07/8/30
奈良県で早産しかけた妊婦さんの救急搬送先を探すのに、病院にたらいまわしをされて長時間かかり、しかも奈良県内ではなく大阪への搬送途中に交通事故を起こした事件はさすがの救急隊員も気がせいていたのだろう。1年前の同県での妊婦死亡事故後に何の対策も取られていなかったのではないかと思わされた。
残念ながら赤ちゃんは死産だった。
少子化に少子化対策の大臣まで置く国でこのような事が起こる。赤ちゃんが宿って生まれるまでの安心さえ無い国に子育て支援のお題目をいくら並べても仕方がない気がする。
こう言ってしまっては何だが、医師免許があれば歯科以外どの科も診る事ができる。昔は何科の看板を掲げていても緊急の場合には直近の医者に担ぎこんだものだし、「診られません」とは言わなかったはずだ。手に負えない場合には1次処置をしてから専門医への搬送を行なった。緊急医療については初心に戻ったらどうだろうか。
07/8/26
焼津市の防災訓練はこのところ夏休み中に行なわれている。小・中学生は出席チェック。そのせいもあり今回もうちの自治会では全部で1200名弱の参加があった。
しかし、回覧板で廻って来た日程では8時半からと書いてあったのだが、確かに防災無線で訓練の注意情報が出たのが8時半、地震発生を知らせる花火が鳴ったのが9時頃、それに合わせて避難場所に当たるお向かいの中学に出て行ったが、それから延々1時間近く何をするでもなく過ぎた。
ようやく、各総代ごとに参加人数を確認して集合。今回は消火がバケツリレーと消火器の使い方、その消火器も水を入れたもので火は使わなかった。ポンプの稼働も無く、家が立込んでどちらを向けてもできないようになってきたのかもしれない。その他はロープワークと竹と毛布を使った簡易タンカの作り方、煙体験。煙の中でどう動くかはいざというとき大切な事だが、短い距離で仕切りを分けて真直ぐ出てくれば良いだけなのに、写真をとっているうちに置いてきぼりを食った…。
30分ほどで体育館に集まって消防の方から防災の話を聞く。能登・中越とたて続けに支援に行った後だけに、まず必要になるのが、水・食料・ビニールシート、防災用品として置いておくというよりも生活の中で利用するものとして多めの備蓄を心掛けると良いとの事だった。また、まず家の耐震化を心掛けることで、全体でなくても1部屋を安全にするなどして身を守ると共に自宅を基点にできるようにすることが重要だとの事だった。
もう1つ、避難する時はうっかりしやすいが、電化製品などのスイッチが入ったままだと、電気が復旧した時に通電されてしまい崩壊家屋などで火事が出やすいとの事だった。
07/8/20
最近ここに書くネタがなかなか無い。最近の我が家の状況については人が来たり行事があったりで『我が家&和賀家』で書いているし、地域の様子と合わせたものは『DORAおばさんの住む所』に入れてしまったせいなのだが…。
元々の時事ネタはありすぎてゆっくり考える間もなく通り過ぎてしまう。
本日は腰痛のTANUKIと共に笑福の湯でノンビリと1日を過ごした。
午前中にまずはお湯に浸かり、その後は岩盤浴。割合に空いていて出たり入ったり何度か自分のペースで汗を出してはインターバルを取って水を飲みを繰り返した。顔や上半身はドップリと汗をかくのにむくみ気味の足の方はなかなか汗は出なかった。
温泉に戻って汗を流してお昼。値段からかなり甘じょっぱいだろうと想像したカツ丼は意外と薄味で本日の期待には合わなかったが、一緒に頼んだ湯葉のサラダとTANUKIがつまみにと頼んだ豆腐そぼろ味噌掛もピンハネして満腹。
リラックスルームで一休み。1人掛けのリクライニングのイスすべてにテレビがセットされていて、テレビを見るもよし、ゆっくりとお昼寝をしても良しとなっている。こちらは混雑。何とか空きを見つけてタオルケットを借りて座り込む。音はそれぞれのイスの頭の部分にスピーカーがセットされているのでお互いに邪魔にはならない。
ウトウトしているうちに高校野球の第2試合で常葉菊川vs大垣日大が始まった。地元静岡と言うだけでなく、春の大会の決勝カードだけに、見ている人が多かった。投手戦の良い試合だったが、守備力で勝って常葉菊が我が勝ちをおさめた。追加点が入った8回裏などは部屋のあちらこちらから歓声が上がった。明日は第1試合だというのがちょっと気の毒だが、こうなったら決勝戦まで行ってほしい。
最後まで試合を見た後、もう一浴び温泉に飛び込んで最後は缶ジュースを飲みながら\100マッサージ。1日遊んだにしては安上がりだった。
07/8/14
本日は焼津港の花火大会。例年マーミの関係者とうちの関係者の合同で港に場所を取り酒盛りのあと花火見物をする。最近はデジカメや携帯電話のカメラの発達でそれに花火の写真撮りという業が1つ加わった観もある。
そして、子供達はこの日だけのメンバーでの遊びという楽しみもある。もっともゲームばかりだが…。
特にマーミの関係者とはこの時1度だけ会う事が多いので、この前まで子供だったのがいい青年に成っていたり、結婚が決まったりと驚く事ばかりだ。
終了時間がずいぶん早くなったので、歩いて帰って来ても10時前には家に着いた。
07/8/11
昨日ようやく休みを取れたTOPPOさんもやって来たので、TANUKIとて3人で朝からドライブに出かけた。
お盆のラッシュが始まった頃、幸いなことに静岡県というのはマイナーな遊び場も結構あるという訳で、まずはR1を西へ。TANUKIとカーナビのバトルと高校野球を左右の耳で聞きながら、磐田まで。元豊田町の磐田市香りの博物館へ。今はシェークスピアの愛したハーブという特設展示をしていた。シェークスピアの戯曲の一場面とハーブの使われ方、当時のその意味合いのようなものの説明もあってなかなか面白かった。もちろんその場面のハーブがブレンドされ、匂いをかげるようになっていた。
後は香りの体験コーナーで自分の香りを作る。TOPPOさんは初めてだが我々は3年前にもやっている。自分の好みのベースの香りを決めコンピーターにデーターを入れてサブの香りをいくつか組み合わせた中から自分の好みのものを作る事ができる。TANUKIは後で比べてみたら前回とまったく同じだったらしい。夏の事でもあり、皆さっぱり系の香りになった。
ここから袋井市に向かい、元浅羽町のどんどこあさばのアグリレストラン陽だまりでお昼。1人\1.500のバイキングだが、野菜中心で薄味なので結構たくさん入る。もっともTANUKIはそれほど食べず、我々は何度も席を立ってデザートまでたっぷりと食べた。
最後は牧の原の茶畑をぬけて相良町の子生まれ温泉へ。茶色っぽいお湯はツルリとして塩辛かったがよく暖まった。まだ新しい施設らしく気持ちが良かった。
レストランこそ時間も良かったので満席で回転していたが、他はどこもそんなに人だらけではなく、道路もさほどの渋滞には遭わず良い1日だった。
07/8/8
年に2回、夏とお正月にメールのお付き合いのあったすべての皆さんにご挨拶を送る。せっかく知り合ったのだからというのももちろんだが、メールアドレスの確認の意味もある。以前に比べるとアドレス変更の度合いは少なくなったようで、ほとんどが先方に着くようだ。その代わりスパムメール対策らしく、一斉メールははじくシステムが発達してきているようで受け取り拒否に成る頻度が高くなった。1割近くがその形ではじかれたが、申し訳ないが1つ1つを再度送る余力がないのでその皆様にはHPにあげたものでご挨拶としたい。
この機会にはもちろん返礼のメールもたくさん頂く。
農大リンクで関係が広がった結果、今回もっとも暑い所はGAKIさんの居るチュニスで『先月は47度まで上がり、ドライヤーの風を受けているようでした』との事だったが、湿度が低いので30℃以上あっても涼しく感じるそうだ。一方、涼しい方は仕事でイギリスに行っている方で、日中でも17℃前後で『ほとんどの家にクーラーがない理由が分かりました』との事だった。
国内では、南は民生委員の先輩の居られる石垣島の近くを次々と台風が通過中、北海道のワンワンの飼い主家は家族が1人増えて賑やかになった。
07/8/3
本日はTOPPO家のご両親を偲ぶ会が横浜の崎陽軒で行なわれた。ごく内輪の妹さん一家とご親戚ばかりの中にお招きを受けた。
幸い台風は日本海側に抜けたので行きの新幹線は数分遅れ、余裕を持って会場に着けた。本人坊のTOPPOさんの方が妹さん一家の車で来たので駐車場の入り口を探して私より遅くなったようだった。
ご両親の命日は春なのだが、年度末から年度初めの慌しさの中では余裕が無く、昨年納骨を済ませた時期に合わせて今日になったようだった。
ご両親が結婚式を挙げたのもこの崎陽軒だったそうで、ご両親の写真を真ん中に和やかな会食の後、「結婚式の写真は僕が撮ったんだ」という叔父様が何枚かを新たに焼いて持ってきておられ見せて頂いた。
集合写真を見ながら「だいぶ故人になっているなぁ」と仰る方、花嫁姿の大写しを前に「やっぱり似ているわねぇ」と娘さん達と見比べている方、飾られた晩年の写真と結婚式の2人の写真を見比べる方など懐かしい時が流れたようだ。
ただし、食べ盛りの孫一同はゆっくのと持ってこられては1人前ずつ取り分けてくれるご馳走だけでは足りないようでチャーハンなどを別に持ってきてもらってお腹に入れていた。
最後に別の叔父様のデジカメで一同の写真を撮ってお開きになった。
叔父様・叔母様を送り出してから妹さん一家と下でお茶。「ああ、無事に終わってホッとした」と姉妹で言い合っていた。
帰りは新幹線の乗継が悪くて焼津駅に着いたら6時前。途中から到着時間を入れて「迎えに来て」とメールでTANUKIに送ったが気が付かなくて来なかった。昨日私にさんざん「連絡がすぐに取れないから携帯は携帯していろ」と言っていたが、自分だって気が付かないという訳で敵を取ったが荷物が重かった。
07/8/1
慌しい1日だった。