマーミがテニスを教えている近所の小学生が3人やって来た。お団子にしてきな粉をまぶせば良いので教えるまでもなくせっせとたくさん作ってくれた。
   もらってきた餅はTANUKIが切って、何箇所かへおすそ分け。

15/3/5

   いつの間にやら3月、天王寺の従妹の子ども達は短大と高校を卒業。それぞれの道にスタートを切る。それまでのしばし、3食おやつ付きのおさんどんで自分が太ってしまった…、そうだ。
   東京の従妹の所は長く大阪に単身赴任していたダンナさんが4月から東京勤務になるそう。母子家庭仕様だったから、納まるように片付け中だそうだ。

15/1/20

   Y家の叔母さんの葬儀。朝8時半葬儀場に集合で納棺の法事。すでに先にお棺に入れられてこちらに来ていたので、花と折りヅル、ご本人の大切にしていたものなどをお棺に収めた。お経があってお棺のふたを閉めて9時過ぎに出棺。
   現在、火葬場が工事中で駐車場も狭くなっているし館内もあちらこちらに防護壁があって、「ここはどこ?」状態、今年になって来たという義弟が「また様子が変わっている」と言うほど。お葬式が出来るスペースは無くなっているが、待合室はフル回転のようだった。
   予定時間よりもかなり早く呼び出しがあってお骨揚げ。そのまま葬儀場に帰って予定時間よりかなり早かったので時間調整。
   1時から葬儀となった。昨日のお通夜の後でお坊さんが葬儀の儀式について説明をしてくれていたのでそういう意味があったのかと思いながら見てしまった。お別れの辞はお孫さんの女の子がしたが、叔母さんの人柄が偲ばれてとても良かった。戒名は覚香房園尼上座。享年85歳だそうだ。
   大の従妹にはお正月にも会ったが、当目の従妹には何年振りかで会った。

15/1/19

   暮から寝込まれていてお正月にお見舞いに行ったY家の叔母さんが13日に亡くなられ、今日がお通夜だった。
   すでにお孫さん達も結婚し、何人もの曾孫ちゃん達がチョコチョコとしている賑やかなお通夜だった。遺影の写真もやさしい良いお顔をしていたが見えていた叔母さん達は「姉さんは美人だったし、もっと良い写真もあるはず」と言っておられた。
   お通夜の席でお坊さんが三帰戒文と血脈(けちみゃく)の話をされた。仏様の教えを守り帰依する事で戒名と血脈(仏様から繋がる信仰の連なりだそうで、最後に菩提寺のお坊さんから亡くなった本人まで連なっているもの)を頂くのだそうだ。

15/1/2

   本日は新年恒例のTANUKIの親戚年始回り。TANUKIの両親に当たるO家・Y家はほとんど近所に集まっている。それにジュンちゃんの実家も加えてスタンプラリーのようなお年始を毎年続けている。玄関先で挨拶をしてちょっと世間話をしてくる位なので今年は8軒を約4時間で廻った。
   叔父さん・叔母さん世代は大分お年で、今年はY家の本家の叔母さんが寝込まれてしまっていた。
   いとこ達やその家族なども普段はこちらに居ない人も戻っていたりするので、1年ぶりで顔を見る事が出来たりする。もっとも最近は近所に住んでいてもお葬式でもなければなかなか会う機会もないというのが実情なのだが…。

14/12/24

   9月に芦屋ロソンという遠縁の親戚があると書いたが、『蘆谷蘆村ではないでしょうかね?児童文学の研究者で、聖書の解説なんかも書いてた人ですが...』と十勝の従弟からメールが来た。
   祖母の関係をさかのぼって行くと英語・学校教師・キリスト教などの言葉に行きつく話が色々あるのだが…。
   色々な話を覚えている母の世代がみな記憶や持久力があやしくなっていて、そうかもしれないねとしか言えない。
   母の所に母の従兄(祖母の姉の長男)が亡くなった時にアルバムなど色々と資料になりそうなものは頂いてあるのだが、どこにどの程度あるのかも良く分からない。ただ、ものすごく物持ちが良く新聞も捨てずに溜めていたような伯父さんなので、出てくれば面白いものがあるかもしれない。

14/12/17

   実は私はあまりマメではない。親戚の誰かから電話やメール・手紙が来れば返事は出すが自分から動く事はあまりない。というわけで、話したい誰かから何か言って来るのを待つのがここのスタンスなのだが、しょっちゅう何かかにかとメールをくれている従妹からずいぶんメールの1つも来ないなぁと思っていたら、身辺で色々起こっていて忙しかったようだ。その一環で自分のアドレスを変えてこちらに連絡をする時に私のアドレスを間違えて入れていたらしい。
   それが分かったのも、さすがに気になって彼女の近くに住んでいる従妹にメールを入れたら「今一緒にいるよ」とのメールをもらい、双方からメールが返って来たという訳だった。

14/12/16

   和賀家の犬つながり。去る犬もいれば、来る犬もあり。
   大津の従妹の所に犬がやって来た。里親探しのサイトで見つけて急きょ飼うことにしたそうだ。名前は湖太郎。柴犬の雄ですでに1歳2カ月、写真を見るとずいぶん愛相の良い犬に見える。
   早速、長女がせっせと散歩に連れて行っているようだ。この長女、十勝の長女と同い年、ただし片方が早生まれなので学年は1つ違う。方やほぼ一緒に生きて来た犬が最期を迎え、方や青春時代を犬とともに駆け抜けて?行く事になったかも…。
   そういえば大津の従妹の弟の所ではトカゲ騒動が起きていた。小耳にはさんでメールを入れたら、ハムスターやメダカも居て、子どもたちは喜んでいるけど餌やりが大変だとママからメールが来た。
   昔、祖父だったかこの子達の父親(叔父)だったかが、池で金魚(メダカだったかも…)が卵を産んだと、共食いされないように縁側にたくさん洗面器を並べて飼っていた事があったのを思い出した。

14/12/11

   十勝の飼い犬わんわんが3日に死んでしまったようだ。ここの長女とほぼ同い年のはずで、犬としては長生きだったと思う。
   冬に行った事がなかったので冬場はどうしていたのか知らないが、夏は外で元気に番犬をしていた。ここに来てさすがに『年内いっぱい持つかどうかという状態です。今まで玄関で寝起きしていたのが、居間での完全介護付きの生活になりましたが「犬同様、人間の年寄りにも親切にして」と母が羨ましがっております。』という状態になっていたようだ。
   最後は一緒に育った長女が側についていたらしい。
   地面の凍りつく前だったので、庭に埋葬をしたそうだ。
   写真は若かりし頃のわんわん。

14/12/9

   瑞穂の従弟の長女がただ今妊娠中。先方にとっても初孫という事で、楽しみで大騒ぎをして大事にしてくれているようで、インフルエンザも流行っているし万一何かあってはと心配して、ほとんどアパートで安静にして「外に行っちゃいけないよ」と言われているらしい。まだ体調もいまいちで体重もマイナスへ傾いているようだが。
   そろそろ悪阻からも卒業できるし、体力をつけておかないとと心配をしたら、3人の子育てをしたママは「生まれちゃったらゆっくりしている暇はないから良いんじゃないの」とドンと構えていた。

14/10/19

   瑞穂の従弟一家(と言っても今は夫婦と末っ子だけ)と叔父夫婦が来てくれた。10月の週末初めての穏やかなドライブ日和だったが、道路はずいぶん空いていたようだ。
   初めは結婚した長女も一緒と言っていたのだが、どうやらおめでたで悪阻が始まったらしく今回は断念。そういえば従妹の長女家も2番目が生まれるそうで、来年は春先と初夏に家族が増えるようだ。
   次女はすっかりアメリカ生活になじんだようだ。「それでも気を使って時差を考えて電話をかけてくるようになった」「でも一方的に話して、これからレッスン」と切っちゃうと言っていた。
   三女はOL1年生、都会の大きな駐車場の案内などをしているようだが、色々なアクシデントに事欠かないようで、忙しいようだが仕事にも慣れてきているようだ。
   叔父・叔母はそれぞれに「立つ時が大変」と言っていたが、それ以外は元気にしているようだった。

14/9/12

   母をはじめとして和賀家の伯父・叔母が懐かしそうに話す人物に「あしやのおじさん」という方がいる。大正時代の初め『赤い鳥』で童話などを書いていた作家のようだ。子ども時代にそのおじさんが送ってくれる子供用の本が待ち遠しかったらしい。
   今回十勝の叔母が書いてくれたものの中にも「芦屋ロソン(名前の漢字不明)」というそのおじさんの名前が出てきているのだが、ネットで色々調べてみたが出て来なかった。
   母方の祖母のまた母親方のこの家系はディク・ミネさんも居るし、なかなかユニークな家系らしい。叔母の記憶によると日光東照宮の差配をしていた一族で裕福だったらしい。
   三根家のお母さんには祖母が可愛がってもらったらしく、ミネさんが新津の伯父の少し年上くらいで東京で貧乏学生をしていた頃に可愛がってもらったようで、最近までつながりがあった。
   しかし、親せきの幅が広い和賀家の事、誰と誰がどの程度の血の濃さで繋がっているのかはよく分からない。

14/9/3

   何故か10年ごとに和賀家のお年忌後の報告を私が出している。前回が祖父の35年・祖母の30年、その前の祖父25年・祖母20年の2回だけだが…、それでもこの間20年の時がある。前回は両親の代理で急遽私が行ったらしい。その前は私が行ったわけではないのだが、母の熱気に押されて1年の時をかけて大作を作っている。
   今回はお年忌そのものもいきなり決まり、何もしないのもと従弟達が撮ってまわしてくれた写真と十勝の叔母が書いてくれた和賀家のルーツについてのまとめを中心にまとめているが、初めに比べるとだんだん手抜きになっている。
   5年後は祖父の50年、十勝の叔母はすでにやる気満々だが、はたして誰が仕切り、私がその後の記録をまとめる事はあるのだろうか…。

14/8/18

   昨日、和賀家のお年忌があった。金光教なので年忌ではなく年祭となるらしい。
   私は行かれなかったので、従弟に写真を頼んでおいたのが、さっそくネット経由で送られてきた。似ていると言われている和賀家系の人々なので、しばらくご無沙汰をしていると誰が誰やら分からなくなる。叔父・叔母や年齢の近いいとこ達位までは何となく推理がつくのだが、その子ども達となると今いくつくらいだったかな…ととたんに怪しくなる。しかし、揃っているのを見るとやっぱり似ている。

14/7/28

   和賀家の祖父の命日が7月末、祖母が2月で5年の差があるのだが、5年に1度、休みを取って集まりやすい夏にまとめてお年忌をしている。
   本来は今年だったらしいのだが、なんとなく来年の話に流れていた。ところが急に「今年にしよう」という話が持ち上がって急きょ来月行われる事になった。
   早くに決まっていればともかく、その日が空いていてもちょっとこれから出掛ける計画を立てるのは慌ただしい。
   5年に1度その時に合わせて名簿を更新していたのだが、今回はどうしようかいささか悩む。

14/7/20

   大津の従妹から電話。今年は長女が中3で受験生。花を育てたりするのが好きなので農業系の高校を目指しているようだ。従妹とは年がかなり離れているので、私が農業高校→農大だったのも知らなかったようだが、生き物相手で忙しい一方で結構マイペースを保てるので彼女にとっても良い選択だと思う。
   ただし、半年ちょっと後の入試をクリアしなければならないが…、頑張れ。

14/7/19

   こちらの従妹の長男がこの春に東京の大学に進んだ。お父さん方の実家が千葉にあるのでと、しばらくそこから通っていたようだが、やはり遠いので大学の寮に入る事になったようだ。
   せっかく東京に出たのだから色々な体験をしてみるのも良いかもしれない。

14/6/21

   横浜の義兄の3回忌。昨年はすぐ下の義弟夫婦に乗せていってもらったのだが、今回は家の車で又この2組で出かけた。
   あっという間の気もするが、何時の間にやら時が経った感もあるのは亡くなった義兄の妹さんのお孫さんの成長。昨年までは赤ちゃんの幼さが大きかったが、いつの間にかしっかりとおしゃべりをしたり自己主張をしたりと大きくなった。
   こちらは浄土宗なのでやはり仏事はお念仏。日曜日からずいぶん南無阿弥陀仏を唱えたので、少しはご利益が頂けるかもしれない。
   精進落としは毎年同じ和食の店。家から少し歩くのだが、49日の時は雨、昨年は法事の間にドシャ降りになった雨がやみかけていたが、今年は少し日も出る天気だった。

14/6/15

   函南の叔母の1周忌。叔母さんの気配りか梅雨の晴れ間に恵まれた。施主の従兄は「暑い・暑い」とぼやいていたが…。
   お寺でお経の後、お坊さんのお話。かなり若いお坊さんで、卒塔婆の解説をしてくれた。卒塔婆の上側のギザギザは五重塔と同じ意味で、そこに天・風・火・水・地とここまでは宗派に関係なく書かれており、最後に浄土真宗では阿弥陀様を表す字が入っているそうだ。その下に○○の菩提のためにという言葉が続く。
   また、様々な縁についてのお話もあった。親子・兄弟・ご先祖、そしてそれぞれの元素がどう組み合わさるかで人にもなれば動物や植物にもなるなどなかなか興味深いお話だった。
   お墓参りの後は精進落とし。実は埼玉の叔父が朝十分着く時間に出たものの東名厚木の事故による通行止めで大苦戦をしてこの時やっと合流できた。「着替える間もなかったなぁ…」と言いながら、帰りにお墓参りをしていくと言っていた。
   叔母さんの子ども達3家族に叔父と私だけのごく内輪の法事だったので後はよもやま話になった。
   また裾野の次女は「今日、市役所で入籍して来ました」と結婚発表。結婚式はこれからだそうだ。

仏僧の声に鳥和す青楓     DORA

14/6/8

   梅雨入り早々に親戚のある埼玉や東京で大雨、というニュースで昨日「大丈夫?」とメールを出したら「ディズニーランドに来ている」と返事。どうやら一族で遊びに行っていたようで、少なくとも被害はないようで一安心。

14/5/31

   昼過ぎに義兄がフラリと寄って「横浜の法事に行く?」兄弟なのだから、お呼びがかかれば可能なら出るべきではないのか…。

14/5/23

   「大祭からこっちとても忙しかった」という日比の叔母、旧お広前の傷みがひどくなって、取り壊してもらったそうだ。大祭で人が集まる前は準備スペースや片付けスペースに必要で、その後で大わらわで中を片付けたとの事だった。「ブリタニカの百科事典とかもったえないけど捨てちゃった」とちょっと残念そうだった。
   孫達も大きくなり、孫娘は吉備舞でそのママはお琴で頑張っているようだった。

14/5/17

   横浜の義姉から電話。今年は隣組(自治会)の役員で防災担当だそうだ。関東でやや強い地震が何度も起こっているが、役をしている時に何事もなければ良いがというプレッシャーを私からバトンタッチした形だ。

14/4/7

   盛岡の従弟の子どもがもう大学生。無事に入学式も終わり群馬県で1人暮らしスタートだそうだ。最近の学部は細分化されて、かえって外からはどんな事を学ぶのか想像しにくいが生命科学部生命科学科だそうだ。

13年