ちょっとした感想   

09/11/30

   円高だそうである。日本は円高になると大騒ぎになるが、円が高いという事は円が信頼度を増しているという事である。悪い事ばかりではないはずだ。
   そこをどう評価するか、どう利点として生かすのか、円の高い・安いは比較の問題で相手のある事だけに自分の好きにコントロールをする事は出来ないのだから、それだけに一喜一憂して騒ぐ事よりもその先を見通すことを特に報道機関には期待したい。

09/11/29

   1年が経つのは早いもので昨年亡くなった叔父の一周忌だった。
   曇って日の差さない冬らしい日になってしまったが、本堂でのお勤めもお墓参りも雨に降られることなく助かった。
   お坊さんが戒名についての話しを少ししてくれて、仏陀から代々続く結縁図というものを見せてくれた。最後の方はそれぞれのお寺の系列によって変わっていくようだが、仏教思想の継承のルーツのようなもので、最後はまた仏陀に戻っていく円環なのだそうだ。
   TANUKIがお墓参りをしながら「俺の戒名は…」と言い出したのでマーミに「一緒に修行に連れて行ってやって頂いてきて」と頼んでおいた。叔父もO父とともに生前に永平寺で戒名を頂いていた。お坊さんによると5日程度の修行が必要らしい。
   O家関係もほとんどが代替わりをしてお茶屋の叔母以外は(叔父達は健在だが)みな従弟が来るようになった。

09/11/25

   ようやく積み上げてあった父の関係の資料を片付け始めた。
   何だかんだで、包括支援センターに行って色々と資料をもらったり、業者を紹介してもらって介護ベットを借りたり、入院関係の領収書やら頂いたお見舞いのデーターや、さらに相続関係の書類。そして、葬式や納骨時の領収書類。実は今まで箱の中に放りぱなしだった。数字を精査してみないと分らないが、とりあえずこの1年近くの大きなお金の出入りを確認できる資料は残っているようだ。
   そのほかに闇雲に母から渡されたT家関係のものの中から、私からするとひいお祖母さん(父方の祖母の母)のものと思われる明治の末の長唄か三味線の発表会の番付(プログラム)が出てきた。文字は達筆すぎて特に口上(あいさつ文)はさっぱり読めないが、チョコッと入っている絵がきれいで祖母が亡くなった後の片付けでもきれいだなぁと思った記憶がある。
   実はもう1つ、祖母のものが残っていないかなぁと思っていたのはコインのコレクションで、特に珍しいものではなく、普段使っていたものを1種類ずつ残しているだけだったが、戦前のものとか戦時中の陶器の物とかがあった。残念ながらまだ出てこないが、実は父もひとわたり取っていたと思うし、私もひそかに持っている。私のはせいぜい東京オリンピック時の100円玉位しか珍しげなものはないが…。

09/11/24

   唐突だが世界にいくつもある将棋型のゲームで取った相手の駒が使えるのは日本だけだそうだ。
   何故そんな事を思ったのかというと、最近の政治ニュースで齋藤次郎日本郵政社長の人事をはじめ「結局役人の天下りではないか」という話が多いからだ。しかし、問題になる天下りは「渡り」といわれる次々に別組織に再就職を繰り返しろくな仕事もせずに膨大な退職金をもらい歩いているケースや斡旋利得などの役所の不正の温床になる事が問題なわけだ。
   仕事が出来て敵味方(味方が居ないのも困るが適が居ない人は信用できない)が多いだけなのならしばらくはお手並み拝見といきたい。
   政権交代が頻繁になれば、技術者や事務職員など以外の政策立案に関わる公務員は政権の政策との距離感で出入りが多くなるはずだし、その方が合理的で健全だと思う。
   それならば研究職との入れ替え、資格を持つ現場(医者や法律家など)との入れ替えなど政権交代とともにスムーズに行えるルールを作っておく事が必要なのではないだろうか。

09/11/23

   夜、パソコンの前に座るとついパソコンのテレビも起こしてしまう。今日もとりあえずニュースを聞こうとNHKを点けたままにしていたらその後の音楽番組が始まっていた。
   突然夏川りみの『童神(わらびがみ)』が流れてきた。音楽にあまり興味を持たない私としては(ただし嫌いではなく何の気なしに聞き流しているのだが)ちょっとした思い出を持っている曲でメロディが流れると懐かしく感じられる。
   初めて聞いたのは冬休みに車で大阪へ向かった時で、時ならぬ雪で名古屋で大渋滞に巻き込まれていた。カーラジオでやっていた音楽番組のゲストが夏川りみで沖縄の文化とこの歌への思い入れを語っていた。
   話は飛んで、「昼に行くよ」と言ってあった田原本に暗くなってたどり着き、「食べこぼしをするので皆と食事をするのは落ち着かなくていやだ」と言いながらもまだ元気だった伯父に会い、お好み焼きをご馳走になって、夜遅くにたどり着いた天王寺もまだ叔母の1人住まいの頃だった。懐かしくなって思い出のページをたどったら03年のことだった。

09/11/21

   そろそろ庭仕事の季節だ。
   今までは父が足元の雑草や咲き終わりの草花は片付けてくれていたので私は木の散髪をすればほぼ終わりだったのだが、今年は全部ある。
   今日は小春日和で風もなかったので、とりあえず、藤ヅルと拳つくりの百日紅の枝を切り取ったが草取りと草花類を片付けて足元を固めないと後は危なくて梯子乗りができないようだ。それぞれにマイペースでやっていたつもりだったが父がずいぶんと気を使って先手を取って片付けていてくれたのだなぁとつくづく思う。

09/11/20

   国の事業仕分けというものがニュースをにぎわしている。第1ラウンドはそれまで財務省がしがらみに絡まれて切れなかった予算の公開処刑になったようだが、不景気で税収も落ちるとあっては鳩山政権としてはもっともっと掘り起こさなければ必要な予算は組めない。
   議員歳費についても少しは世間を見回して考えるべきではあるが、これは芸能人やスポーツ選手も同じ事だが、議員がスタッフを抱えた事業主として彼らの生活の保障もしなければならない立場を考えれば決して大金をもらっているとは思えない。しかしどこかの議員事務所のように議員が秘書の給料にたかるようでは情けがないを通り越してそんな常識のない人は次は当選させたくないと思ってしまう。
   話が飛んだが、まだ続く事業仕分けでは今回あまり出てこなかった財務省・外務省・防衛省などや普通の感覚からはとんでもない額が機密費として一気に使われている内閣府などの無駄もどんどん整理してほしいものだ。
   話がまたまた飛ぶが、財源の地方移譲について、どうしても竹下政権のふるさと創生基金の馬鹿騒ぎと無駄遣いが頭に浮かぶのは私だけだろうか。

09/11/16

   以前から『農大志太常磐松会』『農大リンク』用の意見交換ツールがほしいと思っていた。しかし、これ以上掲示板を管理するのも大変だしどうしようかと2年近く迷っていたのだが…、お店屋さんなどのブログを見ているうちに、ブログを作ってそこで双方向のやり取りが結構できるのではないかと思った。
   アルバムも持っているのでYahooで作ってみたが正直な所VOXより使いにくい気がする。しかし、いまさら入れ替えるのも大変だし、やれる所までやってみようと思っている。
   とりあえず軌道に乗るまでは『農大リンク』メンバーのHPでも紹介していこうかと思っている。ボチボチ入れていけば3ヶ月やそこらは持つはずだ。

09/11/14

   O先輩のお誘いでA先生の別荘へ。
   相変わらずM大先生もお元気に飄々とした姿を見せていらした。
   暗くなるのが早い時期で、4時過ぎに伺ったのだがすでに皆さんスタンバイ。だるまストーブだけでなく火鉢も囲炉裏も火が入って屋内はずいぶんと暖かくなっていた。
   すでにお料理も色々と整って、しめ鯖と小鯛のにぎり寿司作りを少し手伝った。柚子皮と梅干を刻み込んだ寿司飯は美味しいだけでなく半日は日持ちが違うという事だった。
   早速たくさんある日本酒が開けられ味比べ。もっとも私は車なので飲めないが…。農大の食と農の博物館には日本各地のOB蔵のお酒の展示(瓶だけだが)があるのだが静岡県は酒蔵は多いのにほとんど展示がないと残念がっておられた。
   早くから始めたのでM大先生が「一休みしよう」と横になられた頃はまだ6時過ぎ。そろそろレギュラーメンバーの後輩が来る頃だが…。本日彼女は家族で信州の畑にあるりんごの木の1本オーナーとして収穫後に合流する事になっていた。ご家族で帰り道にそのままやって来て農大生のお嬢さんも挨拶にだけ降りてきた。もちろんお土産は採りたてのリンゴ。「管理費をお支払いして収穫だけするので、途中で手を出していないから美味しいですよ」と彼女一流のジョーク付き。
   さらに遅くなって、大学からももうお1人。昨日皆さんを送ってきてとんぼ返りをして仕事を終えてまた合流(お迎え?)に来たそうだ。陸上部の部長さん。来年の箱根出場も決まりグラウンドもきれいになり、益々ガンバレの激励が大先輩方からとぶ。
   話が盛り上がっている内に10時近くとなり、OBグループを車に乗せて順に送り届け。しかし、話に夢中になりながら「そこで曲がって」の指示に合わせて走らせているとぜんぜん道を覚えられない…。

09/11/8

   TOPPOさんのお誘いで川崎市の高津区文芸祭09俳句大会に行った。初めは特に何も考えずに日にちを空ける努力だけしていたのだが、直前になって『俳句でおしゃべり』のメンバーが会場で会おうという話で盛り上がり、私も含めて5人が集まった。
   その話は別冊でするとして、朝も早よから起きだして洗濯を片付け、イソイソと駅へ。行きは乗り換え案内で調べてあったのでスムーズに静岡駅でこだまに乗り換えた。
   日曜日の朝9時前、ほぼ満席、降りる人もいるかわりに乗る人も多い。それを見て新幹線のこれからの戦略を考えた。飛行機で行ける所を強化するよりも他の交通機関のない所でスムーズに利用者を運ぶ。他の交通機関との乗り継ぎを良くして短距離で乗る人の利便性を考え座席の回転を良くする。
   都会に出れば乗り継ぎ時間は気にならないが、JR横浜線・菊名駅までは焼津から切符が買えた。菊名からは東急東横線、武蔵小杉まで出てJRに乗り換えて武蔵溝ノ口まで。これがみな切符を買いなおさなければならない。慣れない所を移動しながら券売機を探し切符を買うのも骨が折れる。
   無事に溝口まで着いたが、学校出てから○十年、ビルだらけになった駅前の変貌にビックリ。市民会館というのでそれらしいお役所風建物を探したのだが見当たらない。歩道橋を降りて交番で聞くと商業ビルの上階に入っているそうで、「それです」と指差されるが、もう1度階段を登って歩道橋に行かないと道が渡れない。
   とにかく無事にたどり着いたらTOPPOさんとガス灯さんが既に着いていた。我々はエレベーター側に寄っていたのだが、たまごさんがエスカレーター側で待っていてくれた。さらにお出かけの途中の悠さんも駅へ出るのに通るからと寄ってくれて皆でお昼を食べながらおしゃべり、さらに全員で当日の投句。我々がオフ会で集まって初めて俳句仲間らしい行動をとった。
   後は石寒太先生の講演を聞き、投句の選句結果や講評を聞いて4時過ぎまで。
   終わってからTOPPOさんと2人で3次会。横浜駅近くで沖縄料理を食べながら泡盛のお湯割を少々、ノンビリしすぎてあわてて新横浜から飛び乗ったひかりは自由席が大混雑。次の停車駅が静岡というわけでずっと立ってきた。ともかく、だいぶリフレッシュして夜遅くに焼津に帰った。

09/11/7

   与党・民主党で国会論戦が始まっている。
   国会中継もテレビや新聞やネットのニュースもあまりきちんとは見ていないのだが感想を一言。
   政権交代をしたばかりなので与党内・与野党間でゴタゴタがあるのは大いに結構なのだが、それにマスコミまで飛びついてゴタゴタを大きくしているのは国の立場としてどうなのだろうか。特に外交面では、アメリカのご機嫌ばかりを気にするのは一応独立国の立場にある国としてどうなのだろう。
   ここまででポイントを上げたのは亀井郵政大臣、とにかく不便になりすぎた郵便局を何とかしようとするための形が出来つつある。
   前原国土交通大臣はトラブルが次々と降りかかって大変だが、様々な問題のありかが国民にも見えてきたのではないだろうか。ここに関してはマスコミの仕事も大きかったと思う。
   国土交通省の削った予算の行き先になるはずの厚労省は官僚がきちんと大臣をサポートして優先順位をはっきりさせて予算を取りに行く攻めの体制を整えるべきである。ここが一番まどろっこしい。
   子育てに重点シフトをしているが年金も介護も病院の問題も大きい。また、子ども手当てにスポイルされる高校生から大学生世代の奨学金制度などを文科省と一緒に整備しないと、一番お金のかかる時だけにその親世代の増税は受け入れられないだろう。じつは、少子高齢化といわれる時代(子育てや労働のできる人口が減っていくという事になるの)に何時までも皆揃って高学歴が必要かというところも哲学として考えてほしいものだと思っているが。
   環境や地方分権、外交・防衛などは表舞台で他が活躍している間にじっくりと腰を据えて検討をすれば良い事だと思う。
   しかし、小沢幹事長の新人議員の扱いはいささか首をひねる。青年ばかりでなく今までの世界で実績を上げてこられた中高年の人もあるはずだし、何よりも、同じ議員歳費を払っているのだからきちんと仕事をしてもらわなければ有権者=納税者から見ると効率が悪すぎる。

09/11/6

   しばらく前に『宇宙』という俳誌が送られてきた。主宰は静岡の方らしいが特に挨拶状も送り状も何もなく、どこから個人情報が漏れたか、といささか焦った。
   俳句というものは17文字で1つの作品と短いのだが、これを鑑賞しようとすると難しく、長い話になる、らしい。そんなわけでかなりしんどい思いをしながら読み進めているのだが、たまたまペラリと後ろの方のページが開いた所を見れば夏に玉露の里の投句箱に入れてきた自作があるではないか。しかし、住所など書いたかなぁ、と記憶は何ともおぼつかない。

せみしぐれ玉露ソフトの売れにけり  DORA

   まったくの挨拶句のつもりだったのが受け入れられたのだろうか。入選をいただいていた。

09/11/1

   毎日廻るホームページだが、何故かこのごろ「お加減如何ですか?」の所が多い。私が民児協に所属しているからというわけではない。
   『二代目・日本魁新聞』の牧さんは脳卒中の後遺症をお持ちだし、『沖島 九年母』の昼間の行灯さんもお忙しい毎日のある日、倒れられてリハビリ中だ。さらに『えんやらや』のこしろうさんはつい先日まで焼津市議だった方だが体調不良で先ごろ辞職された。そして『風の頁』の風さんまでガンと闘争中となった。さらに、風の頁の仲間の『Smile Cafe』のメロンさんもお医者さんで体調管理をしながら活躍している。
   この皆さんは一病息災で体調を公表しながら実生活でもそれぞれの仕事で活躍中だが、自宅に居ながら情報発信が出来るブログやホームページは出歩くのが億劫な高齢者や障害者、体調の悪い人達にとって人と交わる絶好の道具なのかもしれない。

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