ちょっとした感想   

05/4/30

   難波の華一家が蒲田に引っ越した頃から、「落ち着いたら横浜中華街で遊ぼうよ」と言っていたのだが、ようやくその約束がかなった。
   こちらは新横浜に停まる新幹線の都合で朝8時出発。静岡の次は新横浜に停まるひかりはこの時間帯はこのひかり360だけ。思いの外空いていて座る事ができた。新横浜からJRで菊名へ出て、東横線から元町中華街まで伸びた路線へ。そのかわり菊名では東横線の横浜までの切符しか扱っていなかった。元町中華街で乗り越し清算。しかし、早めに動いているので約束の11時半まではたっぷり1時間以上の時間がある。
   足が痛いTANUKIの希望でとりあえずお茶のつもりだったが、さすがの中華街もまだ開店準備中の店が多い。それぞれが記憶に残る中国茶の喫茶店を探したのだが、ウロウロしている内に目の前を行くのはTOPPOさん。予定外の合流で、座れれば良いのならと中華街の中の小公園の東屋へ。若葉を通して涼しい風がふく中でしばしおしゃべり。入って来たスズメの子に中華饅を食べていた人が皮をやるとつついて食べているのを見たりしてノンビリと過ごす。
   11時半、地元TOPPOさんが予約を入れておいた三蔵飯店に入る。待つほどもなく難波の華一家も登場。車で来た彼らも駐車場は混んではいなかったようだ。しかし、中華街の規模の大きさには驚いたようで、探すのが大変だった様子。TOPPOさんと難波の華夫妻は彼らが新婚の頃の北海道旅行以来。再開を祝し、「残すのはもったいないから…」上海料理のリーズナブルなコースを頼む。足りなければ料理を追加しようかと思ったのだが、小学校に上がったばかりのショーゴ君もよく食べたが、大人の人数で頼んだ料理でお腹一杯になった。
   食後は中華街散策。まずは人を掻き分けて関帝廟へ。中国風の派手な建物をお線香の香りの中ひとまわり。ここから山下公園へ足を延ばす。海風にあたりショーゴ君はフワフワの滑り台へ一直線。危険防止のために人数制限をしているのを3回も待って、楽しそうに遊んできた。すっかり喉が渇いたが、側の自動販売機は売り切れ。また中華街に戻り椰子の実ジュースを買ったが、ショーゴ君の口には合わなかったらしく、みんなで味見をして彼はミネラルウォーターを買ってもらう。
   おみやげを買ったりお店をひやかした後で、重慶飯店でお茶。様々な銘柄の中国茶に餃子を一口ずつ分けっこ。駐車場の時間やショーゴ君の疲れも気になるので、難波の華一家とはここでお別れ。
   我々3人はここから港の見える公園の方へ。結局足の痛いTANUKIをフランス山の麓に放り出して、階段を上がり開港時代フランス大使館があったという場所から港の見える丘公園、その先の大仏次郎記念館の入り口のネコの彫刻にご挨拶をして、外人墓地を上から見下ろし、火事で焼けた聖公会教会の跡から引き返す。近くにあったネコの博物館は引越しをしたようだった。TANIUKIも一緒ならこの辺でお茶にして反対側へ降りるのに…、とブツブツ言いながら道を引き返す。
   すでに夕暮れ、歩道橋を改装中の人形博物館の前で降り、メルパルクのレストランで早い夕食。シーフードドリアとコーヒーでしばし一休み。出てみれば隣のマリンタワーは明るく輝いていた。
   TOPPOさんとは菊名で別れて新横浜へ。帰りも乗り継ぎよく7:53岡山行きのひかりが静岡に停まるというのでそれに乗った。9時頃には焼津着、まだ寝ていないだろうとマーミの所におみやげの肉饅を届け、家に帰った。

05/4/28

   列車事故の死者が100名を越えた。結局、死者106名、負傷者461名の列車事故として戦後4番目の大惨事だそうだ。
   運転手も死亡が確認されたが、彼の操作ミス、個別の心理状況だけで事故処理をして欲しくない。
   人間、生活を支えるために仕事を持つが、仕事に振り回されるために仕事をしているのではない。家族と団欒する時間、子供や老人と関わる時間、地域の生活を整える時間、友達同士で楽しむ時間、自分のために費やす時間、どれも人間の生活のために無くてはならない時間であり、仕事に食い荒らされて良い時間ではない。
   子供の学習にゆとりを取る前に、周りで生活するすべての大人が、時間的にも精神的にもゆとりを持つことが必要ではないだろうか。

05/4/26

   昨日の列車事故は死者73名、負傷者は400名を越えたらしい。しかもまだ取り残されている人が居るという。結局580名が乗っていたというほとんどが死傷するという大事故だったようだ。
   衝突されたマンションの1Fが駐車場で空間のある構造だったため、2両目に押しつぶされた形だったらしい1両目にも生存者があったが、1・2両目に居たかなりの数の方が亡くなられたらしい。捜索は今も車体を分解撤去するような形で続いている。
   亡くなられた方のご冥福を祈ると共に、負傷された方々にお見舞いを申したい。それとともに、人間が安全に運転できるシステムというものを、コンピューター制御に頼ったり、構造的なものだけでなく、メンタルな面からも心に余裕を持って安全に操作できるシステムを考えて欲しい。
   効率化、効率化と人間性を機械に置き換えてきた事で切り捨てられたものを、もう一度それで良かったのかどうか精査する必要を感じる。

05/4/25

   兵庫で通勤電車の脱線転覆。カーブを曲がりそこねて傍に建つマンションに突っ込んだようだ。夜7時のニュースで50名の死者、300名を越える負傷者。朝9時過ぎの事故発生でまだ被害者の救出が続いている。
   近年脱線事故などが無かったわけではないが、地下鉄サリン事件以来の大騒動になっている。
   最近、航空機・電車とも事故が多い。大きな事故の裏には小さな事故の重なりがあるというが、コンピューター任せで人間の五感でしっかりと機械操作をしていない事が、かえって事故を呼んでいるのではないだろうか。
   話がローカルになるが藤枝バイパスで立て続けに正面衝突事故が起こった。確かに中央分離帯はないが、これも特に見通しの悪い所ではない。
   運転という機械操作はどんどん簡単になっているが、人間が危険をともなう機械を運転している事、人の命を預かっている事をもう一度肝に銘じたい。

05/4/20

   朝、テレビを点たとたんに福岡の地震のニュース。震度5だから大した事がないとは言わないが、延々と意味のない同じニュースの繰り返し。九州北部の皆さんには「あわてずに」も大切な情報かもしれないが、クラリともしなかったこちら遠方では、朝の忙しい時間帯は世間一般のニュースの羅列とローカルの天気や交通情報の方が重要かつ必要なニュースだと思う。
   それはそれとして、ぱろぱろさんが住まう福岡はまたもかなりひどい揺れで家の中が大変だったようだ。夜のニュースで見ると各地で地割れや地すべりもあったらしい。これが余震だと言うのだから落ち着かないだろうが、中越での余震もようやくに収まったところ、気持ちを落ち着けて安全に気を配ってもう少し頑張ってほしい。

05/4/19

   中国で日本批判が渦巻いている。こちらでニュースを見ているとマグマのように沸立っているようだが、広い中国の中ではどうなのだろうか。
   さすがの中国政府も国として腰が引けるわけにはいかないものの、大使館や日本料理店、日本人への乱暴狼藉に対しては警察や民間レベルで手を打つ事を考え出したようだ。
   国同士というものはいやだと言っても引っ越すわけにはいかない。別の存在である限り利害も異なる。それでも共に成り立っていかなければならない。感情をぶつけ合ってはいけないと言うものではないが、理性的に落ち着きどころを探す努力をするべきではないだろうか。

05/4/17

   とりあえずの慌しさが一段落したところで川根の温泉へ。渋滞するR1はなるべく避けて藤枝から島田へ。道路ができ開発中の住宅街は間あいだにまだ田畑が残っている。

田起こしや畦のゲンゲの咲き残る
新しき街路樹に咲けりハナミズキ

   大井川沿いの道を昼頃に笹間渡の川根温泉へ。まずは先月TOPPO氏といった食堂でお昼。温泉の中の食堂は混みあっているようなのにこちらは今日も別天地。貸し切り状態でTANUKIはカツカレー、私は山かけ丼。
   食事を終えて何の気なしに川沿いへ出たら向うからSLがやって来た。ギャラリー付きなので汽笛を鳴らしスピードを落として通って行く。温泉の露天風呂からも人が顔を出す。汽車のお客と温泉のお客、それぞれに手を振り合ったりして楽しみを分け合う。

SLの音の響きや川根の湯

   汽車を見たところで温泉へ。まだ割合に空いていて、ノンビリと身体を洗って露天風呂へ。山の緑が目に優しい。暖まった身体に風が心地よい。すっかりリフレッシュして待ち合わせのマッサージイスのコーナーでお茶を飲みながら2回分\200投資。

行く春や風ここち良き露天風呂

   帰りは同じ道をノンビリと。ニュースではもう茶摘も始まっているが、この辺りはあともう少し。柔らかい緑が茶畑を包んでいた。

お茶の葉のやわらかく伸び夕間暮れ

05/4/16

   今朝のメールで『山旅の想ひ出』のまえじまさんから一緒に参加した「77年のカブのウッドバッチ研修所の記録」をホームページに揚げる前のチェック依頼が来た。かれこれ28年も前の話である。
   屋根裏の本棚をゴソゴソとひっくり返すと、出ました!研修で渡されたノートとカブブック、さらには組分けの緑のフェルトのバッチとカブブックの課程終了でもらったシールのウサギ・シカ・クマと金矢賞、さらに何に使ったのか緑の紐と毛糸の切れ端。
   ボーイスカウト東京連盟はカブ課程と言えどもリーダー研修は幕営だったので、ノートはかなりよれているし、字は本人でさえ判読不能の部分があるが、懐かしい思いに浸ってしまった。
   私は同じ団の3人で行かせてもらったのだが、それぞれ別の組になった。すでに1人は亡くなり、もう1人ともお互いの結婚以降いつの間にか音信が途絶えてしまったが。
   同じ組になった人とは集まって組分けをされてから3泊4日、文字通り寝食を共にして走り回った。細かい日程表などを渡されたのかどうか、1冊のノートの講義メモの間に連絡事項やこれからやるべき事(あちこちに次の集合時間と場所がメモされている)、テントサイト整理の講評や手直し点までメモされている。裏の方には課題のスケッチや終わってから頂いたらしい講師のサイン、何故か1組の組歌の元歌まで張ってあった(我々は4組だったらしい。もちろん組歌も作ったはずだがメモはなかった)。
   そういえば食事時間が作って食べて片付けるまでかなり短く、生煮えのカレーを作った記憶が…。講習で「道具はなくても料理はできますよ」と色々見せてくれた記憶もあるのだが、なるほどねと思っただけで何が出来たかまでは出てこない。もう1つ、新聞紙4枚あれば飯盒の4合飯が炊けると言うのもここで得た記憶ではないかと思う。
   写真が出てきたのでまとめてみた。ウッドバッチ研修所にて

05/4/14

   NHK『クローズアップ現代』の今晩のテーマは災害からお年寄りを守るには。昨年の台風の水害被害が出た兵庫県豊岡町のケースを検証していた。
   いまだ避難中の人、田畑が土砂で埋まって仕事ができなくなった人、半年経った現在の時点で高齢者といえども自分の生活と仕事を持って生きてきた人がそれらを失って老込むことも心配されている。
   災害時の死者の半数以上を占める65歳以上の高齢者が災害時、避難所が遠すぎて行く事ができなかったり、役所の側でも的確な情報が提供できなかったりと起こってみなければ分からなかった事がここでも多々あったようだが、いざという時の参考に得られるものは得ておきたいと思う。

05/4/11

   鹿児島県で4人の中学生が防空壕で探検遊びをしていて酸欠死してから何日か経った。
   相変わらず大人は危険に遊びをしないようにとか、危険な場所を点検して立ち入らせないようになどの『対策』を出している。しかし、この年代の子供達が正常に子供らしく育っているからこその大人の目から離れての探検ごっこではないのだろうか。
   危険なものを危ないからと子供の手から取り上げるよりも、危ないからこそどうすれば良いのかをしっかりと体験させる事が大切なのではないだろうか。それが火でも刃物でもバイクでも、大人の目のある所で小さな失敗を繰り返していくうちに何が危険でどうすれば使いこなせるかが分かっていくはずである。
   今回も、火については幼児期の花火の扱い方から始まって、小学校時代の理科の燃焼の勉強や家庭科の調理で火を使う時に何度となく言われていたはずの事が身についていなかったのではないかと悔やまれる。(ただし洞窟内で天然のガスなどが噴出しておらず、焚き火による酸欠であったならば…)

05/4/6

   いよいよ入学式の始まり。新社会人も含めて新しい環境でスタートを切った人達におめでとう!を言いたい。
   特に、小学校から高校までの1年生、勉強も大切だが、人間関係の練習をたくさんしてもらいたい。たくさんの友達を作ることも大切だが、必ずしも誰とでも仲良くなれるわけではない。気が合わない人とどう距離をとって付き合うのか、どう協力し合うのか、そんな事もたくさん経験して欲しい。けんかをしたって良い。その結果お互いの事がよく分かって仲良くなる事もあるし、やはり仲良くはなれないけど付き合える範囲が分かるかもしれない。
   うれしかったり、楽しかったり、悲しかったり、悔しかったり、怒ったり、やきもちを焼いたり、どの気持ちとも大切に付き合って欲しい。

05/4/4

   志太常磐松会の会長のお母様のご葬儀だった。享年89歳。
   午前中雨で寒い日だったが、受付前のホールまで一杯になる多くの会葬者だった。
   今朝「お通夜に行ったよ」と電話を下さったO先輩が、「彼はお母さんにそっくりなんだね」と仰っていたが、お写真を見ると本当に良く似ておられる。
   故人は昭和30年代には婦人会の地区代表として活躍され、50年代には公民館活動でも先頭に立たれた方のようだ。
   ひ孫さん達が「大きいばぁば、天国で大きいじぃじと仲良くね」と手向けの言葉が心に残った。

05/4/3

   未明、ローマ法王が亡くなった。享年84歳だそうだ。
   ニュースステーションでコンクラーベという会議で法王が決まるという事を知ったのがこの法王が誕生した時だった。つまり法王としての誕生から死までをテレビニュースの中だけとはいえ見続けてきた事になる。
   カトリックの中での位置づけは分からないが、精力的に動き回り自分の心を伝えようとした人だったように思える。

05/4/1

   あっという間に4月が来た。今日は家計簿の月末集計と、主任児童委員の3月活動報告と、志太常磐松会の昨年度の会計の締めとを机の上に広げていた。たいした量ではないのだが、あれもある、これもあるという状態がかなり気をあせらせる。
   気が付けばろくに新聞も読んでいない。
   これではいけないと思いつつ、パソコンのテレビは負け戦の阪神戦がついている。そう、今日からセ・リーグも開幕。しかし、大リーグのオープン戦情報に高校野球、パ・リーグ開幕と五月雨式の野球情報は、いよいよ球春というワクワク感をかえって持てなくしている。

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