できごと 0710〜07/12まで
07/12/28
お仕事といえるものでもないが、1月から使う新しい民生児童委員手帳に必要な住所録などを引き写す。
静岡県の場合、記入部分は1年ごとに変わる(差し替える)が、いわゆる資料部分は1任期ごとに切り替わる。前回のものは法規の他に施設資料が充実していたが、今回は法規が中心で、他に介護保険の仕組みについての説明と児童虐待早期発見のチェックポイント、関係用語解説などが入っている。しかし、以前は黒字だったものがグレー字になりしかも手帳サイズに合わせて字が細かいので読みにくい。
ついでに主任児童委員部会のeメーリングリストを作成。数人が携帯電話を使っていないようだが簡単な用件なら一斉メールでほとんど用が足りるかもしれない。もちろんメールの無い所には電話を入れるがその数人は「たいてい家で受けられるから」との事だった。
広報部長さんから「DVDを次の理事会で返すね」と電話を頂いた。
07/12/27
昨日頼まれた写真をDVDにして広報部長さんのお宅まで届けに行った。学校の側なのでTANUKIナビはドンピシャだったが、焼津の道は狭くて怖い…。
児童課からは、先日の母子福祉資金の申込者の県の面接日が決定したとの電話をもらった。
地域福祉課からは地区及び部会の活動費の後期振込み明細書が届いた。(会計さんにも行っているはず)部会長というのはずいぶん細々した事務処理があるものだ。
07/12/26
夜、市民児協理事会の歓送迎会。辞める方、我々新しく入るメンバーに市の関係部署の方、社協の方などかなり大勢のメンバーが集まっての会になった。
会長の挨拶、退任される方の代表の挨拶、市の部長さんの挨拶の後は乾杯をして懇親。
たまたま正面に居られた監事の方が保健センターの母子福祉に関わっている方で「主任児童委員さんにも手伝って欲しい」と言われ、昼間仕事を持っている方が多いのでできる事ならばとお話を伺った。
各地区の方から「うちの地区の主任児童委員さんはね」とお話を聞かせて頂いたが、まだ顔と名前が一致していなくて頭の中は途中処理情報であふれてしまった。
うちの地区からは地区会長さんの他に部会長をやっていた方と監事だった方が退任される方で来ていたのでちょこっとご挨拶をしてきっちり励まされた…。
さらに広報部会長さんからは「よく写真を撮っているけど新聞に入れられる写真があったら欲しい」と言われ、帰って来てあわててパソコンのデーターチェック。全体での行事というのはたくさんは無いのだがセレクトはしにくいのでCDにして渡す事にした。
07/12/21
夜、主任児童委員部会の副会長さんに電話。幸い昨日は日にちを間違えていただけで体調を崩したりではなかった。来月の予定を話しておいた。
地区の相棒さんからは、小学校の地域懇談会の連絡は来ていたっけ?とメール。年間計画を前回もらったが、個別の案内は来ていないと返事を出す。
07/12/20
部会長になっての初部会。会場の鍵を開けなければならないので30分前に着くようにする。1番で着いたが、次に来たのは今日の講師をお願いした市役所の家庭児童相談室の方。会計さんも飲み物を調達して早めに来てくれた。後は新人の方から、慣れたメンバーはちょうど時間に到着。副会長がお休みだったのが誤算。昨日ちょっと遅くなっても電話を1本入れておくのだった。他には休みなし。
はじめに家庭児童相談室長から、児童虐待をはじめとする市の家庭児童相談室の利用状況や厚生労働省のまとめた子ども虐待による死亡事例等の検証結果データーなどが紹介された。
虐待とは何か、CAPYA(焼津市要保護児童対策地域協議会)の説明、その中での民児委員・主任児童委員の役割などの説明があったが、直接当事者と関わる事はせずに虐待らしいとの情報が入ったらすぐに連絡をくれるようにというのが話全体の趣旨だった。
その後は、12/17にあった県の主任児童委員研修会に出た人からの報告。
児童虐待問題についての行政説明はあまり具体的でなく理解しにくかったようだが、地域における通学合宿についての話は焼津市の事例なども出され、また社会教育としての予算もついていることから各地で広がりつつあるようだった。
午後にあった講演会は行った皆さんみな感動したようで良かったと言っていた。講師は高野優さん。3人のお子さんが居るそうだがその中の1人が発達障害で子育てに苦労され自分もうつ状態になったが周りの助けもあり外に出る事で自分を取り戻していったそうだ。「そっと寄り添うだけで良い」「頑張らなくても良い」「周りの励ましにかえって傷ついた」などの言葉に皆さん納得をし共感をしたようだった。
後は3月までの部会の日程と来月の部会の内容を決め、連絡網の確認をして早めに解散。しかし、片付けや会場の利用報告を書いていたら結構時間をとられた。
家に戻ってさっそく家庭児童室にお礼と3月までの日程、会場確保のお願いのメールを打った。
07/12/19
地区会長さんに証明写真の出来を見せた後、市役所へ提出。1人今月の地区会に用事があって欠席の方がいて、後から本人が持って行く事になっている。もう1人、新任の方が体調を崩されて入院中で、こちらは写真どころではない状況のようだ。
07/12/18
市役所の担当さんから理事会の議事録と歓送迎会の案内が来た。
07/12/17
小学校に発表会のお礼状を送る。
地区の身分証明書用の写真のレイアウトと印刷。小さいから良いかと思って細かい所を消したが、所によって跡がよく分かるのが気になるのだが…。
07/12/15
午前中、小学校のみのり発表会。
体育館での開会式と5組のミニコンサートの後は各教室に分かれて。各学年2クラスなので、一方が発表の間は一方のクラスは他の発表を見学する事になっているそうだ。
1年生は木の実や木の葉をたくさん集めてきて工作。キリを上手に使ってドングリのやじろべいやコマを作ったり、松かさやドングリの飾りを作ったり、お客さんに説明して一緒に作るというコンセプトのようだったが、男の子が「どうぞ」とやじろべいを作ってくれた。感心したのはどの子もテレながらだがよそ行きの言葉がしっかりと使えていた。
2年生は『声を合わせて』。身体全体の表現でみんなで詩を読む。それぞれにアイデアをひねったパフォーマンスで大きな声でよく揃っていた。
3年生は体育館の舞台でオペレッタ。私は2組の『孫悟空』を少し見たが、声も良く出ていて身体を一杯に動かして衣装も自分達の工夫だそうで良く出来ていた。1組は『オズの魔法使い』だったそうだ。
4年生は『東海地震は大丈夫』をテーマに劇と自分達であちこちに足を運んで調べた事の発表を組み合わせていた。学校の周りの津波避難ビルや避難所へ案内する看板などや、災害の時の防災グッズや防災倉庫に入っている物なども調べていた。
5年生は情報がテーマで、新聞社や放送局にも学習に行ったそうだ。ニュースや劇・調べた事の発表などで番組を構成し(ただし、カメラが出演者を追って画面に出るが生で演じているのを見る事になる)、コマーシャルまで準備していたのは可笑しかった。
6年生は小グループに分かれてそれぞれに修学旅行の報告のようだった。
はっと気が付いて玄関に戻ったら、来賓で来た中で私が一番最後まで遊んでいたようだった。
1月の地区定例会の日とこの小学校の地域懇談会の日が被っていたのにMさんが気が付いて、急遽、来月の地区定例会の時間調整の連絡が廻って来た。
07/12/14
午後、地区民児協の定例会。退任された女性達からお菓子の差し入れがあり、お茶菓子がリッチになった。
予定通り始まる頃に社協の担当者が歳末分配金を持って説明に来た。「年内に配って受領書を貰って下さい」との念押しは以前に年が明けてずいぶん経ってから配った民児委員さんがあって問題になった事があったのだそうだ。受領書は活動報告と一緒に集めるので、主任児童委員には関係がないが今期は班の活動記録の集積所が私の所なので覚えておかなくてはならない。
包括支援センターの方も挨拶に見えた。包括支援センターのパンフレットと共に来年1月の成年後見制度のセミナーの参加者を募っていった。
理事会で出た議題を順を追ってこなした後、福祉票の書き方の講習と確認。これも主任児童委員には関係が無いのだが、65歳以上を輪切りで高齢者のカテゴリーに入れてしまうと数が多くて大変な事になるので焼津方式があるそうだ。その間、主任児童委員2人、今年は私が部会長で相棒さんが会計という関係なので、部会の会計簿のチェックと3月までにどんな出費があるかを軽くチェック。
活動記録の書き方についても講習をするよう理事会でお達しがあったが、今日は時間が足りなかった。
そして、これから歌う機会が何度も来る民生委員の歌をサラリと練習。これまた大きな会合で指揮をする人とピアノを弾く人がこの地区の中に居るので、いずれ丁寧に練習する事になるだろう。
今期もつくばい募金(1回\100を缶に集めてまとまると地区の名で社協に寄付する)と旅行などの積立金を集める事になり集金。そして、昨日の研修会の旅費を貰った。
最後に身分証明用の写真と全員の写真を撮った。実はタイマーを使った撮影は始めて、曲がったけれど全員ちゃんと入っていたのでよしとする。身分証用の写真は持っている人には持ってきてもらい、サイズにカットして私が市役所へ届けることにした。今日、用事でお休みの人には自分で撮ってくれるように会長さんから言ってもらう事になった。
07/12/13
お昼前に母子福祉資金の申込者の調査票を市役所に届けた。
昼過ぎの電車で島田まで全体研修に行くので、駅前通でお昼を食べるつもりで様子を見ながら歩いたので張ってもらってあった切手は使わないまま。受けた方も手渡しだったので「切手まだ使えますからね」と渡したら受け取ってくれた職員にクスッと笑われた。
さて、駅で地区民児協の皆さんと待ち合わせて島田へ。いくつかの地区が駅で待ち合わせていたので賑やかだった。しかし、まだ新しい人の顔が分からない。「○○さんはどうしたかな」という人に「よく覚えたね」と聞いたら元々の知り合いらしかった。
本日の研修は中部健康福祉センター管内の人権問題講演会だった。民児委員だけでなく教育委員会など他の組織からの参加もあったようだ。本日の講師は上方落語の林家花丸氏。桃山学院大の社会学部を卒業しているそうだ。
はじめに中部健康福祉センター所長の挨拶と『ふじのくに人権宣言』の唱和をした後、高座。
いくつかの小話を交えた後、江戸落語の『時蕎麦』も関西に行くと『時うどん』になるようだが、その落語だった。その後は、ホワイトボードも使っての講演だが、そのまま高座の続きのしゃべくりのようでもあった。人権というのは相手の立場にたっての思いやりである事、そのためにはちょっとした言葉を相手にかける事が大切である事などをご自分の身近で起こったらしいいくつかの例を引きながら話された。
07/12/12
午前中、理事会。本日は児童福祉法施行日だそうでちょうど60年目だそうだ。
新メンバーでの初めての定例理事会。上記の話は会長の挨拶に出てきたものだ。かた通り市の担当部長と社協の事務局長から挨拶。それぞれ来年に迫った大井川町との合併協議状況が話された。合併して悪くなったとは言われないようにしたいと鋭意努力中のようだ。
議題は季節がらの歳末助け合いの分配金についてから。その他に精神保健福祉ボランティアコーディネーター養成講座や災害時ボランティアコーディネーター養成講座の案内が社協の担当者からあった。何日かにわたるものなので、1度に出るのは大変なので何度かの会の出られるところに出て全部出たら良しと出来ないかとの提案があり検討してみますとの事だった。
また、新スタートに合わせて身分証明書の写真提出の確認や各自の地区・学区の確認などの話があった。
他に、新潟県中越沖地震の被災民生委員等に市民児協として見舞金を出したのだが、そのお礼状が来たとの事だった。
後は各種会合や研修の日時の確認。その中で新任研修や各地区会で活動記録の記載方の研修をしっかりやって下さいと副会長が念を押した。部会では、広報部会と主任児童委員部会が今月から会合をもって始動。他の部会も引継ぎが滞りなく終わったようだった。
最後に広報部会の方で使う理事の集合写真と各人の顔写真の撮影。今日は意外と早く終わった。
日曜日に伺った母子福祉資金の申込者の調査票が担当民児委員さんから廻って来た。
母子寡婦福祉資金の償還台帳送付。13件。
保育園へのお礼状も出した。
07/12/11
午前中、市民児協の退任式と再任委嘱式。
主任児童委員部会の送別会の写真と昨日の地区民児協の送別会の写真を抱えて少し早めに家を出たら、途中で地区の方の車に拾ってもらった。
まずは退任式で、退任の方だけ座席指定になっているので、写真を持って席の間をウロウロ。在任期間順になっているというので、それに合わせて名前を探して写真を挟んだ。再任の人には来た人を探しながら手渡していったが、欠席した人以外は多分落ちなく渡せたと思う。
そして「まだあるのよ」という主任児童委員部会の昨年の副部会長さんから市児童虐待防止及びDV防止連絡協議会委員の資料を次に担当する人に渡してほしいと渡された。また、市役所の人からは「頼まれました」と主任児童委員部会の今月のウェルシップ使用許可書を渡された。
さて、退任式。厚労大臣や県知事の賞状や記念品が代表者に渡され、市長をはじめとする挨拶が続いた。最後に5期を勤められたうちの地区の方が代表挨拶をして再任者の人垣の間を拍手に送られて退席した。
休憩の間に市の担当者が席を作り直して次は我々の委嘱式。今度は番号順の座席指定ですでに委嘱状も封筒に入れられて席に置いてあるが、そこは代表の市民児協の会長が代表して市長から厚労大臣の委嘱状を受け取り、もう1人代表の理事さんが県中部健康福祉センターの方から県知事の委嘱状を受け取った。
後は市長や来賓の挨拶が続いたが、昼前には終わった。
市の母子福祉担当の方から県の方で私の担当の何人かの人と接触をしてくれて、1人からは入金、もう1人は口座を変更したとのメールが入った。
07/12/10
地区民児協送別会。今回は7人の方が退任される。
長くされた方も1期で辞められる方も、それぞれの思いが挨拶ににじみ出ていた。
後は食事をしながら恒例のカラオケ。辞められる方とは皆挨拶がしたいのでいつも以上に座を行き来する人が多く賑やかに3時間半近くが経った。
活動費と積立の残金が旧会計さんから渡された。
会長さんは変わられないが、副会長・会計とも退任による交代で、新副会長・会計のお二人が今回の幹事役でデビュー。盛り上げて下さった。
明日、市民児協で退任式と再任者の委嘱状交付式が行なわれる。
07/12/9
午前中、昨日連絡があった母子福祉資金の申込者のお宅を訪ねた。側まではカーナビが連れて行ってくれたが、細かい住宅街の中で車が邪魔、学校の体育館脇の駐車スペースに停めさせてもらって後は歩く。
遅くなったなら迷子になっていると昨日言ったせいか、担当の民児委員さんが道路まで出てきてくれていた。
今回のお宅はお祖父さん・お祖母さんもいらして兄弟も多い大家族だった。本人は理数系が得意で普通科から大学の工学部に行こうか高専にしようかまだ最後のところが決まっていないようだが、大雑把に将来の職業についての方向も決めているようだった。「後、必要なのは君の合格通知だからしっかり勉強しなさい」といったらうなずいていた。
07/12/8
午前中、保育園の発表会。歌・合奏・劇・運動など小さい子は遊びの延長で、大きい子供達はお家の人に見てもらうことを意識して一生懸命の発表だった。もちろん家族の人達も気合充分でカメラやビデオの三脚が林立、さらにお母さん達は子供達の衣装の着替えや舞台の準備の手伝いなどあちこちと忙しそうだった。
小学校からは来年1月の要保護・準要保護児童・生徒に関する連絡会の案内が来た。市役所の児童課からは母子福祉資金の申し込みの書類返送用に返信用封筒が何通か送られてきた。
そして、今年1番目の母子福祉資金申し込みの面接依頼。明日お会いしに行く事にした。
07/12/7
土曜日の保育園の発表会、いつも出てくれる保育園近くの民児委員さんから今回は用事で出られないとの連絡をもらった。
07/12/6
母子福祉協力員の報告書を市役所に持って行く。担当さんから修学資金申し込み状況を教えてもらう。昨年「来年は下の子が高校受験だ」と言っていたお母さんがいたが、まだ手続きはしていないようだ。
先月の母子福祉協力員研修の旅費\200入金の連絡。
小学校から「みのり発表会」の案内。今年初めての企画だそうだ。
07/12/4
広報部会長名で次の理事会では写真を撮るのでとの連絡。こちらはきちんとして出かければ良いだけ。
地区会長からは、次の地区民児協で写真を撮りたいのだがカメラを持ってきてくれるかとの連絡。
来週は写真づきそう。しかし、家のカメラでタイマーを使った事はまだ無い。
資料や書類がたまったのを廃棄するわけにもいかず、どうしようかと思ったが、結局RV用のBOXを買い込んだ。全部入れたら重くて動かないが、とりあえず下手な本箱などよりも片付いて見えるし上に座っても大丈夫そうだ。
07/12/1
11月の活動記録と期限切れの身分証明書を副会長さん宅へ持っていく。副会長さんは退任されたので、ここのお宅へ書類を置きに来るのはこれで最後。
07/11/30
朝から公民館で救急法の講習会。
今回は人が倒れていた時、まずどうするかでAEDの使い方までの実習をした。
まず、「あなた自身の安全を確保して下さいよ」という事で、周りを確認、道路なら車が来ていないか、その場が安全かどうかなどを見てから倒れている人に近付く。まず怪我をしていないか、意識はあるかを確認するために肩を叩いて耳元で声をかける。揺すったりたたいたりはせず、返事がないようならば気道を確保して助けを呼ぶ。救急車を頼む人、AEDを手配する人、付近の安全を確保する人など役割を明確にする。そして人工呼吸と胸骨圧迫を行なって酸素と血液の循環を確保する。AEDが来たら機械のスイッチを入れその指示に従う。ただしその後も呼吸が回復しないようならば救急隊が来るまで人工呼吸と胸骨圧迫を続けて引き継ぐ。直後にこれだけの事ができると生存率・回復率ともだいぶ上がるそうだ。
また、1人では大変なので誰かが救助をしていたら手伝いに駆けつけるなり、AEDは前をはだけなければならないので回りから隠してあげるなど、その周りに居る人も気をつけてあげるようにとの事だった。
公民館に行くついでにはだかっこの10・11月の写真を受付に預けてきた。
07/11/27
朝、主任児童委員部会の副部会長さんから「今日引き継ぎやるの?」と電話が掛かってきた。「会計さんが今日やるって聞きましたよ」と返事をしたが、「後はどうするんだろうね、部会に引き継ぐもの、後任の人に引き継ぐもの、廃棄してもらうものと手元に残すものでこんがらがっちゃって…」と退任されるので忙しそうだった。「会計さんに聞ってもし皆で集まるのなら私にも教えて下さい」と午前中待機していたがその後連絡はなかった。
07/11/26
午前中、市民児協の臨時理事会。
市の担当部長さんと社協の事務局長さんの挨拶から始まったが、本日のメインは理事会の役員を決めること。
引継ぎで「長く掛かるよ」と主任児童委員部会の会長に言われていたので覚悟をして行ったが、そのうんざりは皆同じだったらしく先の地区長会でその話し合いはしてあった様でスムーズに名前が揚がって拍手で決まった。もう1つの理由は前回と違ってほぼ半数が残ったため会長・副会長が留任された事もあるようだ。
部会の方は広報部会長さんが残られただけだが、女性が私も含めて4人もおりホッとした。
その広報部会は部会長以外はメンバーが一新したようで、各地区会長の挨拶原稿の提出のお願いとともに新旧の実務の引継ぎをきちんとして欲しいとの要望が出ていた。便乗して主任児童委員のコラム枠がほしいと広報部会長さんにお願い。快くOKが出た。
今回のメインの議題はこれだけなので、後は12月から1月の日程確認をして解散。しかし、理事会の歓送迎会も12月にあるそうで、肩のこる飲み会ばかりが増えていく。
昨日のコンサートのお礼状を出す。
07/11/25
午前中、公民館で小学校の特別支援学級の子供達のコンサート。小学校すべてに特別支援学級があるわけではないので、この子供達の通学圏は少し広い範囲になるが、今年は1年生から6年生まで19名の子供達がいるそうだ。
一人ひとりの独唱とそれを支えるコーラス、低学年・高学年に分けてのハンドベル、早口言葉の歌、さらには卒業した子供達も一緒のコーラスなど1時間半ほどだが盛りだくさんの内容だった。
言葉を出す事そのものに努力のいる子、緊張であくびが止まらない子、じっとしているのが苦手な子、歌いながら「○○さんが来ていない」とそちらに気持ちが行ってしまった子などなど色々だが、みんな自分の持ち歌を大きな声で一生懸命歌っていた。
お客さんも家族や卒業生だけでなく、会場の近所の人、学校・幼稚園や保育園の先生などたくさんの人達が来ていた。
07/11/24
午前中、はだかっこの会の読み聞かせ。6人で紙芝居と絵本。子供の方も今回は少なくて20名いなかった。
今回はちょっと趣向を変えて『やまをつくったもの やまをこわしたもの』(かこさとし作・農文協)を読んだ。かなの分かち書きなのだが中身はかなり高度。でも大きい子供達一生懸命に聞いてくれたようだった。この本は風の頁の仲間のタカさんがデザインの仕事をしたようで名前が載っていた。
母子福祉協力員の今月の償還資料が届いた。
留守の間に26日理事会の連絡が来たそうだ。
07/11/22
朝9時から新主任児童委員部会。これは役員も決まっていないので市役所の担当課が召集をして切り盛りしてくれる。
まず、担当者の紹介と担当課長の挨拶。時間も少ないので、「児童の健全育成と街の安心・安全のためにご助力下さい」のような短いものだった。
その後、全員の自己紹介。そして役員を選ぶわけだが、ほとんどが初めて顔を合わせたような訳で発言も無い。結局2期以上の6人で別室で話し合い。古参の1人が訳ありのため残り5人で役職を分けた。1番暇そうだという事で部会長を引き受けたが、部屋に戻った早々に挨拶をさせられた。地区と部会の両輪で勉強をしていきましょうのような事を話した。
そして次の部会の日程確認。始めから意見を聞いていたのでは時間が掛かってしまうので、月1回やっていますのでという事で以前に決めた日程のまま通してもらった。会議室を押さえていないとの事でさっそく押さえてもらう。ついでに1回目の部会は市の状況説明にしてもらう。
最後に理事会で渡されていた県民児協の主任児童委員研修に出る4人を決めて閉会。
最後に残って担当者と話していたら、地域福祉課で民児協の事務担当の方が見えたので、そのまま主任児童委員研修に出る人の名前も渡す事ができた。2期目の方が1人行ってくれる事になったのだが行く人で待ち合わせて行く事にしたとの事だった。
役を外れた古参の方が「何かあったら携帯に連絡を入れて」と番号を教えてくれた。
夜は旧の主任児童委員部会の送別会。予定したわけではないが同じ日になった。都合の付かなかった1人が欠席だったが、これで終わるという安心感もあったのかいつも以上に話が弾んだ。
副会長さんが心配して、話の合間・合間に「これはさぁ」と色々なアドバイスをしてくれた。「今日の報告は書いて出しておくからね」との事。今年度の11月までの中間報告コピーも新副会長さんと2人で頂いてきた。会計さんは会計さん同士で引継ぎの日程が決まったようだった。
07/11/21
さっそく保育園にお礼状を書く。昨年は子供向けにひらがな・分かち書きで書いたが、今回は手抜きでサラリとごまかした。
07/11/20
保育園から発表会のご案内と、大きい子供達がクッキー作りをしましたのでとおすそ分けが届いた。
07/11/19
来期も残る主任児童委員さんから「1回目の会合が別の会議とぶつかってしまって出られない」との電話。家族が身体を壊しているのであまり役目は引き受けられないからとの追加伝言。2期目のメンバーが少ないので「去年の監事さんだってあまり出てこなかったじゃない」と暗に押し付ける。フタを開けてみなければ分からないところもあるが…。
07/11/16
母子寡婦福祉資金の償還台帳送付。15件。1件が後1回、もう1件後3回というのがあるのだが…。
夜、はだかっこの会の担当者の方から次の読み聞かせの会の出席確認の電話。
07/11/15
市の地域福祉課から一斉改選に伴う退任式および委嘱状伝達式の案内と、各部会の第1回の案内が来た。
07/11/14
主任児童委員部会の副会長さんから活動報告書を書くのに手元の資料が落ちている分がこちらが引き継いだ書類に入っていないかという電話が入ったが、こちらにも無し。誰がその月の部会活動報告を書いたかは私の手帳に何となくメモをしてあったのでそれは知らせた。「いよいよ見つからなかったら提出先の児童課で見せてもらってくる」と仰っていた。
地区民児協の部会配分の資料で主任児童委員部会の先輩の方が1人残ってくれる事になっているようなので、部会長を請けてくれるか聞こうと電話をしたら「辞めるつもりだったが引き継ぐ予定の人に最後に振られてしまったので次の人を決めるのに時間が掛かったが、後から決まったのでその人が委嘱されるまでは引き続きやる」との事だったので、「辞められるまでは相談に乗って下さいね」とお願いして2期の人で役員を配分するつもりで進める事にして地区の相棒さんにもメールを入れた。
公民館から救急法短期講習会の案内。AEDの取り扱い講習会のようだ。
07/11/13
夜、青少年健全育成市民会議の講演会。今回は12回目だそうだ。
学校関係者や社会教育関係者、民児委員、自治会関係者などで会場は一杯だった。
講演は児童文学作家の上条さなえ氏で『私はなぜ、非行に走らなかったか〜親子の絆や家庭の大切さを考える〜』。
ほぼ、同世代の方で、小学校の教諭から毎日新聞小さな童話賞から作家に転進されたようだ。
埼玉県の教育委員長などをされた方だが、幼い頃の生活を昨年『10歳の放浪記』(講談社)として出版されており、今回のお話の中心もその頃の事だった。複雑な家庭環境の中で父親が事業に失敗、10才の時その父親と共に学校にも行けずにドヤ街で暮らした頃の思い出などだか、パチンコ屋のお兄さんやヤクザの景品買い、映画館のもぎり嬢などうすうす事情が分かりながら見守ってくれた周りの人々、特にまだ若いヤクザさんなどは「学校に行かせてやりなさい」とお父さんに意見をしてくれたそうだ。結局親族からも見放されて施設に預けられたそうだが、良い先生との出会いもあり先生になりたいと思ったそうだ。結局施設で身体を壊し母親に引き取ってもらうようにその先生が手配をしてくれたそうだ。
そういう体験をしているだけに「毎日ご飯が食べられて安心して寝られるというのは幸せな事です」との言葉にも説得力があった。また「幸せでなければ人を愛せない」というのは私も持論にしているが、彼女はその後に「愛情も与えすぎると毒になる」と続けた。そしてお母さんが頑張り過ぎているよりも「お母さん、可哀そう」と子供に思わせる事が子供が発する愛情の初めになるのでそれも体験させなければとの話だった。
最後に今の子供達に無理に進学をさせるより、手に職を付けるなりして生活していく力をつける事が大切だと話された。
07/11/12
午後、地区民児協の定例会。途中から来期委嘱される人も加わって引継ぎを兼ねた会議になった。お菓子を用意してくれた相棒さんも大荷物だったが、お茶当番としては数が多いので大変だった。そして旅行の写真も皆さんに配る。
まずは、現役で、理事会で出た案件についての連絡と報告。
次に地区会の会長・副会長・会計・監事の選出。会長さんは留任されるが、後は退任されるので新しい人が選出された。中には「あなたは部会の方の役をやってよ」とご指名が入る人もあった。さらに我々主任児童委員は別だが他の皆さんは地域福祉・高齢者福祉・次世代育成・生活支援・広報の各部会の割り当て。
そのほかに送別会の予定や旅行での地区の費用の会計報告などもあった。
さらに、民児委員の委嘱が厚生労働省から地方自治体に移るというのに理事会として反対意見を出す話も出た。
そうこうしている内に新任の方も集まってくる。まずは全体で自己紹介。退任する方は新人さんの紹介も一言入れる。新しい人も揃ったところでもう1度、新任の人の部会の決定。その後で各部会の1回目の集合場所と時間が確認された。
そして新しい地区会の3月までの日程の決定。
委嘱式との日程を確認し全体研修の駅での集合時間を決めてほぼ予定終了。
新しい人への引継ぎと、三役の引継ぎはその後も引き続き行なわれていた。
さて、主任児童委員部会は18名中6名しか残らなかったが、ベテランの方が1人残ってくれた。「古い人は多分誰も残らないよ」と言われて会長の資料(理事会資料と各月の活動報告)を引き継いだが、残ってくれるのなら私がやるまでも無いと思ったのだが、そのご本人は夜が地区会らしくてお話ができなかった。別の地区の残る人とも電話で話したのだが「あの人は2人で辞めて新人1人に地区を任せるわけにもいかなくて残ったから途中で代わるかもしれないよ」と言われてまた迷う。地区会がまだだと言うその委員さんに11月・12月の分かっている日程を伝えて電話を切った。
07/11/10
午前中、はだかっこの会。珍しくボランティアのおばさん達が皆忙しかったらしく4人。子供達は60人位だった。
本日は運動会。お天気が良くなかったが、大ホールが広いので子供達が走り回るのに問題はない。
『松ぼっくりの歌』に手の動作を付けて歌った後は準備体操。
競技はお玉にテニスボールを乗せて走るリレーと買い物競走、新聞紙を丸めた球を投げ込みあう玉投げゲーム、最後にパン喰い競走をした。
子供達の年齢が違いすぎるのでグループごとに協力する事を中心にお母さんと一緒だったり大きな子が小さな子の面倒を見たり、その辺は今日の担当さんはお手の物。
最後に公民館祭りの作品の工作の車と折り紙の金魚を持って帰ってもらって終了。
午後は民生委員制度創設90周年記念式典。実は、こちらの担当ではだかっこの会長さんは午前中からこちら、主任児童委員の相棒さんは式典のピアノ伴奏の打ち合わせのために途中からこちら、もう1人やはりうちの民児協の方が指揮者で、各地区会長さんや部会長さんも準備担当だしその他に各持ち場のあった皆さんは朝の内から忙しかった。
式典は歴代の亡くなられた民生委員さんへの黙祷で始まり『君が代』と民生委員の歌『花咲く郷土』を歌い、民生委員信条と児童憲章を皆で朗読して、まずは市民児協会長の式辞。その後は市長はじめ社協会長や中部保健センター所長・県民児協副会長などの祝辞が続く。その他の来賓の紹介もされた後、最後に『90周年記念誌』が編集委員長から紹介された。
式典の後は川端信正氏の記念講演『民生委員・児童委員発 災害時一人も見逃さない運動』。
地震・津波の特性や東海地震の場合は東南海・南海地震との連動により被害地域が大きくなる可能性が強い事、そうなると救援もそう簡単には来れない事、まず怪我をしない、そのためには家の耐震化、それがダメならば一部のスペースでも安全な場所を作るなどを考える事、また水と食糧の備蓄など自分を守る備えをする事と共に、民児委員として各家庭をまわる時などにそういう話をして注意を促すなど日ごろから準備をしておく事でそれぞれが身を守れるようにしておく事が大切だとの事だった。
夜、はだかっこの会長さんから「今日は人数が少なくて大変だったね、ゴメンね」と電話をもらった。
07/11/9
午前中、市民児協の理事会。部会長は出張で大阪へ行くとの事で昨日言われて代理出席。
市民児協会長の挨拶の後、市の担当部長さん、社協の事務局長さんの挨拶。
後はせっせと議題をこなす。成人式と暴力追放・交通安全市民大会への出席割り振り。母子寡婦福祉資金の申請書類の説明。心配事相談員・結婚相談員の推薦についての説明。移動民協とふれあい広場の会計報告など。研修会の連絡が2つ。一斉改選に伴う事務手続きや備品の件、委嘱状交付式について。今月の各部会の活動報告。そして最後に明日の90周年記念式典についての詰めなど。
さらに最後にMJでも話題になっていた「厚生労働大臣による民生委員・児童委員の委嘱権限の都道府県知事もしくは市町村長への権限委譲」が盛り込まれたことについて反対意見を市長に持っていくという話がなされた。「せっかくだから理事全員で市長室に行こうよ」と会長。事務手続き上の中途で入る人について速やかに委嘱できないというネックの解消を考えての事らしいが、現場は反対多数らしい。
一斉改選に伴う第1回部会などに関して主任児童委員部会の担当になる児童課の担当者にメールで質問。忙しいのにすぐに返事が返ってきた。
地区の主任児童委員の相棒さんからは今月が地区会のお茶当番なのでその打ち合わせのメールが入る。その返事に主任児童委員部会の年度替りの予定も入れて送る。
07/11/8
午前中、先月の母子福祉協力員の報告を提出。ついでに古い資料の廃棄をしてもらう。ちょうど母子福祉資金の貸し付けの理事会資料ができたのでという事で「郵送しようと思っていたけど助かった」と渡された。
担当の何人かについても情報交換。行方がつかめなかった1人について、学費を借りたお子さんの居所が分かって県の担当者と話し合った結果全額納付されたとの事だった。
午後は主任児童委員部会長と資料の引継ぎ。1時間位のつもりだったのだが無駄話も含めて3時間位かかってしまった。とりあえず、資料をもらい当座の運営のアドバイスをもらい、会計については今月の部会(送別会)が終わってから口座を解約して次の会計さんに引き継ぐ時にもう一度新旧の3役で集まろうという事になった。
言われて見れば当然なのだが、臨時の理事会前に新部会の1回目で役員を決めなければならない。2期目の人が少なかったら監事は新しい人の中の年齢の上の人で決められるように市役所で持っている資料(新メンバー表)を先に見せてもらった方が良いよとの事。ついでに、理事会もそう簡単には役員が決まらないんだよねとの事、やれやれ。
07/11/7
夜、小学校の教頭先生から電話。地域安全マップについて感想を書いてお礼状を出したらPTAの担当部の方たちが喜んでくれてそちらの広報に出したいとの事だったのでOKした。
せっかくなので子供達が発見した危険箇所の中ですぐに何とかしたいものは警察や自治会とも話し合うと良いねと、こちらのブログにメッセージが入った事も伝えた。
07/11/6
中学に文化発表会のお礼状を出す。
07/11/2
本日は中学の文化発表会。各クラスの合唱発表とFTの各学年代表発表・英語スピーチ・生活体験発表・個人発表としてのピアノ演奏や踊り、2・3年の音楽選択の生徒の合唱発表、ブラスバンド・PTAの合唱などが1日をかけてある。
午後は別の用事が入っているので午前中だけ参観した。1年生の合唱はやや迫力不足、まだまだ声が出せそうなのだが、そういえば今年はあまり練習の声が聞こえなかったかなと思った。上級生は毎年の練習でよく声も出ていて良い合唱だった。
今年の特筆は研究発表の方で、1年生の思いやりについては、駅などに障害者のためにどんな設備があるかを調べたりや保育園で子供達や先生の目線に立ってみる体験をしたりと体験を上手にまとめていた。2年生の小児科医療についての調べは現在の親の事情・医者の忙しさなどをよく調べてあた。3年生が唯一男の子の発表者だったのだがヘアーアーティストについて。彼もマネキンを使ってカットの実習をさせてもらったり、カリスマと呼ばれる美容師さんも日々技を磨くために努力を重ねている事を学んだようだった。
午後は母子福祉協力員研修。お迎えが予定時間よりもかなり早く来てあわてた。
そろそろ来年度入学者の貸付申請が始まるのでその説明が主だった。書式が少し変わって書くスペースが増える。
もう1つは未納対策などについてのグループに分かれての話し合い。それぞれ苦労されているが、10年位前、お金を借りるという事を子供に言わないまま修学資金を借りて年を取った親が返せず、しかも子供には言わないで欲しいというケースが多いという事で、きちんと子供にも学費が借金になることを自覚させ、保証人にも返済の指導をするか肩代わり返済を迫られる事もあることを自覚してもらうべきだという話が出た。
また、銀行の開いている時間にお母さんが銀行に行く間がないのでコンビニなどで払えるようにしてほしいという話が出たのには驚いたが、コンビニも郵便局からの振込みもできないのだそうで、県の電算システムが数年後に変わるまでできないと言うのにはもっと驚いた。
全体会が終わった後で焼津の人だけ集まって書式を地区担当の民児委員さんに主に書いてもらうか我々が書くかの話し合いをしたが、地区担当の方なら児童扶養手当や就学援助などで状況が分かっている事が多いのでそちらにお願いしたいと強く言ってしまった。他の皆さんは地区担当でもあるので「書く分量が増えたから多いと大変だよね」とも言っておられたが。
07/11/1
明日からしばらく忙しいので10月の活動記録は早々と提出。出てきた副会長の奥さんに「もう11月ねぇ」としみじみと言われた。
母子福祉資金の償還票が来た。新顔が何人かある…。
07/10/31
小学校へ先日のお礼状を出す。どの地図の写真を入れようかとだいぶ迷った。
組長さん(実は自治会長さんでもあるのだが)がおいべつさんのお札を持ってきてくれた。その時に「来期もまたお願いしますね、何か言って来た?」と言われたがまだ残り任期1月。半ば頃には次に備えた動きが始まると思う。
07/10/29
朝、市役所の児童課の担当者から母子福祉協力員研修に行く待ち合わせ時間についての連絡。
続いて地区会長さんから旅行の写真について連絡。同じバスに乗った市役所の人の分もプリントをしてほしいとの事だった。
夜には、はだかっこの会長さんから食事会を兼ねた打ち合わせに出られるかとの電話が来たが、自治会の運動会と重なっているため残念。
沖縄研修旅行の旅日記をスタート。
07/10/28
小学校のPTA行事。自治会の回覧板で子ども会ごとに地域安全マップを作ったとの事で見学に行く。台風一過の快晴で大人も子供も楽しんでいた。
虐待の様子が無くなったとの情報はさっそく市役所の児童課の担当者にメールで連絡。
07/10/25〜27
市民児協の研修旅行で沖縄へ。顛末は旅日記にまとめる予定。
昨年の秋に関わった虐待の疑いのあった親子は下の子が幼稚園に入りお母さんに余裕ができたためか最近は早朝からの泣き声も聞こえなくなったようだと担当の民児委員さんからコソッとお話があった。
07/10/24
午前中にはだかっこの会長さんから誘われていた男女共同参画セミナーを聞きに行った。
講師は林叟院の住職さんで演題は『禅から見た食事と養育-----道元禅師の「喜心・老心・大心」に学ぶ-----』。
喜心・老心・大心は道元禅師の『典座教訓』の中の言葉だそうで、典座(てんぞ)とは禅寺の中での食事を作る係の事だそうだ。
さて、喜心とは喜悦の心、食べるものを作る喜び、「美味しいね」と食べてもらう喜びなどを言う。また喜びは驚きからも来るもので、それがご馳走になるなどという話は、明治生まれのお祖母さんが蒟蒻(味が染みるようによく突いて油通しをして)を肉に見立てたカレーを作ってくれた話など聞くだけでも驚きに満ちていた。
また、食べると言う行為は米にしろ野菜にしろ命をもらう行為であり、その命に対して「頂きます」と言う事や無駄をしてはいけないという話はきちんと次の世代にも伝えていかなければいけない事だと思った。そして、尊厳(尊いもの)・清浄(清らかなもの)・和合(仲の良いもの)が三宝で食事の大切なものだそうだ。
次に老心だが老婆心であり、父母が子供1人1人を思う心、育てる心だそうだ。現代は豊かになって食べるものもあふれているが、食事が貧しくなってコンビニとレンジ1つで済ませる様子になっている。確かに便利だがこれだけで毎日を過ごすのでは寂しいのではないか。昔は貧しくてお弁当を持って来れない子にみんなの弁当を少しずつ分けたり(慈悲心)、たいした物は無くても一家団欒であるいは外の景色を見ながら賑やかに美味しく食べ、心身の糧になっていた。
道元は何もかも自分でしてよく修行をする弟子に「人にしてもらってありがとうを言うのも修行の1つだ」と話したそうだ。
最後に大心だが、山の如く海の如く広く大きな心の事だそうで、食べ物も空気も特に何も考えなくても体に取り込まれ体の一部となるように天地と自分が1つになることだそうだ。
人間は欲とともに動きすぎるので時にはじっくり座って(禅)落ち着きなさい、それによって欲を減らして逆に生き生きと過ごしましょうというのが禅の考え方だそうだ。
夕方、地区の広報部の方が手元にあった広報誌を「誰かにあげるのならどうぞ」と持ってきてくれた。
07/10/23
はだかっこの会名義で借りていた絵本をやっと返しに行った。期間オーバーだったのだが何も言われなかった。
はだかっこの会の会長さんから「明日の講演会、午後じゃなくて午前だったから」と訂正の連絡。
07/10/21
本日は朝から福祉まつり「ふれあい広場」。民児協でもバザーのお店を出すので担当者は朝早くから忙しそうだったが、こちらはam9:00集合で開会式に参加。
福祉に関する色々な会が出展しているが、活動の紹介や活動費の確保を目指す所の他に福祉資金への募金を目的にする組織もあり、今回は民児協でエントランスにおしゃべりふくろうの募金かごを置いた。さっそく市長と社会福祉協議会会長が募金をしてくれた所をみんなでパチリ。「そのまま」「そっちのカメラ光らなかったぞ」などとかなりやらせ気味の写真ではあるが….
その後は一回り出展を見て廻り、am10:30からボランティア連絡協議会が出しているコーナーではだかっこの会で読み聞かせとエプロンシアターをやるので、その読み聞かせを担当した。しかし、賑やかな会場のコーナーではなかなかお客さんの子供が集まって来ない。「紙芝居の拍子木でもあると良いね」と言いながら何とか集めてきた子供を前に『あえるといいな』(ネレ・モースト作・ユッタ・ビュッカー絵 BL出版)を読んだ。私は前座でこの後エプロンシアターで『サルカニ合戦』。
この後しばらく会場を廻ったり買い物をしたりしてお昼のための地区民児協の待ち合わせ場所へ。今年は民児協のバザーの会計担当者、会場の駐車場・案内係などや公民館祭りのコーラスに出ている人も居て全員一堂には集まれなかった。
午後はもう1度はだかっこの担当があるのでそちらへ行ったが時間があったので指話のコーナーへ遊びに行った。「こんにちわ」や「ありがとう」、春・夏・秋・冬などの表しかたなどを教えてもらったが、覚えたのは焼津市が魚の形という事だけ。地名はその土地の聾唖者の人が決めるので、同じように魚の町では魚を使っているかもしれないそうだ。
さて午後の会。今度は『ねんねこごろごろ』(梅田俊作&佳子作・絵 ポプラ社)を読んだ。その後はまたエプロンシアターの『サルカニ合戦』、午前とアレンジが変わっていたのはさすがにプロの味。
1度荷物を置きに帰った後は公民館のふるさとまつりへ。まだ年配の人達の演芸大会が盛んで賑やかだったのでちょっとのぞいてみた。近所の人が出た詩吟は終わっていたが、カラオケだけでなくハモニカ合奏や踊り・民謡などもあった。
実はこちらははだかっこの会の展示を片付けに来たのだが、他所の公民館から借りたボードを返すのに片付けをせかされ同じスペースを使った所は誰も来ずに我々とボードを返しに行く自治会の人で展示をはずしボードを片付ける事になってしまった。
とにかくここ数日の大忙しもこれで一段落ついた。
07/10/20
午後、公民館で第25回明るい街づくり大会と第26回ふるさとまつりの開会式が行なわれた。昨日の雨も上がって良いお天気に恵まれ、地域の色々な方々の挨拶と小学生の交通安全に関する作文の披露と『私達の誓い』その後で『大会宣言』が読み上げられ拍手によって承認された。
最後は小学生のコーラス、将来の夢などを語りながらの演出もなかなか良かった。
公民館内は公民館で行なわれている講座の発表展示や幼稚園・小学校・ディケアなどの作品展示が始まった。
明日は、コーラスや詩吟、中学のブラスバンドなどの発表がホールである。
07/10/19
明日から公民館祭りなので、今日の午後は準備。はだかっこの会のコーナー作りに行った。今年は折り紙で作った魚と動くおもちゃの車。今年は子供のコーナーはひとまとめにされたので、そこで合同作業。
お仕事とは言えないが、買い物の流れで母子福祉協力員としてチェックしている家族のお店に寄ってみる。忙しい時間帯だったので特に話はしなかったので本人かは確認はできなかったが…。
夜は飲み会の二次会でやはりその関係のお母さんのお店へ。こちらは夏に体調を崩されたと言うのでその後お元気かどうかとお子さんから暑中見舞いの返事を頂いていたのでその報告。
07/10/18
夜、主任児童委員部会。
今日の県健康福祉大会で部会長が県社協から10年表彰を受けた報告から。「オレ、今日1日仕事ができなかった」が受賞の弁。
連絡事項は『里親の輪を広げる懇談会』が10/21静岡市である事、児童福祉週間の標語募集、焼津市青少年健全育成市民会議講演会、これは各地区会で出席が割り振られたようだ。静岡県福祉教育実践研究セミナーの開催について。
本来今月は反省会をしようという事になっていて、お茶とお菓子まで出てきたのだが、連絡事項が多く、また引継ぎはどうなるのかなどの話が出て終わってしまった。
引継ぎはとりあえず、会計の状況がどうなっているのかの話が出て、来月の部会の支出が終わって報告を書いた時点で引き継ぐが、次の活動費が入る2月までにいくら残しておこうかという話になった。
部会長の持っている書類などについては早めに私が引き継ぐ事にした。
90周年記念誌用に渡した写真が戻ってきたのだが、どうやら部会の様子という事でやらせで撮った写真も使われたようだ。
07/10/17
母子寡婦福祉資金の償還台帳送付。紙の厚さは毎月より少し薄かったが数は13件。ほぼいつも通り。
夜、地区民児協の言い継ぎ電話で「来週の研修旅行は休まないように」と来た。
07/10/13
地区の副会長さんが今月の地区定例会の資料と出たお茶菓子を持ってきてくれた。「分からなかったら電話をして」と言われたが、お互いに今日は祭りの夜宮の準備で忙しい…。
07/10/12
中学から文化発表会の案内が来た。
07/10/11
午後1番で赤い羽根の特別募金。副会長宅で一緒に廻るメンバーでまず領収書の準備。出かけなければならないのでと1時間で良いにしてもらう。それでも14〜15件廻った。
ついでに明日の地区会で出すバザーの品と会費も預かってもらった。
07/10/10
伯父の葬儀が入ってしまったため、今月の地区定例会を欠席する旨、地区会長に電話を入れた。
地区コミュニティ推進協議会からふるさと祭りと明るい街づくり市民大会の地区大会の案内が来た。運動会が一段落すると文科系の行事の季節になる。
07/10/9
昨日書いたお礼状を投函。
午後は市の社会福祉大会。市長と社会福祉協議会会長の挨拶の後は社会福祉に貢献している様々な団体、個人の表彰。今回はうちの地区会長はじめ33人・12団体があった。もう米寿になられる社会福祉協議会会長がお元気にほとんどの表彰状を読み上げて授与した。
その後は市議会議長をはじめ国会・県会の議員さん、中部健康福祉センターの所長さん・県の社会福祉協議会の方など来賓の祝辞が続く。
そして大会宣言案『私たちを取り巻く環境は、少子・高齢社会への急速な進展と、家族や地域社会における人々の結びつきの希薄化が進むなど、大きく変わってまいりました。 また、犯罪の多発や低年齢化などの、社会不安も強まっている現状にあります。 こうした社会の転換期の中で、誰もが安心して、いきいきとした生活を送ることができる社会の実現は、住民すべての願いであります。 この実現のため、地域住民の参加による福祉活動やみんなで支えあう地域福祉のさらなる推進など様々な対応が求められています。 第37回焼津市社会福祉大会に当たり、私達は市民福祉の向上にいっそうの努力をし、「明るい町焼津市」の建設に邁進することを誓い、ここに宣言します』が読み上げられ採択された。社会福祉協議会の会長さんが「市民の皆さん1戸1戸が会員なんですよ」と挨拶で強調されていた。
後半は元高槻市長で奥様の介護のために4期目の途中で退職された江村利雄氏による講演『永年連れ添った夫婦やから』。
肩に力を入れすぎずに自分の生活を大切にして、周りの言う事を気にしすぎずに、ただし介護される人のプライドを傷つけないようにする事が介護を長く続けるコツだとの事だった。残念ながら昨年奥様は亡くなられたようだが、奥様が倒れられた後で1から家事を覚え、ますますお元気で活躍されているようだ。
07/10/8
保育園と幼稚園の運動会のお礼状を書いた。
07/10/6
本日は保育園と幼稚園の運動会。残念ながら昨日ほど良い天気ではないが涼しくて外に居ても過ごしやすい。
まず開始の早い保育園へ。今年のテーマはみんなの勇気・みんなのきづな。夕涼み会と同じあさひ・うみ・なみ・ふね(0から2歳の小さい子供達)の4チーム。保育園なのでプログラムも家族ぐるみ、お家の人はカメラやビデオを片手に子供達と一緒に走り回る。0歳児から年長さんまで年齢の幅も大きいが、大きい子供達は異年齢でグループを作って仲良く競技が出来る。小さい子供達は大張りきりの子がいる一方で、お家の人にベッタリと甘えている子もいて、見ている方はそれが楽しい。
1時間ほどで今度は幼稚園へ、相棒の主任児童委員さんの車に同乗させてもらった。
こちらは年中・年長の2クラスだが、卒園した大きい子供達、来年入って来る子供達、さらにはもっと小さい子供達の競技も作ってお父さん・お母さん・お祖父さん・お祖母さんも一緒の総動員プログラム。今年は食育についての研修をしているそうでそれがプログラムにも生かされていた。また、入園時には足が悪くて立つのも大変だった子が年長さんになって歩けるようになり、リレーもやるといって他の子と違って短い距離だったがチームに入って走っていた。他の子供の刺激を受けての成長が園長先生も嬉しそうだった。
07/10/5
朝から福祉会の運動会に参列。市内と大井川町の障害者各施設対抗の運動会。「児童委員さんは是非」と誘われたけれど、お年寄りや成人が中心の9チームと幼児は1チームで別各。どちらかといえば障害者福祉部会の方が似合う会のような気がする。
開会式の後、準備体操をして玉入れやかけっこ(車椅子のレースも)順送球など運動会らしい競技が続いた。身体的な不自由だけでなく知的障害も伴っている人達なので逆に素直に今の自分の感情を爆発させて楽しそうだった。その代わりほとんどマンツーマンで介助者が付き、普段の生活をつつがなく過ごすのも大変だろうなと思った。しかし、子供達の家族はわが子の雄姿をカメラやビデオに収めその成長を確認して嬉しそうだった。
前半1時間ほどを見て帰って来た。
午後、先月の母子福祉協力員の報告と来月の研修の出席届けを持って市役所へ行った。研修は報告書の書き方が変わるのでその説明が主になるようだ。当日はまた市役所の車に乗せてもらうことにした。
07/10/4
小学校からの運動会来場のお礼状と、母子福祉資金の償還票が来た。
地区会長さんから明日、福祉会の運動会があるので開会式に来るようにと電話を頂く。結局、明日も朝から忙しくなった…。
07/10/2
9月の活動記録を提出。
母子福祉協力員の研修の案内を受け取る。赤い羽根の特別募金の依頼状も…。
07/10/1
「広報誌が届いたよ」と石垣島の方からメールを頂く。